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師をめぐる、巡礼の旅‐1089‐

 今年の夏休み旅。14日(木)福岡市に入ったところまで書きました。

 ホテルにチェックインして、夜の天神エリアへ。

 名物の屋台で、焼きラーメンを汗だくで炒める店主。

 南国とは言わずとも、開放的な雰囲気があります。

 屋台がよかったのですが、子供がいるので断念。今度の楽しみにします。

 翌朝、早起きして中心部を歩きました。

 中洲エリアにある、アルド・ロッシ設計のイル・パラッツォ(1989年)。

 単純ですが、ひときわ目を惹きます。

 巨匠・吉村順三の河庄(1959年)。

 コンクリート打放しのルーバーを楽しみにしていました。

 しかし、グレーとピンクで塗装がなされており……

 これは正直かなり残念。

 ホテル近くの福岡銀行本店(1975年)。

 黒川紀章、初期の仕事です。

 屋内というにはあまりにも高い天井。

 特別な存在感を放っています。

 朝食のあと福岡を発ち、北九州市立美術館へ。車で1時間程でした。

 こちらも、磯崎新の初期の作品です。

 学生の頃、白黒写真で見て以来、ずっと訪れたいと思っていました。

 磯崎の建築は、単純な造形を用い、一度に建物を印象付ける力があります。そんなところに憧れていたのです。

 一方、より限られた素材で、対比という思想を持ち込めば、より美しい建築が出来るのではとも思っていました。私の作品「加美の家」のモチーフになっているのです。

 訪れるより先に、創ってしまったのですが。

 麗しの磯崎を訪ね、今回の建築巡礼、目的は果たしました。

 しかし、建築めぐりだけでは家族は退屈します。

 午後には日本最大級の鍾乳洞、秋芳洞に到着。

 子供達は探検気分で楽しんでいました。15日(金)は山口泊。

 最終日、16日(土)は朝から萩へ移動。

 市内では、維新の志士、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)の生家を回りました。

 そして、最後の目的地、松下村塾に到着。

 1856年、吉田松陰は叔父からこの私塾を引き継ぎました。

 そして、多くの幕末の志士を育てるのです。

 倒幕を強く訴える松陰が、維新を見届けることはありませんでした。

 大老・井伊直弼による安政の大獄によって斬首されるのです。1859年のこと。

 日本の近代化は、薩長土肥という地方の力によって成し遂げられています。

 それを差し引いても、この本州西端の小さな私塾から、育った人物の数は目を見張ります。

 先の2人を初め、久坂玄瑞、伊藤博文も松下村塾出身。

 松陰は、相当にクレイジーな部分もあったようです。

 しかし、少々狂気のようなものが無ければ、人の心に火をつけることは出来ないのでは。8畳の小さな講堂を見ながら、そんな事を思っていました。

 当の本人はこんな言葉を残しています。

 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず」

 師を持っていない私にとって、世界に残る名建築、そして珠玉の名言が、師そのもの。勿論みだりではないつもりです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
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長州岩国で、歴史を思う

 土曜日は朝から新幹線で、山口県の新岩国駅へ。

 大阪工業技術専門学校、校友会の中国支部総会に呼んで貰いました。1時間ほどで何か話をして欲しいという事。

 岩国と言えばやはり錦帯橋です。

 会場のホテルもすぐ近くで、見に行って来ました。

 5連の反り橋は、日本三名橋に数えられます。

 蛇行する錦川は山城である岩国城の堀の役割も果たします。

 この川幅200mの錦川に掛けられた木造の橋が錦帯橋。初代岩国藩主・吉川広家が完成させました。300年前の技術の粋を集めたものなのです。

 「おはん」で有名な作家・宇野千代もこの地の出身。昭和の女流作家のさきがけと言えます。

 生家が復元されていました。

 初めは通り過ぎるつもりでしたが、塀越しの紅葉に誘われ立ち寄ってきました。

 今年の紅葉は美しいという話ですが、間違いなさそうです。

 紅葉は赤きをよしとするものですが、淡い赤になる種が数本植わっていました。

 これが非常に上品な色づき加減で、大変美しい庭でした。

 一番楽しみにしていたのが「岩国徴古館(ちょうこかん)」。

 佐藤武夫の設計で1945年(昭和20年)3月に竣工しています。

 戦時下の傑作と言われて、そのサイドストーリーがなかなか興味深いもの。

 鉄が貴重だった為、鉄筋でなく「竹筋」の入った、竹筋コンクリート造という話があるのです。

 内部の柱も独特のフォルム。

 竹が入っているからこうなるのか、戦時下で、自分の意思を通したものなのか……

 やはり建築は条件が厳しければ厳しい程、傑作が生まれるものなのか……

 講演は問題なく終わりました。

 その日は岩国駅前のホテルに泊まり、帰りは山陽本線で、広島まで移動する事にしました。

 瀬戸内を望む鈍行の旅。なんとも贅沢な時間、と思っていたら高校生の集団が乗車してきました。

 修学旅行でしょうか。

 山陽の言葉の通り、このあたりは山に日の当たる地です。とても明るいイメージを受けました。

 明治維新は、薩摩、長州、土佐、肥後などの地域の藩が中央の政権を倒したものです。

 日本の近代化は、地域の力によって実現されたものなのです。

 革命は小より起こる。さて、この年末「小」は日本を変えれるのか。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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