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人は空ばかり見てる‐1188‐

今日の大阪は34℃なるそう。朝から完璧な夏空です。

春先の新聞に、関西電力が「黒部ルート」の見学会を募集しているとでていました。

2.7倍の倍率でしたが、無事当選。先週木曜日に長男と行って来ました。

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先週は、残念ながら木曜日だけが雨。

黒部ダムは日本一高いダムで186mあります。その価値をまとめてみます。

ダムのある黒部川は急流の暴れ川で知られます。距離に対して高低差が大きく、大正時代から電源開発の資源として注目されていました。

水力発電は、水の位置エネルギーを、運動エネルギーに変える事で発電するからで、豊富な積雪も、安定した貯水に貢献します。

戦後、日本経済の復興と共に、深刻な電力不足が起こります。

それらを補うため、昭和31年から7年をかけ、関西電力が社運をかけて完成させたのが黒部ダムなです。

地形と共に見ると分り易いと思います。

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中央下にある赤のマークが黒部ダムです。

西は立山連邦、東は北アルプスと、急峻な山岳地帯に挟まれています。

そして青が黒部川第四発電所

黄色が欅平(けやきだいら)で、下流からここまでは、緑の宇奈月温泉からトロッコ列車で訪れることが出来ます。

黒部川はと、北に向かって流れているのですが、一般の交通機関はありません。

関西電力の輸送設備のみで、この区間が「黒部ルート」です。

私達は、右下の水色、信濃大町(長野側)ら、トローリーバス(関電トンネル)でアプローチしした。

黒部立山アルペンルートを通ると、黄緑の室堂(富山側)からもアプローチ出来ます。

立山からのトンネルは昭和46年、黒部川からの黒部トンネルの開通は昭和34年。よって、33年の関電トンネルが開通するまで、未開の地だったのです。

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案内人が1グループ30名を率います。

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まずはダム横の黒部トンネルをバスで移動。

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真夏でも気温4℃。

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10kmに渡るトンネルには換気設備はありません。

数箇所ある横坑から、外にでることが出来るのですが、この日は生憎の濃霧。本来なら、北アルプスの裏剣岳が見れるそうです。

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残念ですが、この時期でも雪渓が残っていました。

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黒四発電所のすぐ手前で、バスを降ります。

黒部川は高低差がきついと書きましたが、ここからはインクラインに乗り換えます。

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インクラインとは、運搬用、大型ケーブルカーです。

このインクライン、アニメ「エヴァンゲリオン」でそのまま再現されているそうです。

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34度で一気に456mを下ります。

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そしてここが発電所内。

国立公園の景色を壊さないよう、また雪崩を避け、全てが地下に作られています。

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すぐ横に、予備の水車が置いてありました。

この日は大雨で、残念ながら発電はしていませんでしたが。

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黒四発電所から欅平までは、上部専用鉄道というバッテリーカーで移動します。

「高熱隧道」と言われる難工事部分は120℃になる上、硫黄が常時発生しており、架線が寂びてしまうからとの事でした。

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川べりを走るですが、 関電は、黒部川に4つのダム、11の発電施設を持っています。

同じ川にいくつもダムを持つのは、貯めた水を何度も使えるからで、一度貯めると四度美味しい訳です。高い位置にある、豊富な水こそが、まさに財産なのです。

また、この欅平から下流にある第三発電所まで、多くは戦前に完成しています。

昭和初期にかけての難工事は吉村昭が書いた小説「高熱隧道」に詳しいとのことでした。

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2002年、NHKの紅白歌合戦に中島みゆきが初出場し、生中継で歌ったのが、このトンネル内です。

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最後は梅田オフィスタワーが出来るまで、日本最大だった竪坑エレベーター。

200m降りると、トロッコで電車の欅平駅に到着。見学会は終わりました。


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ここからは、長男とぶらり旅。

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途中にある、水路橋は昭和2年とのアナウンスでした。

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北陸新幹線、サンダーバードと乗り継ぎ、大阪に帰ってきました。

インクラインに乗っている20分間、2002年の紅白の映像が流れました。

中島みゆきが歌った「地上の星」は、「プロジェクトX」オープニング曲だったので、勿論覚えています。

「プロジェクトX」のサブタイトルは~挑戦者たち~。書き下ろした曲と知っていましたが、歌詞の意味は全く頭に入っていませんでした。

真っ暗なインクラインの中で聴いた時、不覚にも熱いものがこみ上げてきました。

街中で頑張っている人を誰も見ず、誰も応援せず、空ばかり見上げている。名の知られたものに、華やかなものばかり追い、氷ばかりつかんでいる。空を飛ぶつばめなら、分っているだろうに。

そういうメッセージだったのです。

この見学会は「電源開発の軌跡と、電気事業への理解を深めて貰うことを目的にして実施している」とあります。

そんな意義をはるかに越えた、本気の手跡がありました。

夏休み分は来年ですが、秋の応募はまだ大丈夫のようです。子供は小学5年以上。是非お勧めします。

想像力‐1051‐

 土曜、日曜と、新潟のシャルマン火打スキー場へ行っていました。

 健常者と、チェアスキーの選手が、同じコースで試合をするのが「icetee cup」です。

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 この団体は、大学時代の友人、先輩達が設立しました。

 学生時代から続けるアルペンスキーも、この試合に出るだけになりました。

 何とか、入賞するところを子供に見せたいという気持ちもあり。

 今回は0.4秒届かずの、7位がベストリザルト。

 甘くはありませんが、かなわないとも思えず……年1回ですが、来年もフルアタックでいきます。

 1日目は晴れましたが、2日目は大雪。

 チェアスキーの人達は、特に寒そうでした。

 子供にも、ちょっと厳しかったかもしれません。

 長男も、残念ながら旗門不通過。

 宿舎が一緒だったので、チェアスキーの人達に色々聞いてみました。

 「やっぱり、パラリンピックに出るというのが目標ですか」

 「この方、リルハンメルのメダリストなんですよ」

 失礼しました。

 「日本旅館だと、段差が大変ですか」

 「そうですね。でも5cmくらいなら何とでもしますよ。ただ、車椅子が通らないと一番困りますね。50cmあればいいんですが」

 私が建築設計をしている事を伝え、聞いたのですが、様々な意見を聞かせてくれました。皆さん一様に明るいのですが、はやり困難も多いのです。

 これまでも、パラリンピックの価値を、文字としては理解していました。しかし、それらを目標としている選手と一緒に食事をし、風呂に入り、人として理解できました。

 夢や目標があるから、みな頑張れるのです。

 3年前の震災直後、ビートたけしが語っています。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 「想像力」を、生死を例に語っています。

 書かれている通り、「人の気持ちになる」というのは決して容易いことではありません。しかし、どれだけ踏み込めるかが、人生の、仕事の成否を分ける気がするのです。