タグ別アーカイブ: 大和川

八尾空港への引込路線でもあった阪和貨物線跡 ③杉本町駅~行基大橋‐2069‐

阪和貨物線跡をめぐる旅。

初回は大和路線の加美絵駅からスタートしました。


最終回は、終点の杉本町からさかのぼってみたいと思います。

阪和線の杉本町駅は、改札が北側にあります。

東には大阪公立大学の広大な敷地がありますが、その間を、分岐した阪和貨物線は通っていました。

紅葉した木の立っているあたりです。

東西を走る、府道住吉八尾線を横切って北に向います。

そこまで廃棄物が多いところは少なかったですが、ここは結構多いエリアでした。

北東に向かって伸びた線路跡は、緩やかに東向きに進路を変えます。

東へ向きを変えるのに、大阪公立大学から結構離れているのが分かります。

杉本町で降りたのも初めてで、大学構内も少しのぞいてきました。

大阪市立大学と大阪府立大学が統合され、大阪公立大学になったのが2019年。

公立大学はやはり敷地がゆったりした印象で、私学出身者からすると羨ましい限り。

駅前の食堂は、おかわり自由。

このあたりは私学も公立も同じですが。

住宅街、工場街を縫うように東へ進みます。

南北に走るあびこ筋と交差。

徐々に大和川に近づいてきました。

長居公園東筋と交差する行基大橋。

このあたりで完全に土手に沿うようになります。

唯一私鉄と交差するのが、近鉄南大阪線。

東住吉区矢田付近で、現役線路と廃線が交差します。

近鉄南大阪線の下を、阪和貨物線がくぐるトンネルが残っていました。

ごみ焼却場が見えてきたら、前回の終点、高野大橋はもうすぐです。

15時頃に出発しましたが、すっかり夕暮れになってしまいました。

そして、昔遊んだ高野大橋脇の土手に到着。

このあたりから、再び大和川と線路跡の間に、住宅などが立ち並び始めます。

阪和貨物線の前身は、戦時中に八尾空港へ物資を運ぶ引込路線だったようです。

それで、「戦時中は地図に載っていなかった」という記述を見たことがあった気がするのですが、その裏付けはとれずじまいでした。

私はいわゆる「鉄オタ」ではありませんが、他の交通機関と違う魅力があるのは分かる気がします。

土地に密着してできるものなので、安定感があるというか、物語りが濃いというか……

話が長くなってしまったので、省きましたが、杉本町付近の線路跡が、大和川からかなり離れているのには、大和川の生立ちとも関係しています。

もしかすると「鉄オタ」となれる才能があるのかもしれません。

私としてはかなり楽しく、よく運動できたので、また廃線を歩いてみたいと思っています。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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遊び場だった阪和貨物線跡 ②出戸駅~高野大橋‐2068‐

大谷選手のドジャース行きが決定しました。

選手としてのピークを迎えていることを考えると、実際にロサンゼルスへ観戦に行くか、そうでなければ観戦できる方法を考えなければなりません。

先日のサッカー日本代表の中継問題ではありませんが、最高レベルのスポーツが無料で観れる時代は終わったようです。

さて、どこと契約するか……

大谷選手は年に100億円を得る契約で、こちらは年に1、2万円を払う契約問題ですが。

前回、阪和貨物線は大和路線の加美駅と、阪和線の杉本町を結んでいた貨物線と書きました。

2004年に閉鎖されましたが、実際には大和路線の八尾駅が起点だったようです。失礼しました。

前回に続いて、平野川あたりから更に南に下ってみます。

このあたりは住宅街の中を通り、草に覆われているところが大半です。

ただ、中には駐車場などに利用されている所もあります。

購入できるのか、賃貸なのか分かりませんが、これだけの土地なので、JR西日本も何かしら利用したいところでしょう。

長吉出戸公園は、線路跡に対して駅のような位置関係にあります。

何か付帯施設があったのかもしれません。

もう少し南の長吉出戸2丁目あたり。

踏み切り跡のレールは撤去されていますが、10年くらい前まではレールも残っていました。

線路跡は南にまっすぐ伸びていますが、地下鉄の出戸駅上で長居公園通りと交差します。

その線路跡と道路の間にある、わずかな隙間に建てられたマンション。

間口は2mちょっと。

このマンション、以前も紹介してことがありますが本当に逞しい建物です。

南北に交差する長居公園通りが、高架になっているのは阪和貨物線を越すためです。

自転車も越えられるよう、巨大な歩道橋があるのですが、現在は閉鎖されています。

ということは、この高架も現在は無用の長物になってしまいました。

高架を通過した阪和貨物線は、ここから大和川沿いまで、更に真っすぐ南へ進みます。

柵の跡だったり、電気設備を置く基礎のような物も残っていました。

進行方向右手、西側に大阪市内最大の霊園、瓜破霊園が見えてきました。

瓜破霊園の外周に沿うように、緩やかに西に向きを変えて行きます。

そして、生駒山麓から流れてくる大和川に沿うように、土手の北側を大阪湾に向って進んで行くのです。

中高野街道と大和側が交差する、高野大橋までやってきました。

西を見ると少し先に、阪神高速松原線が見えています。

この辺りは、幼少期の遊び場圏内でした。

4つくらい上に近所の悪ガキを束ねるリーダーがいました。

小学6年生から小学1年生まで、10人くらいが集まり、いつも一緒に遊んでいました。

列車の通らない時を狙って、この土手で段ボールの草ソリをしていたことを覚えています。

いま考えると、かなり恐ろしいですが。

この悪ガキリーダー、ちょっと悪いことが大好きです。

阪和貨物のレールの上に釘を置き、ぺちゃんこにして手裏剣のようなものを作っていました。

もう完全に犯罪ですが、子供のころはそういったタイプが人気者なのです。

特に評判が良い訳でも、悪い訳でもない、阪和貨物線跡をめぐる旅の2回目。

ロサンゼルスから、超大阪ローカルの話で失礼しました。

折角めぐって来たので、もう1回だけお付き合いください。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

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汚れも、傷みも、必要であればこそ‐2034‐

会社的にはお盆休みですが、各計画を進めるためにフル稼働しています。

とは言え、9時に出社しなくても構わないので、朝のジョギングはちょっと遠出するのが楽しみ。

普段はあまり行かない、平野区南部にある瓜破エリア。郵便局がいい感じでした。

瓜破天神社の境内には、盆踊りの櫓が。

目でお盆休みを満喫します。

更に南の大和川まで下りました。

奈良盆地を横切り、大阪市南端を流れる大和川。

水質は日本一汚いとも言われますが、人の暮らしに密接に関わっている証とも言えます。

二上山、生駒山地を背景に、朝日を逆光に見れば、まるで清流のそれですが。

古くから栄えた平野郷は、平野区の北部に位置します。

平野郷の中心あたりに建つ大念佛寺。

何やらもの凄い足場が組まれているのを見つけました。

正面に回ると、銀色の足場が光って、ガラスで覆われているようにさえ見えます。

本堂は大阪府下最大の木造建築物で、大屋根は銅板瓦で葺かれています。

平安時代後期に開かれた名刹ですが、明治時代の火災の後再建されたのが現在の本堂です。

こちらは昨年秋の写真。

Webサイトを見に行くと、傷んだ本堂を改修するには寄付だけでは賄いきれず、クラウドファンディングを行っているとありました。

目標額が1千万円となっていますが、すでにクラウドファンディングのサイトには見当たりませんでした。

ということは達成したのでしょう。

でなければ、これほどの足場が組まれることはないか、と納得しました。

この改修工事、足場を含めてどのくらいのお金が掛かるのでしょうか。

数千万というレベルではない気がしますが、それだけの寄付が集まったということです。

多くの人と関わり、存在し続けてきたからこそ建物は傷みます。それは、大和川の汚れとも似ています。

汚れも、傷みも、必要であればこそなのです。

故人の魂を迎えるこの時期。

暑いながらも、穏やかに過ごしたいものです。

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン ■■■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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もう、すべらせない!!亀の瀬地すべり見学会‐1937‐

前回、風の吹き抜ける峠のブドウ屋さんのことを書きました。

買ったブドウは、子供たちが一瞬で平らげてしまいましたが。

大和川へ向かって山を下っていくと、ちょっと不思議な景色になります。

後ほど、亀の瀬地すべり資料室で、地すべり対策のために大量の排土をしたエリアだと分かりました。

亀の瀬は、手前にある亀岩があるので亀の瀬と呼ばれます。

古来から繰り返し起った地すべりによって、大和川に大きく張り出しているのが分かります。

亀の瀬地すべり資料室 ではすぐに見学の受付をしてくれました。

DVDも見れますが、資料の展示も見応えがあります。

一番下にある硬い地層の上に粘土層があり、ここがすべり面となります。

その深さが70mもあるところがこの地域の特徴で、被害を大きくしてきたようです。

万葉集に「畏(かしこ)の坂」として登場するほど、地すべりで恐れられてきたのですが、交通の要所であることは現代も同じ。

亀の瀬が地すべりを起こすと奈良盆地は浸水します。

また、その土砂ダムが決壊すると大阪平野に甚大な被害を与えることから、国が直轄してこれらの対策をしてきました。

滑る土塊を取りさり、集水井戸を掘り、最下の排水路に流すのです。

ガイドの方が、まず1号トンネルという排水路を案内してくれます。

内部はかなり涼しく、20℃くらいでしょうか。

上が溶岩層で水を通します。

硬い地層の上に乗っており、地層の境目から多くの水が湧きだしてくるのです。

排水路に対して直角に掘られた井戸がありました。

その井戸に対して、また排水トンネルに対して、放射状に集水ボーリングと言われる管が四方に伸びています。

地中の中から、くまなく水を集めてくるのです。

その量は、1日で25mプール2杯分が大和川に排出されているそうです。

とても澄んだ水で、それこそプールにでも使えないのかなと思っていました。

少し大和川側へ下ったところにもトンネルがあり、こちらもガイドの方が案内してくれます。

1号トンネルより下に位置する新たな排水路を掘り進めると、旧大阪鉄道亀瀬隧道が見つかりました。

明治25年に完成したのですが、昭和6年の地すべりで大部分が崩壊しました。

それで大和川の対岸に鉄道が移設されたのです。

しかし平成20年、地すべり対策工事中に、隧道の一部が良好な状態で残っているのが発見されました。

イギリス積みと呼ばれる方法で積まれたレンガのトンネルは、天井には煤がのこります。

レンガの厚みは50cm程でしょうか。

裏には硬そうな岩盤が見えます。明治25年にはどんな機械があったのでしょう。

当時の金物も見つかっていますが、その精度を見ると難工事だったことは間違いないと思います。

そうしてみると、極めて美しい文化遺産であり、貴重な建造物です。

ひとしきり感激して外にでてきました。

この鉄橋は、JR大和路線の第四大和川橋梁ですが、鉄道ファンの間では有名なものだそうです。

普通は川に対して直角に鉄橋を掛けるものですが、橋を支える下のトラスが斜めになっているのが見えるでしょうか?

昭和6年の地すべりによって、対岸への移設を余儀なくされますが、その大工事をわずか半年で完成させています。

工期短縮のため、このトラスはどこからかそのまま移設されたそうです。

明日香村にある亀石が動くと奈良盆地が泥沼になってしまうという伝説は、ここから来たのではとのことでした。

確かに、この亀岩が動く程の地すべりが起きたなら、大変なことになるでしょう。

ずっと気になっていた「亀の瀬地すべり見学会」。

あまりにも興味深かったので、長男にも「是非行ってみたら」と言うと、「受験生にはきつい名前やね」と。

なるほど。

「もう、すべらせない!!」を掲げているので、思い切って行くのもアリだとも思いますが。

これら大人の社会見学は全て無料。

絶賛し、お勧めします。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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龍田古道沿いにある、風が心地よい、峠のブドウ屋さん‐1936‐

買物と気分転換を兼ねて大和川沿いの道を東へ向かいます。

前日の雨で、空が澄んでいます。

一方、大和川は濁っていますが。

石川との合流地点を過ぎると、川幅が一気に狭くなってきました。

左岸沿いの道を更に東へ行くと、道幅まで狭くなってきました。

なかなかの急こう配を登ってくると、急に大きな集落が現れます。

柏原市雁多尾畑は「かりんどおばた」と読むそう。

後ほどですが、古来このあたりは製鉄で栄えていたと分かりました。

西には大阪平野を望みます。

東には奈良盆地を一望できる、まさに峠の頂点に位置します。

そんな所にあるブドウ屋さん、マルキ農園を目指してやってきました。

日本最古の官道とも言われる「龍田古道」沿いにありますが、難波宮と平城京を結ぶ、重要な街道だったのです。

駐車場の上にもブドウが成っており、日よけになっていました。

マルキ農園は心地よい良い、風が吹き抜ける場所にあるのです。

龍田大社の風神が降臨された地のすぐ下とのことでそれも納得。

ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら、奈良盆地を一望できるロケーションはもう最高でした。

製鉄で栄えた旨は、お店の方に教えてもらいました。


品揃えのピークはお盆あたりだそう。

ピオーネとベリーAを買って帰りました。

今回は、もうひとつ目的がありました。

亀の瀬地すべり資料館です。

確か以前は平日予約のみ見学可能でしたが、日祝は予約無しでも見学が可能になっていました。

明日香村の亀石伝説も、実はこちらの亀石から……

かなり面白かったので、こちらは次回にUPしたいと思います。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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ブラモリタニ‐1744‐

 ドラマ「3年B組金八先生」のオープニングは、荒川の土手上だったと思います。

 土手の上は景色が開け、とても気持ちが良いので好んで使います。

 大和川南の土手を東に走って行くと、石川との分岐点にぶつかります。

 ジオラマを見ると、生駒山と金剛山地の間を縫うように大阪平野に流れ込んでいるのが良く分かります。

 このあたりが柏原市(かしわらし)。

 先月ブドウを買いに来てから、本当に地形が面白いので時々ブラブラ寄っているのです。

 石川の手前で川の北側に渡ると、今度は土手下の道になります。

 近鉄電車では最も古く、1898年(明治31)年には開通していたという道明寺線をくぐると、再び土手上に。

 そのまま東へ走ると、リビエールホールと柏原市役所が見えてきました。

 ここで大和川は大きく南へカーブしています。

 先のジオラマ写真には、薄い水色で旧大和川の流れが示されています。

 功労者と言われる、中甚兵衛の像が建っている所がその交点。

 北に伸びるこの水路が旧大和川の名残なのです。

 すぐ北の丘陵地から眺めると、南に広がる古市古墳群が一望に見渡せます。

 遠くから見えている白い建物。すぐ近くに迫ってきました。

 こちらの調査はまたの機会にします。

 ジオラマは「柏原市立歴史資料館」で撮ったものでした。

 この資料館は殆どが実物展示。

 駐車場も有って無料です。

 館の方は質問にも気軽に応えてくれました。

近くに美しい竹林もあり見応え十分。かなりお勧めしておきます。

 これまでにも大和川の付け替え工事のことを取り上げたことがありました。

 いくつか理解が間違っていたことも分かりました。

 川の付け替えという大事業ですから、賛成と反対は真っ二つです。

 土地が川になってしまうエリアは勿論反対。

 氾濫がなくなる湿地帯は勿論賛成。これらの湿地は後に新田となります。

 銅像となった中甚兵衛ですが、柏原市のwebサイトでは彼をヒーロー扱いすべきではないという論調で、評価が分かれているのは面白いところです。

 しかし実際に工事現場のリーダーとして働いたようですから、功績があったのは間違いないようです。

 付け替え工事という大事業完成の翌年には仏門に入り、91歳の天寿を全うしたとするサイトもありました。

 朝のジョギング帰りに、時々会う近所の方が居ます。

 品のある方で、少しだけ会話を交わすのです。

 「お元気ですねえ」と挨拶すると「もう87歳だから、ボチボチやわ」と。

 まだ働いておられるとのことで「素晴らしい!」と言うと、「何も素晴らしいことないよ」と笑って駅へと向かって行かれました。

 流石に歩みはかなりゆっくりになりましたが、それでもかくしゃくとしたものです。

 バイデン新大統領は78歳。ブラタモリのタモリさんは75歳。

 元気だから働けるのか、働くから元気なのか。どちらもあるでしょう。

 叶わぬ夢だと思いますが、タモリさんが引退する時に、あの番組を譲ってくれないかしらと思います。

 万にひとつも無いと思いますが、その時はブラモリタニです。

 土地や街のことを紐解きながらブラブラ歩くのは最高の楽しみなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

サツキを見ると思い出す‐1697‐

 遠出がないので、普段の生活は殆どが自転車で事足ります。

 このような状況でなければ、近所をウロウロする機会などそう無かったかもしれません。

 大自然は無理なので中自然をもとめて大和川へ。

 母校の校歌にもでてくるのですが、高度成長期には最も汚い川のひとつでした。

 大阪湾の水質が改善され、プランクトンが減ったのでイカナゴが不漁というニュースもありました。

 イカナゴは好きですが、自然が美しくなるならそのくらいは我慢できます。

 車が通らない道は、ランナーや通学中の学生が行き交います。

 穏やかな日常が少しずつ戻ってきていることを実感するのです。

 春先のツツジに続き、サツキも満開です。

 満開と言いましたが、咲き始めなのでツボミも見えます。

 満開になれば目が行きますが、いきなり花がさく訳でないのは、仕事も勉強も同じ。

 私は浪人している上に、仮面浪人までしていたので、車の免許を取ったは20歳の春です。

 合宿免許で取得したのですが、その合宿地が宮崎県の都城でした。

 近大の生協で申し込んだのですが、阪大、神大、関学、電気通信大など様々な大学から参加者がありました。

 合宿免許は、試験に落ちる追加費用が掛かったはずです。

 それもあって、授業や試験は皆真剣。私は全てストレートで合格したので(小さい自慢で……)、結構空き時間がありました。

 他大学の子とも連れだって、色々なところに遊びに行きました。同じような年頃の男女が集まるので、とても楽しいのです。

 時間が余っていたこともあり、「みんなで霧島にでも行こうよ」と声掛けしました。

 15人くらいだったか、電車とバスを乗り継ぎ、霧島に登りました。もう30年も前のことですが、とても楽しかったことを覚えています。

 大阪に戻って、生まれて初めてドライブに誘った女の子も、その中に居ました。

 私は近大の1回生で、彼女は阪大の4回生でした。

 付き合っている人が居るとのことで、ドライブは1度きりでしたが……

 キリシマツツジという種があるくらいですが、霧島でサツキが咲いていたのでしょうか。

 サツキを見ると、なぜかこの霧島行きをいつも思い出します。

 誰も聞きたくないと思いますが、20歳の楽しく、甘酸っぱい思い出でした。

 思い出を書いているということは、そろそろネタも本当に尽きてきました。

 来月から、本格的に野外活動を再開します!

A photograph is wonderful.

2017年7月 宮崎/高千穂峡

■■■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行
巻頭インタビューが掲載されました

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【News】
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2月3日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

雑草魂‐1481‐

 ゴールデンウィーク中は、海と湖のことを書きました。

 建築設計が好きでこの仕事に選んだのに、「休みは野外に居たい」というのは、少し矛盾するかもしれません。

 自分なりに考えてみると、やはり小学校時代の経験によるのだと思います。

 自宅の1kmほど南を流れる大和川。

 小学校時の教科書には、「日本で一番汚い川」として紹介されていました。

 周辺にはため池も沢山ありました。

 簡単ではありませんでしたが、どこの学校にもいる釣り名人に教えて貰ったり、自分で工夫したりで、フナ、コイ、ザリガニ等を獲って遊んだのです。

 近くにある、西除川との合流点は、やはり大物が釣れました。

 童謡「故郷」にある「水は清き故郷」とは随分趣きが異なりますが、いつも変化する、自分の思い通りにならない野外で、工夫し遊ぶ楽しさを知ったのです。

 この時期、土手は青々とし、花もちらほら咲いています。

 紫の花はマメ科の花か。

 雑草の中のエリートは、誰もが知るシロツメ草。

 白と黄の花は、キク科でしょうか。

 しかし何と言う名か分かりません。

 当時は、土手の北に城東貨物が通っていました。

 この土手は、ダンボールのソリで遊ぶにはもってこいの場所でした。

 アトリエmは天王寺で設立したのですが、2002年に地元の平野に戻りました。

 2003年、弟の家を設計し、その1階に入居しました。

 それまでの間は、隣に見える倉庫を仮アトリエとしていました。

 まさにバラック

 これは父の会社の倉庫で、無料で借りていたのですから、文句など言えませんが。

 会社は大阪の中心地にあるほうがイメージはよいはずです。

 それでも、「自分が設計した建築」、「駐車場が前にある」、「自宅が近い」という3つの理由で、この地で頑張ってきたつもりです。

 昨年は倉庫の跡地に「R Grey」を設計しました。

 弟がオーナーの、アトリエmとしては初めての共同住宅です。

 1984年、「投げたらアカン」という言葉が流行語大賞に選ばれました。

 座右の銘、「草魂(そうこん)」で知られる近鉄の鈴木啓示投手の言葉です。

 現在では考えにくい300勝投手です。

 今年ジャイアンツに10年振りに復帰した、上原浩治投手の座右の銘は「雑草魂」。

 一浪し、野球の名門とは言えない大体大から、ジャイアンツ、そしてアメリカメジャーリーグでの成功を収めました。

 クライアントにとっては、大阪一、日本一、世界一の建築家でいたいと思っているので、雑草魂を語るのは少し違うかもしれません。

 しかし、親が医師、家が芦屋の六麓荘、旧帝大に合格した等の友人、知人をみていると私など雑草以外の何物でもありません。

 常に変化し、自分の思い通りにならない自然。

 その自然の中に、安全で安定した、しかも光と風と笑顔に満ちた空間を創造したいのです。

 しかし、現実は問題、課題の連続です。

 そこから逃げずに、踏まれても踏まれても立ち上がるしかないのです。まさに「雑草魂」です。

 琵琶湖を「マザーレイク」と言いますが、私にとって母なる川は大和川か……

 ちょっと様になりませんが、縁あって下町に生まれたので仕方ありません(笑)

 勿論、それを卑下するつもりもありません。

 京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、「人生は運命という縦糸と、因果応報という横糸が織られ、形作られる」と言いました。

 ゴールデンウィークぼけをしている暇など、雑草にはありません。

 何があっても、立ち上がり続けるだけなのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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親父脱退‐1424‐

 昨晩は台風の影響で、一晩中強い雨風が続きました。

 大阪市南端を流れる大和川は氾濫危険水位を超え、避難勧告がでました。

 私の家から大和川までは1.5kmほど。夜中に何度も警報がなり響きました。

 出勤前に通ってみると、堤防まで3mくらいのところまで水位が上がっていたようです。

 4kmほど下流の浅香では堤防を越え、1mほど浸水しました。

 大和川は上流にある奈良盆地の水を一手に集めて、大阪湾に注ぎます。

 元の川筋は大阪平野に入ってすぐに北上していたため、氾濫を繰り返していました。

 それが、江戸幕府によって現在のように付け替えられました。

 当時重機はないので、掘るというよりは堤防を盛り上げている感じです。

 浅香辺りには小高い山があり、難工事となった場所です。それを避けるように、左に大きく蛇行しており「浅香のカーブ」と呼ばれます。

 奈良の三郷も浸水しましたが、こちらも右に蛇行している箇所。

 山間部を別にすれば、最も大きく蛇行している2ヵ所で、やはり起こるべきところで災害は起こります。

 反対に言えば、ある程度予想できるともいえるのです。

 牙をむいたときの自然は人の手に負えるものではありません。

 行政の警報は、安全値をみているために空振りも多いですが「うちは大丈夫」探しをする前に、備えをすることは大切なことだと思います。

 昨晩は、枕もとに家族分のライフジャケットを置いておきました。

 距離、川筋を考えても、浸水する可能性は低いと思いましたが、備えあれば憂いなしです。

 「地震雷火事親父」は江戸時代からの怖いものの例え。

 最後の「親父」は、台風を意味する「大山嵐(おおやまじ)」だったという説があるそうです。

 webサイト調べ程度ですが、親父がたいして怖くない時代、ここからは脱退させて貰ったほうがよいかもしれません。

 恐怖で何をさせるのは間違っていますが「怖い」を知ることは大切なこと。

 それは子供だけにいえるものではありません。昨晩は久し振りに怖いと思う程の「大山嵐」でした。

 元気に働けることに感謝し、台風一過の青空の気分で今週をスタートしたいと思います。

大和川

 奈良盆地全域の支流を集め、生駒山地南端から大阪平野に流れ込んで来る大和川。

 元々は山裾西を北上していましたが、氾濫を繰り返す為江戸時代に付け替え工事が行われました。以来、真っ直ぐ大阪湾に注ぐようになります。

 家から自転車で5分くらいなので、小さい頃は良く遊びに行きました。

 何よりの自慢は”日本で一番汚い川”。冗談みたいですが、社会の教科書に水質ワースト1で出ているのを誇らしく思っていたのです。

 私が小学生だった昭和50年代は、高度成長期を終えた直後。生産性は重視するが企業道徳、環境は後回しと言う時代の付けが、奈良県全域、大阪府の中南部から集められ、この川に注ぎ込んでいたと言えます。

 そんな川にザブザブ入って遊んでいました。捕まえたヌマエビを焼いて食べたことも。いったい何を考えていたのでしょう……

 徐々にですが水質は改善されているそうです。コサギやアオサギの姿も。

 水がきれい、汚いにかかわらず、私の原風景なのです。