中学に入学して、一番うれしかったのは定期を持ったことだったかもしれません。
梅田、なんば、天王寺で自由に乗り降りできる、まさにゴールデンチケットでした。
この3駅以外で、一番降りた駅はおそらく日本橋です。
千日前通と堺筋が交差するのが日本橋1丁目。通称「日本一」。
マクセルのカセットテープ、UDⅡが1円でも安い店を探して「小鉄」という友人と、このでんでんタウンを何往復もしました。
当時面影を残す店も残っています。
しかし、現在はネット社会となり、小売店舗は減小。
ゲーム・アニメ・コスプレカフェなどサブカルチャーで知られる「西の秋葉原」となりました。
でんでんタウンの西にあるこの通りは、通称「おたロード」と呼ばれるようです。
たしかにメイド?のコスチュームで客引きする女性も。
愛着のある街なので、寂れるよりは……と微妙な気分ではあります。
この界隈に、有名な狭小住宅が2軒あります。
いつ「美園」がなくなったのでしょうか。
ただの「ユニバース」を通り過ぎます。
1軒目は、安藤忠雄設計の「日本橋の家」。
1994年の完成の個人邸ですが、現在はギャラリーとなっています。
1979年に個人住宅で初めて日本建築学会賞を受賞した「住吉の長屋」が最も有名ですが、それより更に間口は狭く2.5mとのこと。
しかし、この日は閉館日だったのか、入館できませんでした。
また機会を改めます。
もう1軒の「日本橋の家」は岸和郎の設計で1992年の完成です。
日本建築家協会新人賞を受賞した作品で、氏のサイトによるとこちらの間口も2.5mとあります。
外壁は鉄骨にセメント成形版を直接取り付けてあります。
そのディティールは何度も住宅誌で見ましたが、本物を見たのは初めてでした。
現在も個人邸だと思うので、写真はここまでにしておきます。
4階に住居部分があり、それがふわりと持ち上げられています。
何と言えばよいか「これは本物だな」と感じました。
狭小住宅で言えば、「住吉の長屋」が西の横綱でしょう。
対して、東の横綱は東孝光の自邸、1966年完成の「塔の家」でしょう。
2008年の3月に、表参道を雨の中ひた歩き見に行きました。
すでに日が暮れていましたが「これこそが本物」という迫力でした。
建築家として生きたいと思ったのは、学歴をものともしない安藤忠男の活躍があったからです。
仕事をしていて、時には理不尽なことも起ります。
そんな時「僕は安藤じゃない」と自分に言ってきかせます。
誰もが認めてくれる所までたどり着けてないという意味です。
人は誰もが同じではありませんし、価値観も違うと言えます。しかし、一番は一番です。
その道のりの遠い事……
しかし、その足跡をたどって歩いた時、「まだまだ」という気になります。
可能性がある限り、すべてを振り絞って働くだけだと吹っ切れるのです。
■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園
【News】
■ 『住まいの設計05・06月号』3月20日発売に「回遊できる家」掲載
■『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売に「阿倍野の長家」掲載
■『homify』6月29日に「回遊できる家」掲載
■『homify』6月2日に「イタウバハウス」掲載
■『houzz』5月28日の特集記事に「あちこちでお茶できる家」掲載