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世界一安全で、美しき国‐1370‐

 連休明け、京都で新しいオフィス計画の工事が始まります。

 空間の中央に緑があり、吹抜けで2階、3階がつながる開放的なオフィスになる予定。

 金額調整が終わり、工事請負契約に立ち会うために京都へ向かいました。

 4月上旬が寒かったからか、未だに大川の桜も満開です。

 伏見区の施工会社にて、無事契約が交わされました。そこで、地鎮祭は近くにある城南宮にお願いしようとなりました。

 城南宮のwebサイトにはこうあります。

 平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。

 契約日にこれ以上の神社はないだろうと、クライアントと参ってきました。

 方除大祭のためか、甘酒が振る舞われています。

 御所の表鬼門を守っているのが比叡山延暦寺なら、裏鬼門を守っているのがこの城南宮なのでしょう。

 平安後期、白河上皇や鳥羽上皇の離宮でもあったことから、庭園がとても美しい神社です。

 しだれ梅で知られるようですが、さすがにこの陽気では終わっています。

 現在はしだれ桜が満開でした。

 利休の師、武野紹鴎は「桜は塀の外に植えよ」と教えました。

 太い幹を見せないほうが、より美しいからです。

 枯山水に、淡い桜がかかる景色は見事なものでした。

 これは「みつばつつじ」という樹。赤紫の細やかな花が咲き乱れています。

 来春は、是非しだれ梅を見にきたいものです。

 城南宮から少し西へ行くと、鴨川にかかる小枝橋があります。

 その近くに、鳥羽・伏見の戦いの碑が立っています。

 その石碑をみていると、上品な感じの女性がでてきて、声をかけてくれました。

 「鉄砲の玉の跡があるのだけれど、見ていきますか?」

 右の石段を降りると、門柱に食い込んだままの鉛の玉が残っていました。

 1867年の大政奉還後、新政府を樹立した薩摩、長州、土佐藩と旧幕府軍が争ったのが戊辰戦争。

 1868年、その口火を切ったのが鳥羽・伏見の戦いです。

 緒戦から敗北となった旧幕府軍は、日本列島を北東に押し込まれながらも抵抗を続けます。

 会津若松における白虎隊の悲劇などを経てさらに後退。1869年に降伏し、終戦を迎えたのが函館の地です。昨夏、長男と訪れました。

 激戦の地、五稜郭は日本の初の西洋型城塞でした。

 「城塞都市に象徴されるように、ヨーロッパの都市は、血を流し皆で守ってきたもの。街に対する愛情が違う」と言った建築家がいました。

 それを聞いたとき、そうかもしれないと納得したことを覚えています。

 しかし、この小さな日本。都市のほぼ全てが戦争跡とも言えます。同じく多くの血が流され、その土地の上で私たちは生き、暮らしているのです。

 今の時代、安心して旅行に出掛けられる国が、世界中を探しても日本しかないというこの現実。

 小枝橋のたもとで咲く桜も満開。

 この国に、桜に、もっと誇りを持ってもよいのではと思うのです。

 先の上品な女性が別れ際に「どこからみえたの?」と聞かれました。

 「大阪です」「京都です」と答えました。

 少しだけバツが悪かったのですが、この誇らしき国はいつも身近にあるのです。