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この道は滑走路‐1344‐

 2年前、「長男が北海道の中学を目指している」と書きました。
 
 何人かに、「寂しくなりますね」と声を掛けてもらいました。そう思う反面、それもいいかなと思っていました。

 しかし最終的には関西の学校を受験することになりました。理由は聞いていませんが、自分が響いたらならそれが一番です。

 結論で言うと、昨日何とか希望校に合格してくれました。

01 - コピーのコピー

 大晦日も元旦も塾があり、年始の休みは1月3日だけ。最近の小学生は大変だなと思います。

 合格祈願に行きたいというので、3日は早朝から京都の北野天満宮へ連れて行きました。

 学問の神様、菅原道真公をまつる北野天満宮。朝の7時前からご祈祷を待つ列ができていました。

03 - コピー

 ご祈祷のあと、合格祈願の絵馬を奉納。

 絵馬は朝日があたる場所がよいだろうと、東の端におさめてきました。

05 - コピーのコピー

 その日以来ですが、長男はお札に向かって毎日「2拝、2拍、1拝」していました。

 頭を下げるというのはとてもよいことだと思います。純粋に思わなければ、深々と頭は下げれないものです。

 しかし、いつから本気で行きたいと思うようになったかは、最終的には全く分かりませんでした。

 どこの家庭でもある問題だと思いますが、学ぶ意味を伝えるのは簡単ではありません。

 我が家でも、何度も口論になりました。

 私は一所懸命に働いているつもりですが、子供が見る姿は、帰って一杯飲んでいるか、本を読んでいる姿だけ。

 たまの休みは、頑張ってどこかに連れて行くのですが、要するに働いている姿は目にしません。

 同じように、長男が主に勉強しているのは塾でです。夜の10時半を過ぎることもあり、私より遅い日も多々ありました。

 互いに過程は全く見えず、結果でしか話ができないのです。

 なかなか結果がでない。さらに帰ってから、グズグズ、ダラダラと、言い訳をしている姿をみると頭にくるのです。

 そしてこう言ってしまいます。

 「本当に行きたいところがあるなら、お父さんは精一杯応援する。そうでないなら、今すぐ受験勉強を辞めろ」

 自分の子供とはいえ、私とは性格も全く違います。父子というものは、基本歯車がかみ合わないものです。

 しかし、素直に言ったとおり勉強し、成績が上がり、合格すれば正解と言うことでもない気がします。

 「今頑張っておけば将来が楽」というはっぱの掛け方はしませんでした。それは嘘だからです。

 一難去ってまた一難。トラブルにつぐトラブル、そしてまたトラブル。仕事も、人生もそれが本質です。志望校に通ったとしても、楽を求めるなら何の意味もありません。

 ではなぜ、少しでも上を目指して欲しいのだろうと考えました。今はこうなのかなと思っています。

 「大変なことをできるだけ楽しく。それをいい仲間と」

 前回、中高の友人の奥さんの治療について、広く情報を求めたいという記事を書きました。

 それをシェアしてくれる人もいて、大変嬉しかったのですが、改めて旧友というものの力を感じました。

 自分の体験を赤裸々に伝える者、その道のエキスパートの情報をかき集めようとする者、現役の医師からと、本当に沢山の情報が彼に直接届いていました。私経由ではありません。

 会社、仲間を意味するcompanyは、共にパンを食べたという意味から出来た言葉だと書きました。同じ場所で、同じ空気を6年間一緒に吸った意味を、今頃になってひしひしと感じます。

 自分の仕事も、母校も1つだけで、それしか子供に伝えられる経験はありません。私としては自分の母校を子供に薦めたのですが、結局受験もせずでした。

 それはそれで、とても良かったのだと思います。誰も知らない経験のほうが、刺激も、充実も大きいと思いますし、何より自分できめたという事実が大きいはず。

 中学高校の6年間、心も体も、本当に大きく変わる時期です。

 しかしそれは、未来へ続く滑走路。ここを走るのが目的ではありません。その先を自分で飛べなければ、何の意味もありません。

 悔いのない、悔いの少ない人生を歩んでもらいたい。そして、世の中に求められる人になってもらいたい。私が願うのはその2つです。

 最後につまらない話を。ここまで買わないと通してきたスマホをついに与えることになりそうです。ちなみに私は未だにガラケー。

 学校のクラスで持っていないのは2、3人だけだそうで、それについてはよく我慢したと思います。

 しかし、実際の体験は、そんなものとは比べものにならないくらい、楽しく、大変だと思える、学校生活をおくってほしいと思います。