タグ別アーカイブ: 友人

ともよ‐1455‐

 福井県が大雪となっているようです。

 スキージャム勝山だったり、今庄365だったり、福井には結構スキー場があります。

 雪が降らなければ話にならないし、降りすぎては国道が麻痺。連休の書きいれ時を前に、気をもむところでしょう。

 前に一度、友人論を書いたことがあります。

・友達は、別に帰る場所がある。

・家族ではないので責任は負わない。

・双方向の関係である。

 この時は、私にとって初めての友人のことを書きました。

 月曜日、スキーのことを書きながら、ある友人のことを考えていました。

 2、3歳の頃からスキーをしていたので、自分よりスキーが上手だと思う子供と会ったことがありませんでした。

 70年代の大阪の下町。スキーをしたことがない子供が大多数で、当たり前と言えば当たり前です。

 雪国へ行けばいくらでもいるのですが、そこは別ものと勝手に区分けしていました。子供のことなのでひとまずご容赦下さい。

 小学6年生の時、ある公立中学の修学旅行に同行させて貰うことになりました。

 当時、大阪の公立中学は、スキー修学旅行が多かったのです。

 父が「どうせスキーをするのなら、しっかりした人から教えて貰った方がいい」と思ったのだと思います。

 道具を買っていたスキーショップの専務に相談すると、ある中学校の体育の先生に話が行ったようです。

 全く縁のない中学の修学旅行に参加するという、不思議なことになりました。

 アルペンスキーをしている人でも、先生は結構多いのです。

 それで、SAJ(全日本スキー連盟)の検定試験(バッジテスト)の指導員も多くおられ、修学旅行自体がそのバッジテストの練習を含んでいました。

 それに参加してみたらという話になったのでしょう。私と弟、近所の友人兄弟の4人での参加でしたが、言ってみればスキー武者修行です。

 引率する先生のお子さんも数名参加していて、その中に5年生の男の子がいました。

 ちょっと勝気で長身の彼は、そのバッジテストで確か2級に合格しました。

 私は3級を取得したのですが、その違いはショートターンのあるなしだったと思います。

 自分ではショートターンも出来ると思っていたのですが、2級以上を受けさせて貰えず、明らかな差がでました。

 年下の長身君の方が上手いと認識せざるをえなかったのです。

 大学に入り、2回生からアルペンスキーをはじめたのですが、その5月だったかに、この長身君と再会しました。

 彼もある大学のスキー部に入部していたのです。

 小学生以来でしたが、顔を見ればお互いすぐに思い出しました。同じような年代なので、国体予選でも一緒になります。

 彼が大学3回、私が4回の時、彼は大阪予選を勝ち抜き、国体へ行きました。この時も完敗だったのです。

 時々顔を会わすと「先輩、先輩」と本当に人なつっこい、可愛げのある男だったのです。

 大学をでて、彼は警察官になりました。

 私が精神的にまいっている頃、誰に聞いたのか、事務所を訪ねてきました。

 彼も仕事をはじめ、肉体的にも、精神的にも大変なようでしたが、昔話をし、私を励まして帰って行ったのです。それが最後の機会になったのです。

 15年程前、彼が急逝したという連絡がありました。死因はよく分からず、突然死と聞きました。

 私は3年弱の鬱からようやく抜け出し、さあ第2期アトリエmのスタートだと燃えていた時期です。会う機会が多かった訳ではありませんが、同志のような後輩でした。

 今度は、先輩として私が彼の話を聞いてあげなければならなかったのに……

 「双方向」というのは一方的でないということです。

 与え与えられ、それが互いに好ましく、持続するということは、簡単なことではありません。

 人は2度死ぬといいます。
 
 体が滅びる時と、人の記憶から消える時です。

 向かいに住んでいた彼も、長身の彼も、いまこの世にはいませんが、私の心の中では生き続けています。

 もし自分が反対の立場なら、誰かの心の中で生き続けるのだろうか……

 そんなことを考えるのは、精一杯生きて、命絶えてからにしようと思います。

 昨年、ようやく彼のお墓の場所を人づてに聞きました。

 ともよ、今年は墓参りに行くから。

さよならだけが人生さ‐1263‐

 関西の桜もほぼ終わり。

00 - コピー

 先週木曜日は雨風が強く、一気に散ってしまった感があります。

 唐の詩人、于武陵の五言絶句を、井伏鱒二はこう訳しました。

 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生さ

11 - コピー

 その日、 同業の友人と、梅田で飲んでいました。時々声を掛けてくれる有り難い仲間です。

 店は、概ね東通り商店街のミュンヘン。

15 - コピー

 時々行くビアホールは楽しみでしたが、さよならすることにしました。

 私は、酒癖が悪いほうではありません。概ね楽しい酒だと思っています。自称ですが。

 しかし、上手く合わせるというのは極めて苦手です。納得できないことに「うん」と言う事はありません。

 人はそれぞれとも言えますが、それを理解した上で、進歩なり、発展の方向を向き、何らかの合意を探さなければ、酒を酌み交わす理由はないと思っています。

 若い頃は、我慢して(つもりで)、その席に留まっていましたが、ある時気づきました。帰れば良いのだと。

 お代だけ置いておけば、我慢してまで、私に居て欲しい人など居るはずもありません。40歳になるまで、それが分からなかったのです。

 その日も、どうも空気が違うなと思い、中座しようと思ったのです「まあ、そう言わんと」に、甘えたのが悪かった。

 一度帰るという意思表示をしたら、必ず帰らなければなりません。そこから、空気が変わることは無いのです。

01

 SEIUNDOのオープニングレセプションの3日前、セブン・ドリーマーズの社長、阪根がNew Officeにやってきました。

 商談で来阪中でしたが、その日は、パナソニックと大和ハウスと共同出資した「セブン・ドリーマーズ・ランドロイド社」設立の報道があったばかり。

 昨秋発表した、自動洗濯物折り畳み機を製作する会社です。

03

 土佐堀川をのぞむイタリアンで遅くまで飲んでいました。

 彼も間違いなく結果を出し続けている友人の一人です。勿論、誰よりも努力をしているからこその結果です。

 ソチオリンピックの銀メダリスト・葛西紀明は「僕は誰より負けず嫌いだから、良いと思ったことはすぐ取り入れる。相手が若いとか、そんなことは関係ありません」と。

 40歳を過ぎ、レジェンドと呼ばれ、10代、20代のトップアスリートと互角に戦える秘訣がここあるのです。

 折角働くなら最高の仕事をしたい。クライアントもそれを求めているのですから。

 私達に残された時間は、間違いなく有限です。上手くやっている時間は正直ないのです。

29

 人生には、得るものも、失うものもあって当たり前。

 不愉快な思いをさせたなら、そこは詫びなけらばなりません。

 しかし、 さよならだけが人生なのです。