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天が味方した、かもしれない『梅雨将軍信長』‐2017‐

曇りだったり雨が降ったりと、梅雨らしい天気が続きます。

アジサイは今が盛りでしょう。

王道の紫。

白。

写真的には、赤紫が一番嬉しいかもしれません。

この時期の楽しみです。

ただ、最近の雨は、降る時はかなりまとまって降ります。

この間もちょっと怖いくらいの雨脚でした。

この時期になったら読もうと思い、購入したのが3年ほど前。

何故か機会を逃し続けていましたが、ようやく読み終えました。

『梅雨将軍信長』は新田次郎の短編集です。

『孤高の人』、『武田信玄』、直木賞受賞の『強力伝』と、大好きな作家の1人なのです。

歴史小説でありながら、技術者や科学者を主人公として描いた小説を、彼は「時代科学小説」と呼んでいます。

そんな小説が9編納められているのです。

表題となった 『梅雨将軍信長』 は、気象庁勤務だった新田次郎のキャリアを生かし、現在で言う気象予報士、平手左京亮という人物を登場させます。

少数による奇襲で、今川義元を討った桶狭間の戦い(1560年)、最強と言われた武田の騎馬隊を打ち破った長篠の合戦(1575年)、そして明智光秀に討たれた本能寺の変(1582年)は、現在の暦で言う6月と7月に起きています。

桶狭間の戦いでは、後梅雨の豪雨の中で、少数による奇襲攻撃が功を奏しました。

長篠の合戦では、梅雨の中休みに、信長自慢の鉄砲が火を噴きました。

この勝利によって、天下統一をほぼ確実なものとし、戦国時代の流れを変えたのです。

しかし、 本能寺の変の年は異常気象で空梅雨でした。

平手左京亮は、乾燥期には動かない方が良いと進言しますが、信長は受け入れませんでした。

そして、雨の日は憂鬱になり、晴れの日は別人のように快活になる明智光秀が謀反を起こすのです。

それまでは、天を味方につけていた梅雨将軍信長が自刃する場面で終わります。

小説ですから、時期以外は全てフィクションでしょう。

しかし、日本の歴史上、最も劇的な成功を収めた信長になら起こりえたかもと思わせるものがありました。

この小説も、梅雨時期の楽しみに追加して貰えればと。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

土師ノ里で、逃げ恥を考える‐1704‐

 議員が直接葬儀に参加した場合の香典は合法。参加していない香典は違法。

 元法相逮捕に関連する記事にこんなことが書いてありました。法律というものは、随分細かく決められているものだと驚きます。

 他人のことは気にしませんが、「恥を知れ」と言いたくなる報道もままあるものです。

 近鉄南大阪線にある土師ノ里駅は、ちょっと見たことのない景色の中にあります。

 恥ノ里でなく、土師ノ里(はじのさと)。ということで、ただの駄洒落です。

 それはさておき、ここは古墳と古墳の間に挟まれた駅。

 古墳銀座の銀座四丁目みたいな所です。

 駅の南西にある仲津山古墳の陪塚である鍋塚古墳。

 案内には、一辺40mとありますがほぼ円形に見えます。

 頂上まで登ることもできます。

 鍋塚古墳の上から北東を見下ろすと、土師の里駅と背後に市野山古墳が見えています。

 先の仲津山古墳とともに古墳時代中期とありますから、4~5世紀のもの

 全長200m以上の古墳が、住宅街に頻出する風景はなかなか無いものです。

 世界遺産、百舌鳥・古市古墳群をまたぶらぶら歩きに来てみて下さい。

 古墳築造のスペシャリストと言われた「土師氏」に由来し、土師ノ里という地名になりました。

 それから1000年程時代を下ると覇王、織田信長が登場します。

 司馬遼太郎はこう語っています。

 信長の面白さは、桶狭間の奇襲や長篠の戦いの火力戦を創案し、同時にそれを演じたというところに象徴されてもいいが、しかし、それだけでは信長の凄みがわかりにくい。

 むしろ朽木街道を疾風のごとく退却したところにあるだろう。

 1570年、越前朝倉氏との戦いにおいて、北近江の武将、妹お市の方の夫でもある浅井長政の協力で敵陣深くに攻め入ります。

 そうして敦賀の金ケ崎に陣を構えると、浅井長政が裏切ったという一報が入ります。

 織田軍は3万、敵軍は2万と、戦う選択もありましたが、信長がとった行動は退却でした。
 
 挟み撃ちを逃れるため、唯一の逃げ道と言ってよい、朽木街道を疾風のごとく退却したのです。

 「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマがヒット中で、「逃げ恥」と略されるそうです。

 調べて見ると、原作はコミックでハンガリーのことわざの和訳「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」からとったそうです。

 朽木街道を疾風のごとく退却した3年後、信長は浅井長政と朝倉義景を討ち、天下統一にあと一歩のところまで迫ります。

 攻めることは副将でも可能ですが、退却だけはトップしか判断できないこと。

 全ては生き抜くため、または幸福へ向かうための決断でなければならないということです。

 日本初のキリシタンとも言われる新しいもの好きの信長ですから、ハンガリーのことわざを知っていたのかもしれません。

 やはり過去とは学びで、ロマンです。

■■■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行
巻頭インタビューが掲載されました

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【News】
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2月3日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

けがれとはらい‐1391‐

 昨日、食卓にさくらんぼが並んでいました。

 このあいだ田植えが終わったと思ったら、いつの間にか夏至も過ぎ。

 2017年もあっという間に上半期が終わります。

 お札やお守りをゴミ箱に捨てるのは気が引けるもので、近所の神社へ奉納してきました。

 杭全神社は平安時代に創建され、府社の社格をもちます。

 門の脇に、六月三十日夕刻に大祓式(夏越祓)とあります。

 横には「茅の輪神事」とも。

 門の手前に、「茅の輪(ちのわ)」が設置されていました。

 初めて見たのですが、以下はその案内文です。

 昔から六月と十二月の晦日に大祓いといって今まで半年間の罪祓いを人形に託して流し祓い清め(雛祭りの起源)生々きした生命力の復活を祈願しました。

 (中略)

 とくに病気にかかりやすい真夏を迎える六月の大祓(夏越の祓)には、疫病神を追い払う霊力をもつ「茅の輪(ちのわ)」をくぐって心身を祓い清めるのが昔からの古い伝承であります。

 水無月の夏越の祓する人は 千年の命延というなり(古歌)

 神道は、自然崇拝を基本としたものですが、穢れと祓いの概念が中心にあるといえそうです。

 生きるということは穢れるということであり、祓いによってそれらは取り除かれる。

 非常に寛容な精神文化ともいえるのです。

 織田信長が、今川義元を討った桶狭間への出陣の朝。「敦盛」を舞った話は有名です。

 敦盛は「人間五十年、化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり」で始まる能の演目。

 ある番組で、この舞によって信長は呼吸を整え、冷静になっていったのではないか、という説が紹介されていました。

 「穢れ」をネガティブな感情、考え方とするなら、「祓い」を儀式と置き換えてもよいかもしれません。

 信長を例にとるまでもなく、成功者は例外なくこの儀式を持っている気がします。

 瞑想、座禅、ジョギングなど方法は様々ですが、いずれもそれは時々でなく習慣となっています。

 脳科学的にも、人の感情は、意思で制御するより、行動で導く方が簡単だそうです。

 「茅の輪(ちのわ)」をくぐってきたので、半年の穢れが全て祓われました。

 6月の晦日を過ぎれば、清い体で勝負の下半期へ突入です。

 穢れは儀式で祓う。

 当たり前ですが、誰もが舞う必要はありません。

 入浴でも、読書でも、ヨガでも、自分がそう思いこむことが何より大事なはずなのです。

美濃に燃ゆ、信長の野望‐1322‐ 

 11月に入り、今年も残すところ2ヵ月となりました。

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 今日、文化の日は朝一番の新幹線で岐阜羽島へ。

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 車では通過するものの、本格的に岐阜に来たのは学生時代以来でしょうか。

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 赤い車両の名鉄に乗り、岐阜の中心へ向かいます。

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 まずはアクア・トト ぎふへ。

 世界最大級の淡水水族館です。

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 淡水ゆえ、派手さはありません。

 しかし、それはそれでのんびりした雰囲気も悪くありませんでした。

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見せ場はやはり世界最大の淡水魚ピラルクー。

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 その深いシワは老人のようでもあり、なかなかの迫力。

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 エサやりタイムは更に迫力がありました。

 魚の切り身を食べる姿は、まさに獰猛なワニそのもの。

 肉食魚で、作家・開高健はルアーで釣り上げていましたが、これは引くでしょう。

 アクア・トト ぎふは、かなり良い評判を聞いていたので、正直言えばもっと期待していました。

もうひと押しを期待したいところです。
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 ここからは私の趣味に娘に付き合ってもらいます。

 長良川沿いに建つ、長良川国際会議場。 安藤忠雄の設計で、1995年の完成です。

 安藤の提案していたアーバンエッグは鹿児島大学だけで実現したのだと思っていました。

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 外観はモザイクタイルが貼られていましたが、これは竣工当時のままなのか。

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 鹿児島大学の稲盛会館のように卵型の空間があるのかは確認出来ませんでした。

 それはやや残念でしたが、存在感は圧倒的でした。

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 そこから長良川を挟んで見上げる金華山。

 その頂上に見えるのが岐阜城です。

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 ロープウェイで登れるのですが、標高329mにまさにそびえたっています。

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 山頂駅を降りてからも険しい階段が続き、こんなところを、攻め落とせる訳がない気がしてきます。

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 1567年、信長はこの城を攻め落とし、美濃を制定しました。

 そして「天下布武(てんかふぶ)」の印を使い始めます。

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 地名も「岐阜」と変え、武力で天下統一を果たすという意思を世に示したのです。

 長良川と濃尾平野を見下ろす景色は、まさに天下統一を目の前に、信長が見た景色でした。

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 司馬遼太郎の「国盗り物語」は、一介の油売りから身を起こした斎藤道三が、美濃の国を盗み取るのが前半。

 後半は、娘婿となった信長が、天下統一への道をひた走るという歴史小説です。

 司馬遼太郎作品の中でもベスト3に入る面白さだと思っていますが、岐阜は間違いなく日本の中心だったのです。

 一日岐阜を回り、本当に美しい、豊かな町だと感じました。

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 見渡す限りの広大な平野に、突然緑深い山が現れます。

 その間を縫うように、長良川が流れる景色は、由緒正しき日本と言えます。

 広く、美しく、水が美しい。

 海運だけがウィークポイントでしょうか。

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 金華山はもとは青葉山と呼ばれていました。

 燃えるような夕日を浴びた姿をみて、金華山と改めたそうです。

 私なりに、美濃に燃え立つ、信長の野望を感じた旅でした。

 名古屋にしろ、岐阜にしろ、なんとも魅力的な街でした。東海地方もなかなか面白い。