タグ別アーカイブ: 伊勢

伊勢神宮、外宮前にて‐1961‐

今朝は4時半起きでした。

6時頃、大阪上本町から近鉄特急の賢島行きに乗りました。

大和川を通過した頃は日の出前。

眠くはありますが、時間的には得をした気分になります。

宇治山田駅には8時前に到着しましたが、電車で伊勢に来たのは初めて。

初期相談があり、建築法規などの調査にやってきたのです。

遠方の場合は特にですが、時間切れとならないよう、早め早めの行動が鉄則です。

ただ、知らない街を歩くのは一番好きなことです。

戦前に活躍した伝説の名投手、澤村栄治誕生の街とありました。

まずは、土地の情報を集めるために法務局へ向かいます。

最近はインターネットでかなりのことが調べられますが、現地で聞いておきたいことがあったのです。

係の人に相談すると色々なことを教えてくれました。ここまで足を運んだ甲斐があったというものです。

移動の途中に、伊勢神宮の外宮前を通りました。

「げくう」と読みます。

内宮「ないくう」と合わせて、正式には地名を冠しない「神宮」です。

全ての神社のなかで、別格として最高位にあるのです。

伊勢の名物は赤福です。

外宮前店は開店前から長蛇の列でした。

今日は平日でしたが、人通りも多く、駐車場も満車が多かったです。

本当に人出の多い街だなと感じます。

次は建築確認申請などを担当する部署のある、三重県伊勢庁舎にやってきました。

ここでも必要な資料を入手。しかし、市役所で確認する課題もでてきました。

建築行政は、県が権限をもっていることと、市が権限をもっていることが分かれていることが多々あります。

一本化して欲しいとは思いますが、言っていても始まらないのですぐに市役所へ向かいます。

朝一番に寄った法務局の向かいあることは調査済みでした。

ここまでで、最低限の調査は終えました。

相談者の方と、JR伊勢市駅前で待ち合せていたのです。

その方の車で計画地に移動し、色々と思いを聞かせて頂きました。

まだ、何も書けないのですが、かなり大がかりなプロジェクトでワクワクする施設です。

発表するまで少し時間は掛かると思いますが、これまでの経験を全て活かせそうと感じています。楽しみがまたひとつ増えました。

2時間半ほど打合せをし、JR伊勢市駅前に戻ってきました。

駅前から外宮前を結ぶ参道は500mほどあります。

なかなか趣きのある店も。

昼を過ぎていたので、軽く伊勢うどんでも食べましょうか、という話になりました。

こちらも伊勢名物です。

伊勢神宮に来たのも、伊勢うどんを食べたのも10年振りくらいでしょうか。

今日は寒かったので、アツアツで甘めの伊勢うどんが最高に美味しかったのです。

帰りのチケットも予約していましたが、30分程時間があったので外宮を参ってきました。

10年前は内宮だけだったと思うので、外宮はさらに久しぶりです。

豊受大神宮とも呼ばれ、衣食住をはじめとし、あらゆる産業の守り神とのこと。

文字を見ているだけでもご利益がありそうです。

季節的には初冬ですが、外宮前の雰囲気は晩秋といった感じでした。

インターネット予約のチケットレスなら片道300円の割引があります。

往復で言えば600円ですから、かなり得をした気分です。

夕日の右にあべのハルカスが見えています。

17時頃、大阪上本町に戻ってきました。

帰りの近鉄特急では、「プシュ」と缶ビールを開ける音が聞こえてきました。

「ちょっと飲みたいな」と言う気持ちにもなりますが、そこは我慢です。

今、調査のまとめを終え日記を書き終わりました。

「守谷に任せてみたい」と思って貰いたければハードワークあるのみです。

早起きしたので眠たくはありますが、何だかご利益のありそうな1日でした。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

メディア掲載情報

女の仕事

 連休の後半は梅田での建築家展へ。

 翌7日は茨城県のつくばへ打合せに行っていました。

 バタバタと日常に戻って行くのですが、もう少し伊勢志摩の話を。

 連休前半、羽で海女さんの実演ショーを見ました。この日は気温20℃、水温14℃。

 それでも3日前からウェットスーツを着ていないと説明がありました。

 この海女と言う仕事。何故女性なのだろうと思っていました。理由はいくつかあるようです。

 1つは、女性の方が皮下脂肪が厚く、寒さに強いから。これは想像できます。

 その他、沖での漁は漁獲も多いが、危険が伴う。それで、沿岸部の潜水漁業は女性の仕事になったとありました。

 また夫婦で働く夫婦船も多く、その際は漕ぎ手が男の仕事だったのです。船と言えば、エンジン付きをイメージしますが、漕ぎ出すとなるとこれは重労働です。

 現在は、男海女(海士)が増えているとのこと。ウェットスーツの着用が認められたり、経済的不況なども影響しているようです。

 ドイツ帝国の礎を築いたビスマルク。鉄血宰相の名で知られますが以下の言葉を残します。

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

 歴史は時代の積み重ね。その時代が変われば歴史も変わります。

 男らしい、女らしいも時代によって変わるのです。

神宮式年遷宮、お伊勢参り

 友人がエクシブをとってくれました。

 宣伝の写真みたいになっていますが。

blog_import_5417c02fecc6f

 朝、海沿いをジョギングしていると、あちこちから煙が上がっていました。

 流石漁師の街ですが、煙をみるのも久しぶりです。煙が上がらないの見て、民の貧困を嘆いた詩がありました。

 火が生きる証なのだと、理解できます。

 昨日はまず、みえ子供の城へ。

 私としては、海の博物館へ行きたい気持ちもありますが、子供の要望にも応えなければと。

 丁度イベントがあったようで、屋台も出ていました。

 わたがしが100円。

 一応満足してくれたので、伊勢神宮へ。鎮座2000年、日本最高位の神社です。

 この秋には、20年に一度の神宮式年遷宮を迎えることもあり、凄い人出でした。

 急がば回れの法則で、2km地点までたどり着きました。しかしここまで。車を妻に託し、子供と徒歩で目指すことに。

 秋に備え、着々と準備が進んでいるのが解ります。

 木造建築の粋を集めた美しさは、巨匠ブルーノ・タウトも絶賛しました。

 彼は、桂離宮、飛騨高山の建築も称賛しており、日本人以上に日本の建築を愛した建築家です。

 時代が時代なら、一生に一度のお伊勢参り。

 社殿は撮影不可で、現在もその神秘性は保たれています。

 木々の隙間から見える屋根が光を受け、黄金のように輝いていました。刺激の多すぎる時代が果たして幸せなのかどうか。

尾張と伊勢志摩をめぐる-伊勢志摩編-

 月曜日の続きです。

 12/16(土)の夕方、豊田市美術館を出ると、伊勢湾自動車道で湾口部の西端、四日市まで一気に横切ります。

 そこから東名阪、伊勢自動車道と乗り継いで、賢島に着いたのは7:00pm過ぎ。

 志摩地方は紀伊半島の東端にあたり、山地が埋没して出来たリアス式海岸は、天然の良港を形成します。真珠、牡蠣の養殖は有名なところ。

 宿はプラムリゾート賢島。英虞湾を見下ろす丘に建ちます。

 南欧をイメージした空間はまるで異国のようで、良いホテルでした。私達の部屋は中庭を囲む2階で、海も望めました。

 チェックアウトが11:00amというのは、子供連れには嬉しいところ。

 日曜日は、宿から車で5分くらいの志摩マリンランドへ。マンボウを見れるのが売りのようです。

 干潟を復元しているエリアでは、ムツゴロウがこの距離で見れます。

 しかし一番興味を惹いたのが、化石の販売コーナー。

 5億年前の三葉虫の化石と6千万年前の恐竜の歯を2つ買って¥3,500。買っておいてなんですが、売ってもいいのでしょうか。

 そのあとは、伊勢まで海沿いのドライブウェイを走り、今回の最終目的地”海の博物館”に到着。

 設計は内藤廣。展示物が豊富、復元模型もどこかコミカルで、暖かな感じの楽しい博物館でした。

 内部は集成材を使った木造の大空間です。

 過酷な程ローコストだったとは設計者の弁。

 コストを突き詰めた結果が、船のを逆さまにしたような空間であることは偶然では無いような気がします。

 文化財収蔵庫。こちらは同じような構造を鉄筋コンクリート造で実現しています。

 薄暗い感じが船の棺のようでもあり、凄みさえ感じました。

 こうして愛知と三重をめぐる旅は終わりました。自分の住む街を出ると同じ日本でも様々な違いに気付きます。言葉、味付け、街の雰囲気などなど。

 名古屋では、城に対する強いこだわりを感じました。とにかく、城をモチーフにした建物が多いのです。

 極めつけは国道沿いのこの店舗。かに料理の店なのです。世が世なら、どう見てもお殿様しか住めないようなシロモノ・・・・・・

島の昔

 先日、義父の還暦のお祝いに三重県の伊勢志摩の湾内に浮かぶ離れ小島のホテルに宿泊しました。

 伊勢志摩は、太平洋に突き出した紀伊半島の一番東に張り出した位置にあり、複雑なリアス式の海岸線に直接海流があたるため、イセエビでも有名なように、海産物が大変豊富です。私達のホテルも、期待通りの食事で、海の幸を充分に満喫できました。

 島に渡る時に疑問が浮かびました。渡船が出る本州側の村は小さな集落で、見渡しても大きな集落は有りませんでした。島のほうは南北、東西とも1キロに満たない小さな島にも係らず、狭い平地に所狭しと、ホテル、旅館、民家が軒を連ねています。ホテルの方に疑問をぶつけてみると、すぐに納得できました。

 この小島には昔、遊郭があったそうです。海産物が豊富で、天然の要害としても優れているこの地域ではその財産を守るため、漁師が自衛のために武器を持ち、組織をつくり水軍や海賊になって行きました。

 瀬戸内海の村上水軍、熊野灘の水軍と共に、このあたりの九鬼水軍は有名で、織田信長が天下統一を目指し、大阪の石山本願寺を大阪湾から攻める際も、九鬼水軍の力に寄るところが大きかったと言います。

 戦国時代の蒸し暑い夏の夕暮れ。狭い小道を髭をたくわえた海賊が、コソコソと目当ての店に急いでいる姿を夢想していると、なんだか楽しい気分になってきました。