タグ別アーカイブ: 京都

北野天満宮で思う、承認と許容‐1970‐

新年あけましておめでとうございます。

これまで、子どもが受験の年は1月3日に北野天満宮へ参っていました。

しかし今年は長男にとって勝負の年。元旦の5時頃、大阪から京都へ向かいました。

道路も駐車場も殆ど混んでおらず、6時過ぎには到着。

参道の屋台もまだまばらな感じです。

合格祈願の祈祷受付は7時半からだったので、1番席でご祈祷を受けることができました。

早く行ったから合格する訳でもありませんし、御祈祷を受けたから合格する訳でもありません。

それでも、東京、千葉などからの参列差者もおられました。最後に親ができることは神頼みくらいです。

長男は慣れない正座で、足に全く感覚が無いと言っていました。

北野天満宮で初日の出も拝むことができました。

絵馬に願いを込め。

縁起の良さそうなところに奉納。

後は本人が頑張るだけです。


帰る頃には参道も賑わっています。

もう一度境内をのぞくと、長い列ができていす。

やはり活気あってこそ北野天満宮です。

撫で牛も撫で、この日のミッションはこれで完了。

元旦に車で京都に来たのは初めてで、もっと混んでいると想像していました。

東寺あたりも車の流れはスムーズです。

念のため、akippaで駐車場を取っておいたのですが、8時頃までなら境内の駐車場に入れそうな感じでした。

午後になるとそうもいかないのだと思いますが。

大阪に戻った足で実家に行き、両親、弟家族と食事会でした。

お節料理とズワイガニ。

姪っ子はカニが大好きで、物凄い量を食べていました。

あれだけ喜んでくれたら、作り甲斐もあるというものです。

昼間から食べて飲んで。

子どもは腹ごなしに秘密の特訓場で卓球を。

従弟同士仲がよいのは何よりです。

そのまま夜まで居て、夕食はステーキでした。


赤ワインと一緒に楽しませてもらいました。

今年は兎年。

何とも可愛い感じの絵馬ですが、雄々しく脱兎のように駆け抜けたいと思います。

初詣での間、2023年のテーマを考えていました。「承認と許容」としました。

読んで字の如くですが、認め、受け入れることから全てをスタートしたいと思っています。

本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

メディア掲載情報

「ポップ・アートとはモノを好きになること」 アンディ・ウォーホル‐1957‐

前回書いた、ちょっと秋の京都旅

出掛けようと思った動機は「アンディ・ウォーホル・キョウト」です。

京都の岡崎周辺には、2つ美術館があります。平安神宮の鳥居を挟んで西にあるのは 京都 国立近代美術館。

その向かいにあるのが京都市京セラ美術館です。

いずれも疎水沿いに建つ絶好の立地条件です。

京セラ美術館は、現存する日本最古の美術館を、建築家・青木淳+西澤徹夫がリノベーションしました。

2020年の3月のリニューアルオープン以来、はじめてやって来たのです。

天井の高いホールを抜け。

東山キューブというエリアが会場です。

目の前に庭園が広がる空間にでてきました。

東山を望む景色が圧巻でした。

開場してすぐに入りましたが、もうかなりの人出。

熱気が伝わってきます。

アンディ・ウォーホルと言えばやはりこのキャンベル・スープでしょう。

ポップアートの旗手、ポップアートの神髄などと呼ばれるウォーホルは、1928年から1987年という経済成長期の真っ只中を生きました。

50年代半ばのイギリスではじまったポップ・アートですが、ポップ・アーティストは広告や報道写真をそのまま自分の作品にとりこみます。

「ポップ・アートとはモノを好きになることだ」

そう語ったウォーホルは、20年ものあいだランチにキャンベル・スープを毎日飲んだそうです。

1962年、最初の個展となった会場の壁にも、このキャンベル・スープの絵が並べられました。

大量生産、大量消費時代。加工品を機械的に消費せざるを得ない現代社会を、批判も肯定ももせず、ただそこに並べたことが新しかったのです。

彼の出身地は、ニューヨーク州の西隣にあるペンシルベニヤ州のピッツバーグ。

今回は、 ピッツバーグ にあるアンディ・ウォーホル美術館から多くの作品が出展されています。

門外不出と言われる「3つのマリリン」は広告にもでている通り目玉作品です。

ハリウッドスターに憧れていたウォーホルは、1962年のマリリン・モンローの悲劇的な死に衝撃を受けます。

写真製版のシルクスクリーン印刷という技法で彼女の作品を次々に制作していくのです。

そしてこんな言葉を残しました。

「ポップ・アーティストたちは、ブロードウェイで目にするような、誰もが一瞬にしてわかるイメージを描いたのさ。(中略)こうした現代のあらゆる偉大なものを、抽象表現主義の画家たちは決して見ようとしなかったんだ」


ウォーホルは生涯2度に渡って京都を訪れています。

ポップ・アートに乗り出す前の1956年の際のスケッチの展示がありました。

「わかりやすい」という感覚は、この頃から強く持っていたようです。

セレブリティから、彼へ自画像を発注するはオファーがひっきり無しだったそうです。

シルヴェスター・スタローン、アレサ・フランクリン、坂本龍一。

どちら発信かは分かりませんが、描いてもらうこと自体がステータスとなったのです。

晩年は特に死をテーマにする作品が増えました。

ダビンチの「最後の晩餐」を題材とした、ウォーホルの「最後の晩餐」です。

1986年の作品で、ハイ・アートとロウ・アートの区別を曖昧にするという取組みです。

かなり大きな作品ですが、私としては「一瞬にして」が彼の魅力だとするなら、そのインパクトは逆に小さくなっていると感じました。

カーネギーメロン大学で美術を学んだウォーホルは、商業イラストレーターとしてキャリアをスタートさせます。

そしてポップ・アートに出会い、時代の寵児となりました。しかし1987年、心臓発作で58歳という短い生涯を終えるのです。

アンディ・ウォーホルのことは大学時代に知りました。

その時にはすでに亡くなっていたので、その少し前まで生きていたという認識がありませんでした。

それで、マッキントッシュの作品があるのを見て少し驚きました。

ジョブスとウォーホル、このような人物が生まれてくるのがアメリカという国の、パワーの源なのでしょう。

学生時代から好きだったと書きましたが、彼がLGBTだとも分かっていませんでした。
もしかすると、当時の書籍にはあまり書かれていなかったのかも分かりません。

私は作品だけでなく、作者の人生を知りたいと思っています。

どうやってその作品が生まれてきたのか。それを知ることで、何かを得れるのではと考えているからだと思います。

向かいにある、京都国立近代美術館では「ルートヴィヒ美術館展」が開催されていました。

こちらもウォーホルの作品が看板作品のようですが、大好きなマレーヴィチも来ているようです。

マレーヴィチこそ、ウォーホルが苦言を呈した抽象表現主義の画家ですが、芸術には色々な表現があって勿論構いません。

会期は来年の1月22日まで。もう一度京都に行く理由ができました。

日常の中で、偉大なものを何か見落としていないか……

毎日スープを飲みながら考えようかなと思います。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

お願いし忘れた‐1672‐

 コロナウィルスの影響で、関西の小中高も概ね休校となりました。

 我が家は何とか留守番できる年齢になったので、「今日は自分達で昼食を作る」と張り切っていました。

 保育園、幼稚園で閉めているところは少ないようなので、小学校低学年の子供がいる家庭が一番大変でしょう。

 娘も無事受験を終えたので、年明けに御祈祷して貰ったお札を返しに行ってきました。

 京都が閑散としていると聞いていたのですが、北野天満宮はそうでもありませんでした。

 お守り等は、願いが叶ったならお返しするのが基本です。

 と言いながら、現実にはそう出来ていない事も多々あります。

 しかし北野天満宮だけは別。

 兄妹とご利益を頂いたので、自然と足が向かいます。

 梅の名所であることもその理由のひとつでしょうか。

 境内の梅もまさに盛りでした。

 僅か2ヵ月で、これだけ景色が変わるのですから訪れたくなるというものです。

 お参りした後に娘が「あっ」と小さな声を出したので、「どうかした」と聞くと「後で言うわ」と。

 梅苑は紅、桃、白と様々な種が咲き乱れていました。

 忙しなく花をついばむ色鮮やかな鳥はウグイスでしょう。

 その色のコントラストは、感嘆するほど美しかったのです。

 天神さまのお使いとして、神牛の像がいくつかありますが、あやかれるようにと頭を撫でていました。

 帰りの車で「さっきは何だったの」と娘に聞くと「コロナウィルスがおさまりますようにってお願いし忘れた」と。

 父親に対して娘は厳しいものですが、そんな事をお願いしようと思ってくれるだけで嬉しいものです。

 信じるものは救われる

 良く聞く言葉ですが、信じれば必ず救われるとはなっていません。しかし、信じることが出来ない人が救われることもない気がします。

 神も仏も人の心が作り出したものだとします。なら、神や仏が存在し得るのは人の心の中だけ。

 自分を信じ、未来を信じ、人類を信じるしかありません。

 人類はもっと大変な危機を、何度も乗り越えてきたから私たちは今存在しています。

 勿論、犠牲になった人も居るでしょう。そこに自分が入るかどうかは、神のみぞ知るなのです。

 と言うことは、やはり神様は居ることになりますが。

■■■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】

■2月3日 『Houzzの特集記事』「阿倍野の長屋」が取り上げられました
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました
■4月1日発売『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

くたびれる者は、役に立たざるなり‐1482‐

 昨日は生憎の雨でしたが、土曜日は天気に恵まれました。

 上京区の「山本合同事務所」まで撮影に行っていました。

 この春、竣工写真の撮影は4件目です。

 電線だらけなのが日本の街並み。

 その中で、少しでも影が少なく、美しいタイミングで撮影したいのが、設計者というものです。

 写真家にも無理をいい、朝の7時半頃から待機していました。

 このオフィスは、車が多く停められるよう、1階は最小限の階段と看板があるだけ。

 白い箱が浮いているような建物です。

 内部は3階から撮影をスタート。

 道路と反対の、南に向いた窓から光が回ってきます。

 3階は、打合せとリビングを兼ねたような空間で、小さなキッチンとロフトもあります。

 それが、南側の吹抜けでワークスペースとつながっています。

 道路のある北側は、間接光となるので全面開口としました。

 消防法上必要な非常用進入口。

 北側の吹抜け上のブリッジで繋がります。

 そこに掛けられていた苔玉。クライアントのグリーン好きは私の想像を超えていました。

 この日は、昼から日本建築家協会主催の相談会がありました。

 観光客で賑わう二条城を横目に一旦中座。

 河原町の丸善京都本店へ向かいます。

 途中の教会が目に入りました。

 時間があれば入ってみたいところですが、おにぎりを食べながら足早に通過します。

 夕方に戻ってから、2階の撮影を再開しました。

 2つある大きなデスクは、人の流れに合わせてデザインしています。

 仕事場なので多くの書類、荷物があります。それらを動かしながらの撮影です。

 なかなか大変でしたが、動かすことを許容して貰えるなら、空間が最もよく伝わる風景にしたいのです。

 内部撮影終了の後、30分程休憩して夕景の撮影を始めました。

 全ての片づけが終わったのは夜の9時頃。正直クタクタでした。

 クタクタになった時、「もうこのくらいでいいんじゃないか」と、優しい顔をした悪魔がささやいてきます。

 「いやいや、天気もよく、皆のスケジュールが合うこのタイミングは一生に一度。もっと粘り強く」と厳しい顔をした、天使がささやきます。

 心の中では押し合い圧し合い続きますが、悪魔と天使なら天使が正しいに決まっているのです。

 不幸せの時くたびれる者は、役に立たざるなり

 -山本常朝- 江戸時代 武士

 山本常朝は『葉隠』に武士の心得を記しました。

 日本人で、普通に会話できない人はそういません。人の能力には、それほど差がないのではと私は思っています。

 クタクタと不幸を一緒にするのは大げさですが、差がつくなら、そんなタイミングしかないと思っているのです。

 ちょっと、風呂敷を広げすぎました。

 しかし、写真の仕上がりが楽しみなのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a

一歩進むことであってほしい‐1414‐

 日曜日は、母校高槻中学・高校の文化祭定でした。

 ここ数年「頼れる卒業生による無料相談」に参加しています。

 しかし到着してすぐ、台風による警報が発令され、11時50分での中止が決定しました。

 懸命に準備をしてきた生徒にとっては本当に悔しいことでしょう。

 新校舎も完成し、更に工事も進んでします。

 また、今年から男子校から共学にかわりました。

 学校も時代に合わせて変化しなければならない時代なのだと実感します。

 今日は、昼から時間ができたので、娘とJRで京都へ。

 台風一過の快晴でした。

 水族館というリクエストと、昼から、連休の渋滞を避ける、という条件で、京都水族館にしました。

 確か昨年も台風中に訪れた気がします。

 京都駅から歩いていけるというロケーションは重宝するのです。

 ペンギンがあわただしいので、水上階へ上がってみるとエサやり中でした。

 コミカルといえばコミカルですが、食事ショーには微妙な感じもあります。

 イルカショーは梅小路公園を背にしたプールで、夕風に吹かれながら。

 最上部の席でリラックスしながらみました。

 これまで、子供と一緒に沢山のイルカショーをみました。

 ここでは「プー」と呼ばれるストローを割った笛を皆で吹くという演出があります。

 イルカと交互に笛を吹くという場面は一体感があり、なかなか盛り上がりました。

 小学校の低学年くらいまでならまだししも、高学年になれば、行きたいと思うところしかついてきてくれません。

 一方、足水をみつけると、さっさと靴下を脱ぎ入ってしまいました。

 まだまだ子供らしいところと、ここから大人へ向かっていくんだろうなという部分の、両方を持ち合わせているのが9歳、10歳くらいでしょう。

 最近、本当によくわかったのが、怒って何かをさせることはできないということです。

 このくらいの歳になると、いくら怒っても、脅しても、いうことを聞かせるのは無理です。

 あるクライアントがこんなことを言っていました。

 「僕は子供に、できることは何でもしてあげようと思っているし、買い与えていいと思ってるんです。ただ、大人になってからもそれを叶えたかったら、自分で努力してね。そういう考えかたなんです」

 以前は、それは私の考えかたと少し違うなあと思っていました。しかし、最近はよくわかる気がします。

 最終的には、自分がしたいと思うこと以外、行動が持続することはありません。

 ここなら行きたいと思って貰える景色をできるだけ沢山見せてあげるしか、親にはできないのです。

 この点は、考え方を大きく変えたつもりです。

 勿論のこと、私は完成品ではないので、変化しつづけるしかありません。

「一日生きることは、一歩進むことでありたい」

 日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の言葉です。

 できれば、それが進歩であってほしいと願うのです。

脳は常に新しいを好む‐1378‐ 

 昨日は京都へ行っていました。

 「目には青葉  山ほととぎす 初鰹」の句のとおり、山は青く、ほととぎすも鳴いているでしょう。

 丸善京都本店での相談会に参加したのですが、その前に三条あたりを歩いてきました。

 1590年、豊臣秀吉の命によって石柱の橋に改修されたという三条大橋。

 東から見た景色ですが、東海道五十三次の終点でもあります。

 弥次さんと喜多さんの像があるのはまさに終点の西詰。

 桜の下で涼しげです。

 川床のある景色は京都ならではのもの。

 弥次さん喜多さんの横に、「三条大橋 擬宝珠刀傷跡」という看板がありました。

 「池田屋騒動」のときについたのではとあります。

 南北とも西から2つ目の擬宝珠に、その傷は残っていました。

 南のほうが大きく、皆が触った跡もついています。

 三条大橋から西へ50m程いくと、「池田屋騒動之址」という石碑もあります。

 1864年、尊王攘夷派の長州藩、土佐藩の志士が池田屋に潜伏するところを、新選組が急襲したのが池田屋騒動。

 近藤勇らは池田屋での会合を察知し、謀議中に押し入り、尊王攘夷派の6人の志士が斬死しました。

 この事件で、討幕は1年遅れたとありました。

 新選組の名前を世に知らしめた事件でもありますが、その争いでの刀傷が、三条大橋に残っているのです。

 また新選組と敵対関係にあった坂本龍馬が、海援隊の京都本部を置いていた「酢屋」。

 池田屋の南裏筋にあります。

 「酢屋」は現在も同じ地で材木商を続けており、2階には坂本龍馬のギャラリーが併設されていました。


このあたりは、近くに流れる高瀬川を使い、市内に材木を下す店が沢山あったようです。

 坂本龍馬の新しいもの好きは有名です。

 革靴に袴、そしてピストル。日本初の株式会社に、新婚旅行。

 材木商を営む6代目の店主は、幕府側の目を恐れながらも、新しい時代を龍馬に感じ、協力したのでしょう。

 脳科学者の茂木健一郎は、人の脳は常に新しいものを好む性質を持っているといいます。

 ネオフェリアというそうですが、この才能があったからこそ、人がこれだけの進歩を遂げたともいいます。

 面白いのは、「新しい」は主観的なものだということです。

 三条大橋は今まで何度も渡ったことがありますが、刀傷跡のことは初めて知りました。

 私にとっては「新しい」ことだったので、ワクワクしたのです。

 柳小路に浴衣姿で歩く女性の姿。

 知らない人なので、初めて見た景色とも言えます。

 面白き こともなき世を面白く
 住みなすものは 心なりけり

 同じく幕末に活躍した、長州藩士、高杉晋作の辞世の句です。

 あまりにも有名な句ですが、どんなことも心がけ次第で「新しい」にできそうです。

一見さんお断り‐1326‐

 今日は天満橋から京阪電車の乗り、打合せに行っていました。

000-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 大川沿いの桜が、真っ赤に色づいていましたが、この季節の京都は、凄い人出でしょう。

 現在、京都で設計しているオフィスがあります。

 鉄骨3階建ての面白い建物なので、また時期がくれば紹介したいと思いますが、これまで京都では5件ほど仕事をしました。

 実施図面が完成し、さあ競争見積をスタートというタイミングで、2~4の建築会社に声を掛けます。

91-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 競争見積とは言え、私達は仕事を紹介する立場とも言えます。

 しかし京都の場合、初めて連絡をした際は、断りベースの会社が多いのです。

 祇園で言えば、一見さんお断り、といったところでしょうか。

71-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 それでも長く仕事をしてきたので、パートナーと思っている会社が、京都、滋賀にも何社か出来ました。

 中でも、一番多く仕事をしてきたのは、京都ではかなり大きな建築会社です。

 2000年に完成した「紫竹の家」を設計していた頃、同級生が就職していたという縁だけで電話を掛け、まず見積を引き受けて貰いました。

001-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 この見積を担当してくれたのが当時60歳くらいの方で、工事部長の肩書だったでしょうか。

 私は設計という立場だったので、常に柔和な笑顔を向けてくれましたが、仕事に厳しい、また、部下にも厳しい顔をもったプロだと感じていました。

 「紫竹の家」は私にとっては4作目。まだまだ分からないことだらけで、随分助けて貰ったのです。

005-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 私のクライアントには失礼な言い方ですが、それほど規模の大きくないマンションのリフォームや、その建築会社では安さのあまり伝説になっているという、1千万円台前半の超ローコスト住宅まで。

 色々な仕事を引き受けてくれました。

003-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 最後に仕事をしたのが、2008年の「切妻と中庭の家」

 その後も何度か見積りを依頼しましたが、金額が合わずなどで、以降仕事は遠のいていました。

 この建築会社は、本来はかなり大きなマンションや公共建築を施工する規模の会社です。

 マンションの施工だけでは、現場監督の力が付かないという思いもあったのだと思います。

 また、若かった私を応援してくれていたのだと今は思っています。

 今回も営業部長に見積を依頼すると、「人手不足で辞退させて頂きたいです」との返事でした。

 当社までお詫びに足を運んでくれたので少し話をしていると、その幹部の方がこの年末で勇退するとのことでした。それもあっての辞退だったようです。

 私の嘆き節は2パターンで、「友達が居ない」「先輩に可愛がって貰えない」です。

 友達はほぼ居ませんが、ライバルは沢山いますし、先輩に可愛がって貰った記憶はありませんが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんのような、尊敬する師を持つことは出来ました。

 しかし考えてみれば、今年で勇退されるこの方のように、それこそ「仕事の鬼」というような大先輩には、結構可愛がって貰ったのかもしれません。

 この方が現役の間に、京都でもう一件くらいは一緒に仕事をし「いや~先生、この建物は素晴らしいですねえ」と言わせたかったと言うのが今の気持ちです。

 人も社会も変化こそが常。また初心に戻り、新たな出会いを求めて行動を起こさなければなりません。

 「今忙しいので」と、軽~く断った建築会社の人達には、そちらの仕事が無い時に、頭を下げに来て貰うイメージです。

 言っていることが小さいかもしれませんが、反骨精神も、私のモチベーションの1つではあります。

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

21 - コピー

 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

23 - コピー

 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

25 - コピー

 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

25 (2) - コピー

 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

27 - コピー

 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

29 - コピー

 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

31 - コピー

 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

33

 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

35 - コピー

 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

36

 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

37 - コピー

 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

39

 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。

男の仕事場 ‐1267‐ 

 昨日は、天六の住まい情報センターでのセミナーでした。

01 - コピー

 申込は60数名まで増え、最終的な参加は40名。

 一人一人が、それぞれの人生という時間を割いて来てくれるのですから、人数など関係ありません。

 それでも気になるのが、嫌なのですが。

03 - コピー (2)

 今回でセミナーは15回目になりました。

 少しは落ち着いて出来たでしょうか。

2016_0420セミナーA4案内ol

 前回あたりから、資料を作成するようにしました。

 今回はプロラボに出し、8ページの冊子に。概ね好評だったと思います。本当の評価は参加者の心の中にしかありませんが。

09 - コピー

 2時間の長丁場だったので、途中に休憩を挟みました。

 個別相談も2組あり、その人達には楽しかったと言って貰いました。昨日は、ここが私の仕事場。人前に出る以上、いつも本気です。

 4月中旬ですが、京都へ敷地調査に行っていました。

11 - コピー

 堀川沿い、二条城の東門は修復工事中。

紫竹の家切妻と中庭の家の現場へは向かっていた時の事を思い出します。

 これまでに、京都では6軒ほど仕事をしました。

12

 おそらく新築になると思いますが、敷地に建つのは築100年の住宅。

15

 間口2間半のこの家に、10人が暮らしていたそうです。

18111新敷地既存裏庭 - コピー

 人はどんな条件でも、本当に逞しく暮らしています。

 この日は、ハワイから戻り、先週、大阪を離れた後輩も、何故か一緒に。

 「男の仕事場の写真を送ります」とメールが届きました。

27

 自分が働いている風景を見ることはあまりありません。

23

 仕事も写真も好きですが、自分が好きかは微妙です。

25 - コピー

 この後、飲みに行ったのですが、撮ってくれたのは右の彼。

 ハワイ土産のアロハまで貰いました。

 彼は「加齢してないですね」とか「刺激を受けました」と言ってくれます。だから可愛い後輩と言う訳ではないですが、やはり可愛い後輩です。

 また「本気のプレゼンテーションを見れて良かったです」とも言ってくれました。

 確かに、知り合いが本気で仕事をする場面を、あまり見たことはありません。

 私は、プレゼンテーションという言葉が苦手でした。そこに、「見せ方」というニュアンスが多分に含まれていると感じるからです。

 大学の先生は「プレゼント、という考え方でいいんじゃないか」と教えてくれました。

 見せ方というよりは、心を尽くしの包装といった感じでしょうか。

 日々のプレゼントはクライアントに、また話す相手に届いているのか。

 男の仕事場。何とも好ましい響きです。