タグ別アーカイブ: ワールドカップ

2022年 暮れは元気にご挨拶‐1969‐

今年も残すところ2日。

この「ゲツモク日記」も今年最後になりました。

最近は忘年会もめっきり少なくなりましたが、イタリアより来客がありました。

2016年の11月まで働いてくれた元スタッフのマルコです。

2014年の5月に入社試験を実施しましたが、真面目な働きぶりですぐに採用しました。

就労ビザの取得などは大変でしたが、余りあるくらい貢献してくれたのです。

イタリアではトップレベルの国立大学を卒業しており、アーキテクトの免許も持っていました。そのレベルと他の新人を比べるのは酷かもしれませんが。

今回は日本にバカンスに来ており、食事でもしようとなったのです。

アトリエ近くの焼き鳥屋さんへ。

2019年以来の再会で、2人で乾杯です。

日本語が殆ど衰えていないことにも驚きます。

彼は好き嫌いが殆どなく、日本食も大好きです。

ホタルイカの沖漬けも頼んでみましたが「美味しい!」と。

イタリアに戻って6年目の今年、ついに独立したとのこと。2人でお祝いしたのです。

互いの報告をしたり、建築談義をしていると、あっという間に3時間が経っていました。

言ってみれば同志です。今度は私たちがマルコの働くラヴェンナへ行けるとよいのですが……

そんなこんなで、私の1年も振り返ってみたいと思います。

1月 完璧ではないから‐1868‐ 

今年の年始は、木曽福島の山荘で過ごしました。

義妹家の別荘ですが、従弟同士とても楽しそう。

ブレーキの掛かった世の中はもう少しのはず。

2月 北北西に進路を取れ‐1876‐

2月に小型船舶1級へのランクアップ試験を受けました。

受験勉強はぱっとしませんでしたが、資格試験は得意です。

1級建築士の資格と同じく、独学で一発合格しておきました。

3月 第二の故郷、天王寺でブラモリタニ‐1886‐

アトリエmは1996年に天王寺にある4畳のワンルームマンションで創業しました。

あべのハルカスができ、街の雰囲気はかなり変わりましたが、変わっていないエリアもあります。

ブラタモリよろしく、ブラモリタニしてきたのです。

4月 『住まいの設計』の撮影は、セッションも爆笑も動画もあり‐1895‐

「おいでよ House」『住まいの設計』の撮影があったのが4月。

ご夫妻のインタビュー、長男君がお気に入りの場所の撮影、そして奥さんと次男君のピアノとヴァイオリンの演奏。

家族総出で頑張ってもらいました。

5月 今なら分かるこの味‐1902‐

結局家族で出掛けたのは、ゴールデンウィークの池原ダム行きだけ。

しかも受験生の長男を除いた3人で。

来年はどこか旅行へ行けるとよいのですが……

6月 躍動の50代‐1915‐

「若い建築士の方たちに、先輩として何か役に立つ講演を」ということで、大阪府建築士会で講演をしました。

売上も含めて、洗いざらい話してきたのです。

『住まいの設計チャンネル』に「おいでよ HOUSE」登場‐1911‐

『住まいの設計』に掲載された 「おいでよ House」 ですが、『ESSE-online』『住まいの設計チャンネル』でも公開されました。

7月 海に感謝する海の日‐1922‐

夏の日本海行きは、必須の行事でした。

子ども達を連れて出かけていた頃が懐かしくさえあります。

孫ができたらまた頑張ります。

8月 泉南アナゴパワー‐1928‐

長年働いてくれたスタッフが6月末で退職し、するべきことがいくらでもあります。

今後も人出不足は進む一方でしょう。

一番平和な日曜日の使い方は、半日で妻と食材を買い物に行くこと。

気分転換になる上に、食卓も賑わいます。

朝市や直売所によく出かけるようになりました。

稲盛塾長‐1935‐

盛和塾にて経営を教えて下さった稲盛和夫塾長が亡くなったのが8月24日でした。

塾長講和を聞きながら、スケッチする時間が好きでした。


心から感謝するとともに、ご冥福をお祈りします。

9月 人生初、発掘調査決定!‐1938‐

工事がスタートした音楽室のある「没頭できる家」


何と、人生初の発掘調査となりました。

現場から土器出土‐1939‐

そして、実際に古墳時代の土器が出土したのです。

10月 方違神社には方角がない?‐1948‐

何度か聞いたことがあった堺市にある「方違神社」

摂津、河内、和泉の三国の境に位置するので、方角の無い聖地であると考えられたそうです。

品格と活気のある、雰囲気のある神社でした。

11月 世界最大の祭典開幕。50億人のモチベーション‐1959‐

まだワールドカップ、カタール大会の熱気は完全に冷め切っていない感じもあります。

世界を驚かせたのが、日本代表の初戦でした。

あのドイツを、後半での逆転劇でやっつけてしまうとは……

また4年、私も頑張ります。

12月 伊勢神宮、外宮前にて‐1961‐

あちらこちらと、様々な相談を頂けるのは嬉しい限りです。

12月に入ってすぐ、伊勢へ敷地を見に行ってきました。

帰り際に、外宮を参ってきました。

楽しみな計画です。

桟あり窓にサンタがやってくる‐1963‐

「かやしまフォトスタジオOhana」は2009年に完成しました。

12年に渡り、地域の方々に愛して貰ったのですが、道路収容のため立ち退きとなりました。

そして新たに、「森のOhana」が完成したのが、今年の1月でした。

正面の窓は、全て桟ありのデザインとしています。

親しみやすい建物になったのではと思っています。

恩師である稲盛塾長のことは今回も触れましたが、安倍元首相アントニオ猪木も鬼籍に入りました。

命ある限り、何とか世の中に貢献できるよう、懸命に働くことを固く誓った1年でもありました。

今年1年、「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2023年も、素晴らしい1年となることを確信しております。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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急いで帰りたい場所がある‐1968‐

JR大阪駅を13時に出る新快速の姫路行きに乗車します。

何とか座れるくらいの乗客数。

昼下がりの緩い空気が眠気を誘いますが、仕事、仕事と言い聞かせます。

予習に励まなくてはならないので。

東播あたりまで来ると、広い平野にポツポツと山が混在する風景に変わります。

時々目を車窓に向けると、大阪平野とは全く違う景色が目を楽しませてくれるのです。

14時3分に姫路に到着。

普通に乗り換えて、14時14分に網干に到着しました。

現場まではタクシーで10分弱です。

大阪駅から1時間半で到着しました。

2階建ての立派な現場事務所が出来上がっています。

基礎工事に入る前に、まずは土留め工事からスタートしています。

定例会議は14時半開始でした。

なかなかに大きな現場なので、早く「ゲンバ日記」をスタートしなければと、多少焦っているのですが。

17時頃までみっちり打合せでした。

その後、工務店の担当者が姫路駅の南口まで送ってくれました。

周辺にタクシーが沢山走っている訳ではないので、とても助かります。

お礼を言って、改札へ向かうと「西明石から芦屋まで、現在不通で~す」と駅員の声。

更に「山陽電鉄で振替輸送中で~す」と。

駅の北口に回れば、山陽電鉄の姫路駅があります。

関西はJRと並行して私鉄が走っているので、こんな時はとても助かります。

丁度帰宅のラッシュ時で、皆あわただしく大阪梅田行きの特急に乗りこんで行きます。

クリスマスソングの中で一番好きなものはクリス・レアの「ドライヴィング・ホーム・フォー・クリスマス」。

この歌も、家路へと急ぐ情景を歌った曲でした。

当たり前ですが、急いで帰りたい場所があるから急ぐのです。それはとても幸せなことなんだなと思えました。

山陽電鉄なら大阪梅田まで1時間40分程掛かるので、1本後の特急に乗りこみました。

大阪まで帰ってきたのは20時過ぎでした。

最近旅行にも行けていないので、ちょっとした旅行のトラブル気分を楽しんできました。

寒い日が続いていますが、庭のモミジがまだ葉をつけていました。

一昨日はクリスマスイブ。

長男は受験真っただ中で帰宅は23時頃。娘は短期留学中で年末まで居らず。

18数年振りに夫婦2人だけのクリスマスでした。

ローストビーフとチキンとバケット。私の大好きなメニュー?長男が大好きなメニュー?

まあどちらのでも良いのですが。

クリスマスカラーの赤はキリストの血、緑は永遠の命、白は純潔を表すそうです。

この時期、赤と緑を目にすると心ときめくのは皆同じでしょう。

世界が平和でありますように。

急いで帰りたい場所があり、ささやかなクリスマスパーティを催せることに心から感謝します。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
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「いつも言うように、一番大切なのは家族」メッシ‐1967‐

ワールドカップのカタール大会は、アルゼンチンの優勝で幕を閉じました。

延長、PK戦までもつれ込んだので、日曜深夜というよりは月曜の早朝でした。

前半にメッシが決めれば、後半終盤にエムバペが決めて追いつくというスリリングな展開。

全く目の離せない展開でした。

延長でも、共に1点ずつ決めましたが、最後はPK戦でアルゼンチンに軍配が上がりました。

ワールドカップ以外は全てを手にいれていたと言って良いメッシですが、代表戦では思うような結果を出しきれず、非難を浴びることもありました。

ワールドカップトロフィーを受け取ってすぐ、キスをしたのです。

大会中の新聞各紙には、元サッカー選手の評論が多く掲載されていました。話の展開がスムーズで、かつ表現が多彩。

こちらも楽しませて貰いましたが、元日本代表の宮本恒靖さんはこう結んでいました。

「神の子から神になった」

MVP、最優秀ゴールキーパー、得点王の3ショットです。

この時点で23歳のエムバペは、7得点のメッシを上回る8得点での受賞。

通算得点で言えば、35歳のメッシが13得点ですが、すでにあと1点と迫っています。

ワールドクラスの怪物が、どのような次元にいるかを、まざまざと見せつけました。

その怪物には失礼かもしれませんが、愛嬌のあるルックスがなんとも可愛いのです。


最優秀若手選手も交えた4ショットです。

何かとお騒がせなゴールキーパーとの距離感が、色々なことを物語っている感じもします。

チームの中心へと歩くメッシは、飛び切りの笑顔でした。

そしてトロフィーリフト。

試合後ではこのシーンがハイライトだったでしょう。

私はここまでで切り上げ、寝室に向かいました。

「いつも言うように、一番大切なのは家族」

メッシのコメントの中で、繰り返しでてきたフレーズで、ずっと頭に残っています。

桁違いの成功をおさめてきた選手だからこそ、最高の称賛を受けることもあれば、辛辣な批判を埋けることもあるでしょう。

結果に関わらず、常に応援してくれるのは家族だけ、ということなのだと思います。

大切にしたから成功したのか、成功の過程で大切にするようになったのか、それとも、ずっと大切にしてきたのか……

決して、家族を大切にしていないつもりはありませんが、仕事より家族を優先したことは無い気がします。

それが、プロとしての誠意だと思っていました。

それでなおさらメッシの言葉を考えてしまうのです。

18日(日)の夜、ふるさと納税の返礼品の河豚が届きました。

私はちょっと我慢をして、子ども達に沢山食べさせました。

ひとまず私は、このくらいのことから始めてみたいと思います。

今は、眠たくも、楽しい1ヵ月をありがとうございました、という気持ちです。

世界最高の舞台での真剣勝負。その場に日本が登場するときはいつかやってくるのか……

夢をみながら、まずは4年後を楽しみにしています。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
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世界最大の祭典開幕。50億人のモチベーション‐1959‐

11月20日(日)にワールドカップ、カタール大会が開幕しました。

世界人口80億人のうち、50億人が視聴すると言われる世界最大の祭典です。

昨日は日本代表の初戦。

ドイツ戦でいきなりやってくれました。

祝日の22時キックオフは大変ありがたい時刻。

普段はスマホにかじりついている子供たちも、テレビの前で一緒に応援しました。

開始早々の7分。いきなり見せ場をつくります。

右サイドを、伊東が得意のドリブルで持ち上がり、中央の前田大然へ。

決まったかに見えましたが、残念ながらオフサイド。それでも日本が得意の形を見せ、期待感は高まります。

しかし前半はここからが長かった。

日本の戦術、ハイ・プレスが全く機能せず、ドイツに面白いようにあしらわれます。

まるで子供扱いで、ここまで差があるとは想像していませんでした。

ゴールキーパーの権田は好セーブを連発し、最終的にはマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるのですが、ゴール前でファールをとられてしまいます。

このPKを決められ、前半33分に1点を奪われました。

その後、追加点となってもおかしくない場面もありましたが、VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)判定でオフサイド。

優勝候補でもあるドイツに、何とか1失点で前半を折り返しました。

この時は「これは大敗するのでは」と、正直思ったのです。

森保監督がいきなり交代のカードを切ります。

後半開始から、久保に代わって怪我の心配もあった冨安を投入。

ビッグクラブ、アーセナルに所属する実力に期待が高まります。

このタイミングで3バックにシステムを変更しました。

日本代表戦しか見ないレベルのサッカーファンですが、日本人監督は基本的に動くのが遅い印象があります。

しかし、今大会の日本代表は凄かった。

続けて、後半12分に三苫と浅野を投入します。

システムの変更で得意のハイ・プレスが機能しはじめ、良い時間帯が増えてきました。

さらに後半26分に堂安、30分に南野を投入し、超攻撃的な布陣を組みます。

左サイドをイギリスのブライトンで活躍する三苫が得意のドリブルで突破。

そして南野へスルーパス。

後半30分、角度のない位置からシュート。

リヴァプールそしてモナコに移籍し、結果がでていないことに忸怩たる思いがあったでしょう。

しかしその技術は本物でした。

キーパーがはじいたこぼれ球を、尼崎の星、堂安が決めてくれました。

試合後のコメントも「絶対俺を使え!」という感じ。

このふてぶてしさも彼の魅力です。

そして後半38分。この浅野のトラップが全てだったでしょうか。

2ヶ月実践を離れていた彼を、森保監督が呼び寄せた訳です。

世界最高レベルと言われるノイヤーの、狭いニヤサイドから上に向かって撃ち抜きました。

早い交代、戦術の変更、流れの中からの2ゴールで逆転。

こんな胸のすくような試合は見たことがありません。

しかも相手はワールドカップ4回の優勝を誇る、強国ドイツです。

浅野のゴールも、ボランチ遠藤の貰ったファールからのフリー・キック1本で生まれたものでした。

ドイツ1部リーグで、対人の強さナンバーワンは伊達ではありません。

また、ヨーロッパ・チャンピオンリーグで3試合連続ゴールを決めている鎌田。

彼の実力もこんなものではないでしょう。本当に日本代表も多くのタレントが集まったものです。

日本代表は、1997年「ジョホールバルの歓喜」で1998年フランス大会で初出場を果たしました。

中田英寿のシュートをゴールキーパーがはじいたこぼれ球を、野人・岡野が流し込んだのがつい先日のようです。

私はアトリエmを設立して2年目の27歳の時でした。全く先など分からない、ただ夢しかない自分の人生を重ね合わせていた気がします。

名曲に人生の一場面を投影するように、50億人のサポーターもこの大会に人生を投影します。

それが年輪のように刻まれ、後の人生のモチベーションとなるのです。

ただそれは名曲でなくてはなりません。最高の試合を日本代表が見せてくれました。

次のコスタリカ戦でグループリーグ突破を決め、もう1本、深い年輪を刻ませて欲しいものです。

頑張れ日本代表。そしてそれ50億人。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
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サッカーとワールドカップの魅力‐1497‐ 

 火曜日は多くの人と同様に、早朝3:00に起きました。

 前日は21:00に寝たので睡眠は6時間。準備万端です。長男は定期考査中にも関わらず、4:00起きで後半から一緒に応援しました。

 結果と内容は私が書くまでもありませんが、本当に惜しい、悔しい試合でした。

 優勝候補の一角で、FIFAランキング3位。フランスとオランダ、ドイツに挟まれた人口1100万人のベルギー。チョコレートとビールで知られ、東京都民より少ない国民の代表は、史上最強の呼び声通り本当に強かった。

 多くの選手がプレミアリーグ等のトップチームで主力を張り、それが控え選手までに及んでいるというチームです。

 日本も、控えに本田圭佑がいるという時代になりましたが、層の厚みは明らかに違いました。

 4年掛けて準備し、成熟してきた、史上最強の代表チームに、2ヵ月前に監督が交代し、戦術が変更された日本が、ここまでやれたことは、奇跡に近いのではと思います。

 もしこのワールドカップを戦った主力メンバーが、より多くの時間を共有し、その関係をより成熟させていたなら……

 「たら」「れば」を積み重ねても仕方がありませんが、和を尊ぶがゆえ、決断が遅くなるという傾向を、日本サッカー協会と私たちは理解しておく必要がありそうです。

 香川、柴崎、吉田、昌子と多くの功労者が居る中でも、乾のインタビューを聞いていると、本当に真面目なんだろうなと感じます。

 そして、やはり努力は報われるんだと思えます。

 本気の本田圭佑の言葉が聞けなくなると思うと、寂しい限りですが、中田英寿が引退した時とはまた違う印象もあるのです。

 それぞれが、4年先を見据えてまた高みを目指して頑張って欲しいし、私たちも日々頑張らなければと思えます。

 サッカーというスポーツが、なぜこれだけ多くの人たちを魅了するのか。またワールドカップに熱狂するのか。

 裸足でもボール1つあれば出来るこのスポーツは、多くの人に平等に機会を与え、また差も与えます。

 極めて単純なルールの中でも、人類の進化にとって最も重要だった手の使用を禁じたことが、最大の要因でしょう。

 元日本代表監督だった、イビチャ・オシムはこう言っていました。

 例えば日本人はバスケットボールでは、アメリカのレベルに達するのは難しいだろう。

 それは現時点で日本人が体格的に劣るからだ。

 しかしサッカーは違う。

  サッカーなら日本人にも不利なく戦える。

 また、日本が目指すべきところについてはこう語っていました。

 いつも自分の家に帰りなさい。

  必ず他の場所へ行けばいいというものではない。

 自分の家に帰って、もっと自分のこと、つまり日本のことをもっと考えるべきなのだ。

  欧米でのテレビやドラマをみて海外に憧れをいだくかもしれないがそれはよくない。

 模倣すれば模倣以上のものは生まれないからだ。

 極めてシンプルであるからこそ、工夫と哲学を必要とするスポーツが、オシムという思想家を育くむのでしょう。

 この哲学は、前回書いた明治、大正の思想家、岡倉天心の言葉とほぼ同じです。

 「4年後も目指す」と宣言した、岡崎のパーソナルトレーナーは、同じ番組内でこう語っていました。

 彼は、オリンピックの400mリレーで、6位入賞の経験がある生粋のアスリートです。

 サッカーでなければ、通用しない。

 それ程、元々の身体能力が高かった訳ではなかったという意味です。

 しかし、地道なトレーニングによって、2年前にプレミアリーグでの優勝に大きく貢献する選手となりました。

 それが起こり得るのがサッカーです。

 人は生きるために闘争本能を持っています。武器を使わない戦争の言葉通り、国と国の威信をかけた真剣勝負に人は魅了されます。

 選手はリスペクトしあえる仲間と、頂点を目指して戦うこと以上に達成感のあることはないでしょう。

・元々の能力より日々のトレーニング。

・個の能力だけでなく、チームとしての総合力。

・同じ目的を共有できたとき、最高のパフォーマンスが発揮される。

 こう並べると、日々の仕事と全く同じです。サッカー=仕事と置き換えても何ら問題ありません。

 更に、その目的を最も高い位置に設定すれば、ワールドカップを目指す、ナショナルチームと同じになります。

 仕事も、サッカーも、プライベートも、どこにも境界などありません。

 それをつくっているのは、いつも自分の小さな都合だと思うのです。

 先日訪れた、京都国立近代美術館にはピカソがありました。

 折角やるなら世界一。

 折角見るなら、本物を見るべきです。

 本当に良いものを見せて貰いました。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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