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六甲アイランドに、ローマと香港を見る‐1897‐

4月の2週目、久し振りに六甲アイランドへ行く用事がありました。

学生時代は、甲南大学のスキー部にお世話になっていたこともあり、かなり頻繁に訪れていました。

体育会用のトレーニングジムがあったのです。

六甲ライナーで来たのは初めてかもしれません。

浅瀬をみつけると魚を探してしまうのは釣りキチの性。

実際にボラが群れていたのですが、なぜかワクワクするものなのです。

アイランドセンター駅周辺は、巨大な建物が集まっていました。

中央にアトリウムを備えている建物が多かったのも面白いところ。

丸い天窓を切っているところまで同じでした。

本家本元と言えば、ローマのパンテオン神殿です。

ローマと言えばコロッセウムがアイコンと言えます。

しかしパンテオンは見逃せません。

直径9mの天窓から、日の光が差すさまは圧巻です。

約2000年前にこの天窓を実現したことに驚かされるのです。

駅の少し北に建つ「アジア・ワン・センター(1993年)」は竹中工務店の設計施工。

この建物を見ると「香港上海銀行ビル(1986年)」を思い出します。

香港は2019年の10月に訪れました。

「サー」の称号も持つノーマン・フォスター設計です。

ビクトリア・ピークから見る100万ドルの夜景。

その中でもひときわ目立つのが、I・M・ペイ設計の「中國銀行ビル(1990年)」。

その近くにひっそりとたたずんでいるの が「香港上海銀行ビル」。

写真の左下に写っています。

ザハ・ハディド設計の「香港理工大学(2014年)」も必見。

もう建築パビリオンのような街でした。

ただ、香港の本当の魅力は街歩きだと思います。

そして食べ物

まずは「鹿鳴春」の北京ダック。

そして、ブルース・リーの主演映画「死亡遊戯」の舞台にもなった南北樓(ナンペイロウ)のエビチリ。

もうどちらも絶品でした。

今も、あの肉厚のエビの触感と甘辛さが舌に蘇ってきます。

バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」ファンの私としては、香港はどうしても訪れたい街でした。

しかし、犯罪容疑者の中国本土へ引き渡しを認める「逃亡犯条例」に対する抗議活動が、この年の7月頃から激しくなってきました。

海外への旅で、無用に危険を冒すことは愚の骨頂ですが、もしかすると最後のタイミングかもと思ったのも事実です。

それが戦争までが実際に起こってしまうとは……

「芸術とは、人の心を動かすことができるもの」という定義を信じています。

美しいものを見たり、人は全く違うと感じたり。反対に、人は本当に違わないと感じたり。

そういった体感が、人の心を育てるのだと思っています。

人も、物も、体感も、自由に行き来できる世の中に、本当に早く戻って欲しい。

ひとりの旅好きとして、切に願うのです。


■■■ 『ESSE-online』にコラム連載■■■

4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■ 8月17日『建築家・守谷昌紀TV』を開設

■■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞■

■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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イタリアとスペインの旅① <ローマ編>

 長い夏季休暇を終え、月曜から仕事を再開しました。

 今回の休暇中、12日間で7都市を回りました。明治維新までは国と言う概念が希薄だったように、古代では都市国家という考えの方が、自然だったのは容易に想像できます。

 それぞれの都市ごとに感じた事を、順にUPして行きたいと思います。まずはローマ。

 8月9日(木)の昼に関空を発ち、夜の7時にローマのフィウチミーノ空港に着きました。フライトは13時間。

 空港バスでローマ市内に入ったのは夜の9時頃です。

 全ての道はローマに通ず。そんな言葉が頭に浮かんできます。ファーストコンタクトというのは兎に角興奮するものです。

 写真はブレていますが、気持ちは入っています。

 初日、2日目の宿は、ローマの中心、テルミニ駅のすぐそばに取っていました。非常に便利が良かったのですが、夜の騒々しい事。

 私は耳栓を持っているので事なきを得ましたが、妻は寝不足気味でした。

 翌日は朝から、2階建てバスに乗って市内を回ります。

 初めのに行ったのはトレヴィの泉。

 世界の旅行者と同じく、私達も再び訪れたいと願うのです。

 ナヴォーナ広場に移動して、ひとまず昼食。

 ミナミでお好み焼きを食べているようなものなので、どんな店なのか全く分りませんが、ピッツァは十分美味しかったのです。

 気温こそ30℃を超えていますが、湿気の無い事がこれほど気分の良いものとは。

 日影に居れば本当に心地よいのです。

 ローマで一番見たいと思っていたのは、パンテオンでした。

 118年にハドリアヌス帝が再建したとあるので、1900年前とほぼ変わらぬ姿がそこにあります。

 天井最上部に空いた天窓は直径9m。

 そこから落ちる光は「全ての神の神殿」に相応しい、静謐な空間を醸し出していました。

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 その後は、ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場へ。

 ヴァティカン市国は世界最小の国で、カトリックの総本山です。

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 その東にあるサンタンジェロ城は、ハドリアヌス帝の廟として建造されたもの。

 しかし、サン・ピエトロ寺院と城壁で繋がっているのです。

 その城壁の上部には秘密の通路があります。

 非常時にここを通り、逃げ延びた教皇が実際にいるのです。流石、世界の中心は違うなと思います。

 ヴァティカンに来た本来の目的は、博物館にあるシスティーナ礼拝堂を見る為。

 ミケランジェロの最高傑作と言われる壁画「最後の審判」があります。

 写真不可なので画像はありませんが、薄暗い中にあるその絵の大きさと、反対にその細密さに、しばしその場で佇んでいました。

 ミケランジェロは若いころ、顔を殴打された際に鼻梁が曲がってしまい、そのコンプレックスが彼を創作に向かわせたとも言われています。

 その彼の最高傑作とは。ぜひとも見ておきたかったのです。

 初めて来た家族での海外という事もあり、独り旅と同じようには行きません。

 今回はコロッセオで終わりだなと歩いていると、ガイドブックがない。黄色の頼りになるヤツ「地球の歩き方」を、バスに忘れてしまったようなのです。

 すぐに次のバスに乗り、乗務員に私の怪しい英語で事情を説明しました。何とか通じたようで、営業所なのか、電話をしてくれました。

 横で待っていると、別の乗務員が営業所に持ち帰ってくれるとの事。ホッとしました。

 宿に帰ったのが夜の9時頃。こうして初ローマは終わったのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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