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白の上の白‐1423‐

 先週、当社のwebサイトをリニューアルしました。

 webサイトの第一弾は2003年に製作しました。

 こだわりの家を建てたい人、違いのある空間を持ちたい人が知りたいと思う情報を、できる限り発信してきたつもりです。

 そのかいあって、多くの人に訪れてもらいました。

 しかし時代の変化は早く、1年程前だったか「ボタンが近すぎて使い難い」と検索サイトから忠告をうけました。

 スマホからスライドショーが見れないなどの課題もようやく解消できました。まだまだ改善点はありますが、ひとまず一段落です。

 ファーストモデルのデータはもうありませんが、マレーヴィチの「白の上の白」という絵をモチーフにしました。

 この白をグレーの表現に変え、正方形をひし形にデザインし、トップページとしました。

 当時、ロシア構成主義の画家が1918年に発表したこの絵がとても気になっていたのです。
 
 私にとって洋画のスタートはミレーだったように思います。

 母に連れられ、展覧会をまわりましたが、小学生ながら、ミレーの絵には他を圧倒する、静けさ、敬虔のようなものを感じました。

 初めて観たのは「種をまく人」だったと思います。

 その後、ゴッホ、モネ等の印象派などを知り、シャガール、クリムト、ムンクなどが気になり始めます。

 徐々に興味が抽象画に傾きはじめ、モンドリアン、そしてマレーヴィチを知るのです。

 さらに近代へ。

 アンディー・ウォーホール、リキテンシュタインとポップアートに触れます。

 これは 1960年、イブ・クラインの作品。

 この青一色の絵画は純粋精神としての非物質=空虚をしめしているとされます。

 書家、陶芸家、そして画家でもある北大路魯山人はこういっています。

 傑作と凡作との間は紙一重の相違である。

 しかし、この紙一重がなかなか破れない。

 人物の値打ちだけしか字は書けるものではない。

 字というものは、人物価値以上に光らないものである。

 60年代のパリで、クラインが描いた青だから意味があるのです。

 初めにあげたマレーヴィチは、幾何学の中で正方形を最も純粋なものと考えていました。

 彼も徐々に抽象画へと移行していった画家ですが「白の上の白」を描いたあと、この道をこれ以上進むことはできないと自覚し、1920年代には具象画へと回帰しました。

 そこまで突き詰め、終着点となった絵だったのです。

 紙一重をつき破りたい。

 その紙がどこにあるのかは分かりませんが、いつも思っていないと見つけられないはずです。

 もう一度、魯山人の言葉を引きます。

 途方もない考えがなくては、途方もない結果はない。

 必ず実現したいと思うのです。