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フィンランドの旅② <アアルトと近代・現代建築編>‐1300‐ 

 前回は8月12日(木)の夜、フィンランド第2の街、タンペレに着いたところまで書きました。

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 8月13日(金)の朝、タンペレを発ったのですが、駅前通りには前衛的な建築物がありました。

 用途は分かりませんが、フィンランドにはこのような自由な空気があります。

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 髪の毛を、ピンク、グリーン、オレンジに染めている女性を沢山みました。

 良いか悪いかは別にして、タトゥーや全身にピアスを付けている若者が、とても多いのです。

 1時間半ほど電車に乗り、9時半頃ポリという街に到着しました。目的はアアルトの代表作、「マイレア邸」に行くため。

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 この日は残念ながらかなりの雨でした。

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 前日、セイナッツァロのタウンホールで会った、26歳の青年とも電車で再会しました。

 また、大分から来たという女性2人も同じ電車で、タクシーをシェアすることにしたのです。

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 「夏の家」は名作に多い、「小さいな」という印象でした。「マイレア邸」は全く逆。豪邸でした。

 1939年の完成なのでアアルト初期の代表作と言えます。

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 ガイドツアーを予約していたので、1時間程時間がありました。

 本降りになってきたので、この有機的なフォルムをしたポーチで、旅や建築の話をしていたのです。

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 玄関の小窓は繊細なデザインです。

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 いよいよガイドツアー開始で、ドアが開きました。

 玄関すぐにあったトップライトを撮りましたが、内部の撮影は不可とのこと。

 マイレア邸は、現在も実際に暮らしており、人が居ない時だけ公開されているようです。

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 正直、とても残念でしたが、絵画も、カンディンスキー、ブラック、ミロと本物が飾られ、見せて貰えるだけで有り難いと思わなければなりません。

 しかしやっぱり残念。

 この日は、ヘルシンキまで3時間半掛けて電車で戻ったのです。

 8月14日(土)も朝から雨で、昼からヘルシンキ市内を回りました。

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 市内西部にある、テンペリアウオキ教会は、岩をくりぬいて建てられて教会で「ロックチャーチ」と呼ばれます。

 スオマライネン兄弟の設計によって、1969年に完成しました。

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 内部は圧巻です。

 特別なしつらえなど無くても、岩の壁に囲まれ、全周から光が差し込めば、荘厳意外の言葉が見当たりません。

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 お椀のような屋根の周りが、360度トップライトになっているのです。

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 それを支えるのは、よく見ると薄い鉄筋コンクリートでした。

 あまりの薄さに目を疑いましたが、近代建築の粋を集めた空間と言えるでしょう。

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 市内中心部にも、現代建築の教会があります。

 カンピ礼拝堂は、設計事務所K2Sの設計で2012年に完成しました。

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 内壁、外壁とも木でできており、ロック・チャーチとは対極の素材です。

 しかし、コンセプトは非常に似ています。

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 何かを付け加える訳でなく、徹底的に削ぎ落としたデザインです。

 例えば、ミラノのドゥーモの装飾をみて、凄いと言わない人は居ません。反対にシンプライズされた建築には、様々な解釈が可能です。

 日本でも国立競技場の騒動があったように、多くの批判も起り得ます。

 2つの教会も、おそらく賛否両論があったでしょう。

 その中で、こうして実現に至っていることに、この国のデザインに対するキャパシテーを感じるのです。

 現在でも誕生100年という若い国で、北欧デザインの先駆者として活躍したのが、アルヴァ・アアルトに他ならないのです。

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 そのアアルトを巡る旅もいよいよ最終日になりました。

 残すはアトリエと自邸だけ。郊外の高級住宅街まで、トラムで20分程でした。

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 1956年完成のアトリエが見えてきました。

 私の心をもてあそぶように、曇ったり、晴れたりの一日でしたが、何とか日が差してくれました。

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 私にとっては一生に一回かもしれないアアルト巡礼なのです。

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 現在でも、アアルト基金の人達がこの製図室で働いていました。

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 当時はT定規。私にとっても懐かしい製図道具です。

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 そして、庭に対して湾曲した壁をもつアトリエは、羨みたくなるような空間でした。

 「ここで働いたら、いい仕事ができるだろうな」と。

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 誇らしげにアアルトデザインの照明が。

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 木製の模型もありましたが、この大きなプロジェクトになると、アトリエ一杯の模型が作られたようです。

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 ペンキ補修をしているお姉さんはご愛敬として、円形の庭へ目線が誘われます。

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 所員と家庭的な付き合いを望んだアアルトは、この中庭を屋外劇場として様々な用途に使ったそうです。

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 そして最後は、1935年完成の自邸です。アトリエから歩いて15分程。

 レンガの質感がすけるような白のペンキ仕上げは、アアルトの好んだ表現です。

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 アトリエが出来るまでは、ここが仕事場も兼ねていました。

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 アアルトが実際に、家族4人で暮らしたリビングです。

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 どう表現すれば良いのか、アアルトの優しさが溢れています。

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 建築、家具、照明等、彼の手に掛かれば、優しく、可愛げに、形を変えていきます。

 しかし決して過剰ではないのです。

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 長く、暗い北欧の冬を楽しく過ごすため、家具はカラフルにデザインされました。

 アルネ・ヤコブセンのアンツチェアやセブンチェアに代表されます。

 また光源が目に入らず、食べ物が美味しく見え、かつ部屋が明るくなるようにデザインされがのがPHランプ

 ポールヘニングセンの作品です。共にデンマーク出身。

 フィンランドはヨーロッパの北東端にあり、現在でも、国民は500万人程です。

 様々な国に支配された歴史もあり、誤解を恐れず書けば、弱小国家と言えます。

 その小国から、ヨーロッパ、アメリカと世界に影響を与えた、国民的デザイナーは皆の希望の星だったはずなのです。

 アアルトは、建築においては世界最高レベルにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)で教員を務めたことがあります。

 しかし、最終的にはヘルシンキに戻ってきます。勝手な想像ですが、アメリカの空気、もっと言えばコマーシャリズムに合わなかったのではと思っています。

 優しさ、フィンランド、キャンティを愛したのがアアルト。とにかく空間が暖かいのです。

 この旅で一番感じたのは、目だった産業がある訳ではない、フィンランドのデザインは、日本の本気度をはるかに上回るものだと言う事です。

 もし、日本経済の裏付けがなかったとしたら、日本人建築家がここまで活躍できたのだろうかとも思うのです。

 そして、私がアアルトの空間が本当に好きなのだと確認できました。好きすぎて、最長の日記になってしまいましたが。

フィンランドの旅① <ヘルシンキ、ユバスキュラ編>‐1299‐ 

 8月11日(木)の現地時間の午後6時頃、ヘルシンキに到着しました。

 日本との時差はー6時間です。

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 飛行機からみれば「森と湖の国」は一目瞭然でした。

 山地のない風景は、私たちにとっては新鮮な景色です。

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 夜の長い北欧は夕方とは思えない明るさでした。

 ヴァンター国際空港から電車で30分ほど。ヘルシンキ中央駅に到着しました。

 駅舎は1919年、エリエル・サーリネンの設計です。

 旅行者を初めに迎えてくれるのはいつも中央駅。その街の印象として強く残るものです。

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 ヴォールト屋根のオーソドックスな様式ですが、それゆえ、100年の歳月を感じさせません。

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 チェックインの前に、さっと街中を歩いてみました。

 ヘルシンキの建築は、中世、モダニズム、現代建築が入り乱れています。

 歴史的には、ロシアやスウェーデンに統治され、ナチスの侵攻を受けたこともあります。

 1917年のロシア革命の際に念願の独立を果たした、非常に若い国なのです。

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 また、寺院建築もロシア正教のウスベンスキー教会。

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 ルーテル派のヘルシンキ大聖堂と多様です。このあたりも、歴史の痕跡と言ってよいでしょう。

 しかし、街から混沌とした印象は受けませんでした。

 結論を先に言うと、北欧のデザインに対する考え方が、非常に高いのだと実感しました。

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 アルヴァ・アアルトの作品からも見てとれます。

 中央駅を南に下るとすぐにある、1969年完成のアカデミア書店。隣両隣には、前時代の建築が建ちますが、違和感はありません。

 高さを合わせるだけではなく、美しく、優しいのです。

 西ヨーロッパの街並みが、保存を基本とするなら、共存を求めるのがヘルシンキの街並みだと感じました。

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 アカデミア書店にはトップライトが3つあり、下に向かってガラスが張り出しています。

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 冬が長く暗いため、光を求める工夫がいたるところになされているのです。

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 2階には彼の家具が使われている、カフェ・アアルトがありました。

 この日はここまでにして、ホテルに戻ったのです。

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 8月12日(金)は早朝から電車で、アアルト故郷、ユバスキュラを目指します。

 ユバスキュラはヘルシンキから北に300kmほどで、電車で3時間半。

 この街にはたくさんのアアルト作品が残っています。

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 まずはアアルト美術館。

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 内部は彼のデザインした家具の製作工程などが展示されていました。

 ここから次の目的地まで、路線バスに乗って30分ほど。

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 セイナッツァロのタウンホールに着きました。

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 本当に素晴らしいものでした。

 特に議会場は今まで経験したことのないものでした。

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 レンガのみで構成されて空間が、こうまで美しいものかと。

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 また、「ルーバーとは光源を見せずに柔らかい光を演出するためのものなんだよ」と語りかけてくるようです。

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 久しぶりに、夢中でシャッターを切ったのです。

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 そこから更にバスに乗って10分。湖のほとりを走ると「夏の家(コエタロ)」に到着しました。

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 25年前から、写真集では何度も見てきたこの作品。

 アアルトが夏を過ごす別荘として設計された、実験住宅なのです。

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 その証拠に、レンガ、タイルなど、様々なパターンで壁面が構成されています。

 私が設計したSpoon Cafeで、濃い青のワンポイントを入れたのは、この影響かもしれません。

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 この空間の上部に、中2階のような彼のアトリエが見えます。

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 吊り構造になっているため、柱がないのです。

 この床を持ち上げる軽やかなディティールも、何度も写真で目にしたもの。やっと本物を見ることができました。

 この技術自体は、全く難しいものではありません。しかし、実現するかは全く別の話です。

 松葉のような吊り柱が、床梁を挟み、吊り上げているのですが、僅かに隙間があるのが印象的でした。

 「隙間があってもいいんだ。挑戦することが大事なんだ」と、再び巨匠の声が聞こえてきます。フィンランド語はわかりませんが。

 納得、満足、反省など、複雑な気持ちで再びバスでユバスキュラの駅に戻ったのです。

 翌13日(土)は、「マイレア邸」のあるポリへ向かいます。

 ポリはフィンランド西端の田舎町らしく、中間点にあるタンペレで一泊することにしていました。

 駅のチケット売り場で、「窓際の席はあるか」と聞くと「とんでもない、乗れるかどうかわからない」のような感じなのです。

 「どんな席でもいいから」というと、何か言っているのですが理解できず、「問題ない」と伝えました。

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 どうもペット専用席だと言っていたようです。

 若い女の子のペットの彼と、なぜか2時間半向かい合わせの旅に。別に嫌な訳ではないですが。

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 タンペレはフィンランド第2の都市で、工業都市でした。

 サイナッツァロでもそうでしたが、煙突の多くがレンガで出来ています。

 この高さをレンガだけで作るのは難しいはずなので、おそらく鉄筋コンクリートの上に貼っているのだと思います。

 それでもレンガか、そうでないかでは全く印象が変わります。

 デザインといえば、実用的ではなく、コストがかかるものという印象が、日本にはまだ強く残っている気がします。

 しかし北欧では、テキスタイル(織物)であれ、家具であれ、建築であれ、美しくあるべきだという思想が、かなり強いのではないかと思います。

 その大きな理由がやはり、風土気候にありそうです。

 今回はここまでにして、続きは木曜日に。

最後の巨匠に触れる‐1298‐ 

今日から夏季休暇で、10:35の飛行機でフィンランドへ行って来ます。

フィンエアは国旗と同じ白と青の機体。青は湖や池、白は雪を表します。

フライトは約10時間。日本から一番近いヨーロッパとありました。

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フィンランドは北緯60度以北にあり、気温は最高気温が20℃くらいのようです。

日本で言えば3月くらいの感じでしょうか。このあたりは行ってみないと正直ピンと来ません。

フィンランド人は自分達のことを「スオミ」と呼ぶそうです。フィンランド共和国の別名はスオミ共和国。

スオミは湖や池を指します。国土の68%が森林、10%が湖沼や河川、8%が耕地。その名の通り森と湖の国なのです。

アイスランドに次いでの世界最北の国、消費税は概ね24%、ユーロが使えること位は調べましたが、それ以外は正直全く分かっていません。

私にとって、残された最後の巨匠、アルヴァ・アアルトの建築に触れるのが目的です。

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フィンランドの国民的建築家、アアルトの建築がどれだけ私に影響を与えたかは以前書きました。

彼はワインをこよなく愛したそうで、お気に入りはキャンティー。彼の建築が好きなのですが、それを知り、さらに親近感が湧きました。

私もワインはキャンティが一番好きです。ルビーのように色が美しく、飲みやすいが味わいがある。私が目指す建築もこのようなものかもしれません。

「これと、これと、これが見たい」と妻に伝え、ホテルを予約して貰いました。

その道中にある街をみるのも楽しみですが、行き帰りの飛行機が分かっている程度で、正直どこに行くか、もう一つ分かっていません。

ギリギリまで働き、飛行機の中で旅先の猛勉強。大体いつもそんな感じですが、今までで一番準備ができていないかもしれません。

それでも、知らない街におり立てるだけで良いのですが。

15日が月曜日で、現地からUPする予定です。良ければのぞきに来て下さい。

建築の敵‐1238‐

 今年の冬は暖かいと思っていたら、急に寒くなってきました。

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 それでも、関西のスキー場には厳しい状況が続きますが、標高のあるびわ湖バレイだけが健闘中のようです。

「滋賀の家」へ向かう東岸から、頂上付近、わずかに雪が見えていました。

 先週の取材の際、撮り忘れていたアングルを何枚か撮りました。主には吹抜けに面したセカンドリビングからのカットです。

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 吹抜けのハイサイドから、丁度、土塁上のヒノキが目に入ります。ここからの景色がとても良いと、クライアント、監督から感想を貰っていました。

 敷地が大きいので、建物の奥行きが薄く、どこからでも自然が目に入ってくるのです。

 建築の役割は、人間に自然のよい影響を全て与える装置として働くことであり、またそれは、人間を自然と建物が作り出す環境に現れる全ての悪い影響から保護することである。

 1898年、フィランド生まれの建築家、 アルヴァー・アアルトの言葉です。

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 1953年に完成した「夏の家」は彼の別荘。

 実験住宅「コエタロ」とも呼ばれるように、色々な実験がなされた面白い住宅です。

 今も好きですが、若い頃は、今以上に影響を受けていました。

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 1998年に完成した私とっての3作目。「Spoon Cafe」は、アアルトの空間を意識してデザインしました。

 特別な仕掛けがある訳ではないが、来訪者が主役だという気持ちは、強くもっていました。

 アアルトのエッセイ集はなかなか面白いのです。

 『不動産投資家』は建築の敵No.1だと言います。更に、手ごわい敵は、『建築経済性の理論』であり、普通「どんな形の家が最も経済的か?」と語れていると言っています。

 もし5階あるいは8階建の家を建てたとすると、その質問は「建物の奥行はどのくらい?長さは?持家を持ちたいと望んでいる人々に一番安く建ててやる方法は何か?」というようなものだ。

 もちろん、これを科学と呼ぶことができるかもしれない。しかしそうではないのだ。

 答えは全く簡単だ。一番奥行の深い建物ほど安い。それは明らかなことだ。さらにいえば、非人間的な家ほど安い。

 つまり、われわれのもっている一番高価な光は日光で、それを全部捨て去ればずっと安い家ができるというこいとである。

 すべての中で一番高価ものは新鮮な空気である。なぜなら、それは空調だけでなく都市計画の問題だからである。人間のための新鮮な空気は何ヘクタールもの土地、良い庭、森や草原や道路に値する。

 光と風=新鮮な空気と位置づけ、最重要視して設計をしてきましたが、新鮮な空気こそが最も価値があるとは、アアルトの視点は、かなり高いところにあります。

 しかし、建築の敵とは思い切った表現ですが、これに賛同したことで、私に投資家かからの仕事はこないかもしれません。

 真意が分かって貰えればそれで良いのですが「誰のため」「何のため」がぼやけてしまう原因に、経済性という言葉がちらつくケースは本当に多いと思います。

 勿論、経済性を無視するという意味では全くないのですが。

 真の建築は、その小さな人間が中心に立った所にだけ存在する。

 何とも表現しにくいが、なぜか良い。私にとってアルヴァー・アアルトはそんな建築家ですし、目指すところでもあります。

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