連日紙面をにぎわす「大阪駅前地下道」の立ち退き問題。
村野藤吾デザインの換気塔を横目に、地上の工事は滞りなく進んでいるようです。
梅田換気塔は1963年の作品で、有機的なフォルムをステレスで表現しています。
遊び心漂う作品ですが、同じく紙面を賑わしている新国立競技場とは一線を画します。
この押さえのきいた表現は、日本人のみに分るものなのか。そのあたりはザハ・ハディドに聞いてみたいものです。
あたりから、東の路地に入ると「ごて地蔵通り」という看板が見えます。
突き当たりにあるのが「ごて地蔵」。
昭和の初め頃、梅田界隈で悪病が流行した。不動時の住職が「この地に埋没放置されている地蔵尊がある奉祀せよ」とのこと。発掘し、誰かの庭に奉祀すると災いは収まった。
しかし、ここは梅田の一等地。街の移り変わりも激しく、地蔵さんの場所が変わるたびに災いが起こった。
最終的には曽根崎警察が預かることになったが、昭和48年の建替え工事の際、この地に祭られることになった。
何か起こるたびに「お地蔵さんまたごててはる」からごて地蔵となったとか。
今回の立ち退き問題は、阪神百貨店建替えにともない発生した話ですが、色々な立場、思惑が見えてきます。
紙面からの情報によると、地下道拡幅は市の計画としてあったようです。それが、今回工事にともない、民のお金で実行するという機会がやってきました。
家賃が安すぎる。適正な競争が行われていない。いや、市のほうにも誤解があったなど。二転三転、様々意見が聞こえてきます。
スナックパークに続いて、愛用の立ち食い蕎麦まで無くなるのは寂しいですが、「ごねてる感」があるのは否めません。
「ごねる」は御涅槃(ごねはん)から来たもので、本来は死ぬという意味だそう。
思い通りにしろと文句をつけるが「ごてる」で、混同、誤用されていることが多いのです。(ここでも間違って使っているのですが)
先週末、子供と釣りに行く際、塾が遅いので、天王寺まで迎えに行きました。
塾終りでピックアップし、そのまま出発。私が子供の頃より、圧倒的に長い時間、勉強しています。
それでも、成績を見て一喜一憂。ダラダラしていると文句の一つも言いたくなりますが、頭が下がる思いです。
若い時の苦労は買ってでもしろと言うのに、大人になると、ちょっといい条件を取り上げられそうになると、ごねる。
ずっとチャンスなどあり得ませんし、ピンチが無くて成長できる程、人は強くないと思うのです。
ごてて、ごねると死に至る。
そうならずに良かったですが、祠の一つくらいはあっても良いかもしれません。