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墓参りと讃岐うどん、毎日一つは楽しみを‐1371‐

 長らく墓参りにも行けておらずで、岡山と香川へ行ってきました。

 父の郷里、倉敷市の児島は繊維産業で栄えた街です。

 その街の小高い山の上に祖父母の墓があります。

 山陽というくらいなので、南に見下ろす瀬戸内海の景色は素晴らしいものがあります。

 材木商で財をなした祖父と、50歳で胃を全摘出したにもかかわらず、晩年まで驚くほど元気だった祖母

 ともに93年の生涯でした。

 母の郷里まんのう町は、海上交通の神様、金刀比羅宮のふもとにある街です。

 NHKのブラタモリでも「こんぴらさん」が取り上げられていました。

 年間300万人が訪れるというこんぴらさんですが、平坦な讃岐平野の中にぽつんと盛り上がった象頭山(ぞうずさん)の中腹にあります。

 海からでもよく見えることから、海上交通の神様として祭られてきたのです。

 そのこんぴら参りのために敷かれたと言ってもよい琴平電鉄。地元では「ことでん」と呼ばれています。

 その線路の近くに墓地はあります。

 とにかく真面目だった祖父は87歳で、一番怒られ、可愛がってもらった祖母は91歳で亡くなりました。

 長男の進学も含めて、報告してきました。

 墓地のまわりでは、麦が青々とした穂をつけています。

 小麦、塩田、いりこ出汁、醤油などが揃うこの地が、うどんの産地になったのは必然です。

 今回はすぐ近くにある、元祖ぶっかけの「山下うどん」へ行ってきました。

 味噌で食べるおでんと、てんぷらをつけて4人で2千円ちょっと。安くて美味いのが讃岐うどんなのです。

 田植えをするまでのあいだ、赤紫の花をつけるのがレンゲソウ。

 土を肥えさせるため、種がまかれたものです。

 娘はレンゲソウを知らないというので、何本か摘んできました。

 昭和50年代、学童教室など無い時代で、長期休暇はずっと岡山と香川で過ごしました。

 雨の少ない瀬戸内海気候の香川。農業用水は大変重要なものですが、とても綺麗なのは、水を大切にしてきた表れかもしれません。

 大阪生まれの大阪育ちですが、これらの景色も私の原風景です。

 一日一善ということばがありますが、毎日、何か一つ楽しみがあれば日々に張り合いがでます。

 日常でも、旅先でも全員が楽しめるということは結構心掛けて、計画を立てます。

 子供も大人も喜べる讃岐うどんは、墓参りといつもに対になっているのです。

 墓参りのあとでちょっと締まりませんが、2004年からコツコツと通った6店を以下に貼っておきます。

 香川へ行く際は、よければ参考にして下さい。

 讃岐うどん名店めぐりⅠ ひやあつの「やまうち」
 讃岐うどん名店めぐりⅡ 元祖ぶっかけの「山下」
 讃岐うどん名店めぐりⅢ 釜揚げの「長田」
 讃岐うどん名店めぐりⅣ 元祖しょうゆうどんの「小懸屋」
 讃岐うどん名店めぐりⅤ 純手打ちうどん「 よしや」
 讃岐うどん名店めぐりⅥ かまたまの「山越えうどん」

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【News】

■3月25日『大改造!!劇的ビフォーアフター』朝日放送(ABC)「住之江の元長屋」再放映■
■10月29日『住人十色』毎日放送(MBS)「松虫の長屋」放映■

『建築家カタログ2016』8月29日発売に「遠里小野の家」掲載
『住まいの設計07・08月号』5月21日発売に「松虫の長屋」掲載

『homify(中国)』4月9日「住之江の元長屋」掲載
『homify(韓国)』1月18日「柏の家」掲載
『homify(韓国)』1月17日「細工谷の家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

およそ65年

 先週の木曜日、大正6年(1917年)生まれ、父方の祖母が亡くなりました。

 お通夜には間に合わず、週末の告別式からになりました。岡山県の児島まで、大阪から、車で2時間半です。

 祖母は愛媛県岩城島の出身で、この街に働きに出て来ました。そこで、5年前に亡くなった祖父を紹介され、結婚したのです。

 2人は戦争前に結婚。その頃、祖父は三井造船で船大工として働いており、戦争には行かずに済みました。次男だった父は戦時中の昭和20年に生まれたのです。

 終戦後はこの地で、材木屋を始めました。商売は上手く行ったようで、住居とがつながる店は今も残りますが、結構な大きさです。自分の趣味である、果樹園をするための裏山も持っていました。

 祖母は、3年前に足を骨折するまで、考えられないくらい元気でした。5年前、妻と墓参りに帰った時には、サンダル履きで、花と水を持ち、裏山への坂道では、妻の足元を心配してくれるほどでした。

 しかし、苦労も多かったと思います。商売が上手く行った祖父は、遊びのほうも派手だったようで、祖母は50歳の時に、ガンで胃を全摘出しています。

 60歳の頃には2、3ヶ月、大阪の私の家に滞在していた事もありました。この時代の女性は、耐えることが多かったのだと思います。

 5年前の祖父の出棺の時、祖母は小さなビンを3つ入れていました。後で聞くと、祖父の好きだった、日本酒、養命酒、はちみつでした。

 祖父の命日は5年前の10/28。祖母の命日は2日違いの10/30。共に93年の生涯を終えました。

 愛とは時間という言葉もあります。連れ添っておよそ65年。35歳で結婚した、私には体験できないであろう時間を共に過ごした事になります。

 仏教では、現世を終えるとみな仏です。仏となった2人は、2人の息子。4人の孫。7人のひ孫を、見守ってくれるでしょう。何の揉め事もない世界から。

帰郷

 先週末は、岡山県倉敷市と、香川県まんのう町に帰っていました。それぞれ父と母の郷里なのです。

 お盆の混雑期を避けての墓参りが目的。両親の里が遠い私達にとって、お盆の恒例行事です。まずは岡山から、両親、私の家族4人、弟家族4人の総勢10人のちょっとした団体旅行です。

 父方の墓地は、瀬戸内海を見下ろす山腹にあります。

 汗を流しながら裏山に登り、ウチワで蚊を追いやりながら線香に火を。

 墓石に水を掛けながら「こっちはお爺ちゃんの親やったっけ……」と。

 毎年同じような会話ですが、それもまた良いものです。

 お参りの後、父の生家に寄ってきました。祖父は材木店を営み、晩年まで木を触っていました。

 祖母は90歳を超え、足こそ弱り気味ですが、食欲も旺盛です。耳が良いので、会話もほぼ支障ありません。

 5ヶ月になる長女は初対面でした。祖母が分かるうちに何とかと思っていたので、本当に良かったです。

 その後、瀬戸大橋を渡って、香川県へ。

 母方の墓地は、船の神様、金毘羅さんのある象頭山を望みます。

 お参りを済ませて、祖母に会いに行きました。85歳になります。

 頭はしっかりしているので「よく食べ、よく寝、頑張って歩く事」を約束して、後にしました。

 その後は第二の目的地、newレオマールドへ。今回はここで一泊です。

 一旦破綻し、再生したテーマパークです。香川県の山間部だけあって、敷地は広々として、混雑もそれほどではありませんでした。

 弟の長男とウチの長男はともに3歳。暑い中、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと勇んで出掛けていきました。

 帰りには、讃岐うどんを食べに。

 この辺りは特に激戦区です。しかし地元の人は有名店を嫌います。母の弟、私の叔父に新しい店を教えてもらいました。

 琴平電鉄の栗熊駅の向かいにある、香川屋本店。

 生醤油うどん大370円。ぶっかけうどん小なら260円。

 味と金額は満足ですが、店舗内に香川ならではの風情はありません。一店舗だけなら、やまうち山下あたりを勧めます。

 祖母2人は80代半ばと90代ですから、昔のような元気はありません。それでもやはりたった2人の祖母。会えるだけで、愛しいのです。

続・およそ一世紀 

 亡き祖父は、結構おしゃれな人でした。

 口髭はいつも手いれしており、出かけるときはスーツに広ツバ帽を被っていました。メガネをかけており、少し汚れが見えたので洗ってあげようと思い、手にとってみると、あまり度がきつくありません。「これで、良く見えるの?」と聞くと、あまり変わらないと。よくよく聞いてみると、ダテ眼鏡もかけていました。

 毎年、年始に岡山にある祖父宅を訪れると、食べきれない程のご馳走を用意して待ってくれていました。なかでも、食後にストーブで焼きながら食べる「へき餅」という手作りのお餅が美味しかったことを良く覚えています。

 ついた餅に卵、砂糖、練乳などを混ぜて、一旦乾燥させます。味付け海苔くらいの大きさを、厚さ5ミリくらいに切り、ストーブの上で、焼いて食べるのです。やや甘めなので、少しこげ色がつき、プーと膨らみだしたら食べ頃です。時間がたちすぎて乾燥しすぎたものは、油で揚げても食べていました。

 裏山にある果樹園をこよなく愛した祖父は、そこからの眺めが大好きでした。果樹園へ向かう山道の中程に、先祖代々のお墓があります。

 自らが愛した、山と小さな港町を眺めながら、ゆっくりと過ごすことでしょう。

およそ一世紀

 一昨日、明治45年(1912年)生まれの祖父が、93年の生涯を閉じました。

 祖父は明治、大正、昭和、平成と生きた93年の間に、第一次、第二次世界大戦を体験し、戦後の激動期を生抜いてきました。

 材木の販売で身を起こし、働き通しだった祖父の晩年の楽しみは、家の裏山にある果樹園で、桃、柿、スイカなどの、手入れに出かけることで、入院する半年前まで元気に出かけていたようです。

 年に2回ほどの親戚の集まりでは、お酒を飲んではご機嫌なようすで頬を真っ赤にしていた姿を思い出します。お酒をこよなく愛した祖父の棺に、祖母が小さなビンを3つほど入れていました。

 日本酒、養命酒、はちみつ、だったそうです。天国でも、ご機嫌で晩酌していることでしょう。

 告別式の日、祖父の暮した瀬戸内海の港町は、雲ひとつ無い快晴でした。

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