タグ別アーカイブ: 大阪

惚れさせんかよ‐1984‐

公園の樹々はすっかり葉を落としていますが、暖かい日も増えてきました。

それでも土曜日の朝は、氷点下まで下がりました。

工事中につき、仮住まいをしているクライアントは水道が凍ったとのこと。

昔はよく水道が凍ったものでした。

宅急便を開封すると、和紙の巻物がでてきました。

広げると1.2mほどあります。

何日か前に、Webサイトの問合せフォームに、「おり座」という畳の営業案内が届いていたました。

メーカーからの連絡ならよくありますが、「宮城の社会保険労務士の○○です」とあります。

何でも、近日中に大阪に行く用事があるので、この畳のPRをさせて欲しいと。

耐久性、デザイン性にすぐれており、何より洗えるのが特徴の畳で、物づくり一筋の社長に代わってご説明に伺いたいとあります。

地域産業活性化プロジェクトで関わった縁で、真摯な姿勢に共感を覚え、設計事務所に紹介しているのだそうです。

その数日後、今度は電話が掛かってきました。

「是非、直接お会いしたい」と言われたのですが、どうにも時間が取れそうになく……

「まずは資料を送って貰えますか」と伝えると、この手紙が届いたのです。

悪筆の私が、長い手紙を書くことはなかったので、Eメール時代になり大いに助かっています。

しかし和紙に書かれたこの手紙はかなりの迫力です。

間違ったなら書き直すしかなく、ある意味一期一会とも言えます。

ホ-ムページを見つけ、2004年から継続されているゲツモクブログから伝わってくる人柄に魅了され……ともありました。

「お会いすべきだったかな」と思いましたが、すでに後の祭り。

昨年亡くなった、稲盛和夫さんはよくこう仰っていました。

「惚れさせんかよ!」

社員を魅了できずに、経営など無理だという意味です。

社労士さんとのことだったので、仕事上の付き合いがあるにしても、ここまでしたくなる創り手の社長とはどんな人なのだろうと興味が湧いてきます。

もしかすると、宮城県仙台市の本社まで伺わないといけないのは、私のほうかもしれません。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

姫路の黄そば‐1983‐

月に2、3回は、「ささき整形外科クリニック デイケアセンター 」の現場監理に現地へ向かいます。

車で行く場合と電車で行く場合がありますが、どちらも片道2時間ちょっと掛かります。

電車で行った場合は、JR姫路駅で乗り換え。

阪神百貨店のフードパークにも出店している「えきそば」。

在来線下り店のほうが大きいですが、上り線にある売店横でも食べれます。


和風だしに中華麺を入れる姫路名物です。

まねき食品のWebサイトには、戦後の混乱期、昭和24年から「えきそば」は販売していたそうです。

統制品ゆえ手に入り難かった小麦粉を使わない麺を、試行錯誤のうえ作り上げたとありました。

てんぷらえきそば420円です。

小麦粉にかんすいを加えた中華麺ですが、濃いめの和風だしにあっていました。

先月の大雪の際、JRが乱れていたので姫路でバスに乗り換えました。

駅の北側には姫路城を望む大通りがあります。

その大通りに直行する形で、商店街の入口が見えたので行ってみました。

人出もあり、混み過ぎずでいい感じです。

「立ち喰いうどん・そば」の暖簾をみつけたので入ってみました。

「かき揚げそば」を頼むと、「普通のそばと、黄そば、どっちにしましょう!」と。

「えきそば」だけでなく、中華麺が一般的にも浸透しているようです。

「えきそとそば」まで食べれるとは、なかなか面白い食文化です。

雰囲気でいえば、沖縄のソーキそばに近いでしょうか。

沖縄を訪れたのは2017年の2月。

丁度6年前ですが、沖縄はそれまで日本で唯一、訪れたことの無い都道府県でした。

また行きたいなあと思い出します。

「えきそば」は阪神百貨店のフードパークで食べれますが、「姫路の黄そば」は現地でしか食べれません。

そこがB級グルメのいいところだと思うのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

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日本人の粋、庭先に極まれり‐1982‐

今年の冬は寒い日が多かったのですが、穏やかな日も増えてきました。

東に金剛山地を望む「没頭できる家」

工事は順調に進んでいます。

「ゲンバ日記」では、躯体完成までUPしましたが、すでに外壁工事も終了しました。

早く次回をUPしたいと思うのですが、なかなか手が回っておらず……

こちらの敷地、隣地の借景がとても美しいのです。

ナンテンは、葉も実も真っ赤に色付いています。

寒椿は極めて濃い桃色。

少し前には、サザンカも咲いていました。

縄目模様のついた土器も、まだまだでてきます。

その経緯はよければ 『建築家・守谷昌紀TV』 を。

庭木にミカンが刺さっているのはメジロを呼ぶためとお聞きしました。

メジロはミカンが本当に好きなようで、一心不乱についばんでいます。

食事中をしっかり撮らせて貰いました。

庭木を大切にし、野鳥を愛でるその心が、この借景を見るだけで伝わってきます。

日本人の粋、この庭先に極まれり、といった感じです。

花鳥風月を友とすることが、暮らしに豊かな彩りを添えてくれます。

創り手として、つい建築にばかり目が行ってしまいがちですが、この環境を見逃してはならないのです。

『建築家・守谷昌紀TV』

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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フラーとジョブズ、ここに繋がる‐1981‐

2005年の6月12日、スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学で卒業祝賀スピーチをしました。

世に言う、ジョブズの感動スピーチです。

その場面も取り上げられていた番組を観ました。

気になっていながら観れていなかったのです。

番組は、バックミンスター・フラーとスティーブ・ジョブズの2人に焦点をあてています。

バックミンスター・フラーは建築史の教科書にもでてくる建築家ですが、ここでは思想家として紹介されていました。

1953年にフラーが発表したジオデシック・ドームは、三角形や多角形を組み合わせ、安価に巨大なドーム空間を構築する発明です。

1967年、モントリオール万博でのアメリカ館が有名ですが、富士山頂にあった観測所にも用いられてたと知りました。

フラーは、資源は有限であり、それを有効に使うべきだという概念を「宇宙船地球号」という言葉で表現します。

ただ、多くの発明があったにもかかわらず実現したものは僅かで、ユートピア主義者というレッテルが貼られたのです。

しかし、その思想は若者のヒッピー文化に大きな影響を与えました。

ジョブズがスピーチを締めくくった言葉はあまりにも有名です。

Stay hungry . Stay foolish. (ハングリーであれ 愚かであれ)

この言葉は、『ホール・アース・カタログ』という書物から引用されました。

ジョブスは、「グーグルのペーパーバック版とも言うべきもの」と表現していますが、この最終号の背表紙にあった言葉です。

『ホール・アース・カタログ』は、編集者、ゲーム・デザイナーであるスチュアート・ブランドによって1968年に創刊されています。

そのブランドは、ヒッピー思想を背景に、バックミンスター・フラーに強く影響を受けていたのです。

「世界を変えた愚か者」というタイトルがここで繋がり、心がザワザワしました。

ジョブズはスピーチの後半、癌によって余命3~6ヵ月と宣告されていることを語ります。

それは7年となりましたが、2011年に56歳で没するのです。

17歳の時、ジョブズはこんな言葉をどこかで読んだと語っています。

これが人生最後の日と思って生きるようにしよう

連日の報道で、トルコ・シリアでは地震により多くの人が亡くなっていると伝わってきます。

資源も命も有限です。

私も自らにそう問いながら生きたいと思います。素晴らしい番組でした。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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マスク無しでの触れあい、津堂城山古墳にて‐1980‐

昨日、現場へ行った帰りに藤井寺市にある「津堂城山古墳」に寄ってきました。

「城山古墳」と石碑が見えます。

全国には「城山」とつく古墳が多数あり、それらと区別するため 「津堂城山古墳」 と呼んでいるそうです。

古市古墳群の中で、最古の巨大古墳で最北端に位置します。

長さ210m、築造時期は4世紀後半に築かれた大型の前方後円墳です。

梅雨時に菖蒲が咲くので、何度か訪れたことがありました。


「津堂城山古墳の造営に使われた巨大建造物発見」というニュースを見て、「ああ、あそこ!」と訪れてみたのです。

この古墳はなだらかな丘のような形状になっています。

北端あたりにある、津堂八幡神社の周辺は立ち入り禁止の柵がありますが、ほぼ開放されています。

これだけ自由に入れる古墳跡は、かなり珍しいと思います。

ニュースでは「掘立柱建物跡、7棟を発見」とか「柱間は3間×2間」とあったので、行けばすぐ分かると思っていました。

全域を歩き回り、尾根上になった最頂部 からも見下ろしてみました。

かなり高く、遠く生駒山を望む景色もなかなかです。

しかし、建造物跡は全く見つかりません。

子ども連れで遊びに来ている家族が結構いました。

地元の方かなと思い、お子さんが5歳くらいの若いお父さんに聞いてみました。

「この古墳跡で、大規模建造物跡を発見というニュースを見てやって来たのですが……」

「ああ、ここから離れているんですよ。レッドウッド分かります?」

「はい、分かります」

「ここを造営する為の倉庫が、あの辺りにあったみたいです。見に行ったけど、今は何も残っていませんでしたけど」

ニコッと笑って、こう教えてくれました。

かなりの歴史好きのようで、まさにビンゴだったのです。

念の為、レッドウッドへもいってみたのですが、確かに調査跡も見ることはできませんでした。

ただ、何も分からないよりは、ずっとすっきりした気持ちで帰ってきたのです。

「津堂城山古墳」は、内部に梅林があります。

紅梅がちらほらと咲きはじめていました。

それぞれの梅の木をよく見てみると、色々なプレートが付いています。

還暦記念、成人記念などとあり、寄贈されているようです。

古墳だというのに、本当に変わった、のんびり、ゆったりした所でした。

屋外につき、マスクをしていなかったので、聞くか聞くまいか迷ったのですが、しっかり距離を取って訊ねてみて良かったです。

同じ歴史番組のファンということまで分かりましたし。

いよいよ5月8日から、新型コロナ5類引き下げが実行されそうです。

多くの人が大変で困難な約3年過ごしました。

卒業式のマスク有無を検討しているなら、3月1日からで良いのではと思います。

マスク無しでの触れあいは、やはりとても良いものでした。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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半地下の音楽室がある「没頭できる家」Episode2-躯体完成-

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大変⇒大きく変化する‐1979‐

先日、打合せの際にお土産を頂きました。

下北山村産の純度100%の天然ハチミツに、熊野産の完熟トマト。

もう見ているだけで美味しそうです。

熊野でも、砂浜が隆起した土地で育ったものが特別美味しいそうです。

トマトの原産地は南米で、アンデスなどの痩せた土地に育った野菜とも言われています。

それで、水のあげ過ぎ、肥料のあげ過ぎは禁物とも。

水はけが良い土地で、過保護にしない育て方が、トマトの生命力を引き出し、全く違うレベルの味を生むようです。

早速その晩に頂きました。

フルーツトマトほど甘すぎず、酸味もほどほど。

いくらでも食べれますが、私の皿には2つでした。

おそらく、大のトマト好きの娘の皿には4つのっているでしょう。

家庭菜園ならぬ、家庭養蜂。

ハチの巣を遠心分離器にかけただけなので、一切まじりっけなしです。

味の濃さが別次元でした。

大変美味しく頂きました。

先月のことですが、「おいでよ house」のクライアントから、写真が届きました。

「喪中の葉書が間に合わずで失礼しました」というメールに添えられていた写真です。

昨年の干支は寅。

ご夫妻とも寅年生まれで、更に寅が増えましたと。

こちらは、長男君とお手製のウルトラマン。

入試が迫っているので、製作大好きにやきもきさせられると奥さん。

入試も大切ですが、これだけ打ち込めるなら、きっと自分に合った職業が見つかると思います。

首振り部がなんともキュート。

そしてこんなコメントも添えられていました。

昨年は変化の年でとっても大変でした(今も大変ですが笑)
だけど大変とは、大きく変化すること!
字の如く、良い方向に向かって変化していると信じて頑張っています。

人はついつい「自分だけが大変」という気持ちになってしまいます。

多くのクライアントの人生を、すぐ横で見せて貰えるのが私の仕事です。

誰もが大変で、誰もが懸命に生きているということが、スッと心に入ってきました。

大変⇒大きく変化する

とってもいい言葉です。

今年も1ヵ月が過ぎました。大きく変化できるよう2月は2段式ロケットスタートです。

そして、邪気はスペシウム光線でやっつけてしまえばよいのです。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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上町台地の稜線を歩く‐1978‐

土曜日は、近鉄上本町駅すぐ南の病院で、人間ドックでした。

結果は後ほど送られてくるのですが、片側の視力が1.0を切ってしまったのが、一番のショックだったのです……

それはさて置き、検査終わりで少し周辺を歩いてみました。

駅の北側に出ると、シェラトン都ホテル大阪が見えてきます。

設計は近鉄グループではお馴染みの、巨匠・村野藤吾です。

ただ村野色をしっかり感じさせるのは、エントランスまわりの曲面壁くらいでしょうか。

ややおとなしいデザインと言えます。

千日前通の南側、手前には近鉄百貨店上本町店が見えています。

上本町6丁目の交差点は、上町台地の稜線付近にあたります。

千日前通を東へ下れば鶴橋。

西に下れば難波。

フリーフォールのあったナンバヒップスが中央あたりに見えています。

南のあべのハルカスもかなり下がっているのが分かります。

時代が時代なら、見晴らしがよかっただろうなと思いながら歩いていると「熊野街道」の石碑を見つけました。

谷町9丁目と上本町6丁目の中央あたりで北を見ています。

白いビルのすぐ東側が、熊野街道だったことがわかりました。

うろうろしながら写真を撮っていると「阿倍野の長屋」のクライアントとばったり出くわしたのには驚きましたが。

北へ向かって、熊野街道を歩いてみることに。

こういった曲がった道は、新しい道にはない景色です。

ところどころに石碑が建っています。

提灯屋さんがあったり。

古い町屋が残っていたりと、旧街道だった面影が残っているものです。

「桃谷湯」と見えます。

現在は駐車場になっており、奥の壁にはタイルが残っているのが見えました。

それほど古そうには見えませんが、廃業したようです。

このあたりから大阪城へ向かっては、更に標高が上がります。

かなり急な坂が出て来ました。

ここを左に曲がると、空堀ど~り商店街。

ここで大きくクランクしているのです。

そうせざるを得なかった理由が何かあるはずです。

そのまま北上すると、東側がかなり低くなっているのが分かります。

このあたり、桃谷だったり清水谷だったりと、谷の名が残っている通り、上町台地に河内潟が切れ込んでいる場所が沢山ありました。

先程のクランクも、そのあたりが理由なのかなと考えていました。

そして谷町6丁目に到着。

西を見るとこちらも大阪湾に向かって下っていくのがわかります。

高低差は、地図では一番分かり難いですが、実際に歩くと本当によく分かるものです。

途中、旧家の玄関に手書きで「上汐町」という表示がでていました。

「うえしおまち」と読むのですが、歩いている時は「ここまで海がきれこんできていた名残では?」と勝手に確信していたのです。

しかし帰って調べてみると、大阪市のWebサイトに説明がありました。

上汐(うえしお) … 菅原道真が左遷される途中、潮待天神(潮待寺)において引潮を待ったという故事に由来する。冠称の「上」は南船場に所在した「塩町」との混同を避けるために冠したことによる。

残念ながら、私の推理は外れでした。

そんなことを調べていると、もう少し北へ行けば暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)との交差点があったことも分かりました。

上町台地をあるくシリーズで、また勝手な推理でレポートしてみたいと思います。


■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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飛び石に見る、クライアントの本気 in「あの森のOhana」‐1977‐

昨日、京阪萱島駅から北を望むと山頂付近は真っ白でした。

1月24日(火)の夜からの寒波で、JRは環状線以外ほぼ全滅。

その点、関西の私鉄はタフなものです。

一部不通はあったものの、京阪、阪急、阪神とほぼ問題なく運行していました。

庶民の味方のお陰で、「あの森のOhana」の1年点検に行くことができたのです。

昨年の年始に完成、そしてあわただしく引越しでした。

カメラマンの石井さんも「もう1年ですか、バタバタでした」と。

大阪市内はほぼ降りませんでしたが、萱島あたりは結構雪が降ったそうです。

一通り点検をしましたが特には問題なし。

ということで、内部も撮らせてもらいました。

ついでと言ってはなんですが、あわせて動画も。

最近はタブレットで写真をセレクトしてもらうそうで、レセプションのモニターが無くなっていました。

それだけで、かなり広く感じるものです。

点検の時間帯は撮影が入っていないとのことで、2階のスタジオものぞいてきました。

晴れていれば最高ですが、この寒波の中、来れただけで良しとしなければなりません。

やはり大空間は良いもの。

来るたびに思わず声がでるのです。

1階のレセプションに、こんな絵が掛かっていました。

石井さんの娘さんが描いたものでした。

美大に行ったことは聞いていたのですが、早速とあるグループ展に作品を出展するそうです。

石井さんと知り合って15年になりますが、子どもの進学や職業の話をするようになったのだなと、感慨深いものがありました。

四方山話をしていると、あっという間に2時間が経っており、失礼することにしました。

帰り際、日が差してきたのでもう1カット。

撮影を終えたご家族が帰る際、この飛び石で子どもさんが「ケン・ケン・パ」をして遊ぶそうです。

貼り方の原案は私が作ったのですが、最終的には石井さんの案がほぼ採用になりました。

プロとしての自覚は持っているつもりですが、つい「予算的に……」などと言ってしまうものです。

しかしクライアントはいつも本気です。

この案から、それがヒシヒシと伝わってきたのです。

飛び石の枚数が1.5倍くらいになるので、コストは上がります。そこを現場と調整して何とか実現しました。

点検に同行していた監督と、「こういったところに差がでるよね」と話していたのです。

小さな苦労と言えば小さな苦労ですが、人の心は不思議なくらい正直なものだと思うのです。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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建築家・守谷昌紀TV 工場街に建つ、中庭をそなえた「ダイヤモンドカットの家」

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

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