北浜へ行く用事があり、中央公会堂まで足を伸ばしました。
ライオン橋を越えると、いっきに桜が減ってしまうのは面白いところです。
南岸にはseiundoの新オフィスが入るビルもみえます。
先日、facebookに社長の田畑さんが、もう2年になると書かれていました。
中之島から見上げても、楕円のカウンターが何となく見てとれます。
これでは盗撮ですが。
大阪市中央公会堂は、コンペによって最年少の建築家だった、岡田信一郎案が選ばれました。
しかし、選者であった東京駅丸の内口駅舎や奈良ホテルの設計で知られる辰野金吾が、岡田案に手を加えて実施設計をしています。
どう考えてもルール違反ですが、このビッグプロジェクトを自らの手で実現することにしたのです。
昼時だったので、久し振りにオムライスでも食べようと寄ってみました。
以前は600円くらいだったと思いますが、メニューをみるとかなり高い感じ。
会社にもどって調べてみると、以前の洋食屋さんは数年前に閉店したようです。
かなりオシャレな空間に生まれ変わっていますが、この店も「名物オムライス」とあります。
金額は倍ほどしますが入ってオーダーしました。
「ふわトロ」の看板に偽りなし。卵はふわっと、上に乗っているビーフはとろけるよう。
ミシュランスターシェフの監修だそうです。
昼食にはかなりの贅沢をしてしまいましたが、大変美味しゅうございました。
同じフロアに、公会堂の歴史が展示されていました。
中央公会堂は、両替商・岩本栄一郎の私財が投じられ建設された事はよく知られています。
当時の100万円、現在の価値に直すと数十億円という大金です。
大川の「平成桜の通り抜け」を提案した安藤忠雄も、「民の街」大阪を象徴する話として、よく取り上げますが、岩本の写真をみたのは初めてでした。
明治末、アメリカ訪問時に成功者の多くが慈善事業や公共工事へ寄付するのをみて、誰にでも使えるホール建設へと動いたようです。
しかし、ビジネスの失敗により大きな損失をだしてしまいます。
周りの人が、寄付からいくらか返して貰ったらと言うアドバイスに、「一度寄付したものを返せというのは大阪商人の恥」と突っぱねます。
1918年(大正7年)の公会堂完成の2年前、39歳の秋に自殺してしまうのです。
中央公会堂のwebサイトに辞世の句が載っていました。
「その秋をまたでちりゆく紅葉哉」
今日から当社も、新卒の社員を1人迎えます。
折角したい仕事に就いたのだから、全てを掛けて仕事に打ち込もう。
しかし、命だけは掛けてはいけない。なぜなら仕事は幸せを実現するためにあるものだから、と伝えました。
中之島でもタンポポが花開いていました。
セイヨウタンポポと違って、茎の短いタンポポは日本の固有種だったはず。
桜吹雪の下、鬼籍に入った岩本栄之助は今の日本、大阪をどうみているのか。
日本人として、大阪人としてプライドをもって働いて欲しいと思います。
命以外の全てを掛けて。
■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園
【News】
■ 『住まいの設計05・06月号』3月20日発売に「回遊できる家」掲載
■『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売に「阿倍野の長家」掲載
■『homify』6月29日に「回遊できる家」掲載
■『homify』6月2日に「イタウバハウス」掲載
■『houzz』5月28日の特集記事に「あちこちでお茶できる家」掲載