『住人十色』撮影現場で1/1の真実を見る‐1460‐

 昨日でピョンチャンオリンピックが閉幕しました。

 今回はメダルラッシュと言ってよい日本勢の活躍。

 中でも、身長155cmの小柄な体で、金メダル2個を獲得したスピードスケートの髙木菜那選手は気になります。

 優秀な妹を持つ姉が、この結果を出した過程を、これからメディアが詳らかにしてくれるでしょう。楽しみです。

 日曜日は曇り予報で、朝から気をもんでいました。

 4月14日(土)放映の「回遊できる家」『住人十色』取材日だったのですが、写真撮影なら延期していたでしょうか。

 しかし、テレビはそう簡単に中止できません。

 何せ人手がかかるのがテレビです。

 午後からのぞきに行ってきましたが、着いたのがまさにカメラが回る瞬間。

 やや迷惑をかけてしまいました。

 2日間ある撮影日のうち、この日はタレントさん有りの日。

 現場としては1分でも時間が惜しいはずです。

 すぐにカメラ反対側の子供部屋に移動し、後ろからのぞいていました。

 タレントさんを写さないのがルールで、ちょっと偏った写真ですが、ご夫妻ともなかなかに楽しそうです。

 出番待ちの長男君と次男君は、ゲームをしながら待機中。

 3歳の娘さんは、ADさんと遊んでいます。

 撮影クルー各々が、撮影をスムーズに進めるために動いているのです。

 そんな中、私が子供を連れて行ったので、若干「空気読めてない」感も伝わってきました。

 それは当然ですし、承知の上です。

 長男のクラブが休み、娘も家に居り、私も休み。

 また、自分の現場でなければ、ゆっくりロケを見ることは出来ません。

 タイミングが合えば、撮影の現場を見せておきたいと思っていました。

 ご夫妻とタレントさんのトークが続く中、1歳の三男君が、泣きながら駆け込んできました。

 昼寝から目が覚めたのです。

 撮影が一旦中断したタイミングでご家族に挨拶し、失礼したのです。

 どうだった?と長男に聞くと「面白かった」と。

 娘に聞くと「別に」と。

 どんなことにワクワクするかは人それぞれなので、何かを誘導したいということはありません。

 ただ、見たことがあれば、正しいスケール感で想像はできます。

 子供達は卓球をしているのですが、張本選手が出ている試合は、食い入るように見ています。

 彼はまだ14歳。目標にして頑張ってみたらとけしかけると「そんなん無理やわ」と。

 長男などは結構頑張っているようで、県の団体戦ですが3位に入っていました。

 小さな画面の中でみると、つい箱の中のスーパーマンの世界に見えてしまうものです。

 根拠のない自信は駄目ですが、サッカー元日本代表監督、イビチャ・オシムのいうスターマニアになってもならないのです。

 設計図面でもそうですが、1/1に勝る図面はありません。

 テレビの画面が大きくなったとはいえ、さすがに1/1でみれるテレビはそうありません。

 オリンピックの金メダリストも生身の人間です。

 世界一の能力を持っているのですが、髙木菜那選手なら155cmの女性であるのは、間違いのない事実です。

 当たり前ですが、1/1の真実を見たければ、その場に立つしかなありません。

 テレビジョンは、テレ=遠くとビジョン=視野、視界を合わせた造語。

 その効用と、弊害をどちらも理解し、活かせるとよいのですが。

最高学府も万能じゃない‐1459‐

 今年は、庭木が例年より元気な気がします。

 サザンカは、秋頃から咲き続けていますが、今が盛りでしょうか。

 ウメも大雪の日あたりがピークかなと思っていたら、更に蕾も花も増しています。

 どこどこのお子さんが、○○中学に通ったとか、○○大学に通ったらしいとか、風の便りが届きだす季節です。

 このまま温暖化が進んだなら、合格を「ウメサク」という時代がくるかもしれません。

 その真剣勝負の場が入試ですが、□□大学の問題に不備があったという記事を時々見かけます。

 正解が無かったり、複数あったり等というケースですが、今朝も関東圏の私学が紙面にでていました。

 正直、酷な時代だと思います。

 素晴らしく優秀な大学教授が、何度チェックしたとしても、これだけ多くの人が問題を共有し、多くの進学塾や予備校が粗さがしをしたなら(適切な表現ではないかもしれませんが)、確実にそのほうが発見能力は高いと思うからです。

 比べられる話ではないのですが、この日記の誤字脱字を、的確に指摘してくれる後輩がいると書いたことがあります。

 メールで知らせてくれるのですが、それを3回読み直しても、どこが間違っているか分からない時があります。

 我ながら情けないのですが、まず、自分が創ったものを、懐疑的に、否定的にみるのは、相当に難易度の高い行為です。

 また、クリエイトする能力も高く、チェック能力も高いというケースは、かなり稀だと思います。

 入試は外部に出せないという性格上、この種の問題が無くなることはないはずです。

 私にとって受験は、苦い思い出しかありませんが、社会にでるハードルとして、あったほうが良いと考えていました。

 長い受験の歴史で、採点ミスで合格した人、不合格になった人は、どのくらいいたのだろうかと考えます。

 また、中国の科挙においてのカンニング史を読んだこともあります。

 そんなことまで含めて人生だと思いますが、1日、2日のペーパー試験で、人の優劣を決めるという制度は、すでに時代と合っていないのかもしれません。

 それは、実社会の入社試験が、ペーパーテストだけでないことからも明らかです。

 誤解を恐れず言えば、大量消費社会において、大量に、効率よく人を判断する時代は終わりつつあると思います。

 ではどんな制度がいいのかと問われても、名案がある訳ではないのですが、入社試験は「皆で食事をつくる」という話も聞きました。

 企業のほうから真剣度が伝わってくるのは事実です。

 ちなみに、当社の入社試験は模型作りからスタートします。

 まずは敷地模型から。

 徐々に建物本体へと難易度を上げて行きますが、これを3日程見せてもらえば彼らの人生がある程度は透けて見えます。(と思っています)

 映画監督、宮崎駿は「私はマルチを信じない」と言いました。

 権威に対する抵抗と、応援の意味をこめて、最高学府の英知とて万能ではないと、繰り返し書いておこうと思います。

ジェットコースター卒業します‐1458‐

 今月は娘の誕生日がありました。

 2つプレゼントを頼まれていたのですが、ひとつがUSJ行き。

 もうひとつのプレゼントは後日書くとして、 前回行ったのは2008年の12月でした。

 娘が10カ月の時なので、覚えているはずもありません。私もまだ2回目の初心者なのです。

 タイミングが合い、一緒に行くことになった長男が案内役となりました。

 チケット、スケジュールは全て妻任せですが、予定より早く開園すると聞いていました。

 8時にはゲートに到着。30分繰り上げの8時半に開園しました。

 メールでモデルコースが送られてきており、朝一番はハリーポッターエリアへ向かうとあります。

 こちらにはかなり興味があります。

 ハリーポッターシリーズは、妻、長男は完読。

 映画は全て家族で観ています。

 ゲートをくぐると、ホグズミード村が現れました。

 J・K・ローリングが思い描いた世界観はこのようなものだったのか。

 いずれにしてもワクワクする景色です。

 ホグワーツ城を遠く望む景色は、感動すら覚えました。

 このエリアの工事は清水建設が請け負いました。

 その現場所長か、すぐ下のポジションに居たのが私のクライアントなのです。

 自宅が竣工してからの工事だったので、詳しい内容までは聞けていませんが、私まで誇らしい気持ちになります。

 とても精度の高い仕事でした。

 しかし余裕があったのはここまで。

 先に書くと、私はジェットコースターの類が苦手ですし、あえて乗りたいとは全く思いません。

 なら乗るなという話ですが、ホグワーツ城内での人気アトラクション、空飛ぶイスに乗ってしまいました。

 もの凄い浮遊体験で、長男は最高に楽しかったと言いますが、私は完全に目がまわってしまいました。

 娘も喜んではいましたが、若干酔い気味。それで、酔い止めを与えました。

 ザ・フライング・ダイナソーは、完全にノックアウト。

 フリーフォールを前のめりに90度回転したような姿勢で、下向きにぶら下げられます。

 徐々に最高地点まで持ち上げられていくのですが、自分と地面を遮るものは一切なし。もう怖いを通り越していました。

 後は、頭を下に急降下、振り回され、錐もみ回転……

 全く生きた心地がしませんでした。子供達は、最高に楽しかったそうですが。

 その後、フラフラになりながらジョーズ、モンスター・ライブ・ロックンロールショーへ。

 こういうお祭り感はとても好きなのですが。

 2008年に来た時は、見たことがあるなと思いながら素通りした「メルズ・ドライブイン」。

 ジョージ・ルーカスの「アメリカン・グラフィティ」に登場するレストランでは、60年代のアメリカが再現されています。

 デュークボックスから、音楽が流れて欲しい空間です。

 ここでハンバーガーを食べましたが、噂通りのお値段で1600円。

 ディズニーランドの売り上げは、7割がチケット以外の売り上げと聞いたことがあります。

 正確な比率は知りませんが、構造はUSJも同じでしょう。

 少しだけ小市民から皮肉を。

 小学生チケットは、誕生日割引で4千円ほど。

 こちらのフェイスペインティング2千5百円なり。

 魔法の杖は4千9百円。

 ちなみに、魔法の使えない杖なら4千5百円。

 この杖は魔法が使えるほうで、塔の上に火がともりました。

 大阪だけあって、なかなか商魂たくましいのです。

 アメリカ発なので大阪は関係ないか。

 ここからは良かったところです。

 ミニオンパークは凄い人出でしたが、はなやかな雰囲気は好感がもてます。

 こんな、遊べる壁の落書きは大歓迎。

 子供には4つ程の、エクスプレスパスを与えていたので、混雑時は基本待つだけ。

 私にとっては街歩きのようなものです。

 アメリカの地方都市を思わせる街並み。

 当たり前ですが車が通らないので、ハリウッド通りは歩行者天国。

 広い道路の真ん中を歩くのは、思いのほか気持ちがよいもの。

 本物ではありませんが、海を望む景色はなかなか雄大です。

 その街全体を使った、名探偵コナンの謎解きイベントも、なかなか面白かったのです。

 私はやはり自発的なアトラクションが好きです。

 朝の8時半から夕方の6時まで、娘にとってはほぼ初めてのUSJ。兄妹とも十分に満喫しました。

 もうそれだけで十分です。

 ジェットコースターを楽しめない私に、長男は「楽しんだもの勝ちやん」と言いました。

 それはその通りです。

 大学時代は確実に飛行機を楽しみにしていました。

 それがいつからか、ジェットコースター、観覧車、飛行機に乗ると、手に汗握るようになりました。

 守るべきものが出来たからといって、守りの人生に入ったつもりはありません。常に前向きに、アクティブに生きて行きたいと思います。

 しかし、あの下向き逆さづりはもうこれで……

 ついに、娘も付き添いが不要な身長になりました。これにて、私はジェットコースターを卒業させて貰おうと思います。

 どうせ、ジェットコースターのような仕事人生が続くのですから。

小さな歓声、小さな成功体験‐1457‐

 月曜日、ジャンプの高梨沙羅選手は3位に入りました。

 前回の4位と銅メダルの差は、明るい涙が物語っていました。まだ21歳。次回は頂点に立つ姿を見たいものです。

 彼女のワールドカップ53勝は最多勝タイ。もうひとりはオーストリアの28歳、アルペンスキーのマルセル・ヒルシャー選手です。

 自分が試合に出なくなり、全くアンテナを張っていませんでしたが、ワールドカップで6年連続総合優勝をなし遂げています。

 「総合」とあるのは、アルペンスキーは主に4つの種目があり、種目別優勝もあるからです。

 コース内の旗門をくぐりタイムを競うのは同じですが、最も旗門がすくなく、最もスピードがでるのが「滑降」です。

 ピョンチャンのコースでは最高速度が120km/h。

 そこから「スーパー大回転」「大回転」「回転」と旗門数が多くなり、ターンはより細かくなって行きます。

 「回転」では、ターン技術や俊敏性が求められるので、「滑降」とは必要とされる筋力も変わっくるのです。

 「滑降」と「スーパー大回転」を『高速系』、「大回転」と「回転」を『技術系』と区分けします。

 マルセル・ヒルシャーは主に『技術系』の2種目にエントリーする選手。

 2016-2017シーズンまでの総合6連覇の間、「回転」「大回転」ともに4度の種目別優勝。まさに絶対王者です。

 しかしその彼も、オリンピックでは2014年ソチ大会で、回転の銀メダルのみでした。

 5つ目の種目として、「滑降」と「回転」という両極端な種目の合計タイムで競う、「複合」という種目があります。

 火曜日に、この種目で男子アルペンスキーは開幕しました。

 まず前半は滑降。

 ヒルシャー選手と、『高速系』のスペシャリストとの差は僅か1.32秒。安定した滑りで7位につけました。

 そして後半は得意の「回転」。

 前半の急斜面は、少しセーブしている感もありましたが、中盤から後半の滑りは圧巻。

 早く美しい。

 6人を残してトップに立ったのです。

 2位のフランス人選手に0.2秒差に迫られましたが、そのまま逃げ切って、悲願の金メダルを手にしたのです。

 絶対王者でも、簡単に勝たせてくれないのがオリンピックなのです。

 極上のドキュメンタリー映画を観せて貰ったような気分でした。

 まさか、世界最高の選手と張り合うつもりはありませんが、「回転」は私が最も得意としていた種目でした。

 大学3回生の3月。岩岳で開催される、日本一大きな草大会に出場しました。

 スタート順はほぼ最後尾の394番。1本目、荒れに荒れたコースを攻めて、300人抜きの100位に入りました。ゴールエリアで僅かに歓声があがったのです。

 回転は、1本目が早かった順からスタートし、2本合計で競います。2本目はコース状況も良いので、100人抜きのつもりで攻めました。

 が、気負いすぎて片足通過反則でタイムなし。この日で大学のスキー生活は終わったのです。

 この日の1本目が、私にとって人生最高のランでした。

 体格に恵まれなくても、環境に恵まれなくても、仕事だけは頑張った分だけ応えてくれます。

 しかし、何かしらの小さな成功体験があったからこそ、頑張れるのかもしれません。

 1993年の3月。

 春のスキー場で聞いた小さな歓声は、私の人生に少しの勇気を与えてくれました。

 トップ選手であれ、アマチュアであれ、スポーツは人生の縮図だと思うのです。

這ってでも、光へ向かって‐1456‐

 建国記念日の朝は、大阪でも雪積がありました。

 青空と雪のコントラストは本当に美しいもの。

 自分の住む街だから、なお更なのかもしれません。

 普段はパッとしない公園も(失礼)、まるでキャンパスのようです。

 子供達は早速雪遊びです。

 大阪で積雪があったのは7、8年振りでしょうか。

 隣の塀の上には雪だんごが残っていました。

 小さいお子さんがいるのです。

 私のジョギングコースには結構お寺があります。

 瓦屋根と雪の景色もなかなか相性が良いもの。

 あるお寺の前に、今日はこの言葉が張り出されていました。

 諦めるな 光に向かって

 這って 行きなさい

 昨年のノーベル平和賞で、広島で被爆したサーロー節子さんが、被爆者として初めて演説したときの一文でした。

 壊された建物の瓦礫の中で、誰かが励ましてくれた時の言葉だそうです。非常に暗示的でもあります。

 先週末にピョンチャン(平昌)オリンピックが開幕しました。

 政治ゲームが透けて見えるのだけは勘弁してもらいたいですが、アルペンスキーは、日本、他国を問わず気になります。

 最も気になるのはジャンプの高梨沙羅選手。

 前回のソチオリンピック時は、絶対王者としてのぞみながら、苦汁をなめました。

 男女を通じてワールドカップ最多勝のレベルにある選手ですが、オリンピック前のワールドカップでは、メダル圏を行き来する状況のようです。

 4年に1度という時間軸が、選手の人生を翻弄するのがオリンピックですが、何とか文字通り雪辱を晴らして貰いたいものです。

 予定通りなら、今晩が試合開催のよう。応援したいと思います。

 這ってでも、光へ向かって頑張れ!

ともよ‐1455‐

 福井県が大雪となっているようです。

 スキージャム勝山だったり、今庄365だったり、福井には結構スキー場があります。

 雪が降らなければ話にならないし、降りすぎては国道が麻痺。連休の書きいれ時を前に、気をもむところでしょう。

 前に一度、友人論を書いたことがあります。

・友達は、別に帰る場所がある。

・家族ではないので責任は負わない。

・双方向の関係である。

 この時は、私にとって初めての友人のことを書きました。

 月曜日、スキーのことを書きながら、ある友人のことを考えていました。

 2、3歳の頃からスキーをしていたので、自分よりスキーが上手だと思う子供と会ったことがありませんでした。

 70年代の大阪の下町。スキーをしたことがない子供が大多数で、当たり前と言えば当たり前です。

 雪国へ行けばいくらでもいるのですが、そこは別ものと勝手に区分けしていました。子供のことなのでひとまずご容赦下さい。

 小学6年生の時、ある公立中学の修学旅行に同行させて貰うことになりました。

 当時、大阪の公立中学は、スキー修学旅行が多かったのです。

 父が「どうせスキーをするのなら、しっかりした人から教えて貰った方がいい」と思ったのだと思います。

 道具を買っていたスキーショップの専務に相談すると、ある中学校の体育の先生に話が行ったようです。

 全く縁のない中学の修学旅行に参加するという、不思議なことになりました。

 アルペンスキーをしている人でも、先生は結構多いのです。

 それで、SAJ(全日本スキー連盟)の検定試験(バッジテスト)の指導員も多くおられ、修学旅行自体がそのバッジテストの練習を含んでいました。

 それに参加してみたらという話になったのでしょう。私と弟、近所の友人兄弟の4人での参加でしたが、言ってみればスキー武者修行です。

 引率する先生のお子さんも数名参加していて、その中に5年生の男の子がいました。

 ちょっと勝気で長身の彼は、そのバッジテストで確か2級に合格しました。

 私は3級を取得したのですが、その違いはショートターンのあるなしだったと思います。

 自分ではショートターンも出来ると思っていたのですが、2級以上を受けさせて貰えず、明らかな差がでました。

 年下の長身君の方が上手いと認識せざるをえなかったのです。

 大学に入り、2回生からアルペンスキーをはじめたのですが、その5月だったかに、この長身君と再会しました。

 彼もある大学のスキー部に入部していたのです。

 小学生以来でしたが、顔を見ればお互いすぐに思い出しました。同じような年代なので、国体予選でも一緒になります。

 彼が大学3回、私が4回の時、彼は大阪予選を勝ち抜き、国体へ行きました。この時も完敗だったのです。

 時々顔を会わすと「先輩、先輩」と本当に人なつっこい、可愛げのある男だったのです。

 大学をでて、彼は警察官になりました。

 私が精神的にまいっている頃、誰に聞いたのか、事務所を訪ねてきました。

 彼も仕事をはじめ、肉体的にも、精神的にも大変なようでしたが、昔話をし、私を励まして帰って行ったのです。それが最後の機会になったのです。

 15年程前、彼が急逝したという連絡がありました。死因はよく分からず、突然死と聞きました。

 私は3年弱の鬱からようやく抜け出し、さあ第2期アトリエmのスタートだと燃えていた時期です。会う機会が多かった訳ではありませんが、同志のような後輩でした。

 今度は、先輩として私が彼の話を聞いてあげなければならなかったのに……

 「双方向」というのは一方的でないということです。

 与え与えられ、それが互いに好ましく、持続するということは、簡単なことではありません。

 人は2度死ぬといいます。
 
 体が滅びる時と、人の記憶から消える時です。

 向かいに住んでいた彼も、長身の彼も、いまこの世にはいませんが、私の心の中では生き続けています。

 もし自分が反対の立場なら、誰かの心の中で生き続けるのだろうか……

 そんなことを考えるのは、精一杯生きて、命絶えてからにしようと思います。

 昨年、ようやく彼のお墓の場所を人づてに聞きました。

 ともよ、今年は墓参りに行くから。

ちびっこ暴走族‐1454‐

 歴史的寒波到来で、2018年は寒い冬になっています。

 ポジティブに考えるなら、関西のスキー場でも雪質が良いということ。

 ということで奥神鍋スキー場へ行って来ました。約20年振りでしょうか。

 大阪から2時間程で到着。

 高速が伸び、随分近くなりました。

 昨年まではスノーボード一辺倒だった長男ですが、今年はどちらかと言えばスキー寄り。

 スキーならキャリア45年です。

 この機会にできる限りのことを教えておきたいところ。

 雪予報だったのが、昼過ぎまでずっと青空。

 気温は低いままなので雪は適度に硬く、最高のコンディションでした。

 娘はスピードをだす楽しみを知り、こちらは気が気ではありません。

 緩斜面は常にクラウチング姿勢です。

 この日は、ゲレンデにあるジャンプ台を見つけ、兄妹で遊びはじめました。

 私が「ターンっていうのは……」と話そうとすると、ビューンと滑っていってしまうのです。

 娘は特に気に入ったらしく、 朝の8時半から、夕方の4時半まで、昼以外はずっと滑っていました。

 親は寒すぎて、途中休憩しています。

 2人で延々とジャンプ。

 滑空感はスキーの醍醐味のひとつです。

 飛距離は妻に一日の長ありです。

 奥神鍋スキー場は、大阪府スキー選手権の会場でした。

 長らく出場していませんが、現在もここが会場なのでしょうか。

 大学から始めたアルペンスキーですが、30歳くらいまでは国体出場を目標に、毎週のように信州まで出掛けていました。

 大阪から出場するには、ジャイアントスラロームの国体予選で1位か2位、悪くても3位には入らなければなりません。

 私のベストリザルトは4位だったと思います。結局、国体へは行けずでした。

 「大阪でアルペンスキー」というかなり限られた世界ですが、どんなカテゴリーでも、1番になるのはなかなか難しいものです。

 小さな自慢ですが、1度だけ草大会で優勝したことがあります。

 たった1つだけの金メダルなので家の冷蔵庫の上に置いてあるのです。

 見ると、2004年、氷ノ山国際スキー場となっていました。33歳の時です。

 旗門で制限されたコースを滑り、タイムを競うアルペンスキーでは、試合前に一度下見ができます。

 インスペクションと言いますが、ゆっくり横滑りをしながら、どんなコース取りをするかのイメージを作ります。

 当時、一緒に試合に出ていたスキー仲間が、「このセット、守谷君向きやな」と言いました。

 コースは終盤に急斜面があり、1箇所深いターンがあるものの、かなり直線的なセットでした。

 深いターンは、私が苦手としている左谷足ターン。

 しかし、急斜面の入口にあるため、ポジティブに考えればそこからでも十分挽回できるとも言えます。

 反対に、緩斜面は一度失速すると挽回が難しいのです。

 小さい頃から、急斜面をぶっ飛ばすのが大好きだったので、急斜面は得意中の得意。

 1番になれるというイメージはなかったと思いますが、結果は彼の言葉通りになりました。

 彼の一言がなければ、たった1回も無かったかもしれません。

 誰かが認めてくれたことで、落ち着いて自分の試合イメージを作ることができ、実践できたのだと思います。

 野球でも、スキーでも結局1番にはなれませんでした。

 しかし、多くの失敗経験と、小さな成功体験を与えてくれました。

 考えに考え、時間も使い、トレーニングもし、しかし、誰かに称賛される訳でもない。それでも続けたのは、そのスポーツが好きだったからです。

 また、スポーツを通して得た友人は同じ根を持っており、互いのリスペクトもあり、より深い付き合いができたと思います。

 私に関していえば、初めの3作品は全てアルペンスキーの関係からで、スキーをしていなければ25歳で独立することは無かったかもしれません。

 子供達には、何でも良いので、一生の友となるスポーツを持って欲しいと思うのです。

 もしスキーが好きなら、せめてパラレルターンくらいまでは出来るようにしてあげたいと思うのが親心。

 私が声を掛けようとしても、子供達はビュンビュン飛ばして行ってしまいます。

 子供の頃、「ちびっこ暴走族」こそが最高の褒め言葉だと思っていました。

 考えてみれば、それこそがスキーの醍醐味だったのです。

日経新聞は面白かった‐1453‐

 今日から2月に入りました。

 厳しい寒さは続きますが、徐々に日が長くなっていくことに、季節の進行を感じます。

 1月の中旬に、

 「Best of Houzz 2018 受賞おめでとうございます!」

 というメールが届きました。

 Bestとなっていたので、全ての中で一番だと思い、喜んでサイトを見に行くと、大阪のリビングルームというカテゴリーの中で選ばれたようです。

 7枚の中の1枚に、「松虫の長屋」のリビングの写真がありました。

 このcutは、写真家の平井さんが「2015年の Best cut」と言ってくれたもの。勿論嬉しいのですがちょっと微妙な感じもあります。

 かなり絞られたカテゴリーなので、正直、betterくらいでしょうか。

 火曜日の夜、久し振りに大学時代の友人と、梅田で会っていました。

 お初天神通りの「ニューミュンヘン」が改修工事中で、別館的な「北大使館」へ。

 この店のこだわりも生ビールです。

 ここの生ビールは飲みやすく、やっぱり美味しい。

 閉店の11時まで、2人で話し込んでいました。

 彼は高槻でjamjamという設計事務所を経営する、いわば同業です。

 彼とは、私が創業して3~4年目あたりは一緒に仕事をしていました。私がお願いして、アトリエmに来て貰ったのです。

 設計、デザインのことをズバッと意見してくれる彼の存在は、本当に貴重でした。友人であり、パートナーでもあったのです。

 同じく、時々アドバイスをくれる知人に、「seiundo」の社長がいます。

 もうひとつ経済に弱い私に、以前から「日経新聞を読んだ方がいい」と勧めてくれていました。

 あまりそういったことに興味がなく、グズグス言っていたのですが、ようやく昨秋から購読をはじめました。

 確かに面白いのです。

 日本経済新聞社という社名から、お堅い記事をイメージしていたのですが、アート、スポーツなどの記事も分厚く「流石」と言いたくなります。

 サッカーの現役最年長選手、三浦知良さんのコラムがあります。

 彼は勉強などしたことがないと書いていましたが、その含蓄ある内容の素晴らしいこと。

 果たして勉強って、何なのだろうと思います。

 「私の履歴書」は、著名人が1ヵ月に渡り、自身の半生を語る名物コラムです。

 昨年の12月は、元プロ野球選手の江夏豊さんでした。

 オールスター9連続奪三振、江夏の21球と、多くの伝説を残した名投手ですが、コラムは覚醒剤事件のお詫びから始まりました。

 その生い立ちから興味深いものばかりでしたが、私が立ち止まったのは、こんな話のところでした。

 1967年、阪神でキャリアをスタートさせた江夏投手は、2年目の1968年に、年間401個の三振を奪っています。

 これは日本記録であり、メジャーリーグでのノーラン・ライアンの383個を上回ります。

 この年、勝利数は25で最多勝も獲得。しかしMVPに選ばれませんでした。

 この時から、人が評価をする賞には全く興味が無くなったとありました。

 このあたり、彼の無頼漢な雰囲気に通じるところがあり、人生感を決定づけたのかもしれません。

 401奪三線は、その数字が越えられるまで、時代がどれだけ変わろうとも、日本一、いや世界一かもしれません。

 この絶対的数値を持つアスリートは、常に自分が世界一とも言えますし、実際そうです。

 言い方は難しいのですが、世界一という甘美な重荷を背負ったまま、その後の人生を生きることになるのです。

 しかし、大衆も、メディアも移ろいやすいものです。

 グラウンドでカクテル光線を浴び、多くの観衆の目を引き付ける快感を味わったなら、それを越える体験はそう起りえないだろう。

 行間から、そんなことを感じていました。

 ちなみに、夕刊は産経新聞をとっています。娘が、読者投稿のコラムがいたく気に入っているからです。

 結論として、日経新聞は面白かった。人のアドバイスはやはり善意で聞くものです。