キヤノンで観音様を撮ってみたい‐1350‐

 先週、京都に立ち寄ったと書きました。

04 - コピーのコピー

 海外からの旅行者の玄関口となる京都駅。1997年の完成です。

 梅田スカイビル等でも知られる原広司の設計です。

05 - コピーのコピー

 京都の碁盤の目をモチーフに、中央を谷に見立てたプランで国際コンペを制しました。

 景観論争にも発展し、最も高さが低かった原広司案が選ばれたと記憶しています。

 正直、京都にあっているとは思いませんが、そこに一つしか存在できないのが建築なのです。

  京都駅前から東山七条くらいまで行くと、ようやく街並みにも雰囲気がでてきます。

 三十三間堂は、京都国立博物館の南向かい。

09 - コピーのコピー

 一間=約1.8mなので60mかと思いきや、長さは120m。日本で最も長い木造建築だそうです。

 柱間が三十三あるので、通称として三十三間堂と呼ばれるようになったそう。形態が通称となったのです。

 三十三間堂は平清盛が援助し、1155年に後白河上皇の院内に創建されたのがはじまり。

 しかし火災にあい、1266年に再建されました。

 よく知られる「通し矢」は、お堂の西軒下で行われました。

 高さおよそ2.5m、幅も1m強の限られた空間で矢を24時間射続けます。そして、何本の矢を射通せるかを競いました。

 120mを射抜くには強靭な体力と技が必要とされ、京都の名物行事となっていったのです。

 内部はさらに素晴らしい。

 国宝の千手観音坐像は3mはある見事なもの。それを取り巻くように、階段状になった10段ある壇上に1,000体の千手観音像がずらりとならんでいます。

 仏像のある空間をみて、これほど感激したことはありませんでした。まさに圧巻です。

 しかし、残念ながら内部は撮影禁止でした。

 私は何か撮りたいものがあるときは、CanonのEOS 5D Mark Ⅱにシフトレンズ(建築写真用)とズーム付きのレンズを持って行きます。

 海外では写真好きの外国人に、それらをきっかけに声を掛けられたことが何度かありました。Canonは世界中で支持されているのです。

 Canonのロゴについては、公式サイトにこう載っていました。

 1933年に精機光学研究所が設立され、最初の試作機は「KWANON(カンノン)」と名付けられました。

 観音様の御慈悲にあやかり世界で最高のカメラを創る夢を実現したい、との願いを込めたものでしたが、世界に通用するブランドが必要になりました。

 そこで、英語で「聖典」「規範」「標準」を意味する「Canon」となったのです。

 カナカナ表記なら「ヤ」は小さくせず「キヤノン」が正解です。

 当初の「KWANON(カンノン)」の際は、まさに千手観音と燃え上がるロゴがデザインされていたそうです。

 まさに世界標準となった「Canon」。キヤノンで観音様を撮ってみたかった。

 創業者の御手洗毅は元医師でしたが、共同経営者が出征したため、本格的な経営に取り組むことになります。

 世界一を目指し「打倒ライカ」を掲げ実力主義を徹底するのです。

 一方、いち早く週休2日を導入。また、家族あってこそ仕事ができると、早く家に帰ることを奨励したそうです。

 企業においての働き方が問われる時代です。

 キヤノンの御手洗さんのように、医師としても、経営者としたもスマートで、世界的企業に育て上げる人もいます。

 先日、あるゼネコンの社長と話しをしていたら「いまどき週休2日じゃないと、応募がこないんですよ」と言っていました。

 建築現場も、週休2日が標準となる時代へ向かっているようです。

 その社長は「私は24時間、年中無休で、いつでも電話してこいと言っているんですが」と笑っていました。

 観音様の御慈悲は、もちろん皆に注がれています。

 しかしながら、若干の哀愁を感じてしまったのもまた事実です。