秋の根来寺‐1328‐ 

 昨日は勤労感謝の日でした。

 世のお父さん、お母さんは感謝して貰ったでしょうか。

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 年賀状の家族写真がないと、慌てて紅葉狩りへ。近場で探したところ、根来寺にしました。

 しかし、色づき始めの情報通り、少し早かったようです。

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 緑があるのも美しいのですが、やはり紅葉は晴れに限ります。

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 根来寺のwebサイトにはこうありました。

 高野山の学僧でもあった覚鑁(かくばん)上人によって開創された新義真言宗の総本山。

 興教大師の御廟(お墓)を守り続けております。開山以来、約900年の伝統を誇り、山内には日本最大の木造の『大毘廬遮那法界体性塔』(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)通称「大塔」のほか、大伝法堂には重要文化財の本尊大日如来(だいにちにょらい)・金剛薩埵(こんごうさった)・尊勝仏頂(そんしょうぶっちょう)の三体が奉安されています。

 また、こうもあります。

 空海が入定後、約300年後高野山で真言密教を修めた覚鑁は、教学復興の拠点として現在の位置に根來寺を開かれました。

 その後、多くの大徳が覚鑁の教えを守り、その学風は隆盛を極められた。天正の頃、勢力の拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ多くのお堂や経文、宝物を焼かれてしまいました。

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 1585年の秀吉の攻撃によって、根来一山はほとんどの建物が焼失しましたが、この大塔は戦禍を免れました。

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 1547年に完成した、高さ36mに巨大な木造建築で、国宝に指定されています。

 「勢力拡大を恐れた豊臣秀吉に攻められ」とありますが、秀吉とて、ただ信仰に厚いだけの寺を攻める必要はありません。

 根来寺では、根来衆と呼ばれる僧兵集団が形成されていました。

 更に西、紀の川河口あたりを拠点とする雑賀衆とともに、いち早く鉄砲を取り入れたことで、傭兵集団として何度か戦国史に顔を現します。

 寺院に傭兵集団は褒められたものではない気がしますが、信長、秀吉を恐れさせた寺があったなど、痛快な気さえします。

 信仰、信念、使命感など、心が人をそこまで強くするのでしょう。

 もう20年以上も前、当時流行っていた動物占いで、「馬」は「仕事」を表すと聞きました。

 言い得て妙だと思います。

 その馬が、道産子であれ、ポニーであれ、ロバであれ、自分の仕事を信じ、駆け抜けると決めるしかありません。

 信じるものは救われる。

 信じた全員が救われるかは分かりませんが、信じないものが救われないのは間違いありません。