熊本へ‐1288‐ 

昨晩、熊本入りしました。

夕方の便で伊丹を発ち、熊本空港からバスを乗り継いで2時間。夜の8時頃に災害対策本部のある嘉島町民会館に到着しました。

熊本市街を上空から見ると、キラキラと輝き、「水の国」熊本が視覚的に理解できます。

市内にある水前寺江津湖公園 は、阿蘇山系に降った雨水が、豊富な湧水となって出来たものだそう。

市の水道の多くが地下水で供給されているというから驚きます。

地震から3カ月経ちましたが、ブルーシートで屋根を覆っている家が、まだまだ残っています。

目的のバス停に着きましたが場所が分からず、通りがかりの人にたずねました。

上品な感じの女性で「遠いから乗せていってあげる」と。キャリーバックを引いているから、支援活動の人かなと思ったと仰っていました。これまでに沢山の人がボランティアに来ていたのです。

今日は朝8時半から、建物の被害認定調査をします。

今年のゴールデンウィーク前、大阪府建築士協会からの要請で、危険度判定活動に参加する予定でした。

しかし、直前になって「受け入れ態勢が整わず」とのことで中止に。

今回は日本建築家協会(以下JIA)からの要請でした。

色々なプロジェクトが進行するなか、かなりの時間を使い、また、それ相応の出費も必要で、大阪を離れて良いものか迷いましたが、参加することにしました。

この日本に、幸せな建築を求める人が居り、仕事をさせて貰うことで、私は育てて貰いました。もし授業料を払っての勉強なら、これだけの長い期間、一つのことを続けることは不可能です。

1995年24歳の時の阪神淡路大震災から、2011年41歳の東日本大震災まで、実際に行動に移せたことはありませんでした。社員が成長した今なら何とかなるかもと思ったのです。

建築を生業にするなら、日本の風土を受け入れるところから全てが始まります。

まずは調査活動に汗を流します。そして受け入れ、向き合いたいと思うのです。