神戸市役所、三宮駅を貫くのがフラワーロード。
ネーミングの理由は聞いてみたい気もしますが、文字通り神戸の目貫通りです。
新緑がまぶしい季節になりました。
南東にある、貿易センター駅で降りると、目の前にあるのが神戸サンボーホール。
1995年の震災の際、神戸市役所は、ワンフロアが完全に崩壊するなどの被害を受けました。
震災直後、仮の庁舎となったのがこの神戸サンボーホールでした。
現在は民間でも受付可能ですが、当時は市役所でのみ建築確認が可能でした。
市役所の人がいたら申し訳ありませんが、神戸市に限らず、建築確認申請を受け持つ部署は、一様に愛想がわるかったものです。
こちらの知識がおぼつかなかった事もありますが、若い頃はいじめられた記憶しかありません。
しかし、震災後は全く違う雰囲気でした。
官民とも「どんどん建物を供給しなければならない」という雰囲気が充満し、初めて役所と一体感を感じて仕事をしていました。
熱に満ちたサンボーホール2階の景色を、今でも覚えています。初めて、仕事で人の役に立ったと実感できた時だったかもしれません。
2軒目の設計事務所に勤め、ハウスメーカーの孫請け仕事をしていた、25歳の頃のことです。
当時は建物を見る余裕もありませんでしたが、ピロティーによって持ち上げられたプランは、コルビュジエ、前川國男の影響が感じられます。
1969年、日建設計の仕事ですが、震度7に無傷で耐えた強者だったのです。
海岸通りを西に向かうと旧居留地街。
更に西へ行くと、巨匠フランク・O・ゲーリー設計のフィッシュダンスがあります。
右にある建物も彼の設計です。
外膜はチェーンリンクメッシュで製作されています。
先日、新国立競技場のコンペで話題になった、ザハ・ハディドが亡くなったというニュースがありました。
そのデザインが奇抜過ぎるが故、という話ばかり出てきますが、フランク・O・ゲーリーこそ、自由な形態の先駆者と言って良いでしょう。
ゲーリー、ザハ、とも3Dコンピューター技術の発達によって、その表現を手に入れて行ったのです。
南西には神戸ポートタワー。
こちらも日建設計のデザインで、1963年の完成とありました。
50年前に、この形態を実現していたことを考えると、日本の技術、美意識をもっと誇って良いかもしれません。
当初は銀色のイメージだったという記述もあり、シルバーバージョンも是非見てみたいもの。
細く、軽く、本当に美しい建築です。
阪神高速京橋出口あたりに、崩壊した橋脚が保存されていました。
同じく橋を支える部材はせん断破壊されていました。
6千人もの命を奪った自然の力が形として残っているのです。
「一番大切なものは命」だと、子供には繰り返し、繰り返し伝えています。この優先順位は誰にとっても変わることはありません。
人生の夏を謳歌していただろうザハが亡くなったと聞き、より思います。生きてこそだと。
ただ生き ただ死す
ただの二文字に
一切が輝き
ただの二文字に
万有が光る
坂村真民
命の始まりも、命の終わりも、自分で決めることは出来ません。
ただというひたむきが、輝き、光るのです。