子育てには、終わりが必ずやってくる‐1251‐

 2月29日。うるう年の恩恵を感じる週の始まり。

 逃げる2月において、皆共通の感想だと思います。

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 エキスポランド跡に出来た、エキスポシティー。「日本最大級の大型複合施設」とあります。

 そのうちの1つ、「ニフレル」へ初めて行きました。「感性にふれる」の「にふれる」が名前の由来とあります。

 水族館と動物園の良いところを合わせたミュージアムという感じの施設でした。

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 「にふれる」は7つのゾーンに分かれています。

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 全体をアートディレクターが統括しているのだと思います。

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 飼育という視点だけで、このよな展示の仕方になる事は無いというのがその理由。

 テーマ通り、色の対比が非常に効いていました。

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 2つ目のゾーンも徹底していました。

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 アナゴの一種だったか、ゼリー状の海底の中から頭を出していました。

 姿かたちが、良く分かります。

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 ホワイトタイガーも、エサにつられてですが、ザブンと池に飛び込みました。

 流石の迫力です。

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 子供が一番喜んでいたのは、手の古い角質を食べてくれるドクターフィッシュ体験。

 放っておけば、指が無くなってしまうのでは、というくらい動きたがりませんでした。

 やはり、自分が体験出来る面白さに勝るものはありません。

 他のゾーンも工夫が行き届き、概ね好感を持ちましたが、展示が美過ぎて物のようにも感じ……

 微妙な気持ちも残りました。

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 エキスポシティー内にある巨大ガンダム。

 もう何でもある所でした。

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 帰りは、向かいにある万博公園で遊び。

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 家に戻ってから、バッティングセンターへ行きました。

 野球は、長男が今一番興味があるスポーツです。

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 最後は、私が30年切って貰っているお店へ初めて連れて行きました。

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 エキスポシティーに行ったそもそもの目的は、長男がショップにある鉱石を買って欲しいと言ったから。

 誕生日プレゼントのリクエストでした。

 私としては、この日一日が、長男へのプレゼントのつもりでした。

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 以前に少し書いたのですが、長男と暮らすのは、あと1年になる可能性が結構あります。

 寂しい気持ちも無いではないですが、いつまでも子供でも困ります。

 男の子であれ、女の子であれ、いつかは独立して行きます。自分の夢があるなら、応援してやりたいと思うのです。

 ビートたけしは「子供は自分のものだと思ってはいけない。預かりものだと思って育てないと」と言っていました。

 彼も私も、そう言えるくらい、子育てもしているのかは微妙ですが。

 子育てにはいつか終わりが来ます。これは間違いありませんが、思った以上のスピード感でやってくるような気がしています。

メディアにのる‐1250‐

 昨秋、全自動洗濯物折り畳み機を発表したセブンドリーマーズ

 先週土曜日には、ジャンボこと尾崎将司選手との契約を発表。 社長、阪根との2ショットもYahooニュースに掲載されました。

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 芝公園ラボで試打させて貰いましたが、久し振りの私で270ヤード。尾崎選手なら370ヤードは飛ぶはずです。

 「宇宙工学だよ。飛ばないわけがない」のコメントが全て。

 69歳にして、レギュラーツアーを目標にしている、ジャンボ尾崎選手に注目せざる得ません。

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 23日(火)の夕方、テレビ大阪のニュースでは、梅田ラボも紹介されていたよう。

 すでに、メディアが放っておかない存在になっていると言う事です。

 負けていられないと、同じく23日(火)、フジテレビ『みんなのニュース』で「阿倍野の長屋」が紹介されました。

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 「リノベーションの特集があるので」と、ディレクターから連絡を貰ったのが22日の月曜日。

 翌23日に「阿倍野の長屋」で行きたいと再度連絡がありました。金額の露出もあるので、クライアントに相談すると快くOK。

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 本家・ビフォーアフターのテーマに乗せて、3枚の画像を紹介して貰いました。

 コメンテーターが、「この作品を手掛けた、守谷(もりや)さんによると、リノベーションは新築の8割程の価格」と私のコメントも紹介して貰いました。

 名前の読み違いはご愛敬ですが、ディレクターも「ばっちりでした」と喜んでくれました。

 資料を送ってから放送までは3時間。テレビはいつも時間がタイトなのです。

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 また、2月20日発売の『月刊ハウジング4月号』には「滋賀の家」が掲載されました。

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 「好きな間取り」という特集記事の、第1位が「対面式キッチン」。その実例として紹介です。

 このコーナーの中では、一番大きな扱いでした。

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 私が撮った、奥さんが料理をするカットとパントリーのカットも一緒に掲載。

 家を建てたいと思っている人が、どんな風景を見たいのか。それはいつも考えています。

 クライアントで、メディアに載ることが好きな人は極僅かです。

 それでも、出てくれるのは、アトリエmの役に立つのならという気持ち以外にないはず。

 そう考えると、私が最も誇れる商品は、クライアントとの関係なのです。

 「滋賀の家」に続いて「阿倍野の長屋」の取材も決まりました。

 お世辞を言う訳でもない私と、長い時間を掛けて建築を創り上げる。そして、最後はメディアにまで出て貰う。

 本当に有り難いことだと、つくづく思います。

 多く選択肢から選ばれるには、常に全力の総力戦です。その中に、クライアントが入っているのが味噌なのです。

「楽しい」と「楽しくない」の分水嶺‐1249‐

 今年の正月は、御岳山・開田高原で過ごしました。

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 長男と私がスノーボード。他の親族は皆スキーです。

 2014年の3月、「滋賀の家」のクライアントに、スノーボードを教えて貰って以来、雪上での苦悩が始まりました。

 開田高原では、嫌という程こけました。低温につき、全面アイスバーンで、あちこちにアザが出来る始末。

 得意なはずの雪上で、無様な姿をさらし続け、同じ日に始めた長男との差は開く一方なのです。

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 出来れば滑りたい長男。

 昨日は現場打合せの後、そのまま奥伊吹スキー場へ。道中に見えるのは伊吹山です。

 子供の頃、仕事終わりの2tonトラックで、ここに滑りに来た事があります。どこか近くの現場があったのでしょう。

 それでもトラックでスキーとは。父は、確実に私よりスキーが好きだったと思います。

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 奥伊吹スキー場は更に北。関西のスキー場も捨てたものではありません。

 気温が低かった事もあり、適度に雪面も締りグッドコンディションでした。

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 長男は、安定感が増してきました。

 子供は本当に呑み込みが早い。

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 やるからには、私も真剣です。ようやく、何とかターンしながら下りてこれるようになってきました。

 長男に、写真を撮ってみてと頼むと「こけても撮るで」と。

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 その通りに。

 意外に写真が上手いのかもしれません。

 相変わらず派手にこけていますが、また行こうと思えるようにはなりました。

 今回、ターンとターンのつなぎ目の体重移動を思い切ってするようにしました。自信なく、恐る恐るの体重移動が、逆エッジを引っかける原因ではないかと考えたのです。

 長男に言うと「そうやで」と。知ってたなら教えてくれですが、やはり、不安が上達を妨げていたと分かります。

 スノーボードを始めて延べ4日。「面白い」と「面白くない」の分水嶺が4日目にやってきました。

 現在、インターンシップに20歳の若者が来ています。元・高校球児で、動きもきびきびとして、好感が持てるのです。

 出来れば、仕事の楽しみ、仕事の苦しみ、そしてのその先にある充実を伝えることが出来ればと思います。

 「安楽は充実を生まない」   

 「恐れとは、信頼の欠如」  

 スポーツでも仕事でも、原理原則に違いは全くありません。

 しかし、仕事においての分水嶺が4日や4カ月でやってくることが無い事も伝えておかねばと思うのです。

ジーニアス‐1248‐

 昨日は、「KISHIWADA House」の現場へ行っていました。

 現場は、南海電鉄の駅から5分程です。

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 南海電車は、難波と和歌山を結ぶ私鉄。

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 関空特急のラピートが有名ですが、基本は青の鉄人28号バージョンです。

 プロダクトデザイナー・建築家の若林広幸の作品で、彼は京都の老舗漬物メーカー、西利本社も設計しています。

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 昨年の夏、LCCのピーチとタイアップした、白バージョンをみました。

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 昨日、新今宮駅で見た銀河系ラピート。

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 スターウォーズとタイアップした、黒バージョンです。

 ラピートは、「レトロフューチャー」がデザインコンセプトとありますが、どのカラーも本当にかっこいい。時代に耐えうるデザインです。

 2月12日(金)の新聞は『重力波 初観測』の記事が一面を飾りました。

 100年前に、アインシュタインが存在を予言していたとあります。

重力波 = 重力の周りの空間をゆがめている物体が動くことで、ゆがみが波紋のように周囲に広がっていく現象。全ての物質を光速で通過し、減衰しないとされる。人が腕を回しても発生するが振幅が小さすぎて検出できない。非常に重い中性子星同士の合体やブラックホールの誕生、超新星爆発など大規模な劇的な現象によるものは観測可能とされる。重力波による空間のゆがみをとらえる装置は、太陽と地球の距離(約1.5億キロ)が水素原子1個分伸び縮みする僅かな変化を完治できるほどの高感度を求められる。

 初めの「重力の周りの空間をゆがめている物体」という言葉だけで、もう分からなくなってしまいます。

 測定できないものを理論上で解明し、100年後に観測されるなど、天才と言うか、もう神の領域です。

 「進化論」のチャールズ・ダーウィンも時代を変えた天才の一人。1858年『種の起源』の中で発表しました。157年前の事です。

 若い頃のダーウィンは、ビーグル号に乗って世界一周をする機会を得ました。そして、南海の孤島、ガラパゴス諸島で、それぞれの島に固有の種が居ることから、進化論を着想した。という事になっています。

 2014年、NHKの「スーパープレゼンテーション」で、作家・スティーブ ・ジョンソンの回。こんな話がありました。

 ダーウィンは自伝の中で「自然淘汰」のアイデアが「ひらめいた」瞬間を書いている。1838年10月に人口に関するマルサスの著書を読んでいる時とあるが、10年か20年程前に、ハワード・グルーバーという学者がその時代の彼のノートを調べてみた。彼はどんな些細な事もノートにとっており、その何カ月も前から、自然淘汰の理論は出来上がっていたことが分かった。

 完全に確立出来ていたかは別にして、新しいアイデアは長期に渡って練られ、それがネットワークのようにつながったとき、イノベーション(革新)が生まれるというのが、彼の主張でした。

 相手が天才であっても、過程は鵜呑みにしてはならないのかもしれません。しかし、興味を持ち続けることが、天才の必要条件ではありそうです。

 天才=ジーニアスは「守護霊」や「守護神」を 意味するゲニウスが語源とあります。

 日々の仕事の歩みは、三歩進んでは二歩下がり。本当に遅々としたものです。

 神でも天才でないなら、せめて諦めないクレイジーで居なければと思うのです。

とどめの一撃‐1247‐

 土曜の晩はかなり雨が降りました。

 一雨ごとにの言葉通り、昨日は一気に春の装いでした。

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 庭先の梅も一気に咲き始めています。

 日本人の心を、春へ案内し続けてきた花。まさに希望の花と言えます。

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 朝、高台から見下ろす大阪キタのビル群は、なかなかに幻想的です。

 先週の木曜日、再度「高台の家」の撮影に行っていました。

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 一度自分で撮ったのですが、やはりプロに撮って貰うべきと、写真家にお願いしました。

 この日はずっと快晴で、絶好の撮影日和でした。

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 雲の無い状態が、これだけ長時間続いたのは、何十年か振りかだそう。

写 真家も、いつも以上に(いつも通りに?)気合十分で撮ってくれました。

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 建築の写真は、晴れと曇りとで、全くできが違います。

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 「釣りの日が、全部雨になってもいいから、撮影の日は晴れにして下さい」と勝手な神頼みをするのです。

 昨年の11月、NHKの「プロフェッショナル」が10周年を迎えました。

 その特番で、主題歌「progress」を歌う、スガシカオの創作の現場に密着という回がありましたが、ようやく録画を観たのです。

 彼はシンガーソングライターですが、どちらかと言えば、詞のほうにフォーカスしていました。

 Mr.Childrenの桜井和寿が「自分の醜いものや隠したいものがどうしても出てしまうのか、出しているのか」そこが凄いと語っていました。

 「川の流れのように」を書いた秋元康や、ノーベル賞候補に上がる村上春樹までが絶賛する詩人なのです。

 SMAPに提供した「夜空ノムコウ」も彼の作詞です。こう言っていました。

  現在を『あの頃の未来』と表現したことで、この曲はできた。

 後年、芥川賞の選考委員をしていた作家・開高健は受賞作を選ぶ基準をこう表現しました。

 その作品に『鮮烈な一言半句』はあるか?

 「クー・ド・グラース(とどめの一撃)」とも表現しています。

 坂の街に住むと決意したクライアントがこの土地を選び、この家は出来上がりました。

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 擁壁を超えてはならないという市条例、擁壁に荷重を掛けたくないという設計意図、階段状敷地が故の高さ制限。

 それらの条件をクリアする為に考えたのが僅かに宙に浮く片持ち構造の階段です。ミリ単位で擁壁際を狙っています。

 『鮮烈な一言半句』 『とどめの一撃』はあるのか……

 賞レースで問うてみたいと思います。

鳥井も松下も早川も草葉の陰から見ているぞ‐1246‐ 

 昨日は、住吉区へ現地調査へ行っていました。
 
 阿倍野区、住吉区は帝塚山で知られる通り、閑静な住宅街。このエリアで、5件程仕事をしました。

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 中央部にある万代池は、都心部は憩いの場。住所は「バンダイ」ですが、地元の人は「マンダイイケ」と呼ぶそうです。

 調査に行った先で、この辺りは空襲を逃れたのだと教えて貰いました。

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 よって、築70年以上と思われる長屋が沢山残っています。

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 ヨーロッパの街並みのように、日本の街にも秩序があった時代です。

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 阿倍野区にあるシャープ本社は1912年創業。平野から住吉に向かう途中にあります。

 経営悪化から、台湾企業「鴻海(ほんはい)」傘下に入る可能性が濃厚なよう。

 パナソニックは大阪を代表する企業ですが、シャープは阿倍野に本社がある通り、南大阪に沢山の工場があります。

 近所にも社宅が沢山あったり、同級生の親が社員だったりと、私にとっては身近な企業でした。

 関西を代表する企業、サントリー(寿屋)は1899年、鳥井信治朗によって創業されました。戦後、GHQにウィスキーを売るなどして、逞しく会社を成長させて行きました。

 一方1916年の創業している松下電機は、戦時中、飛行機などの部品を作っていた為、GHQに睨まれます。戦後すぐに大変な苦境に立たされるのです。

 そんな時、松下幸之助は旧知の鳥井に「鳥井はん、あつかましい話やけど2、3万円貸してくれへんやろか」と言いました。

 鳥井は「なに水くさいこというてはんねん」と10万円渡したそうです。今の額に置き換えると7000万円相当。それがなければ、現在の大松下は無かったかもしれません。

 7000万円と7000億は正に桁違いの額です。産業革新機構が日本だから良いのかも分かりません。しかし、他国から日本の企業はどう見えるのか。

 「やってみなはれ」 鳥井信治朗

 「この世に起こることは全て必然、必要、そしてベストのタイミングで起こる」 松下幸之助

 「人に真似される商品をつくれ」 早川徳次

 シャープペンシルを発明、国産第一号のテレビ、そしてアクオス、ヘルシオと、正に革新的な商品を生み出し、また真似されています。

 いずれも、戦火をかいくぐり発展してきた偉大な企業です。

 4年ほど前だったか、シャープに勤めるご家族から、フルリノベーション依頼がありました。

 企画も気に入って貰い、さあ計画スタートと行った時、会社の経営不振が顕著になってきます。

 転勤の可能性も高くなり、依願退職も募りだし、不安を感じた家族は、その計画はストップすることにしました。

 大企業は、多くの真面目な、愛社精神を持った家族の生活を背負っているのです。

 大手建材メーカーにの問い合わせをした時、明らかに「御社だけがお客様ではありませんので」という、応対をされたことが何度かあります。

 私たちが設計する建物は、年に10件ほど。大手ハウスメーカーに比べれば、ほんの僅かなものです。それ故、知名度を上げるためやっきになってやってきたのですが。

 すべての電話、全ての応対がこれで良かったのか。大企業病に陥ってはいないのか。僅かなところに差がでるのです。

 シャープ再建の鍵が、何かは全く知りません。

 しかし、鳥居も、松下も、早川もいつも、草葉の陰で睨みをきかせているはずです。

アスリート vs 経営者‐1245‐

 立春が過ぎ、僅かに寒さも和らいだでしょうか。

 現場にとって、厳しい時期には変わりはありませんが。

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 「KISHIWADA HOUSE」は基礎工事が終わったところ。

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 まだ吹きさらしの状態での水仕事は大変です。

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 暑いから、寒いからと、金額が変わる訳ではありません。

 勤勉な職人の手によって、日本の建築現場は支えられているのです。

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 現在は、基礎のベースコンクリートを打設したところ。

 「羽曳野の家」はリノベーション。 吹きさらしよりは、少しはましです。

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 それでも、暖を取る為の電気ストーブがおいてあります。

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 「長田の家」は外壁まで出来上りました。

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 随分ましになったと、監督も言っていました。

 三軒三様。過程を見て、現場の苦労と、家の有り難さがよく分かります。

 この一週間、清原の名前が記事に上がらない日はありません。

 野球選手とタニマチの関係は、野村克也の著書「野村ノート」にもありました。ここでは、阪神の選手ですが、彼ほどの知名度があれば、状況は同じでしょう。

 名経営者、京セラ名誉会長・稲盛和夫さんは、こんな話をしてくれたことがあります。京セラ所属の選手が、女子マラソンでオリンピックへ出場した時のことです。

 稲盛さんは「必ず前半からトップグループについて行くように」と彼女にアドバイスしていたそうです。

 コーチから「会長はマラソンの事はご存じないので」と、口を挟まぬよう言われました。しかし「マラソンのことは分からなくても、仕事の事は分かる。初めから全力疾走していなければ、今の京セラはなかった」と言いました。

 その選手は、確か目標通り5位前後に入賞したのですが、稲盛さんは、「可能性があったのだから、一番、せめてメダルを目指すべきだった。死にもの狂いで、トップ集団に付いていくべきだった」と言ったのです。

 経営(仕事)は、毎日毎日が真剣勝負。社員の生活を預かって、一日一日を命懸けで働いている。たった4年くらい、全力で努力が出来なくてどうする。私達は、オリンピックのメダリストより、大変な事をしていると言っても言い過ぎではないと。

 人の体は年老いて行きます。その自然の摂理を受け入れた人だけが、アスリートとして生きて行けます。その分儚く、それ故、放つ光が美しいのです。

 48歳の大人なので、全て自分の責任です。裸の王様に聞く耳はなかったのしょうか……

 寒空の中「KISHIWADA HOUSE」で、モルタル詰めをする職人が、はつらつと働く様を見て、これが仕事じゃないかと思います。

 主役以外の仕事に敬意を払えない世の中になって行っているのでは。そんな事を危惧するのです。

天才の勤勉と孤独‐1244‐ 

 現在、グランフロントで「ダ・ヴィンチ展」が開催中です。

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 芸術家、科学者、技術者としてもすぐれた、言わずと知れたルネサンスの天才。

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 彼の手稿(メモ書きのようなもの)が精巧に復元され、多数展示されています。

 自画像のデッサンを見ると、異次元なのだと理解できます。

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 展覧会のwebサイトに、彼の言葉が載っています。

 「簡単でいいのでメモを取る。その為に、小さなメモ帳をいつも持ち歩く」

 同じレベルでは描けないまでも、これはすぐに真似出来ます。早速、小さなメモを買いました。

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 彼の考えたヘリコプター等、多くの模型が展示されていますが、メインはやはりアンドロイド。

 目の動きなど、今まで見たなかで、最も精巧でした。

 現実に働く、人型ロボットが生まれる日が、確実に近づいていることを実感します。

 それが人類の幸せに貢献するものであることを祈るのみです。

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 レオナルド・ダ・ヴィンチ=ヴィンチ村のレオナルド。

 言わば「村の天才」という意味です。生家の写真がありましたが、なかなかに恰好のいい建物でした。

 彼はここで庶子として生まれ、祖父の元で育てられました。

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 ヴィンチ村はフィレンツェ近郊の村です。

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 15世紀中頃、フィレンツェは隆盛を極めていました。

 この街でヴェロッキオに師事し、芸術家としてのスタートを切ります。

 しかし、横暴な政治を行っていたメディチ家を、ダ・ヴィンチは嫌っていたようで、活動の拠点をミラノに移します。

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 花の都には劣るもの、繊維産業や兵器産業が盛んなミラノで、画家として、技術者として、徐々に仕事を得て行ったのです。

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 2012年に訪れた際、ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラッツィェで「最後の晩餐」を観ました。

 完成まで3年の時間を要しています。

 彼は完璧主義の為、作品として残したのは十数点にすぎません。その意味でもこの大作は貴重だと言えます。

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 1995年、24歳の時にルーブルで「モナ・リザ」をみました。

 感激で心震えた、と言えれば良いのですが、第一印象は「意外に小さいんだな」というもの。

 しかし、当時も天才の本物を観たいと思っていたのです。

 ダ・ヴィンチは、溢れる才能と、繊細な神経ゆえ、人に心を悟られるのを嫌い、鏡文字を書いたそうです。

 こんな言葉を残しています。

 「独りでいる時、人は完全に自分自身になれる。ところが、たった一人でも連れがいれば、自分の半分になる。連れの言動が思慮に欠けるものであれば、それにより、さらに自分は減るかもしれない」

 この展示会では触れられていませんが、後年、彼の回りには、常に若い男が居たことや、男色の容疑を掛けられたことがあることから、ホモセクシャルだったのではと言われています。

 独りを愛し、鏡文字を書く天才。孤高という言葉がしっくり来ます。

「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」

 太宰治が引用したフランスの詩人、ポール・ヴェルレーヌの一節ですが、少し分かると言えば、失礼でしょうか。

「美」の構造‐1243‐ 

 「行く・逃げる・去る」の通り、1月はあっと言う間に行きました。

 今日から2月。逃げられないよう、しっかり捕まえておかなければ。

 先月のことですが、豊中へ行っていました。

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 千里中央駅まで移動し、電車に乗ったのですが、駅向こうに見える景色に驚きました。

 阪急・千里中央店の外観がとてもダイナミック。

 力の流れを、そのままデザインに持ちこんでいるのだと想像しますが、最外のフレームは耐震補強の為か。

 いずれにしてもかなりの迫力。「連続の美」と言えそうです。

 先週、この阪急で働いていたという人と話す機会がありました。

 「凄い百貨店ですね」と熱っぽく語ると、「本店の次に出店したはずですが、内部のほうは……」といった感じ。

 70年代に完成したようですが、設計者を調べてみましたが分からずじまい。もしかすると天井高が低いのかもしれません。今度は中ものぞいてみます。

 「美」はそれぞれが感じるものなので、様々な答えがあります。

 しかし、カテゴリー分けすることは可能でしょうか。

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 朝靄の立つ湖。

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 凪の海。

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 水平線に沈む夕日。

 人も自然ですから、自然の美しさは無条件に受け入れられます。

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 強さに裏付けされた肉体なども、美の一つでしょうか。

 美というよりは、本能に近いのかもしれません。異性に求める美もこの一種か。

 「モナ・リザ」の美しさは、ダ・ヴィンチという人が表現したものですが、描いている対象は人。これも自然界の美が基本にあります。

 一方、ミロやモンドリアン等の抽象画、建築等は、「人が作った美」。自ずと、好き嫌いが分かれます。

 「空間なんて好みじゃない」と時々言われます。

 しかし全体のストーリーを整理し、その人らしい秩序を成立させるのが、私の仕事なのだと考えています。

 着物の上に、有名ブランドのジャケットを羽織り、革のブーツを履いている紳士が居たとします。それぞれの物は高級品。

 しかし、それを素敵だと言う人は居ません。服なら誰もが分かるのですが、空間は、このあたりが分かり難いのです。

 川の水がヘドロのように真っ黒で、無臭・無害だとします。機能的に問題が無くとも、気分が良い人はいません。

 「機能を満足する」の先にある「美しい」。それは、人にとって大切なものだという信念があります。

 建築を例にしましたが、物創りをする者にとって「美しい」を追求するのは、義務と言って良いと思います。

 次の機会には、なぜ私が「美しい」を求めるかを書いてみます。