暗愁のゆくえ‐1226‐

 大阪に元気がないと、よくメディアに書かれてます。

 周りの人は皆忙しそうで、そういった認識は、ほぼありません。多少の反発も込めてですが。

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 しかし「大大阪」と呼ばれた時代と比べたら、そうは言えないかもしれません。

 明治から昭和に掛けて、その中心地は北浜でした。当時のランドマークが大阪証券取引所なら、現在はザ・北浜か。

 地上54階。建設当時は日本一高いマンションのふれこみでしたが、現在も一番なのでしょうか。

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 このあたり、当時の建物が多く残ります。

 ザ・北浜の南西にあるのは青山ビル。

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 1921年の完成です。

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 蔦に覆われた姿が代名詞ですが、冬枯れの姿も、それはそれで味わいがあります。

 街には、学ぶべきものが沢山あるのです。

 7年ほど前、この界隈で、マンションのフルリノベーション計画を進めていました。

 高層マンションからの眺めを最大限に生かした、浴室のやり替えがメインの計画。ビル管理会社と遣り取りし「何とかなりそう」とあたりをつけまいた。

 提案したプランも気に入って貰い、実際に契約。しかし、計画はとん挫しました。

 浴室部分に係る費用を詰めて行くと、予想を大きく上回る金額になりました。それが叶わないならと、計画はストップしたのです。

 契約をして貰う前に、もっと入念にリサーチしていたら。浴室の提案も、もっと他の方法があってのでは。

 非常に悔いの残る仕事になりました。北浜に来ると、いつもこの計画を思い出します。

 作家・五木寛之は、喜びや元気、笑いといった”プラス思考”だけを強調する風潮を憂慮しています。

 「明治時代には悲哀や憂いといった暗愁を理解する人間が尊敬された。人間は泣くことでもたましいが浄化できるように、”悲”が持つ重さをもう一度振り返ってみるべきだ」

 「暗愁のゆくえ」という講演での言葉です。

 誰も、明るい、強いが好きですが、マイナスの出来事が、自分を鍛えてくれます。

 とことん深く悔やみ、それが済んだら、前を向いて進むしかありません。

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 阪急のコンコースにイルミネーションが灯り。

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 ディスプレイの飾りつけが済んだら、いよいよ年末。

 良い新年が迎えられるよう、ギアを一段上げてラストスパートです。