新聞広告‐1216‐

 来々月、12月12日(土)にセミナーを開催します。

 本日の産経新聞、大阪市内版広告が出ていました。

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 写真は「野洲の家」の夕景です。

 新聞広告を出すとは聞いていたのですが、日にちは聞いておらず。ちょっと早すぎる感もありますが。

 場所は、天六の住まい情報センターです。

 一緒に暮らすをテーマに話をしようと思います。時間がある方は、是非遊びに来て下さい。

甘みと苦味‐1215‐

 10日ほど前、芦屋川の旧山邑家住宅について書きました。

 設計者のフランク・ロイド・ライトと代表作である「落水荘」にも少し触れました。

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 私が訪れた際に撮った写真を、webサイトのtravelのページに上げています。

 先日、スーパーゼネコンの元設計部長の方から電話がありました。「リビングの写真が素晴らしいから使わせて貰えないか」というもの。

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 大学での講演を本にするという事でしたが、このようなオファーは時々あります。

 中でもアメリカのページからは、今回で3回目くらいでしょうか。

 私はプロの写真家ではないので、クレジットさえ入れて貰えれば出来る限り協力します。また責任も無いのでただ嬉しいだけ。

 これは、私が特別に写真が上手い訳ではなく、いくつか理由があります。

 質の高い一眼レフのカメラに、専用のレンズを付けて撮らなければ、建築は美しく撮れないのです。

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 今日も「宝塚 RC打放しの家」のへ行っていましたが、現場へもこのカメラを持って行きます。

 そうでなければ、空間の全体像を捕らえるのが難しいのです。

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 加えて、35mmのズームレンズも。

 光と影を撮る際に、まったく空気感が違うのです。

 また、長く設計事務所をやっていると、テレビ関係からも時々オファーがあります。

 テレビとなると、クライアントの了解が出ない場合が多いのが現実です。今月初めにも、テレビ番組のオファーがありました。

 この時は、クライアントはOKしてくれたのですが、結局は流れてしまいました。

 このような事をご褒美とするなら、失敗や苦難は人生におけるスパイスのようなものでしょうか。

 勿論失敗など無いに越したことはありませんが、苦味の効いていないビールもコーヒーも、歯ごたえのないものです。

 「日々を丁寧に生きる。そして苦渋はなめつくす」

 長嶋茂雄はこう言いました。

 可能なら避けたいですが、自身を成長させるのは、苦味であるのは間違いないようです。

どこに住もうか‐1214‐

 木枯らし一号が吹き、いよいよ冬の気配が色濃くなってきました。

 しかし、今日も良い天気です。

 少し前になりますが、10月10日(土)は京都へ行っていました。

 丸善・京都本店で、日本建築家協会が主催する「住宅無料相談会」に参加していました。

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 連休中ということもあり、秋の京都は人出が多い。

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 丸善・京都本店は、この夏リニューアルした京都BALの地下にあります。

 若い夫妻がわざわざ大阪から相談に来てくれました。

 「職場の関係で、概ね住むエリアを決めているもの、何から始めて良いのか……」

 こういった悩みをもって居る人は結構居ます。制約が少なければ少ない程、土地探しは簡単でないのです。

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 2007年に来所した「池を望む家」のご夫妻も、職場の関係から、概ねのエリアは決めていました。

 しかし、①崖の土地、②閑静な住宅地、③池のほとりと、3つの土地で迷っていました。

 ご主人は、高校生の頃、悩みがあると大阪城の堀を見ていたことを思い出したそうです。

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 そして、池を望む家を建てました。

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 「宝塚RC打放しの家」のクライアントは、ご主人が仙台、奥さんが京都の出身です。

 色々な土地を見れば見るほど迷ったと言います。自分達が住みたい場所とは?

 多くの敷地を見に行った後、自分達は「坂のある街」が好きなのだと分ったのです。こちらは11月末に竣工予定。

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 「松虫の長屋」は、ご主人が暮らした四軒長屋の中央二軒をリノベーションすることにしました。

 母と同居でなければ結婚出来ないと言ったそうです。

 思い切って2階に光庭をとりました。来月初めに撮影の予定で、楽しみにしています。

 スティーブ・ジョブズもこう言っています。

 自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っている。だからそれ以外のことは二の次でいい。

 もし、自分達の住む場所を探している人がいたら、大いに悩み、好きを見つけて欲しいと思います。

 答えはあなたの心の中以外にないのです。

 勿論、これは土地探しだけに限ったことではありませんが。

人の鑑・アニキ‐1213‐

 秋深き 隣は何を する人ぞ

 絶句となった「旅に病んで 夢は枯野を 駆けまわる」を除けば、芭蕉、最後の句だそうです。

 亡くなる2週間前、晩秋の大阪で詠んだものでした。

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 秋であろうが、なかろうがという気もしますが、病床に伏した芭蕉を思うとより情感が伝わってきます。

 阪神タイガースの監督に、金本知憲氏が就任しました。

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 阪神は、言わずと知れた関西の人気球団。トラキチではないのですが、金本氏は気になる監督です。

 失礼ながら、キャリアを簡単にまとめてみます。

 1991年、ドラフト4位で広島に入団。非力な選手だったが、ウェートトレーニングによってそれを克服。広島で主軸を務める。2003年、FA権を行使し阪神に移籍。リーグ優勝に貢献。腕が骨折したままヒットを打つなど、連続フルイニング出場を続け、世界記録を樹立。ファンからも絶大な支持を受けたが、2012年惜しまれながら引退。

 阪神は1985年の優勝から、長い低迷期を迎えました。

 弱小チームだったヤクルトを、3度の日本一に導いた野村克也監督。1999年、球団に請われ阪神の監督に就任します。

 野村は、チームに入りその雰囲気に驚いたと書いています。

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 最下位に落ちても、そこそこ観客の入る甲子園球場。また、2軍選手であってもタニマチが付き、遊ばせて貰える。また、そのタニマチが、チーム、監督の批判をすると言います。

「おまえを使わないのは、あの監督が悪い」と。

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 選手こそが主役ですが、チームが無ければ働く場さえありません。

 チームの為、組織の為に戦うのでなく、給料(個人成績)を上げるために野球をやりだす。野村が説いても、その雰囲気は簡単に変わるものでないと感じ、1年での退任を申し出ました。留意するオーナーにこう言いました。

「4番とエースは育てられないというのが持論です。掛布だけは阪神が育てたと言ってもいい。それならあと70年待ちますか」

 また野村は、4番とエースは鑑でなければならないと言います。中心選手が人としても立派なら「あいつがやっているなら」と、集団は良いほうへ向かうのです。

 その彼が、阪神の雰囲気を変えたのが、金本だと言います。

 野村は3年間監督を務めますが、全て最下位。その後を継いだ星野監督は、広島から金本をくどき落としてきました。

 その2003年、阪神は1985年以来、18年振りにリーグ優勝するのです。

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 2007年5月20日。友人に誘われて甲子園へ行きました。この日も金本を4番を張っていました。

 金本は、ちょっとや、そっとの事では痛いと言わない。ましてや試合は休まない。そして、チームへの忠誠心が高い。ファンもその姿勢を知り、アニキと慕うのでしょう。

 これらは、あくまで野村克也の意見です。しかし、プロ野球という日本最高レベルの組織で、こんな事が起っているなら、一般の組織なら、より顕著にその影響はでるでしょう。

 「1人のホンモノに触れれば、100人のニセモノを忘れさせてくれる。それが人間社会の有難さである」

 社会派小説で知られる城山三郎の言葉です。

 私も小さくはありますが、組織のリーダーで4番です。まずは自分がホンモノと鑑を目指す他ありません。

 しかし気になる監督ですが、それも秋が深まってきたからなのか。

ライトその生涯‐1212‐

 運動会も、昨日で一段落でしょうか。

 秋晴れの中、阪急芦屋川の旧山邑家住宅へ行っていました。

 夜、川沿いでライトアップされれいる住宅と言えば分りよいでしょうか。

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 近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で、1924年の完成。

 南向きの山肌に、張り付くような住宅です。

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 東にある急な坂は、ライト坂と呼ぶそう。知りませんでした。

 ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと比べても、環境を取る込むのが巧みです。

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 1階の車寄せからは、低い山手の景色が切り取られています。

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 その上にあるのが応接室。

 中央に石造りの暖炉がありますが、それらを暮らしの中心に据えました。

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 西には芦屋川があるので、高低差のある景色を望めるのです。

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 そして南側に小さなバルコニー。ここでも、見事な景色が切り取られています。

 将来、どのような開発が行われるかを、想像していたかのようでさえあります。

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 3階は個室が並び、4階にはダイニング。

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 ダイニング前には、南に大きく伸びたバルコニー。

 4層が北側にずれながら、実に見事に環境を取り込み、成立させています。

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 深い庇により、水平線が強調されたデザインも、ライトの特徴です。

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 その庇の軒を見上げると、斜めのスリット状に刻まれた天窓。

 みればみるほど、ぐうの音も出ないほどのディティールです。

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 柔らかい大谷石がふんだんに使われています。

 相当な費用、技術、そして理解がなければ実現しなかったはず。CG等無い時代ですから。

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 ライトは26歳で独立。そして42歳までの頃に、第一期黄金時代を迎えます。しかし、65歳までの間、不遇、不幸な時代がありました。

 クライアントの妻とヨーロッパへ逃避行し、2年後に帰国。設計依頼は激減しました。

 さらに、私塾であり、自らの事務所であった、タリアセンで放火、殺人事件まで起こります。

 スキャンダルを起こす建築家をマスコミは追い回し、ライトは海外へ活躍の場を求めました。

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 山邑邸が完成した1924年はライトが58歳の時。1922年、東京に完成した帝国ホテル(愛知県明治村にて保存)と、それらのオファーは渡りに船だったのです。
  
 その後、落水荘を発表したのが1936年69歳の時。これによって、見事な復活を遂げました。

 1959年、92歳の時、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の建設中、その生涯を終えます。

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 第一次黄金期も、不遇も、不幸も、ましてや逃避行もありません。

 それでも、仕事をしていればそれなりに、色々なことが起こります。ライトに比べれば、天保山程度ですが。

 また、彼はタリアセンで、自給自足の生活をし、多くの国々の若者を育成しました。

 私がライトから学べるように、空間は人類の共通言語と言えます。 

 今度、入社試験を受けるのは、韓国人の若者です。日本人の若者が定着しないなら、世界中の若者と働くまで。

 世界には200カ国あるのですから。

ぼやきの言う一流の条件‐1211‐

 最近、長男が野球に興味を持ち出したと書きました。

 朝、出来るだけ一緒に練習しています。

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 しかし、2人でのバッティング練習はなかなか大変で、父にも玉拾いをして貰っています。

 私は小学校4年で本格的に少年野球を始め、中学3年まで野球部に所属していました。ショートかサードでレギュラーを外れたことはありませんでした。

 他の野球少年と同じく、プロ野球選手になりたいと思ったものですが、それは叶いませんでした。

 最近、ようやく「野村ノート」を読みました。

 プロ野球界において、知将といえば野村克也。弱小をチームを何度も優勝に導いた手腕は、だれもが評価するところです。

 ただ、テレビで見るぼやきが好きでなく、憧れの現役選手をバカにしているようで、なかなか手に取れなかったのです。

 野球論は置いておきますが、冒頭から、いきなりハッとされられます。

 われわれの時代はそれが当然だったが、親に楽をさせたいという思いが一流と呼ばれる人達の原動力だった。逆に言えば、一流とよばれる人間で親を大切にしない者はいなかった。親孝行とはすなわち感謝の心である。この感謝こそが人間が成長していくうえで最も大切なものである、というのが私の持論である。そして、そうした成長の集大成がチームとしての発展につながっていく。

 全く苦労をしていないとは言いませんが、何不自由なく大人になり、自分の好きな仕事をさせて貰っています。

 両親とも元気で、今も仕事をしてくれています。

 野村克也は、現在の京丹後市の出身で、今は亡き「白馬の山小屋」のクライアントは同級生でした。

 当時の話を聞くと、間違いなく生活は楽でなかったばずです。

 親を楽にさせてやりたい。そんな思想は、微塵も持ったことの無い私からすれば、想像がつかないほどの大変さだったのだと思います。

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 空き地が沢山あった70年代と違い、野球をするのも一苦労です。

 旅先の佐賀県で、広い芝生公園を見つけて。

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 近所のバッティングセンターで。

 以前、スポーツの語源について書きました。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 野村の教えと共に、楽しみながら苦労をしてくれたらと思います。

 一流の条件。

 これは親に限ったことでは無いと思いますが、自分に足りないものは数限りなくあれど、一番足りていないのは……

 秋の夜長が、そんなことを考えさせるのか。 

手入れ‐1210‐

 長男と2人旅に行ったのは昨年の6月。4年生の時でした。

 今回は娘との2人旅。現在小学2年生です。奈良県最南端にある、七色ダムへ。

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 娘は、起きている間に帰ると、タタッと走って玄関を開けにきてくれます。

 いつまでしてくれるのかは分りませんが、そんな些細な事に、幸せを感じます。

 今回は連休なので宿泊付き。何とかいいとこを見せなければなりません。

 しかし1日目の日曜日は、何年振りかの屈辱のボーズ(1匹も釣れないこと)。

 言い訳するのですが、子供の世話をしながら釣らせるのは、実は結構難易度が高いのです。

 あまりに厳しかったので、その晩色々と情報を集めました。

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 朝靄の立つ、七色ダム。

 2日目に全てを掛けます。

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 魚は深場に落ち、活発にはエサを追わないという情報。

 10mから13mのディープフラットの障害物を、魚群探知機で探し出し、ルアーで直撃するという戦略を立てました。

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 この日、1年に何回あるかという、会心の釣りでした。

 岬がらみの狙ったポイントに入ると、読みがずばずばと当たります。繰り返しますが、こんな日は年に何度もないのです。

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 娘にも、良い魚を釣らせることに成功。

 昼までで上がり、2人で盛り上がりながら帰ってきたのです。

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 池原ダム、七色ダムとも、ボートを昇降する施設がいくつかあります。

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 2千円から3千円くらいでボートの上げ下しをしてくれるのですが、このような施設が出来始めたのが20年前。

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 娘が撮ってくれました。

 それから通っているのですが、当時は凄い人でした。しかしこの日は、たった2組だけ。

 この行楽シーズンでこの利用客数だと、商売としてはかなり厳しいと思います。もっと多くの人が、釣りに来てくれればいいのにと思います。

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 シカの親子を見つけました。

 「キィーッ」という凄い鳴き声を上げ、逃げて行きました。

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 ボートの上にはアキアカネ。

 手つかずの自然に触れ、自然を愛してくれれば良いなと思います。

 また、心がささくれだった時、行きくなるところがあれば良いなとも思います。

 釣りは自分の趣味ですが、何かのきっかけになれば嬉しいのですが。

 養老猛司の著書「手入れという思想」には、日本人と「手入れ」について書いています。

 自然というのは、当たり前ですが「自然のまま」にしています。反対に人工は「思うようにする」ということです。

 思うようにならないから、人の手を入れて、人工のほうに引っ張る。これが「手入れ」という考えです。

 同じ考え方で典型的なものが子育てだと、養老猛司は言います。

 子供は放っておけばよいかと言えばそうではない。どこにもっていったらいいかは誰にも分らない。

 ということは、子育てにしても、お化粧にしても、結局毎日毎日手入れをすることになる。どこにいくかわからないのだろうけど、とにかくそれをやるのだということになる。

 そうやってきたのが、私達日本人の生き方で、それはある意味で自然が非常に強いところの特徴。

 子育てでも、社員教育でも、放任主義がいい、スパルタがいい等という、単純な話ではありません。

 勿論親は不完全ですし、経営者も不完全です。

 どこにいくかわからずとも、今できる、手入れをするしかない。楽しくも切ない。それが子育てで、教育なのです。

イノベーションとリノベーション‐1209‐

■10月10日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■

 昨日のワールドビジネスサテライトでも特集された、セブンドリーマーズ・ラボラトリーズの新事業。

 Yahoo!ニュースにも取り上げられた、全自動の洗濯物折り畳み機でした。

 「人類の夢」とういうタイトルも踊っていました。

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 今年4月にグランドオープンしたセブンドリーマーズの梅田ラボ。当社が設計しました。

 同級生である、社長の阪根から声が掛り、初店舗となる、芝公園ラボ銀座ギャラリーの打合せに行ったのが2013年の秋。

 現在のロゴがまだ決まる前でした。

 まさにそのブランド誕生する前だったのですが、その場で阪根は「今はまだ言えないが、世界があっと驚く物を発表する」と言っていました。

 7Dのキーワードはイノベーション(技術革新)。

 オーダーメード・カーボンシャフト無呼吸症候群デバイスに続き、まさに世の中をあっと言わせたのです。

 パナソニック、大和ハウスという、ビッグエンタープライズを両脇に従え、インタビューを受ける姿は圧巻でした。

 発明王トーマス・エジソン。多くの言葉が教訓として残っています。

 「天才とは1%の才能と、99%の努力による」

 「毎日18時間私は働く。これだけ働いたら、人の倍成功しても当たり前だろう」

 「成功するために一番確実な方法は、必ずもう一度だけ試してみることだ」

 主体性をもち、自分で突破する。リーダーが最も好む言葉です。勿論私も含めてですが。

 しかし、これまでのセブンドリーマーズの発展をみて、この言葉が最も欠かないと感じます。

 「すばらしい発明だからといっても、自然に広まってはくれない」

 エジゾンは、白熱球、電話、映画など多くの発明もしくは、劇的な改善をしました。同時に、GEというメーカーの創設者でもあります。

 どれほど良いものを作っても、それを製品化し、買って貰い、手元に届かなければ、エジソンの名が、これほど世に残ることはなかったでしょう。

 セブンドリーマーズの阪根は、アメリカで博士号を取っている通り、経営者であると同時に優秀な研究者でもあります。

 しかし、学生時代「俺はプロデューサータイプ」と言っていた通り、この部分の能力が突出している感じがします。

 建築においても、イノベーションによって、建物の形態は大きく変わりました。


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 先月訪れた、長崎の出島エリア。

 鎖国時代に、貿易が許された街です。

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 その地に建つ長崎港ターミナルは1995年、高松伸の設計です。

 技術革新がなければ、このような造形は実現できなかったはず。

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 こちらは、佐世保港近くの商店街。

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 一方で、古びた街並みに、安らぎを覚えるという事実もあります。

 建物一つに注目すればイノベーションですが、街という視点に立てば、リノベーションとも言えます。

 リノベーションとは既存のものの価値を上げることを意味します。このミクロの視野とマクロの視野があることが、建築を面白く、奥深くしするのです。

 先日、矢沢永吉がこんなことを言っていました。

  「僕達の仕事は地味な仕事。ステージで歌うという、同じことを何十回、何百回とやってきた」

 派手だけど地味な仕事。この感じ良く分かります。

 私達の仕事、建築設計は人生におけるお祭りのような仕事です。しかし、それを楽しみながらも、浮かれていたは良い仕事は出来ません。
 
 セブンドリーマーズの発展を刺激にしながらも、地道に、今手元にある図面と向き合う。それが私達の仕事です。

 ランドロイドは2016年の発売を発表しました。

 パブリックなコメントでは、女性と言うコメントはありませんでしたが、特に主婦のからは熱い期待が届くはず。

 女性の味方はいつも強いのです。

2017年の春、どんな未来がまっているのか‐1208‐

■10月10日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■

 先週末、バタバタと告知しましたが、母校、高槻中学、高校の文化祭に参加してきました。

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 今回から、OB会のブースが出来、そこで当社の映像を紹介したいと連絡を貰っていたのです。

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 校門を入るといきなり「おう、守谷やないか!」と。

 バシンと肩を叩かれ、見ると体育のY先生。

 来年、退官とのことでしたが、6年間持ち上がって中で、一番怖い先生でした。逆鱗に触れると、時々その鉄拳が……

 豪快に笑う姿の先にも、30年前の怖さがちらつきます。冗談ですが。

 こうやって、気安く声を掛けて貰えるだけで、本当に嬉しものです。

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 主役は勿論学生です。

 中庭で、お笑いライブをやっていましたが、結構盛り上がっていました。

 「情熱の火を燃やせ。僅か6年が、人生にとってかけがえの無いものになるんだ」と一人一人に声を掛けてあげたい気分です。

 余計なお世話か。

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 OB会のブースで「卒業生によるプロフェッショナル相談会」に参加してきました。

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 webサイトでも紹介して貰い、有り難い限りです。

 弁護士、医師、公認会計士の先輩方と、並んで座らせて貰いました。

 隣の教室に居られた、保護者会の方が一人見えました。

 「日記、拝見しました。あちこちに子供さんを連れていかれて、凄いですね。結構さかのっぼって読ませてもらいました」と。

 どんな形にせよ、少しでも元気が出たり、前向きになって貰えたなら、それが本望です。

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 中学は野球部だったので、このグランドで、青春の汗と涙を流しました。

 勉強は大してしてなかったので、野球がなかったら、どうなっていたんだろうとも思います。

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 小5の長男は、中学受験を目指しており、それもあっての訪問でした。

 この秋は、色々な学校を回っているのですが、一番行きたいのが北海道の学校だというのです。

 理由を聞くと「毎日が修学旅行みたいでワクワする」と言います。

 全寮生活で、その費用を合わせれば、月に10万円以上は掛りそう。

 どうせ狙うなら、九州にしてくれたら、フェリーでもいけるのにと思います。

 勿論、全ては実力が伴ってこそですが。

 夢や、ワクワクする気持ちは、人から譲り受けたり、貰ったりすることは出来ません。

 とするなら、この夢を育てるよう、親としては応援してあげなければならないのか……

 そうならるなら、長男と一緒に暮らす時間はあと1年半。寂しい気持ちもないでは無いですが。

 全ては長男の頑張りと、私の頑張り次第です。

 2017年の春、長男は12歳私は46歳。どんな春がまっているのか。

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素晴らしきシャバの世界‐1207‐

 急遽、母校の文化祭に参加することになりました。

■10月3日(土)13:00-15:00高槻高校文化祭の相談コーナーに参加します■
3日(土)、4日(日)『大改造!!劇的ビフォーアフター』
 映像が紹介されます

 今日から10月ですが、生憎の雨。

 秋晴れが続いていましたが、雨がなければ食物も育ちません。

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 金色に染まりだす田を見て、実りの秋を実感します。

 「あちこちでお茶できる家」のご主人の家系には、代々の田が有りました。

 本業は別なのですが、この時期、刈り入れで打ち合わせが難しかった事を思い出します。

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 先週末、事務所に15kgの米袋が届きました。

「宝塚 RC打放しの家」の奥さんのお父様から、送って頂いたのです。

 仕事をリタイアした後、自分達が食べる、娘家族が食べる分を作っているとのことでした。

 申し訳なく思いましたが、先日刈り入れたばかりの、本物の新米です。スタッフの皆で分け、有り難く頂きました。

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 イタリア人のマルコは「今までこんな新しい米を食べたことがないので、とても甘かった」と言っていました。

 私の弁当も、当分の間は新米です。

 銀シャリと対をなす、くさい飯とは刑務所の食事を指します。

 刑務所の食事も、随分良くなったそうですが、勿論食べたことがないので分りません。

 しかし、銀シャリがシャバの象徴だった時代が長くあったのは事実です。

 先日、こんな話を聞かせてもらいました。

 プロ野球の世界、バッターの話です。

 100回の打席で、ヒットが20回以下 → 年棒 0円

 100回の打席で、ヒットが25回   → 年棒 2千万円

 100回の打席で、ヒットが30回   → 年棒 1億円

 100回の打席で、ヒットが35回   → 年棒 5億円

 何れもプロの選手ですから、野球は上手いのです。しかし、100回の打席で、5回、6回の差で、年棒は0円になってしまいます。

 10回違うと、0円と1億円の差。

 「これこそが、私達の生きるシャバの世界ですよね」と。

 この話を聞いてハッとしました。

 プロ野球の世界を特別なものと見ていましたが、全く同じ世界に、自分達も生きているのだということに。

 「くさい飯」も「シャバ」も俗語で、好ましい言葉ではありません。

 しかし、長男がこよなく愛する銀シャリくらいは、腹一杯食べさせられるよう頑張らなければなりません。
 
 世の中は常に競争です。

 素晴らしくも厳しい。それがこのシャバの世界だったのです。