食べ物の恨みは怖い、九州編‐1206‐

 前回のUPは木曜日の23:59になってしまいました。

 2005年10月から、欠かさず月木に上げて来たこだわりもあり旅の最後までたどり着けず……

 シルバーウィークの旅は、今回で最終回です。

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 9月22日(火)の夕方、平戸からすぐ近くの、薄香という漁村に寄りました。

 高倉健の遺作「あなたへ」のロケ地になった所です。

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 高倉健が、亡き妻の散骨に訪れたのがこの港。

 通りがかったおばさんが「あの船が、健さんがのった船だよ」と教えてくれました。

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 映画の中にある写真館もそのまま。セットを残してあるのか、本当の名前なのかは分りません。

 昭和の名優、健さんがたたずむシーンを思い出しながら、最後の宿泊地佐世保へ。

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 夕方、佐世保のホテルに到着。早速カメラを持って街へ出ました。

 ある建物を撮りたいが為に、佐世保に宿を取ったのですが、まさかの改修工事中。

 諦めきれず、周囲をウロウロしていると、品の良い行員が内部を少し案内してくれました。

 それはそれで心に残りますが、返す返すも残念。

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 仕方ないので、夕食は名物という長崎牛のレモンステーキ。

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 普段粗食なので、基本、何を食べても美味しいのです。

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 連休最終日、23日(水)朝の佐世保港。

 ジョギングしていると朝市を見つけました。

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 地元の市場で魚を見るとテンションが上がります。

 ウマズラハギの大きいこと。

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 佐世保から、唐津までは40km程。

 のどかな景色の中を1時間程で到着。

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 「呼子のイカ」が名物だそうですが、イカはやはり鮮度が命。

 更に、さばいてから出すまでの時間を、最短にする努力をしているようです。

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 ゲソの天ぷらは、胴を食べた後に揚げてくれます。

 魚嫌いの長男も、良く食べました。

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 最後は、北九州の中心地、小倉へ。

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 1998年完成の北九州メディアドーム。

 再び、菊竹清訓の設計で、中は競輪場になっています。九州は、本当に良い建築、街が多い。どこに行っても外れ無しという感じです。

 唯一はずれたのが、長崎中華街の中華料理屋でした。

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 先にも書きましたが、世界遺産登録もあって、観光客でごったがえしています。

 名の知られた店のようで、早めに行きましたが、自由にオーダーしたいなら1時間半待ち。

 「この金額以上のコースを頼むなら、今すぐ案内します」と。

 そのやり方はどうかとも思いましたが、子供もお腹がすいたと言うし、たまにはちょっと贅沢してもと、入ったのです。

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 ある程度は予想はしていましたが、子供はフカヒレのスープを喜ばず。

 エビチリもカリカリの天ぷらの方が美味しいと。やっぱり「王将の餃子の方が美味しい」という始末。

 ちゃんぽんは評判通り美味しかったのですが。

 微妙な気分で伝票を見ると、飲んでいない生ビールが3杯飲んだことになっており……

 勿論消して貰いましたが、詫びている感じは全く伝わって来ませんでした。

 働いてい居る人は、忙しさでいっぱいなのでしょうが。

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 一方、長崎港、出島ワープにあるレストランのトルコライスセットは800円。

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 期待の大小はありますが、娘のオムライスと合わせて、大満足。安くて美味いに勝るものはありません。

 人気観光地になれば、放っておいても人が殺到します。

 しかし、街の風情というものは、季候、建物、人、食べ物と、五感で感じるものです。中でも、人は人に最も影響を受けますし、加えて、食べ物の恨みは怖いのです。しつこいのですが。

 次回は、私が唯一行ったことがない日本、沖縄か。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

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坂と信仰の街、長崎‐1205‐

 前回は、グラバー邸に到着したところまで書きました。

 グラバー邸は、今年の7月、世界遺産に登録されたばかり。多くの観光客で賑わっていました。

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 グラバー邸のすぐ下にあるのが大浦天主堂です。

 幕末、主ににフランス人の為に建てられました。長崎を旅して驚くのは、教会の多さです。

 江戸時代から明治初期まで、禁教が続きました。教会は、弾圧、抑圧との戦いの痕跡とも言えるのです。

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 夕食は長崎中華街へ。

 名物はもちろんチャンポンですが、名店らしい店に入りました。

 チャンポンは美味しかったのですが、店員の応対は酷かった。旅と食事についてはまた改めて書こうと思います。

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 翌22日(火)は、軍艦島クルーズでした。

 石炭の需要増加と共に、多くの人たちがこの小さな島に移り住んで来ました。

 最盛期には5000以上が島内に住み、小学校、中学校、映画館、パチンコ屋があったそうです。

 日本初の鉄筋コンクリート造の共同住宅も建築されました。

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 しかし、1974年に閉山し、無人島となります。

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 その廃墟を、私も含め、多くの人が見に訪れるのです。

 愛媛の山奥にある「東洋のマチュピチュ」別子銅山も、全く同じ構図です。

 世界中が産業革命によって、成長、発展の真っ只中に居た時代の痕跡には迫力があります。

 高い賃金を求め、危険を覚悟で、そんな仕事に従事した人達がこれ程多く居た訳です。

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 長崎市内を後にし、北西に約100km。

 平戸までやってきました。

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 平戸ザビエル教会は、平戸を見下ろす山の中腹にあります。

 1549年、フランシスコ・ザビエルがこの地にたどり着いたところから、日本におけるキリスト教は全てが始まりました。

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 この教会は、ザビエルの平戸訪問を記念して1931年に建てられました。

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 地元の信者の方々の好意で、公開されているのですが、本当に美しい教会でした。

 パリのノートルダム寺院、ミラノのドゥオーモなど、教会建築の傑作と言われる建築をいくつか見てきました。

 この教会は日本の、この小さな港町に合った、素晴らしい教会建築でした。

 踏み絵で知られるように、信仰の為に命を掛けた人が多く居たという事実があります。

 長崎を訪れ、それらが現実であったことを、僅かに肌で感じることが出来ました。教会が、悲しく美しいのです。

 人は生きてこそなので、命を賭すことが素晴らしい事だとは思いません。

 しかし、信仰であれ、信念であれ、命を掛けてまで貫きたいことがあるのか………

 ただ美しいと感じた25年前。信仰と信念を感じた今。それが成長であって欲しいと願います。

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 今日の朝6時に大阪に戻り、バタバタと一日が終わりました。

 まだ、佐世保、北九州が残っているので、こちらは次回UPします。 

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SAGA佐賀‐1204‐

昨日の夕方、泉大津港をでました。

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今朝6時に新門司に到着。この連休は、佐賀、長崎をまわります。

最近は、船旅の人気が高まっていると聞きました。

泉大津から乗る阪九(はんきゅう)フェリーは今回が初めてですが、造船したばかりの新艇です。

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いろんな点が改善されていました。

4人部屋の2段ベッドが、はしごから階段に変わったのは大きな改善点です。

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フェリーの旅の醍醐味は、ゆっくり流れる時間ですが、揺れは本当に小さくなりました。

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波が小さかったにしろ、揺れを意識することはほぼありませんでした。新しい技術が投入されているのでしょう。

新門司から佐賀へ行く途中、久留米へ寄りました。久留米と言えば、チェッカーズ、松田聖子も出身地。

久留米市役所は菊竹清訓の設計で、1994年の完成です。

建築は、写真が良いものと、実物が良いものがありますが、完全に後者でした。

昼までに、佐賀県の吉野ヶ里遺跡まで移動しました。

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弥生時代後期の環濠集落が復元されていますが、日本最大級のもの。

物見やぐらが付随した竪穴式住居が十数棟あり「魏志倭人伝」に記された国の一つではと考えられています。

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入口にある吉野ヶ里歴史公園センターは2000年の完成。菊竹清訓の設計です。

菊竹清訓については、何度か触れました。

関西なら、2003年に解体されましたが、万博公園のエキスポタワーが分り易いでしょうか。

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実は、久留米から吉野ヶ里あたりまで、菊竹家の土地だったそうです。

それが、戦後の農地解放によって、殆どを失うことになります。

2000年完成のこの建物は、コンペだったのですが、そんな因縁もあり、何とか勝ちたいと思っていたそうです。

そこで勝つあたり流石ですが、さらに面白いのはこの建築の構造です。

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このキール式ドームは、あの新国立競技場のコンペで、ザハ・ハディドが提案した構造に似ています。

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見下ろした姿が、どことなく似ている感じもしますが、彼はアンビルドの王様とは言われていません。

自邸は空に浮かせ建物全体が雨どいの建築を実現させているのです。

常に新しいものを提案し、現実のものとしてきました。それだけに、非難を浴びた建築もあるのですが。

1800年前の集落をみて、15年前のキール式ドームをみて、実際に、同じような感激があるのです。

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先程、長崎に着きました。

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金沢と共に、私が最も美しいと思う街ですが、前回訪れたのは4半世紀前。

今日はグラバー邸だけで、明日はゆっくり回ります。

最後は、あの歌で。

『佐賀県』 歌・作詞・作曲:はなわ

SAGA さが 松雪泰子も佐賀~ でも公表してねえ~

江頭2:50も佐賀~ でも公表するな~

佐賀県民には申し訳ないのですが、これはこれで凄い曲です。

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旅の終わり‐1203‐

 世界一短い定型詩と言われる俳句。

 俳聖と呼ばれた松雄芭蕉は、十七文字で、無限に広がる風景を描きました。

 1689年、江戸を発った芭蕉は、東北、北陸を5ヶ月にわたって旅します。その紀行文が「おくのほそ道」です。

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 今夏は、行程の一部をたどりました。

 旅を終えた芭蕉は「おくのほそ道」を上方へ広めようと、人生5度目の旅にでます。

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 そして南御堂前、花屋仁右衛門の裏座敷で客死。51歳の生涯を閉じるのです。

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 本町の交差点を少し南に下った所に石碑があります。

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 「旅に病んで夢は枯野をかけまわる」

 南御堂の一角には句碑もあります。これが人生最後の句となりました。

 平安時代の歌人、能因法師や西行を倣い、歌枕を訪ねて回ったのですが、芭蕉は人生を旅と考えたのです。

 昨日は、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんの話を聞きに行っていました。

 「いにしへの 道を聞きても 唱へても
   わが行に せずば甲斐なし」

 島津藩に伝わる、いろは歌だと教えて貰いました。

 直接の教えを請えると聞き、盛和塾に入ったのが2007年。

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 年1回、横浜で開催されるこの勉強会には、世界各国から4500名の塾生が集りました。

 稲盛さんは現在83歳。ここ数年は、仏のような優しい姿しか見たことがありませんでした。しかし、昨日は違いました。

 「ここで勉強して3年にもなるのに、少しも経営が良くなっていないとするなら、何を勉強しているのかと言わざる得ません」

 常々、

 「一流企業に勤められるのはごく僅か。日本を元気にするには、あなた達のような中小、零細企業の経営者が頑張らなければなりません」

 「経営を良くするには、人格を高めるしかない。公正明大に利益を上げ、納税することで社会に貢献しなさい」

 「何より、従業員の物心両面の幸せを追求しなさい」

 そう教えて貰いました。一方、

 「人を雇用し、働く場を創出するだけでも尊い行為です」

 と激励してくれます。そんな話を聞くたびに、いつも心洗われるのです。

 人生を旅とするなら、必ず終わりがあります。

 まだまだ健康でおられると思いますが、塾長としての一区切りのメッセージだったのではと思っています。

 ボランティアで、経営の真髄を教えて上げているのだから、良くならないなら教え甲斐がないでしょう。

 稀代の名経営者ですが、勿論同じ人間です。 

裏をみせ 表をみせて 散るもみじ ‐1202‐

 日曜の天気予報は二転三転して晴れになりました。

 奈良へ行っていたのですが、帰りになら100年会館へ寄ってきました。

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 なら100年会館は、JR奈良駅の西側にある多目的ホール。開館は1999年ですが、私が大学生の頃計画が発表されました。

 設計は磯崎新で、そのパースを見て「実物を見てみたい」と強く思ったものです。実際見たのは昨日が初めてでしたが。

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 楕円の平面に、更に大きな楕円を重ね、アプローチとしています。

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 外壁は、工場生産の打放しコンクリートパネル。

 この有機的な曲線に、瓦のようなタイルが貼られています。

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 内部空間もその形状が活かされているのです。

 磯崎新は、東京都庁等を設計した丹下健三事務所出身のエリートです。1960年代から第一線で活躍し続ける建築家。

 現在84歳ですが、私が初めて見た作品は、1984年完成の西脇市岡之山美術館でした。

 他にも色々見に行きました。 

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 2006年の1月、奈義町現代美術館

 岡山県北部の山手にあり、自然の美しいところです。

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 荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛の為の美術館で、とても分り易いコンセプトで創られています。

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 荒川修作らとコラボレートした円筒状の館があります。

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 この建築自体が劇術作品なのです。

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 彼の出身は大分で、九州にも多くの作品があります。

 北九州市立美術館は1974年の完成ですが、2014年の8月に訪れました。

 プリツカー賞こそ受賞していませんが、海外での受賞暦も華々しいものがあります。生きる巨匠と言って間違いありません。

 年初から『建築における「日本的なもの」』という彼の著書を読んでいました。

 結論が分らない程ではありませんが、分り易い文章ではありません。(文末に抜粋しておいたので、興味がある人はどうぞ)

 自分のよりどころにしてきた文章があります。

 人々にとって何等かの生きるよすがと成り得ない小説を、私は一作たりとも書きたくない。

 私は複雑で高邁なものは信じないし虚無に対して常に反抗的である。

 それぞれの場所で傷ついたり挫折したりしながらも、なお闘おうとしている人々のために、私は小説を書いてきたし、またこれからも、そうであり続ける。

 -宮本輝-小説家

 磯崎が創る建築は分り易いのですが、ロジックは難解です。

 難しい事を平易な言葉で伝えることがプロの仕事だと思ってきました。しかし、難しい事を知らなくて良い訳ではありません。

 真理に近付きたいと勉強して来たが、逆のことが足りていなかったのでは。

 磯崎の仕事を見てそんな事を考えます。

 裏をみせ 表をみせて 散るもみじ -良寛-

 光と影、正義と悪。単純と複雑。表だけ、裏だけで進むことは出来ません。

 生きるとは、単純で複雑なものです。

大人と子供の現場見学‐1201‐

 今日は「宝塚 RC打放しの家」の、コンクリート打設でした。

 クライアントが休みを取って、現場に来てくれたのです。

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 まず、「我が家の」ミキサー車の前で記念撮影。

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 4歳の娘さんは、マイヘルメット持参でした。

 ブカブカのヘルメットは嫌なので自分で持って行くと言ったそうです。

 その想像力に感激しましたが、流石は親子とも思いましたが。

 打設現場の見学はクライアントたっての希望でした。

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 狭い足場用の階段で、一番高いところまで全員で登ったのです。

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 現場は危険な所ですが、このタイミングで、建設中の自邸を見ることに比べればと思います。

 既に強度の出ている1階も一緒に見て回りました。

 娘さんのテンションも上がってきました。彼女はいつもムードメーカーなのです。

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 今日の現場は、怒声が飛び交っていました。

 コンクリート打放しはやり直しが出来ません。よって、現場には緊張感が漂うのです。

 子供にしろ、大人にしろ、本気で働く大人の姿を、どのくらい見る機会があるのだろうと思います。

 そういう私も、本気の姿を子供に何回見せたことがあるのか……

 多少現場に迷惑を掛けようとも、アトリエmは常に現場見学を推進します。

ミスター‐1200‐

 このところ、雨が続きます。

 昨日も雨予報で、予定を変更して墓参りへ帰ることにしました。

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 父の里、岡山県の児島。

 守谷家の墓は、瀬戸内海を見下ろす高台にあります。

 今回は、雨で景色のほうは今ひとつでした。

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 母の里は、香川県満濃町。

 海の神様、こんぴらさんの麓にある街です。

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 両親、弟家族も一緒で、雨なら雨で賑やか。

 祖父母も喜んでくれたはずです。

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 周りの田も、稲穂が黄色くなり始めていました。

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 ぶっかけうどんの元祖と言われる「山下」。

 まんのう町には、いわゆる有名店が沢山あります。

 前回行ったのは2006年3月でしたが、昨今のうどんブームでか、建物は新しくなりました。

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 1歳になったばかりの長男はいつも小食でした。

 9年前、ここのうどんを沢山食べたことを思い出します。

 「有名になったから味が落ちたとは言わせない」と、今回も子供達はズルズルと完食。人気店であり続けるには理由があります。

 世間を賑わし続ける東京オリンピックのエンブレム問題。

 先週のヤフーニュースで「佐野氏無関係の会社にイタ電」というものがありました。

 社名が同じ会社が東大阪にあり、無言電話、いたずら電話が掛ってきて、迷惑をしているという記事です。

 この方、私のクライアントであるOhanaのカメラマンの友人です。Ohanaのwebサイトも彼の仕事。

 先月も一緒に飲む機会があり「ウチの方が先につけた社名なのに、ほんとに困ってる」と言っていました。その社名がミスターデザイン

 初めて聞いた時、いい名前だなと思いましたし、そう彼にも伝えました。

 「見た目はジャイアン、ハートはのび太」とプロフィールにありますが、これを聞いた時は吹き出しました。まさにそんな人なのです。

 彼は、自分の仕事のコンセプトを思い至った時「これが自分のやりたかったことだったんだ」と涙が止まらなかったと言います。

 誰かの役に立つヒーロー、ミスターにはそんな気持ちが込められているのです。

 知り合いだから正しく、知らないから間違っているという話ではありません。

 法廷では疑わしきは罰せずと言いますが、仕事の世界では反対です。胸を張って即答できないことは、全てバツと見なされます。

 私もそう判断しますし、そう判断されているのは間違ありません。全ては時間と社会が判断を下すのだと思っています。

探偵のように‐1199‐

 この2週間程、ときどき左胸に鈍痛を感じていました。

 「気持ち悪いな」と思いましたが、以前も似たような事がありました。

 その時は、ウェイトトレーングのせいではないかと。急に、かつ無理をするからのようで「ロッカン神経痛?」のような診断だったと思います。

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 今回は思い当たる事が無く、空咳が続いたこともあり、検査を受けることに。

 まず京都の友人に相談すると「近いし、天王寺で開業している米田がいいんじゃない」と。

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 3月に続いてなので「どんだけ心配性やねん」とも。共に、中高の友人だからですが。

 開業5年目、「こめだ整形外科」はハルカスの西、天王寺都ホテルの地下1階にあります。

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 ちなみに、都ホテルは大阪の巨匠、村野藤吾の設計です。前近鉄百貨店も彼の作品でした。

 連絡せず、受付をして待っていたので驚いていましたが、早速診察してくれました。

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 結論は「まず間違いなく問題ないんじゃない」と。

 運動の後に痛いのではなく、動き始めに痛いというので、心臓の疑いはほぼない。

 肺の可能性はと聞くと、肺の問題なら、そんな表面部分であやふやな位置が痛い、という表現はしないとのこと。気になるなら胸部CTを撮ってもいい。

 やっぱり、前回の診断と同じく、あばら骨の間にある、小さな筋肉を傷めているんじゃないかと。

 そこまで言われて、思い当たる節がありました。2週間前、ボートを車に積む際に、無理な姿勢になったことが……

 更に「夏草にアレルギー反応がある」と言われた事も思い出しました。

 さすがはプロ、まるで探偵のようでした。

 ネガティブになっているつもりはありませんでしたが、痛みに引っ張られていたのでしょう。

 同窓会で、最も変化が大きい男として驚かれる彼。

 イメージはトランスポーターの主演、ジェイソン・ステイサムだそうです。

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 横にいた、スタッフの女性も苦笑いでしたが、独身なので許してやって下さい。

 軽口を書ける医師がいることは、本当にありがたいことです。

 経済小説のパイオニア、城山三郎が亡き妻への思いを綴ったエッセイ「そうか、君はもういないのか」でこう書いていました。

 変なアピールなど不要、焦らず、コツコツ書いて行こう。それで認めならなければ自分の力不足ということ。改めてそう言い聞かせた。

 イタリアの経済学者パレートが好んだ「静かに行くものは健やかに行く 健やかに行くものは遠くまで行く」という箴言を口ずさみながら。

 小説を書き続ける姿勢についての行です。

 先週「遠くまでいくならみんなで行け」と言う言葉を紹介しました。自身が元気でなければ、一緒に歩くことさえ出来ません。
 
 元々健康でしたが、心身とも健康に戻ったのです。