6回しかない夏休み‐1198‐

 今日から子供たちは学校です。

 明日からの授業に備えて掃除だそうで、長い夏休みはあっと言う間に終わりました。

 「夏休み」と聞き、思い出すのは幾つになっても小学生の夏休みです。人生で6回しかなかったのですが。

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 奈良、池原ダム。

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 富山、黒部ダム。

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 和歌山、友ヶ島。

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 山形、滑川温泉。

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 山形、立石寺。

 1つでも、心に残る景色があれば、嬉しいのですが。

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 私の夏休みは、両親の郷里、岡山と香川で過ごした時間です。

 カブト虫やザリガニを捕った事を思い出しますが、綺麗な用水路を見ると記憶がフラッシュバックしてくるのです。

 長男が小5、長女が小2で、まさに私の記憶の中を生きていることになります。

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 福島では、生まれたてのセミを見つけました。

セミの脱皮は、私にとって小2の思い出です。

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 花火の音。

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 線香の香り。

 頭ではなく、目、鼻、耳など五感に記憶は刻まれているのでしょう。

 では、何故記憶に残って欲しいのか。

 一番残したいのは、時間という愛情なのだと思います。

 ザリガニも、カブトムシも初めは一人では捕れません。花火とて、墓参りとて、一人で行った訳ではありません。

 怒られもしましたが、やはり残っているのは、祖父母と過ごした時間。

 夏休みの記憶には、必ず自分以外の目線があるのです。

 例えが極端ですが、犯罪者には、良い悪いは別にして、家族、親族との関係が見えてこない場合が多いそうです。

 パズルをするとすぐ行き詰り、想像力の欠如が顕著と言います。

 想像力と言うと、高い能力に聞こえますが、単純に言えば「これをしたら、相手はどう思うだろうか」という話です。

 こういった能力(性格)は、中学校までに養われるような気がします。

 これが、中学、高校、大学と、少なからず、一人という時間を経験します。何れ、自分以外の目線を近くに感じることになるのですが、それまでが中々大変です。

 孤独、成長、恋愛、葛藤、……

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 娘にはまだ気楽です。

 昨日は、達ての願いで、遊園地へ行ってきました。

 私は遊園地に全く興味がありませんが、彼女にとっては、ジェットコースターに適うものはないようです。

 夏休みは小学生のものと、強引に定義しましたが、彼らにとってはどんな夏休みだったのか。

 答えは30年経ってみなければ分りません。

市長はひとりで行くのか、みんなで行くのか‐1197‐

 午前中、橋下市長、松井府知事が、維新の党を離党するという発表がありました。

 一昨日、市長選出馬の意思を固めたと報道があったのは柳本顕大阪市議。

 知っているという程ではないのですが、弟の同級生で、一度事務所へ行ったことがあります。

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 彼は西成区選出。

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 天王寺から少し西に歩き、大阪市大病院を越えると、西成区山王町です。

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 彼の事務所はこの近くにあり、凄いところにあるもんだと、驚いたことを覚えています。

 何が凄いのかは後ほど。

 親族に国会議員が居る議員一家で、ここ山王町で育ったそうです。

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 西成区はあいりん地区に代表されるよう、日雇い労働者も多く住み、大阪の問題を凝縮したエリアとも言えます。

 未だ闇市の名残を残す商店街。

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 路地をのぞくと、大衆劇場が見えました。

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 これらが、娯楽の王様だった時代が、確実に50年前にはあったのです。

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 すぐ東は、あべのキューズモール等の再開発地域に接します。

 それらが出来るまでは、細い路地で山王町まで繋がっていました。路地裏にあった洋食屋は、羊の脳みそのソテーを2000円で食べさせました。

 怪しい雰囲気も加味され、時々通っていたことを思い出します。

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 今も残る飲食店は、三丁目の夕日のセットのよう。

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 戦後70年が経ち、建物の老朽化、管理者の不在も大きな問題です。

 いわゆる「空家法」が施工させるようで、建築業界のチャンスと捉える向きもあります。

 しかし、私の経験で言えば、リノベーションはそんなに簡単なものではありません。

強制されての行動に、幸せの結末はイメージはできないのです。

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 柳本市議の事務所を訪れたのは15年前。

 弟の車で行ったのですが、付近には、艶かしい照明が当てられた女性が、店先に座る店が連なります。

 飛田新地のはずれにあったのです。

 最後の色街と言われるだけ、今でも、ひと時代前の空気が滞留しているのです。

 時期市長となるのは誰か。

 「早く行くなら一人で行け。遠くへ行くならみんなで行け」

 出所は知らないのですが、アフリカの諺という表記もありました。もしそうなら、狩をしていた頃の箴言だと想像できます。

 現市長は遠くまで来たのか、早く来たのかは、正直分りません。次の市長には、大阪を確実に、遠くまで連れていって欲しいと思うのです。

 それには、それぞれの市民が、手本にある仕事を、精一杯やることが、何より大切です。

 他人任せは駄目。これは商いの街、大阪の鉄則ですから。

天使の面、鬼の顔‐1196‐

 前回に続いて、もう少しだけ教育について。

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 小5の長男は塾に行っていますが、昨日はテストでした。

 続ける、辞めると、何度も騒動を起こしながら、何とか通っています。

 昨日は、妻の予定が合わず、私が天王寺へ迎えに行きました。

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 テストの日は、ご褒美の外食にしているよう。
 
 あべちかにあるラーメン屋「古潭(コタン)」は、昔ながらの札幌みそラーメンという感じ。しかしこの店も古い。

 学校がある日は、塾からの帰りが夜の10時半の日もあります。

 日曜もテストがあったりと、我が子ながら日本の小学生は、勉強しすぎの気もします。

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 勉強のほうは何とかかんとかですが、野球のほうは熱が入っています。

 「打つも、投げるも回転だから、軸をしっかり」

 「待つんじゃなくて、自分から捕り易い位置に動け」

 どうせならと、私も力が入ってしまいます。

 まずは褒めて伸ばすと言いますが、京セラの名誉会長、稲盛和夫さんはこう言っていました。

 「コンサルタントに聞けばそう言うが、間違ったらその場で叱らなければ意味がない。

 後で、社長室に呼んでなどという、時間なんて無い。烈火のごとく叱ってよい。

 しかし、肩を落として帰っていく社員の背中に向かって、この会社に居てくれて有難うと、手を合わせなさい」

 初めてストンと腹に落ちました。

 褒めて、楽しく出来れば最高です。しかし、耳心地よい話だけで、人は成長することはないのは間違いありません。

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 夜は、実家で姪っ子と妻の誕生日会。

 誕生日が同じで、母が準備をしてくれました。

 寝屋川の中学生の事件は、痛ましい結果になってしまい、強い憤り、危機感を感じます。

 しかし多くの童話の題材になっているように、悪魔はいつも天使の面を被り、擦り寄ってくるのです。

 それを、どうやって子供達に理解して貰うのか。

 伝える側は、常に嫌われる勇気が居るようです。 

 松下幸之助、本田宗一郎が、ニコニコと工場を回っていた等という話は聞いたことがありません。

 天使は、鬼の顔をしています。こちらは面ではない本当の顔。だから怖いのです。

孔子も音を上げた‐1195‐

 お盆を過ぎ、朝夕は幾分涼しくなってきました。

 日も少しずつ短くなり、僅かながら秋の気配を感じます。

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 最近、長男が野球を教えてくれと言います。

 野球好きの友人に触発されたようで、夏の旅行中も暇をみつけてはキャッチボールをしました。

 花火大会を待つ赤川河畔でも。

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 小雨の上田市の公園でも。

 私は中学まで野球一筋だったので、何度か誘ったことがあるのですが、やはり友達の影響は絶大です。

 キャッチボールは、相手の捕り易いところに届ける、という気持ちが大切。あとは繰り返した回数がものを言います。

 長男は塾に行っていますが、大学受験までは、記憶力が結果を大きく左右する事は否めません。

 記憶というものは、大きく分けると短期記憶と、長期記憶に分かれるそうです。

 それぞれ、担当する脳の部位が違うのですが、短期記憶から長期記憶へ移すにはやはり「繰り返す」ということが重要なようです。

 とても分り易いサイトがありました。

一時記憶 → 短期記憶

短期記憶 → 長期記憶

 脳家学者の茂木健一郎も同じようなことをテレビで語っていましたが、加えて、記憶を定着させるには、声に出したりと、体で覚えた方が良いと言っていました。

 この理論が分れば、暗記はもう完璧、とならないのが現実です。

 野球を上手くなる方法が分っていても、野球が上手くなりたいと思わなければ、上達する訳がないからです。

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、人種差別の無い世界を目指しました。

 ”I Have a Dream”の演説はあまりにも有名ですが、彼は命を懸けても自由と平等を実現したいと思ったに違いありません。

 F1ドライバーだった中野信治は、小さい頃から全ての基準を「F1レーサーに近付くか、否か」という基準で判断してきたそうです。

 このケーキを食べると、F1ドライバーに近付くか否か。焼肉を食べに行くのは……

 今も現役のドライバーとして活躍しているようですが、彼はその夢を見事に実現しました。

 長男は、時々反乱を起こして、塾を休んだりします。喜びはしませんが、そんなこともあるだろうと思います。

 近所の中学校へ行きたくないという動機はでは弱いのです。

 そういう私も全く同じで、中学から私学に行ったのですが、勉強する理由を、中学になって見失いました。

 何故勉強しなければならないか。

 人生の目標が定まっていない時期に、納得のいく説明をする自信はありません。おそらく答えはないのだと思います。

 あの孔子でさえ、わが子の教育は早々に諦め、他者に託したと言うのですから。

 人任せは駄目ですが、塾にいる仲間、中高で知り合う友人に影響を受けるのでしょうか。キャッチボールのように。

 夢だけは、人から譲り受けることは出来ないという大原則。子供から、改めて教えて貰うことになりました。

 夢さえ定まれば、後はおまけです。

 情報過多の時代、この差を明確にしておかないと、自分を見失ってしまうような気がします。

福島、山形をめぐる喧嘩の無い旅‐1194‐

 前回は、月曜日の昼に松本に着いた後にアップしました。

 1日目、13日(木)の宿、「御用邸のある街」那須高原を目指します。

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 もっと高級感のある温泉リゾートをイメージしていたのですが、ひなびた感じでした。

 「鹿の湯」という、源泉近くの浴場へ行ったのですが、泉質は白濁しており、とても良かったです。

 草津もそうでしたが、泉質は古さに比例すると言って間違いないでしょう。

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 2日目、14日(金)は、猪苗代湖へ。

 湖畔にある、野口英世記念館へ。生家が保存されているのです。

 野口英世は一番初めに読んだ伝記で、良く覚えています。赤ん坊の時、囲炉裏に落ち、やけどひっついてしまった指を、後に手術によって各指を動くようにして貰います。

 そして医師になることを決意し、成功していくというサクセスストーリー。

 こんな本を読んで、努力し成功して欲しいと思いこの伝記が与えられたのでしょう。

 勿論、子供たちにも買い与えています。

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 会津若松まで移動し、白虎隊の悲劇の舞台となった飯盛山へ移動。

 しかし、目当ては少年志士の墓近くにある「さざえ堂」です。

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 さざえのようにゴツゴツしたフォルムは、スロープなりに伸びた屋根によるものです。

 と言うか、この建物自体がスロープなのです。

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 1796年、寛政年間に出来ており、かなり刺激的な建築でした。

 設計図面があるが故、トライ出来ていないことがあるのではと思わせられる傑作でした。

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 その後、福島と山形の県境にある滑川温泉泊。

 山奥も山奥。熊も出るそうです。

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 ここも白濁したお湯で、岩風呂は長男と貸切。

 連日の雨で川がに濁っているのだけが残念でしたが、秘湯感溢れる宿でした。

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 川のせせらぎを聞きながら朝食。

 山菜、米沢牛も美味しかったのですが、何よりご飯が美味しい。気温は17℃で勿論冷房要らずでした。

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 3日目、15日(土)は、朝一番で、芭蕉の句で有名な山寺(立石寺)へ。

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「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

 今回の旅行は半分くらいが雨でしたが、この時が一番降っていました。

 雨でセミが全く鳴いておらず……

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 しかし、無理をして登った甲斐がありました、上に着くと晴れ間が指してきたのです。

 セミの鳴き声も聞こえ、句の感傷にしたったのです。

 那須高原の殺生岩でも一句詠んでいますが「奥の細道」では、芭蕉は東北を中心に、日本全国を訪れています。

 最期の地は大阪ですが、まさに旅芸人の人生。憧れるところがあるのです。

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 3日目の宿は山形の鶴岡。このあたりの宿がなかなか見つからなかったそうです。

 赤川花火大会があるからだと分り、どうせならと見に行くことにしました。

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 この大会は、全国デザイン花火競技会でもあり、20チーム程の花火師が、その技を競うのです。

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 有名な大会らしく、県外からも多くの人が来るそうですが、駐車場の人が「大阪から車でですか?」と驚いていました。

 これだけの為に来た訳ではありませんが、音楽に合わせてだったり、芝居仕立てだったりと、十分楽しませてくれました。

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 3日目は、花火大会もあり宿が取れずにキャンプになりました。

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 4日目、16日(日)は快晴。奥州の朝は爽快でした。

 鶴岡市に別れを告げ北に35km、酒田市を目指します。

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 酒田は、奥の細道でも「五月雨を集めて早し最上川」と読まれた、最上川河口の街。

 最上川はとても広い川でした。

土門拳記念館は、この地の出身である昭和の写真家、土門拳の作品が寄贈されて出来たものです。

 ニューヨークのMoMA新館を設計した谷口 吉生の作品です。

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 館には、土門拳と親交のあったアーティストの作品も多くあります。

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 イサム・ノグチのオブジェは「土門さん」という名。

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 勅使河原宏による庭。

 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館豊田市美術館、上野の法隆寺宝物堂等と共に、水を建築に取り込んだ素晴らしい建物でした。

 水が池であることを考えれば、最も自然と一体感のある建築です。

 トップランナーでありながら、常に抑えが効いた作風は、まさにプロフェッショナルの仕事と感じます。

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 3日程、山形に居たのですが、田と山の美しい所でした。広い庄内平野を後にして、最後の街、新潟へ。

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 快晴の日本海。海沿いの国道は最高の景色です。

 新潟-山形は高速道路がまだ繋がっていなので、新幹線も大切ですが、車派としては、こちらも急いで欲しいものです。

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 新潟港からフェリーは夕方4時半にでて翌朝5時半に敦賀着。

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 佐渡に沈む夕日を見ながら一息。 今日の8時頃大阪に戻りました。

 家族4人で全国制覇も、残すところ東北4県、九州2県、沖縄になりました。今年は秋の連休があるので、まずは九州を制覇してきます。

 1日目の昼、松本を出たあとです。

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 上信越道で那須高原を目指しますが、眠たくなったこともあり、妻と運転を交代。

 少しすると大きなサイレンが鳴りました。

 「前の車左へ寄りなさい」

 覆面パトカーに連れて行かれる妻を見て、娘は「今から3人で温泉へ行くん?」と。

 「通行帯違反」で罰金6千円。高速道路では、追い越し車線を走り続けてはいけません。

 妻が言うには、左車線の車とスピードが同じくらいになり、戻り損ねているうちにサイレンが鳴ったと。

 おそらくスピードもオーバーしていたと思うので、まあこの程度の罰金で済んでよかったのですが。

 宇宙人が攻めてくれば、戦争は全て無くなるというのはもっともな話。

 今回は警察に捕まったので、勿論喧嘩はなしです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

40/47 【】は済み
【北海道】
青森  岩手 宮城 秋田 【山形】【福島】
【茨城】 【栃木】 【群馬】 【埼玉】 【千葉】 【東京】 【神奈川】
【新潟県】 【富山】 【石川】 【福井】 【山梨】 【長野】 【岐阜】 【静岡】 【愛知】
【三重】 【滋賀】 【京都】 【大阪】 【兵庫】 【奈良】 【和歌山】
【鳥取】 【島根】 【岡山】 【広島】 【山口】
【徳島】 【香川】 【愛媛】 【高知】
【福岡】 佐賀 長崎 【熊本】 【大分】 【宮崎】 【鹿児島】 沖縄

旅に出ると喧嘩が始まる‐1193‐

 今日13日(木)から4日間の夏季休暇です。早朝に大阪を出発しました。

 夕方には、栃木県那須に到着の予定ですが、途中、長野の松本に寄りました。

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 松本城は、日本で4つしかない国宝です。

 戦国時代は攻防に長けた山城が多く、平城は珍しいそう。その分堀がひろく、美しい建物でした。

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 城下町も、雰囲気を残す取り組みが見え、好感がもてます。

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 また、いたる所に井戸や、湧き水がみられます。

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  そばは、痩せた土地でも育つので、こういった地域の名産品になります。

 とても美味しかったのですが、若干の物悲しさを感じるのです。

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 そば屋には、水は横の井戸で汲んでくださいとの貼り紙。

 水が綺麗な街だからこそできるサービスです。

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 近くにあった、伊東豊雄設計の、まつもと市民芸術館も見に行ってきました。

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 基本は音楽ホールですが、余白のあるプランになっています。

 見せ場は、なんといってもランダムに開けられた開口部です。

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 所どころに、少し大きな透明な開口があり、自由度、遊び心と圧巻でした。

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 ベンチの下、カーペットには形状に合わせて、グラディエーションが掛かっているという、芸の細かさ。

 プリツカー賞受賞者の実力が如何なく発揮された力作でした。

 夏の旅行は、今からスタートですが、2、3日前、FMからこんな話が聞こえてきました。

 「子供の頃、夏休みの旅行をとても楽しみにしていました。

 父も張り切っているのが分るし、普段は行かないような遠いところまで出掛けるので、皆のテンションはマックス

 しかし、大概の場合、両親が喧嘩を始めるのです。

 妻は仕事場に来るので、比較的会っている方だと思いますが、それでも全員が24時間揃うのは旅行中だけ。

 勿論、我が家も例外ではありません。

 まず休みを決め、行く場所を決め、どこを回るかを考えます。何を見て、何をして遊ぶかイメージをめぐらし、準備に入ります。

 早起きし、コツコツと準備を開始。パーフェクトと思っていたら「あれを忘れた、これを忘れた」と。「だからメモをしておくよう……」

 大方こんな流れです。

 社会が裕福になり、子供時代から個室を持ちます。自分だけのテレビ、ゲーム、パソコン、携帯電話も持ち、それでも他人への思いやりは江戸時代以上。

 そんなことは有り得ません。現代人は、例外なく我がままなのです。
 
 バブル華やかし頃、成田離婚という言葉がありました。海外へ新婚旅行に出掛ける空港で、意見が合わず離婚するという。

 何せ、トラベルの語源はトラブルと言うくらいですから、その人の性がでるのです。
 
 入社試験で、皆で料理を作るという試験があるそうですが、合う、合わないを知りたければ、旅に出るのが一番です。

 しかし今更、合う合わないを言っていても仕方ないので、今回の目標は「喧嘩をしない」です。

 栃木、福島、山形と修行の旅は続きます。

 <目指せ、家族で47都道府県制覇>

38/47 【】は済み
【北海道】
青森  岩手 宮城 秋田  山形  福島
【茨城】 【栃木】 【群馬】 【埼玉】 【千葉】 【東京】 【神奈川】
【新潟県】 【富山】 【石川】 【福井】 【山梨】 【長野】 【岐阜】 【静岡】 【愛知】
【三重】 【滋賀】 【京都】 【大阪】 【兵庫】 【奈良】 【和歌山】
【鳥取】 【島根】 【岡山】 【広島】 【山口】
【徳島】 【香川】 【愛媛】 【高知】
【福岡】 佐賀 長崎 【熊本】 【大分】 【宮崎】 【鹿児島】 沖縄
 

まっぴらごめん‐1192‐

 南大阪方面の新築相談があり、訪問してきました。

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 南海電鉄の始発駅は難波。
 
 高島屋のすぐ裏手です。

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 斜め向かいにあったのが、旧新歌舞伎座。

 解体が進んでいましたが、棟の鬼瓦が残っています。何か意図があるのでしょうか。

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 キタよりミナミの方が確実に気温が高い気がします。

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 難波駅のホームに、ラピートのピーチバージョンが停まっていました。

 青なら鉄人28号ですが、白ならガンダムに見えます。

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 未だ、ピーチは未体験ですが、関空の利用増加に最も貢献しているとのこと。南海電鉄にとっても、大事なお得意様でしょう。

 なかなか好感が持てる企画です。 
 
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 駅名をみるだけで更に暑く感じるのは、完全に思い過ごしでしょう。

 問い合わせが増えたのは有り難いことですが、逆に減ったのが、オープンデスクと就職希望です。

 オープンデスク(インターンシップ)は、学生が実務レベルの仕事を経験するシステムの総称です。

 以前、なぜ多かったかと言えば、Yahoo!で「オープンデスク」と検索すると、1番に表示されていのです。よって、オープンデスク日本一。

 多くの学生が感想を残してくれました。長期休暇は時間をずらしながら受け入れていた程で、常時2、3人の学生が居ました。

 しかし、時代と共に「学生も仕事を経験し、将来を決めるべき」という風潮になって行きます。

 数年前、建築家協会や、建築士事務所協会が、公にオープンデスク受け入れ可能な事務所を募り始めました。私も「受け入れOK」と返事をしました。

 しかし、この制度がスタートしてから、やってくる学生のテンションが変わりました。現在は、オープンデスクがカリキュラムの中にあるのでしょうか。

 それまでも面接をし、不遜な態度の学生は落としてきました。研修が始まってからも、学ぶ姿勢が足りないと判断すれば、途中で打ち切ります。

 事務所内の雰囲気を乱されてまで、受け入れる理由はないからです。その旨をまず初めに説明します。

 ところが、受け入れ表明をしてから「教えてくれるんですよね」に変わったと感じるのです。

 仮に単位が関係するなら、途中で打ち切られると困るはずです。また、送り込んでくる大学の先生も打ち切りは困る事が分り、受け入れをしないことに方針転換しました。

 人は自由です。その中で、自分で考え、選択をすることが、生きること、働くことです。制度は、その機会を無くし、若者のバイタリティーを奪うのです。

 登録していなくても、来たい人は来るだろうと思っていたら、ここ2年、オープンデスクの応募はありません。スタッフもイタリアからやってきたマルコ1年前に入ったのみ。

 まだまだ、当事務所の知名度が足りないからでしょう。

 しかし、手をこまねいていているだけでは能がありません。初任給を上げることにしました。

 以前は144,200円でしたが、160,000円としました。スタッフの給与も上げて(貰えるように頑張って貰って)、更に上げていくつもりです。まだ、胸を張って言える程の金額ではありませんが。

 厚生労働省のwebサイトによると、平成24年大卒の平均が199.6千円。まずはこあたりが目標です。

 私の初任給は12万円でした。それでも多いと思っていましたし、仕事を始めた時くらいは、清貧でよいのではと思っています。

 報酬は感謝の対価と考えています。求められ、感謝されるようになれば、それに見合う報酬を得ることが出来るのですから。

 「この世界は丁稚から」などは遠い昔になりました。それでも、アトリエmで働きたい、という若者で溢れ返る事務所を目指します。

 ただ、ボランティア、社会貢献を隠れ蓑にして、勝手なルールを押し付けられるのは、まっぴらごめんなのです。

世界と繋がる窓‐1191‐

 朝は騒がしいヒヨドリと、セミの音で目が覚めます。

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 小さな庭に、よくこれだけのセミが居るなと。

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 彼らが一週間の夏を謳歌するように、後悔の無い夏にしたいものです。

 縁側から、抜け殻のある景色も夏の間だけ。窓は採光、通風、そして景色を見る為にあります。

 逆の立場から言えば、建物の雰囲気を伝える役割もあるのです。

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 加美の家は、和室が大きくせり出しています。

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 この部屋は、日本舞踊の練習場でもあり、窓を光の舞台に見立てました。

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 柏の家は、2階にあるダイニングが北側に面しています。

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 北側は大開口に向いています。よって、内部が見え難いガラスを使いました。

 ちょっとシャイな家なのです。

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 Ohanaは写真スタジオなので、撮影の楽しさを街に伝えたいと考えました。

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 生き物に例えるなら、目が大きな建物です。建物は、窓によって街と繋がっているのです。

 会社にとっての窓は、やはり電話でしょうか。

 電話の発明者はグラハム・ベル。1876年にアメリカでの特許を取得しました。

 fax、携帯電話、スマートフォンと進化、多様化して行きますが、電話とそれ以前を比べると、小さな変化かもしれません。

 コミュニケーションを取るには、その場に行くか、誰かに何かを届けて貰う必要があったところから、一気に電子のスピードになったのですから。

 2002年に再スタートを切ってから、全く面識の無い人から、ポツポツとオファーを貰うようになりました。

 一番初めのオファーはよく覚えています。久宝寺近く、築50年くらいの平屋で、20坪くらいだったでしょうか。

 若いご夫妻で、予算は1000万円前後。リノベーションを選択しました。

 綿密に測量し、屋根裏を最大限に使うプランを考え、気合を入れてプレゼンテーションしました。気に入って貰ったと感じたのですが、結果的に実現しませんでした。

 しかし、こんな経験の繰り返しが、私を個人的に知らない人でも、web、書籍をみてオファーをくれるという自信に繋がったのです。

 バタバタしている時、困難な課題があるとき、つい電話に出る声のトーンが……

 そんな時、スタッフに自分に言い聞かせます。

 「この電話が、世界と繋がる窓なんだ。70億人と繋がれる可能性がある」

 電話の音は、希望の鐘の音。間違っても「またか~」なんて言って駄目なんのです。

自信と自惚れは紙一重‐1190‐ 

 暑い日が続きます。

 昨日の大阪の最高気温は37℃の予想でした。

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 父の船で岸和田を出て、大阪湾最南端、友ヶ島を目指します。

 日の出と共に出港したのですが、朝の涼気もなく、早朝から暑い。

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 1時間弱走ると、景色がかなり変わります。

 友ヶ島は無人島ですが、明治時代に作られた、砲台が残っています。

 5年前に上陸した際、散策してみました。

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 女の子が釣りをしてくれるのかと思っていましたが、娘はひとまず何でもやってみます。

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 で、結構釣ります。

 「次は遊園地」と言われてはいますが。

 高校生までは来てくれないと思うので、嫌だと言うまでは連れて行きます。

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 釣りに飽きたら、上陸して海水浴。

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 暑い割りに、紀淡海峡の水は冷たく、泳いだのは15分くらいでしょうか。

 昼御飯を食べて、また釣りを再開。

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 長男は、ほぼ自分で出来るようになりました。

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 準備とエサ付けまで出来るようになったら一人前ですが。

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 子供なのですぐ飽きますが、それからが私の時間。

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 残念ながら、本命のタイ、アジは不発でしたが、根魚を中心に30匹くらいは釣ったでしょうか。

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 このガシラ、釣り上げたと同時に、10cmくらいのイワシを吐き出しました。

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 イワシの群れを魚群探知機は映していました。

 そういった時は、ギアを上げます。釣りと言っても、結構情報戦なのです。

 「どんな事があっても、不平不満は絶対言ってはならない。それは、天に唾するようなものだ」

 京セラ名誉会長の稲盛和夫さんはこう言いました。

 全ての事象は、全て自分の心の反映。上手く行っていない時は「それなら」と考える。「どうせ」は敗者の常套句なのです。

 釣りは趣味なので、誰より上手くなりたいとは思いません。

 それでも、1日釣りをし、常に工夫していれば、自ずと違った結果になるだろうと思います。

 昔から、大物は一緒に行った友人でなく、私が釣ったことが多いと思います。

 アイナメ、カレイ、チヌ、アコウ、ブラックバス……

 魚が私の仕掛けを見ている。特に大きな魚が。常にそういったイメージを持っているのです。
 
 自信と自惚れは紙一重。

 しかし、幸運の女神が、不平不満や、弱気を好まないのは、間違いないはずです。

 この日は大したことありませんでしたが。