青い目の建築家‐1189‐

 4以下は無いものとし、5以上は次の位に上げる。四捨五入は、かなり乱暴な概算法です。

 アラフォーという言葉も、この概念に沿ったもの。一昨日、45歳になったので、アラフィフ入りしました(言わない?)。

 誕生日の日、船場ビルディングで開催されていた「心斎橋大丸 原図展」を見に行きました。

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 7月24日(金)、大丸心斎橋店の営業を今年の12月30日で一旦終え、建替えることが発表されました。

 設計者、ウィリアム・メルレ・ヴォーリズは1905年に英語教師として来日。

 布教者、建築家、メンソレータムで知られる近江兄弟社設立と、いくつもの顔をもちます。「青い目の近江商人」と言われた所以です。

 建築家としては教会建築をはじめ、関西学院大学、神戸女学院大学など、多くの学校施設も手掛けました。

 心斎橋大丸は1933年完成の代表作。2003年に解体された、村野藤吾設計のそごうと共に、長くミナミのランドマークであり続けたのです。

 J.フロントリテイリングは、町並み保存のため、御堂筋側の外壁を残す方向で検討を進めるとしています。

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 今回の展示は、日本建築家協会(以下JIA)の保存再生部会が主催、一粒社ヴォーリズ建築事務所等が協力しての開催です。

 会場のある船場ビルディングも、1925年完成の近代建築。

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 エントランスを入ると、中庭が見えます。

 完成当時から、馬車が入り易いようスロープとし、木レンガが敷き詰められています。

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 中庭は4層の吹抜け。

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 空が見える、気持ちのよいビルです。屋根が無いところがいい。

 残念ながら、展覧会内の写真は不可でした。

 心斎橋大丸も元々は、中央が大きな吹抜けで、上部の屋根は全てステンドグラスで覆われていました。しかし、戦争の爆撃で破壊。現在の状態となったそうです。

 写真が残っていたのですが、スケールの大きな空間で、主催者はここまで復元してはどうかと言っていました。

 主張はよく分ります。

 阪急百貨店建替えの歳、伊東忠太設計のコンコースは移築され、現在はレストランのインテリアとして使われています。

 スライス、貼りもの感があり、お世辞にも素晴らしいと言えません。新阪急に、小林一三が旧阪急に掛けた情熱を上回わっている部分は無いと思っています。

 私は全保存、もしくは完全建替えの2択しかないと思います。勿論、現代の技術の粋を集めた、全保存を望みます。

 一度は諦めた建築家になる夢を日本で実現し、そして帰化。「青い目の建築家」ヴォーリズの情熱を上回らなければ、成功はないでしょう。

 嫌々保存では駄目だと思うのです。

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 船場ビルディングのすぐ南にはJIA近畿支部の入る、綿業会館があります。

 こちらも1931年の完成。渡辺節設計の名作です。街には、モチベーションを上げる要素が溢れています。

 慎ましい暮らしですが家庭があり、小さな会社ではありますが、共に戦ってくれる社員がいる。現実より素晴らしいものはありません。

 たった1歳ですが、40寄りか50寄りかで、印象は随分違います。

 孔子の言葉を借りるなら、不惑と知命の稜線に立っていることになります。40歳を過ぎ、迷いはありません。では私の天命とは。

 人類の文明的、文化的発展に貢献する建築を創造すると共に、従業員の物心両面の幸せを追求する。

 仕事がなければ、無用の中年。明治38年、アメリカから渡ってきた25歳の若者にできて、自分にできない理由はありません。

 経営理念と共に誓います。