「ピンチは笑え」とは宮崎駿の言葉だったか。
ネガティブよりポジティブ、難しそうな顔より、笑顔のほうが好きなのは誰でも同じ。
松虫の長屋のクライアントと話をしていて、あることに気付きました。
こちらの家族、ご主人のお母さんと同居です。人間関係の中で、嫁姑関係は最も難しいと言われます。
しかし、奥さんが義理の母に話す姿は、私が見る限り、ほぼ遠慮がありません。
「実の母ではないので、有る程度の線引きはありますよ」と言いながらも、「何なら、母と2人になって、主人の文句を言ってますよ!」と笑うのです。
そんな言葉を聞く旦那さんはこの笑顔。
よって、長男君も笑顔。
そして奥さんは、更に笑顔。
ご主人のお母さんは「ドラマで嫁姑が揉めるけど、全く理解できないの。私の母と、兄の奥さんはとても仲が良かったし、いつも笑っていたから」と言うのです。
自分がそう思っていたなら、一般論は関係ありません。
その言葉に無理がなく、凄いなと思って聞いていたのですが、自分が子供と話をする光景を思い浮かべていました。
例えば、勉強すること、学ぶことの価値を話す時、つい難しい顔になってはいないか。
必要以上に力が入り、眉間にシワを寄せていないか。
熱弁を奮えば奮う程、子供は親の怖い顔だけを目の当たりにしているのでは。
人生の目標が定まっていない時、勉強をする理由とはなんだったのかと考えます。
いい点をとれば、周りが偉いと言ってくれる。親が喜ぶ。100点取ったら100円くれる。
最後のは駄目ですが、その程度の動機だったような気がするのです。
ということは、子供にとっては内容より、その光景、映像、表情の方が大事なのでは……
「勉強の話=怖い顔」
これが悪循環の源なのでは、という仮説をたてました。
少々勉強が出来ずとも、逞しく生きていく方法はいくらでもあります。赤点取ったところで死ぬわけでなし。仮にピンチだとしても、ピンチ攻略ゲームだと思えばいいのです。
しかし、難しい話を、笑いながらするのは、少々ハードルの高い行動です。
私の知る限り、立派な人であればあるほど、物腰が柔らかく、常に柔和。その差はピンチの時こそ開く気がします。
人はついつい頑張ってるんです、苦労してるんですという顔をしたくなります。私もそうでですが。
大人はそこでグッと我慢。そしてSmile!
これ、本気で実践してみようと思います。いいと思ったら即行動。これも人生をよくする呪文だと思っています。