賢者の選択‐1171‐ 

 セブンドリーマーズの社長、阪根が「賢者の選択 Leaders」という番組に出演していました。

 何度か書きましたが、彼とは中学校からの付き合いです。

 一昨日、webサイトにも放送回がUPされました。

 セブンドリーマーズ社は現時点で、カーボンゴルフシャフト部門、ヘルスケア部門などを持ちます。

 当事務所はカーボンゴルフシャフト部門の、直営3店舗をデザインしました。

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 2014年2月オープンの「芝公園ラボ」。

 番組内でもフィッティングの様子が紹介されていました。

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 そして、2015年4月2日にグランドオープンした「梅田ラボ」。ようやく竣工写真が上がってきました。

 「梅田ラボ」は、過去2店舗の黒を基調としたデザインとは趣を異にし、より広い層に足を運んだ貰うという目的がありました。

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 店舗面積は過去最大で、試打エリアも2打席になりました。

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 1人1人のスイングデータを取り、完全オリジナルのゴルフシャフトをつくるのはどの店舗も同じです。

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 ラウンジエリアには、ル・コルビュジエ、イサム・ノグチの名作が並んでいます。

 黒いダイヤモンドをモチーフにしたディスプレイと共に、この店舗の位置づけを表しているのです。

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 番組では、彼の半生とセブンドリーマズ創設までの道のりを、非常に分りやすく、面白く語っていました。

 コミュニケーション能力の高さは昔からですが、更に貫禄がついたな、というのが素直な感想です。

 母体となっているCFRPのトップ企業、スーパーレジン工業の高い技術力があるとは言え、やはりリーダーの選択が会社の行く末を決めるのです。

 売り上げ3500億が目標という数字を聞くと、多くの社員を率いるその重責が伝わってきます。

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 つい先程まで、建築家・槙文彦の講演を聞いていました。

 現在86歳。

 東大の丹下健三研究室出身で、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞をはじめ、全てのものを手に入れたと言ってよい、生きるレジェンドです。

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 9・11テロの跡地に建つ、4つのスカイスクレパーの1つが4WTC(4ワールドトレードセンター)。

 これも2013年の彼の作品です。

 しかし語られた言葉は穏やかなものでした。

 「街に、ささやかな核をつくるのが建築家の役割」

 「ニーチェは、孤独は最高のホームと言った。百貨店のトイレ前のソファーでなく、街にも独りを楽しめるような空間が必要です」

 目の前にいるのは、86歳の老人です。しかし、まぎれもない、世界最高峰の建築家。

 役割が、人を無限に成長させるのでしょう。

 若い女性は弱くとも、母となれば強いのです。いや、強くならざるえないのです。

 規模は違えど、私もリーダーであり建築家。常に世界一の頂を目指し、登り続けるだけです。 

苦労は半分に、幸せは倍にする方法‐1170‐

 「茶摘」の歌にある「八十八夜」は立春から数えて88日目。

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 更に3週間が過ぎ、今日は百一日目です。

 「野にも山にも若葉が茂る」の通り、入梅までが緑の最も美しい時期。勿論、野外で遊ぶにも最高の季節です。

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 先日出掛けた際は、シカもみかけました。この湖には、ニホンカモシカが降りてくることもあるのです。

 魚、哺乳類が自分達の祖先と、再認識する機会がありました。

 NHKスペシャル「病の起源 鬱病 ~防衛本能がもたらす宿命~」を観ました。

 以前から気になっていたのですが、NHKオンデマンドで、過去の番組を購入して見れると知りました。
 
 番組内では「鬱」発症のメカニズムを、脳の起源から説明しています。

 5億2千年前、節足動物繁栄の頃、我々の遠い祖先「魚類」が誕生しました。

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 魚は節足動物と違い、脳をもちます。中でも「扁桃体」という部分が発達していきます。

 この扁桃体は天敵が近付くと、ストレスホルモンを分泌し、全身の筋肉を活性化させます。運動能力を高め、素早く敵から逃れる為です。

 敵が去ると、この分泌は収まるのですが、過度のストレスを与え続けると、ストレスホルモンが分泌され続けます。すると、脳が萎縮した状態になります。これが鬱状態です。

 実験により魚も鬱状態になることが分りました。

 魚類、爬虫類から更に進化したのが、2億2千年前に誕生した哺乳類です。哺乳類は、狩や、外敵から身を守る為に群れを作るようになります。しかし、その社会性を身につけた為、孤独に弱くなって行くのです。

 哺乳類、人類へと進歩する中で「孤独」「恐怖の記憶」「それらを語る言葉」とストレスを感じる要因は増えて行きます。

 文明によって貧富の格差なども生まれ、人間関係が一変したことも「鬱」の要因を増加させました。

 しかし、現在でも太古からの暮らしを受け継いでいる狩猟民族には「鬱」は無いと言います。

 獲物は分けあい、共に助け合うという生活をしている人々は、皆が平等で、ストレスが少なく「鬱」という症状がないそうなのです。

 この日記でも1000回目に書いたのですが、私は28歳から30歳まで、重い鬱病に悩まされていました。

 自分が何故そうなったのか、良く分かりました。

 20代の私にとって、多くのお金を預かり、大きな期待を負うこの仕事は、希望に満ちたものでしたが、反面、大きなプレッシャーもありまして。加えて、全てを独り占めしようと思っていたからです。

 喜びと、苦労のどちらもです。1人で仕事をしていたので、物理的に分かち合う相手は居なかったのですが。

「苦しみは、分かち合えば半分になる。 楽しみは、分かち合えば倍になる」 

 こう教えて貰いました。至言だと思います。

 不平不満の無い社会。これを実現するには、苦楽を分かち合うしか、方法はありません。苦しみだけ、喜びだけ、では駄目なのです。

 つい「自分が我慢すれば済むのなら」となってしまいがちです。特に日本人は。

 どうやら、そこに幸せはないようなのです。

完・友達の本質‐1169‐

 前回は、友達と家族の違いを書いてみました。

 ・友達は、別に帰る場所がある。

 ・家族ではないので責任は負わない。

 更に友達との距離感を考えていると、思いあたることがありました。

 私が一番の友達だと思っていたのは、実家の斜め向かいに住んでいた同級生です。

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 私が越してきた1歳頃から8歳まで。ほぼ毎日顔を会わせました。

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 1970年代前半の大阪平野区は、田畑や空き地が沢山ありました。

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 袋小路になった家の前が遊び場。学校から帰ると、いつも誰かが居たのです。

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 斜め前の彼は、いつも青っ洟を垂らし、無類の生き物好き。のんびりした男の子で、家族以上に自然でした。

 ザリガニの卵を孵化させる為、水槽にストローを突っ込み、交互にブクブクと息を吹き込んだのが一番の思い出です。

 しかし小学3年生の春、彼は羽曳野へ引越して行きました。

 彼の父親は経営者で、会社が大きく発展。閑静な住宅街の豪邸へ越して行ったのです。

 小学3年生が一人で行くには遠く、中学、高校と多感な時期で、会う機会は徐々に減って行きます。そして社会人に。

 彼の親から、突然死したと連絡があったのが30歳の時。朝起きたら冷たくなっていたそうです。

 苦しんだ様子もなかったのが、せめてもの救いと聞きましたが、会いに行っておけばと、本当に後悔したのです。

 父と母は岡山、香川の出身で、大阪には親類が居ません。

 コンビニなどない時代で、醤油、味噌が足りないと、近所へ借りに行ったもの。一人だけでは生きていけなかったかもと、母が言っていました。

 1970年代、大阪の下街は活気と人に満ちていました。裕福ではないけれど、近所は大家族のようで、毎日が本当に楽しかったのです。

 あれから約40年経ちますが、私にとっての友達像は、あの時代の彼だったのではと、思い当たったのです。

 いつも近く居り、日が暮れるまで遊び、全く気を遣わないのが友達なら、ある年齢から友達を持つことは不可能になります。

 黒いトラブルで芸能界を去ってしまった、島田紳助はこんな事を言っていました。

 「人と人の関係は、メリットが無ければ成立しない。それは広い意味なので、一緒に居ると楽しいでもいいんだ」

 関係と言う以上、双方向でなければ不自然です。そう考えると、与えたいばかりで、与えて貰いたがらないのが、私の欠点なのではと思い始めました。

 勿論与えるものも、足りていないのでしょうが。
 
 彼が居なくなってから、どこか友達というものに消極的だった気がします。ある日突然(小3にとって)、与えてくれる友達が居なくなったことに関係があるかもしれません。

 更に言えば、ある年齢からは、それらを、彼女に求めていたような気もするのです。

 私の思う友達の本質に、3つ目の項を付け加えてみました。

 ・双方向の関係である。

 書くと当たり前ですが、少し自分が分った気がします。

 来週は彼の14回忌。久し振りに墓参りに行こうと思うのです。
 

友達の本質‐1168‐

 先週、ニューヨークで働く友人が帰省していました。

 中学からの友人で、集って飲もうとなったのです。

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 2011年11月初めのニューヨーク行きの際、色々サポートしてくれたのが彼。

 最終日は、2人でフランク・ロイド・ライトの落水荘へも行きました。往復15時間のドライブも今は楽しき思い出。
 
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 ニューヨーカーの選んだ場所は、何故か阪急百貨店の屋上ビアガーデン。

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 しかもスタートは6:00pm。ビールは自動です。

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 日が高いうちからビールを飲むなどいつ以来か。これはなかなか気持ちがいいもの。

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 食べ物は屋台感覚で、軽くお祭り気分。2時間半4400円でした。

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 日が暮れても話は続き、二次会は9人に増えました。

 朝のミーティングで、スタッフのマルコがこんな事を言いました。

 「高校までの友達はいつも近くに居る。それ以降の友達はいつも一緒にはいない」

 これは単純に時間のことを指しています。

 正直、私は友達付きあいが得意ではありません。その深さが分からないのです。

 高校くらいまでは少し悩みましたが、今は仕事があるので大丈夫です。クライアントはいつも本気で、関わりの深さを調節する必要など不要だからです。

 マルコと話していると、実に多くの気付きがあります。彼が勉強熱心だからですが、イタリア人だというのもあるようです。

 人の本質は変わりませんが、日本人とはアプローチが違います。

 像を浮かび上がらせるには、様々なアングルのカメラがあった方が良いように、対象を明確にしてくれるのです。

 友達は互いに家庭があり、帰る場所がある。すぐに別れの時間がやってきます。また家族ではないので、責任を負う必要はありません。

 これは、友達の本質を指しているのではと思います。

 私は、家族と友達を混同していたのでは……

 更に長くなりそうなので、続きは回を改めて書こうと思います。 

大人はグッと我慢、そしてSmile!‐1167‐

 「ピンチは笑え」とは宮崎駿の言葉だったか。

 ネガティブよりポジティブ、難しそうな顔より、笑顔のほうが好きなのは誰でも同じ。

 松虫の長屋のクライアントと話をしていて、あることに気付きました。

 こちらの家族、ご主人のお母さんと同居です。人間関係の中で、嫁姑関係は最も難しいと言われます。

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 しかし、奥さんが義理の母に話す姿は、私が見る限り、ほぼ遠慮がありません。

 「実の母ではないので、有る程度の線引きはありますよ」と言いながらも、「何なら、母と2人になって、主人の文句を言ってますよ!」と笑うのです。

 そんな言葉を聞く旦那さんはこの笑顔。

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 よって、長男君も笑顔。

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 そして奥さんは、更に笑顔。

 ご主人のお母さんは「ドラマで嫁姑が揉めるけど、全く理解できないの。私の母と、兄の奥さんはとても仲が良かったし、いつも笑っていたから」と言うのです。

 自分がそう思っていたなら、一般論は関係ありません。

 その言葉に無理がなく、凄いなと思って聞いていたのですが、自分が子供と話をする光景を思い浮かべていました。

 例えば、勉強すること、学ぶことの価値を話す時、つい難しい顔になってはいないか。

 必要以上に力が入り、眉間にシワを寄せていないか。

 熱弁を奮えば奮う程、子供は親の怖い顔だけを目の当たりにしているのでは。

 人生の目標が定まっていない時、勉強をする理由とはなんだったのかと考えます。

 いい点をとれば、周りが偉いと言ってくれる。親が喜ぶ。100点取ったら100円くれる。

 最後のは駄目ですが、その程度の動機だったような気がするのです。

 ということは、子供にとっては内容より、その光景、映像、表情の方が大事なのでは……

 「勉強の話=怖い顔」

 これが悪循環の源なのでは、という仮説をたてました。

 少々勉強が出来ずとも、逞しく生きていく方法はいくらでもあります。赤点取ったところで死ぬわけでなし。仮にピンチだとしても、ピンチ攻略ゲームだと思えばいいのです。

 しかし、難しい話を、笑いながらするのは、少々ハードルの高い行動です。

 私の知る限り、立派な人であればあるほど、物腰が柔らかく、常に柔和。その差はピンチの時こそ開く気がします。

 人はついつい頑張ってるんです、苦労してるんですという顔をしたくなります。私もそうでですが。

 大人はそこでグッと我慢。そしてSmile!

 これ、本気で実践してみようと思います。いいと思ったら即行動。これも人生をよくする呪文だと思っています。

一発でしとめる‐1166‐

 昨晩は、11時過ぎまで「梅田ラボ」に居ました。

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 竣工写真の撮影だったのですが、夕方6時にスタートだったので5時間強。みっちり掛りました。

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 金額は書きませんが、建築写真家の撮影代は結構なものです。

 それに値すると思うので依頼するのですが、建築写真は、アングルによって全く違うものになります。

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 ゴールデンウィークに訪れた、札幌モエレ沼公園。

 ガラスのピラミッドをアプローチから撮ると、こんなアングルです。

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 手前にあるタンポポを引っ掛けると、ちょっとドラマティックなカットになります。

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 更に近付くなら、三角錐の稜線に正対して撮りたいところ。

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 北海道らしさを出すなら、背面もありでしょうか。

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 遠景ならこんなアングルもあります。

 竣工写真は、時間、カット数、通行人など、様々な制約があります。また、建築には機能があるので、撮り直しの機会はほぼありません。

 そんな中で、ベストのアングルを探す。いつ見ても、プロの仕事だなと思うのです。

 大した話ではないのですが、旅行中に上げた写真は、加工をしていません。

 持って行ったパソコンに、そんなアプリケーションが入っていない事に気付き、5月4日(月)分は、そのままUPするつもりで撮りました。

 後で見ると、そちら方が総じて良いと思います。

 デジカメ時代になり、何枚とってもお金は掛かりません。保存、加工、コピーと便利になりましたが、一発でしとめるという覚悟が薄くなります。

 結果、それで何がよくなったのか……

 何年前だったか、「今でしょ!」が流行語に選ばれました。

 これは、時代の気分を良く表していたのかもしれません。

北海道800kmの旅‐1165‐

前回は5月3日(日)稚内に着いたところまで書きました。

 4日(月)の朝、曇天の稚内を立ちます。

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 北海道の北端、宗谷岬まで40km弱。もの凄い強風、かつ気温4度でした。

 多少感慨深いものを想像していましたが、あまりの寒さに早々に退散です。

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 しかし一番印象に残ったのは、この最北の地にも、かなりの民家があること。これは稚内でも同じことを感じました。

 日本には、すでに辺境など無いのだと分かったのです。

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 宗谷岬から、今度は東の海沿いを走ると、道内最大の湖、クッチャロ湖。

 ここは、渡り鳥の飛来地。白鳥、鴨が多くいましたが、野生の鳥にエサをやるのはどうかなと思うのです。

 4日の晩は、旭川泊。昼間の気温は25度でした。温度差が20度で、北海道の大きさを体感します。

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何故かモンゴルのゲルに泊まることに。

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 旭川市を見下ろす高台にあります。

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 馬、山羊、兎などがおり、牧歌的な風景が広がっていました。

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 翌朝は朝一番から旭山動物園へ。子供にとってはメインイベントです。

 文字通り、旭川市の東にある旭山にある動物園で、高低差がかなりあります。

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シロクマを観察できるシールズアイ。

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 アザラシの視点で見るという展示ですが、人をエサとして見られる視点とも言えます。

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 一番感激したのは、レッサーパンダの吊り橋。

 飼育スペースと、通路を挟んだ木が、覆いのない吊り橋で木が繋がっています。その高さ3.5m。

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 レッサーパンダは高い所が好きという習性を生かした展示方法ですが、下に飛び降りることも可能な構造。見ていて非常にスリリングなのです。

 それもあって、体感距離が非常に近いのです。

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 テナガザルの展示方法もく同じ手法でした。

 高さが12m程ある鉄塔の上が大きく張り出しています。

 その高所で、テナガザルは素晴らしくダイナミクに、スピード感溢れるウンテイ運動をするのです。

 観客からはその度に、大きな歓声があがっていました。動物園で歓声が上がるなど聞いたことがありません。

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 チンパンジーは彼らの下から。手や足の裏を見れるという展示です。

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 ペンギンも水中トンネルから。下もしくは同じ目線で。

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 キリンに対しては、少し下から目線。

 閉園の危機から、屈指の人気動物園になったというストーリーを聞いても、ピンと来ていませんでした。

 アドベンチャーワールドにも何度も行ったし、そんなに変わらないのでは。規模でいいならむしろ……

 しかし、人気園には十分な理由がありました。

 行動展示というコンセプトが貫かれ、動物に対して観る側の目線が徹底的にデザインされています。

 このデザインは動物園設計の専門家ではなく、各飼育員が深く関わったんではと想像します。

 でなければ、レッサーパンダは3.5mから飛ばない、テナガザルは12mから飛び降りないと、まず言えません。

 さらに飛び降りようと思えば飛び降りれる、構造を認めて貰うにには、行政との折衝も難航を極めたと思うのです。

 結果は子供の喜び様が全てでした。私の知る限り、文句なしに日本一の動物園です。

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 4時間みっちり遊んで旭川駅前に移動。

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 旭川ラーメンの有名店、青葉台へ。

 塩、しょう油、味噌とも間違いのない味でした。女将さんがユニークでとっても元気。

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 札幌までは高速でもどります。1時間半の移動。

 まずは北海道大学のイチョウ並木。

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 チューリップと大通り公園のテレビ塔。

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 大通り公園やや西にあるのがブラックスライド・マントラ。

 2日前、存分に遊ばせて貰ったモエレ沼公園の設計者、イサム・ノグチの作品です。

 私も滑ってみましたが、どの滑り台よりスピードがでます。ここでは人に重力を再確認させたかったのでは。

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 夕食は夜のススキ野で。

 時間があれば余市にも行ってみたかったのですが、今回はここまで。

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 小樽運河の夜景をみてから、フェリーに乗船しました。

 今回の目的は、日本の北端を見るでした。

 東端の南鳥島、南端の沖ノ鳥島。この2つは、ちょっと一般の方法では難しそうです。

 しかし、西端の与那国島なら行けそうです。

 どうせなら、今度は地球の端っこを。と書いて、地球に端っこなど無いことに気づきました。ミクロ側から見るので端っこという発想がある訳です。

 しかし、ミクロの視点があってこそマクロの視点も活きてきます。

 旅に出ると、街や人、あるいは言葉や風習が違うことに刺激を受けます。しかし、同じ人間で、本質的には変わりがないことを知る。

 自分を知ることは、こんな事の積み重ねなのかもしれません。

 北海道内で820km走りました。大阪-舞鶴を合わせると丁度1000kmくらい。我ながら良く走りました。

 若い頃、冬の北海道は良く走りましたが、一つ念願がかないました。

 多少スケジュールの詰め込みすぎは否めません。秋の連休は、のんびり釣りでもいこうかと……

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

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盛年は大志を抱け‐1164‐

 5月4日(月)の朝。日本最北の街、稚内にいます。

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 海沿いのホテルで、ウミネコの鳴き声で目を覚ましました。八代亜紀の世界です。

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 5月1日(金)の夜、仕事終わりで舞鶴へ。

 新日本海フェリーで小樽へ。深夜0時半に乗り、翌夜の8時45分に小樽着。約20時間の船旅です。

 学生時代、何度も乗った航路ですが、当時は30時間掛かっていたような気がします。

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 当時は大部屋の雑魚寝でしたが、今はそのような部屋はありません。

 家族4人の部屋を取りました。この季節、ほぼ揺れはないそうで、至って快適な船旅でした。

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 まる一日過ごすので宿題はフォワードデッキで。

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 5月2日(土)の夕方、20年振りの北海道が見えてきました。いまだ残雪が残ります。

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 その日は小樽泊。

 5月3日(日)早朝に出発しました。

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朝一番は、札幌郊外のモエレ沼公園。

 彫刻家、イサム・ノグチの遺作をようやく見ることが出来ました。彼のアトリエは香川に保存されており、庭園美術館として公開されています。

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 彼は、不燃ゴミの埋めた地だったここモエレ沼を、アートの力で再生することに情熱を注ぎました。

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アートとは人を感動させることが出来るものと定義付けるなら、そもそも、自然とアートに建築の境界など曖昧なものです。

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 子供はただ山があるだけで、感激できるのです。

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 そして最後はなぜか転がって降りるはめに。

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彫刻家の後を受けて、設計を現実のものとしたのは、旧知の建築家、アーキテクトファイブの川村純一です。

 今日はこれ以上触れませんが、彼とイサム・ノグチの関係がまた凄いもので……

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 羊ケ丘公園までは、早朝につき渋滞もなく30分ほど。

 現北海道大学の初代教頭、クラーク博士像の後ろに見えるのは札幌ドームです。

 自然が近い大都市。それが札幌でしょうか。

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 札幌ドームとのファーストコンタクトはなかなかのインパクトでした。

 梅田スカイビルも設計した、原広司の作品です。

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札幌から滝川まで高速にのり、国道40号線で富良野、美瑛をめぐります。

このポプラが「ケンとメリーのスカイライン」のCMで使われたそう。昭和47年なので私たち世代には馴染みがありません。

しかし、何度かクライアントとの話題に上がりました。車が男の憧れだった良き時代だったのだと、この景色をみれば良く分かります。

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 同じく美瑛にある「セブンスターの木」。

 左端の柏の木がそうですが、近くで見ると葉がほとんどなく。引きの写真にしました。

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 美瑛から稚内まで300km弱。高速も途中まででここからが長かった。

 途中、サロベツ原野で休憩し、5時間程かかりました。

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 日本最北の街、稚内には6時に到着。

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 妻が予約していた、人気店でたまには寿司でもと子供に勧めるのですが。

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 結局、鉄火丼、ソーセージ、唐揚げを頼んでいました。

それでも、嫌いだったホタテが、新鮮なら美味しいと分かったのは収穫です。

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 JR小樽駅から北に伸びる線路。日本の線路はここまでと、粋な演出です。

Boys be ambitious.

 勿論、大志は少年だけが持っていれば良いものではありません。「青春とは心の持ち方を言う」と言った、サミュエル・ウルマンの詩の通りです。

 そもそも、大志を抱かねばならないのは少年でなく私たちです。子供、従業員に夢を与えられる、大きな志がなければ、40代など家の中でも嵩高いお荷物でしかありません。

 厚生労働省は以下のように区分けをしているようです。

 幼年期0~5歳、少年期6~14歳、青年期15~30歳、壮年期31~44歳、中年期45~64歳、前期高年期65~74歳、中後期高年期75歳~。

 私はまだ壮年か。ああよかった……ではなく、中年や、中後期高年などという言葉は即刻排除すべき。その言葉には、頽廃と諦めの匂いが漂っています。

 厚生労働省担当者は、即刻に盛年に変えるべき。盛年よ大志を抱け、です。

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 ふつふつと湧き出してくるものを感じながら、今日は息子と日本の端っこを見てきます。

 昔、そんなCMがあったような気がします。今回の旅の動機は、この記憶からなのですが。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
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