「マエストロ」を観にいこう‐1137‐ 

■■■相談会■■■
2月1日(日)12:00pm~3:00pm グランフロント大阪北館・5F
「サンワカンパニー」にて

大学時代、競技スキーをしていました。

スキー部は、合同で練習する慣習があります。1992年の12月初旬、北海道の北大雪山スキー場で練習をしていました。

関大、関学、大阪学院などが同じ宿舎で、そんな時期から練習に来ているのは、よっぽどの負けず嫌いか、ボンボンだけ。

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そこで知り合った、関学の後輩を、甲南大の合宿に連れて行くことになりました。すぐに決断できる彼は勿論後者です。

飛び切りのボンボンは、大概可愛いというのが私の持論なのです。

その移動の際、北海道の山奥で、車を止めて撮りました。「新調したフォグランプを見てくれ」の図です。

若いって、バカなのです。

同じく、スキー部の先輩、小林聖太郎さんが監督した作品、「マエストロ」が今週末から上映です。

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1993年3月の写真ですが、流石はエンターテイナー。ど真ん中に居ます。ちなみに私は左斜め後ろ。

2006年12月2日。デビュー作「かぞくのひけつ」が公開。それをテレビのニュースで知った妻は、かなり興奮していました。

長編2作品目は「毎日かあさん」。2011年、小泉今日子と永瀬正敏の元夫婦をキャスティングし、話題になりました。

facebookでは「友達」です。

映画というのは「初めの土日+1週目の成績で上映期間や回数等が、決まります」そうなのです。

3作目の「マエストロ」の出演は、松坂桃季、miwa、西田敏行。「マエストロ」を観にいこう、です。まずは自分ですが。

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親の趣味から始めたスキー。

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28歳頃まで、目標は大阪一。更に関西一と本気で目指していました。私にとっては青春そのものでした。

 

集合写真に居る関大の後輩は、現在ホノルルで鍼灸院を開いています。

とっても可愛がっていた、大阪学院の後輩は、突然死で亡くなってしまいました。もう11年前のことです。

彼とは、小学校の頃に、一緒に滑った事があったと、大学で再開してから分かりました。

人生は何が起こるか分かりません。スキーが与えてくれた縁を大切にしながら、全力で生きなければと思います。

 「私たちは、つねづねこうなりたいと望んでいるものになれる」 アール・ナイティンゲール

「マエストロ」を観にいこうと思います。出来れば来週末までに。

セールスマンがペシミストだった場合、オプティミストだった場合‐1136‐ 

■■■相談会■■■
2月1日(日)12:00pm~3:00pm グランフロント大阪北館・5F
「サンワカンパニー」にて

 昨年末、関西スポーツサイクルセンターへ行きました。

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 いつ以来か。河内長野の山中にあり、眺めもなかなかです。

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 今年が35周年とありましたが、サイクルパラシュートは、昔に訪れた時のまま。

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 上まで30mあります。兄妹で必至でこぐ姿は、普段の喧嘩が想像できません。

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 健康によいテーマパークという売りです。変わり種自転車で、子供はヘトヘトになるまで遊んでいました。

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 このアトラクションは昔からあったのか。サイクルリュージュは、正直危険すぎます。

 リュージュのタイヤ版ですが、ブレーキを掛けなければ、命の危険を感じる位スピードがでます。

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 これだけ、こちらの判断能力を問われるアトラクションは、そうはないのでは。今時これがOKなのかと、心配するくらいです。

 そのうち無くなりそうな気がするので、気になる人は早目にどうぞ。

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 長男はサッカークラブを辞めたのですが、嫌いな訳ではありません。子供会主催の大会に出場しました。

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 娘の方は、ほぼ初めてでしたが、サッカーが楽しかったらしく、やるき満々です。

 こんな話があります。

 ペシミスト(悲観主義者)のセールスマンがある国に靴を売りに行きます。まったく売れず、仲間のオプティミスト(楽観主義者)に電話をかけました。

 「全然駄目だ。この国の人たちは靴を履かない。見込みがない」と言います。オプティミストの仲間はこう答えました。

 「見込みは十分だ。この国の人達はまだ靴を履いていない」

 出来ないということをどう捉えるかで、全ての景色は変わるという良く出来た話です。

 現実は、そこまで単純ではないのか、この程度のものなのか。

絶対に混まない抜け道‐1135‐

前回の記事で、錦織圭選手のことを書きました。

コーチとなったマイケル・チャンのとった作戦が、いかにシンプルで勇気があったかを書きたかったのです。

その作戦は、コートの後ろに下がらないというもの。

リーチは短いが、俊敏な彼の特徴を活かす、このシンプルな作戦が全米オープンの躍進を生みました。

そして開幕した全豪オープン。

錦織選手は初戦に勝利。その作戦は、ベースラインより後ろで、打ち合うというもの。ようするに、書いたこととの反対です。

ずっこけたくなりますが、現実とはそういうものです。

書く側は、単純化し、より劇的に書きたのですが、現実はもう少し複雑です。それでも物事をカテゴライスし、評価することは大切だと思っているので、懲りずに色々と書いて行くのですが。

知った風な話ついでに、今日は絶対に混まない抜け道をUPします。

【信州から大阪に帰る】

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<中央道>から<名神>に乗り換えるのルートが一般的。しかし<名神>竜王あたりは渋滞が頻発します。

<名神>に乗り換えた後、小牧ICでの<名古屋高速>に乗り換えます。そのまま南に下り、「名二環」という名古屋の環状線に乗り換え。

名古屋の北側を反時計回り。<東名阪>に乗り換えます。

その先は、亀山JCTで<新名神>に乗り換えるもよし。それも混んでいたら<名阪国道>へいくという選択肢もあります。

小牧JCTが混んでいれば、一旦<東名>を春日井ICまで戻り、<名古屋高速>の勝川ICまで戻る、のルートもあります。

【中国地方から大阪に帰る】

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<中国道>は宝塚トンネルで混み、もっと手前の<山陽道>と交わる、神戸JCTでも混むことがあります。

<山陽道>の三木JCTで明石大橋方向へ南下。布施畑JCTで<阪神高速>の北神戸線へ乗り換えます。東の蓑谷方面へ。

少し行くと白川JCTがあるので、〈阪神高速〉山手線へ乗り換え。白川南ICで降ります。ここまでがのルート。

の一般道を2km程東へ走って、の<山麓バイパス>へ。

新神戸からの一般道を南下。三宮を越え、の<ハーバーウェイ>へ。

最後は<阪神高速>湾岸線へ。

後者は一度UPしました。どちらのルートも、観光シーズンのピーク時にも混んだ事はありません。

遊びつかれた帰りの渋滞が、好きな人は居ません。渋滞につかまらないよう、出来るだけ早く帰れるよう、頭を捻るのですが、ゲーム感覚で楽しんでいます。

しかし、家族は大概夢の中。早く帰れたとしても、褒めてくれる人など居らず……

乗り換えは結構ありますが、退屈もしません。山麓バイパスからの眺めもなかなかです。

「西宮北ICから35kmの渋滞」などと言うときは、是非試してください。

コロンブスの卵‐1134‐

 昨日は、住宅を計画しているクライアントと、作品を見てまわりました。

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「ドタバタ広場のある家」は2009年の完成で、4年前の雑誌取材以来。

 ご主人とお話しできたのですが、お子さん達はクラブ活動に忙しく、奥さんも一緒にお出掛けとのことでした。

 とても快適だと言って貰えました。

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 次は「池を望む家」へ。2008年の完成です。

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 こちらは2年前、テレビの取材以来です。ご家族皆さんは外出中と聞いていました。

 今は、こうして色々な建物が見れるので、多少なりとも信用して貰うことができます。

 それが一切ない時とは雲泥の差。私達の世界では「初めてのクライアントに足を向けて寝るな」という言葉があるくらいなのです。

 テニスの全豪オープンが開幕し、錦織圭選手へに注目は高まるばかりです。彼の特集番組を録画していました。

 飛躍の要因となった、マイケル・チャンをコーチとして向かえたのは、あの全米オープンの僅か1年前でした。

 錦織の体格は、トップレベルの中では劣っています。リーチが短い分、左右に振られると不利な状況に陥っていました。

 チャンがとったの戦略は、コートの出来るだけ前でプレーするというスタイル。

 前に立つと、すばやく反応する必要はあるが、振られる距離は短くなる。また、早いリターンで相手に考える隙を与えない。俊敏な錦織選手ならではのものでした。

 番組内では、ハードなトレーニングが映し出されていましたが、あの躍進の大きな原動力は、こんなシンプルな、もっと言えば誰にでも分かりそうな戦略だったのです。

 錦織と並んでもその小ささが際立つ、チャンの選手時代の経験があってこその戦略だったのだと思いますが。

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 コロンブスの卵の逸話が語り継がれるくらい、人は決断力がなく、初めてに弱いものです。

 マイケル・チャンを調べていると、これまでトッププロの指導経験が無いとありました。

 勝ったときには謙虚さを、負けたときには潔さを学べ。

 この師あってこの弟子あり。トップレベルで居るというのは、こういう事なのだと教えられます。

○○○を人間通と謂う‐1133‐

 当事務所は、弟宅の1階にあります。

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 白い外壁にオレンジを使っています。11年前に私が設計しました。

 熟れた柿をイメージしたので、正確には柿色。柿は古来から日本にある果物で、それが街にあっても良いだろうと考えました

 建築は自由なんだという主張と、街が少しでも明るくなればいいと考えていました。

 今日のような冬の雨の日。1人でもそんな事を感じてくれる人が居ると嬉しいのですが。

 昨年、野村克也の「人間通」という本が出版されました。しかし、元祖は谷沢永一です。

 これまでにも、「可愛気」「評判」「狐色」の項をとりあげました。

 裏表紙に1996年 15刷とあるので、買ったのは26歳の頃。18年前のことです。

 いま読むと、撃たれたような衝撃ですが、当時のことは全く覚えていないのです。表紙には、著者の言葉が綴られています。

 40代あるいは50代に至って人生に関する若干の知見を得ました。
そのたびごとに、このような思い至りがもう10年早く脳裡に浮かんでいたら…… (中略) それを早い目に読者へ伝えたいというのが本書執筆の動機でした。

 また、タイトルとなっている「人間通」の項にはこうあります。

 現代および近未来の主要人物(キー・パースン)は特技の人である必要はない。極言するなら人間の器量としては凡人でもよいのだ。世に尽くす誠意と熱情があればそれで十分である。

(中略)

 組織の要となり世の礎となりうるための必要条件はただひとつと言える。それは他人の心がわかることである。ただそれだけである。

 (中略)

 自分が周囲から認められているという手応えを得たときの喜びは何物にも替え難い。他人の気持ちを的確に理解できる人を人間通と謂う。人間通を身近かに見出せることは幸福の最たるものであろう。

 26の時に読んでいながら「教えてあげたい」という筆者の気持ちを感じきれなかった事が痛恨の極み。

 他人の気持ちを的確に理解できる人が人間通なら、程遠い人間だったのです。

 受け入れる勇気を持ちたいと思いますが、そうするには少しの自信も必要だったと今は分かるのですが。

あれから20年‐1132‐

 今朝は、晴れ着姿の新成人を見かけました。

 素晴らしい天気で、まさに成人式日和。是非、社会に求められる仕事人になって欲しいと思います。

 昨日は東京でしたが、雲ひとつない快晴でした。

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 打合せ前、神田あたりを回ってきました皇居の北側、お濠沿いに建つのがパレスサイドビルディング。

 日建設計の林昌二が担当で、1968年に完成しました。
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 皇居は日本で一番大きな個人住宅。外周には信号がなく、ランナーにとって最も走りやすい道でしょう。

 パレスサイドビルディングは名前もダイレクトですが、建物も明快です。

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 水平ルーバーと、竪樋を連続させたファサード。そして機能部は円柱に全て納まっています。

 近代建築のメルクマーク(指標)となったと、建築書にはあります。

 初めて訪れたのですが、写真でみるより圧倒的に美しい建築でした。


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 そのまま永田町まで移動

 最高裁判所は、昨秋亡くなった岡田新一の最高傑作。1974年の完成です。

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 国会議事堂も初めて訪れました。皇居の西に位置します。

 皇居=江戸城は東京の中心です。当然、都市計画も、それらを軸線として考えられました。

 司法、立法、行政が一帯に集中しており、物騒な事件が続くなか、機能分散が急務であることは間違いありません。

 新聞では、阪神淡路大震災の年に生まれたのが今年の新成人とありました。私にとっては社会人1年目でした。

 大阪市内の実家、3階に私の部屋はありました。鉄骨造だったこともあり、あの朝はかなり揺れました。しかし、すぐ二度寝。

 東京の友人が、心配して電話をくれましたが、適当な応対で切り、再び寝ました。

 毎日仕事が遅く眠かったのと「電車が止まって、休みになればいいのに」と思ったのを覚えています。

 立派な仕事人に、などと書きましたが、全く立派ではない社会人一年生でした。

 でも大丈夫。仕事は想像を絶するくらい厳しいものです。よって、必ず成長させてくれるのです。働き、辞めさえしなければ。

 頑張れ新成人。そして20年目の自分達。

スピードは説得力‐1131‐

初日の出の一日前は、最終日の出でよいのでしょうか。

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大阪を発った大晦日の朝、丁度日が昇り始めました。

昼頃、上信越道の上田・菅平インターを降りました。国道を走っていると、カーナビに「真田家屋敷跡」と表示が。

30歳の時、仕事を休んでいた1年間、色々な本を読みました。一番記憶に残っているのが、池波正太郎の「真田太平記」全12巻です。

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真の天下統一を目指す家康は、豊臣方へ難癖をつけ、大坂の陣にもちこみます。

一方的な展開となる中、豊臣方で一人気を吐いたのが真田幸村(信繁)。六文銭のノボリと、赤備え(朱に塗った鎧)で知られた真田家。勇猛で、戦国随一の戦上手としても知られます。

少ない手勢で、家康をもう一歩の所まで追い詰めますが、最期は天王寺にある安居神社で討ち取られるのです。

作中には忍びの者が登場します。猿飛佐助、霧隠才蔵など、真田十勇士は、太平の世が続いた江戸時代に、講談として脚色されたものと言われます。しかし、その実力に偽りはなかったようです。



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のどかな里山風景を走ると、館跡がありました。

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石積は当時のままのよう。

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小さな社がありました。家紋の六文銭が見てとれるでしょうか。六文銭は三途の川の通行料。それを家紋にしたのは、死をも恐れないという表れです。

真田家は、武田家が滅亡するまで家臣でした。その後、信長、秀吉と主君を替えて行きます。

1月3日は甲府に寄りました。折角なので、武田神社を参ろうと車を近づけると大渋滞。

それと比べると、なんとひっそりとしたものか。六文銭を知らずとも、風林火山を知らない人はいない訳です。

 疾(はや)きこと風のごとく

 徐(しずか)なること林のごとく

 侵掠(しんりゃく)すること火のごとく

 動かざること山のごとく

今年の、事務所のテーマは「スピードは説得力 (Speed can persuade) 」です。

考えていると思っている時間が、言い訳を探している時間にはなっていないか、というメッセージです。

勇気を持った全力の決断に、時間など要らないと思のです。

家康と富士‐1130‐

 前回は、大晦日に草津温泉へ到着したところまで書きました。

 元旦の朝、雪道を富岡製糸場へ移動です。

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 昨年、世界遺産に登録されたばかり。木骨レンガ造の建物は明治初期のままです。

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 明治維新の後、日本が近代化をたどる、その先駆けとなったのがこの富岡製糸場。

 操糸場では大空間を確保するため、和小屋ではなく、トラス構造で屋根が支えられています。

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 ただ、観光地としての整備はこれからというところでしょうか。

 飲食店が開いておらず、名物ホルモン揚げで子供の機嫌をなんとか。元旦なので文句は言えませんが。

 富岡を後にして、上信越道、関越道、北関東道、東北道と乗り継ぎ、日光へ向かいます。

 関東平野の北部をぐるっと回る感じ。あらためてその広さを実感します。参拝時間にたどり着けず、翌2日(土)の朝の参拝になりました。

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 東照宮は初めて来ましたが、その名の通り、朝日が金細工を照らす様は圧巻でした。

 しかし写真ではもう一つその美しさが……

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 長い戦乱の世を終らせた家康への尊敬の念が、家康信仰の源になっています。関東に住まない私は、もう一つピンと来ていませんでした。

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 それに加え、それぞれの建築に施された彫刻は、見所のオンパレードといった感じ。

 「みざる、いわざる、きかざる」は、子供への教訓を形にしたものだそうです。つい分かり易い写真を選んでしまいます。

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 五重の塔も、まったく赴きが違います。

 五層目の垂木のみが扇状に配置されている中国式。完璧からは崩壊が始まるという考えから、リズムを乱しています。

 天下人とは、かくも用心深いのです。

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 家康信仰と自然崇拝の両方があって、日光東照宮成り立っているのだと、その場に行きよく分かりました。

 見ていなければ「猿軍団の町」くらいに思っていたかもしれません。

 日光を後にし、茨城の古河へ。目当ての店が休みで、そのまま東へ向かいます。3日目の宿、富士山へ向かいます。

 当初は、沼津泊の予定でした。渋滞を避けるため寸前に変更したのですが、圏央道、中央道とも渋滞なし。

 夕方には河口湖を通過。夕食はほうとう鍋でした。

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 3日(土)は早起きして、精進湖へ。

 子供は起きず私だけでした、これは後悔しました、叩き起こしてでも連れていくべきだったと。

 氷点下10度以下まで下がり、氷の張った湖面に映る逆さ富士。

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 仕方なく、朝食のあと子供を連れて同じ湖畔へ。氷は乗れるくらい厚みで、はしゃぎまわっていましたが。

 昼は信玄のお膝元、甲府へ移動。

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 富士を望む、何と美しい盆地か。駅前で蕎麦と鳥モツを食べ、最後の目的地、長坂の清春芸術村へ。

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 藤森照信設計の「茶室徹」は2006年。

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 2011年完成「光の美術館」は安藤忠雄の設計。

 内部に照明器具はなく、自然光のみでアントニ・クラーベの作品を鑑賞します。

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 隣にあるのはジョルジュ・ルオーを記念して創られてた「ルオー礼拝堂」は1886年の完成。

 昨秋、京都国立博物館の平成知新館を設計した、谷口吉生の初期の作品です。これで全工程終了。

 3泊4日、草津、富岡、日光、古河、上九一色村、甲府、長坂を巡る旅。家族で全県制覇は、残すところ10県になりました。

 1500kmくらいは走ったでしょうか。我ながら馬鹿なことをやってるなと思いつつ。

 一番心に残ったのは富士でした。これは子供も同じよう。関東、信越のどこに居ても、常に富士山を探してしまいます。

 家康信仰と同じく、関東平野をぐるっと周り、改めてのその美しさと、存在感を知りました。

 反対に、住んでみなければ、 本当の価値は分からないのが、家康と富士なのではと感じたのです。

 今日が、当事務所も仕事初め。

 一富士、二鷹、三茄子。縁起のよい写真でスタートします。

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<目指せ、家族で47都道府県制覇>
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草津よいとこ‐1129‐

 新年明けましておめでとうございます。

 小雪が舞うも、初日の出を見ることができました。

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 ♪ 草津よいとこ、一度はおいで~

 昨晩から、草津節で知られる、草津温泉に来ています。

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 源頼朝が、狩りに出たとき偶然へ見つけたのが始まりだそう。温泉街の中心にある湯畑fは圧倒的な規模でした。

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 高温の源泉を、水で薄めずに冷ますために考えられたのが湯もみ。草津節を唄いながらするのが伝統です。

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 最も上にあるのは、8代将軍吉宗に献上する湯を汲んだ場所。

 温泉以前に「湯」がふんだんに使える温泉は、現在とはくらべものにならないくらい特別な存在だったでしょう。

 それが、豊富に、絶えることなく湧き続けるのですから、人が集まるのは自然。

 普段「お湯がもったいない」「水は大切にしなさい」と言いますが、ここではそのストッパーは外せそう。
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 加水、加熱なしの良質な源泉を、桶になみなみと満たし、頭から豪快に何度もかぶります。ああ何という贅沢。

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 温泉卵120円。安いものですが、つい財布の紐が緩むのが旅の心情。草津は唄に恥じない、良いとこでした。

 日記を始めた動機の1つに、旅行記が好きだった、というのがあります。

 今年も、色々な街、もの、人を書いて行きたいと思います。1年間よろしくお願い致します。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
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