遅刻厳禁‐1092‐

 夏休み中、何度か子供が事務所にやってきました。

 宿題の自由工作をするためです。

 娘は迷路。

 長男は、私がボートを降ろす模型。かなりピンポイントです。彼らの夏休みも、残すところ3日になりました。

 新聞の1面で、片田珠美という精神科医のコラムを取り上げていました。要旨は以下のようなものでした。

 日本社会の幼稚化が指摘されて久しい。クレーマー、モンスターペアレンツのように他人のせいにしたり、すぐ「キレ」たりする大人が増えた。

 子供時代は「登校拒否」、大人になってからは「出社拒否」と、「打たれ弱さ」も目立つ。

 これらの問題の根源は「自分は何でもできる」という幼児的万能感をいつまでも引きずる「成熟拒否」の蔓延がある。

 成熟した大人になるには、若い頃から転んでは起き上がる体験を繰り返すしかない。

 今週初め、ある建材メーカーから「前任の引継ぎで」と電話がありました。新任の22、3歳の女の子は、自らとったアポイントに15分遅刻。そして

「遅くなりました~」と言ったあと、すぐ営業を始めました。

「15分も遅れたら、まずは謝らないと」と言うと、間髪いれずに「済みませんでした」と。もう言わないで、というスピード感です。

 まず、自分が転んだと認識しなければ、立ち上がることは出来ないのですが。

 映画「ベスト・キッド」がリメイクされたようです。主人公の少年は、日々の雑事全てが、成長へのトレーニングだったと、後で知ります。

 そう考えれば、日常に張り合いもがでるというもの。概ね、極意というのは、誰でも知っているが、続けるのが難しいのです。

夏は若く新鮮‐1091‐

 青い空に湧き上がる入道雲。

 日本の夏の景色です

 今回の広島の豪雨では、積乱雲が絶えることなく、繰り返し現れたそうです。最大15kmの高さにまでに。

 先週撮った写真ですが、せいぜい500mくらいでしょうか。その約30倍です。

 スタッフのマルコに「ニュウドウって何?」と聞かれました。

 入道雲は積乱雲の別称。エベレストを遥かに凌ぐ、坊主頭の化け物が次々と現れ、豪雨を降らせ続けたのです。本当に恐ろしい光景だったと思います。

 治水の悪い、大昔に生れた言葉を、現在で体感することになる。これも警鐘のひとつかもしれません。

 一人でも多くの命が救われることをお祈りします。

 今年は雨の多い夏でした。こうなると、空高い秋晴れが恋しくなってきます。

 広辞苑によると、「夏」はアルタイ諸語で「若い」とか「新鮮な」を意味するnierymが語源だそう。

 若く新鮮。だから、あっと言う間の過ぎ去っていくのか……

 夏休みも残すところ一週間。最後の日曜日くらい、スカッと晴れて欲しいと願っています。

一方的叔父‐1090‐

夏恒例、ゼッカ家が我が家にやってきました。

妻の親友が、ミラノへ嫁いで13年。現在帰郷中なのです。

一番上のシモネは12歳になりました。

一番下はうちの娘で5歳。

皆大きくなり、集合写真でないと納まらなくなりました。

今年は私の休みと合わず、どこにも連れて行けませんでした。

せめて帰りだけでもと、天理まで送ってきました。

今度会うのはまた1年後。

長男は1歳の時から、一緒に遊んでいます。

シモネに至っては、結婚前から知っています。

今では、カルチョの国イタリアで、州のMVPに選ばれるほどのサッカー選手。

一方的叔父としては鼻が高いのです。

一方的叔父とは、あるクライアントが、長男へ向けて言ってくれた言葉です。

血縁関係はないが叔父。素敵な響きだなと思っていました。

見返りを求めない父性とでも言えば良いでしょうか。私にも、ようやくそんなものが芽生えてきました。

叔父としては、時々はこちらからイタリアへ出向かなければなりません。また、ジェラートを買ってあげる日を楽しみにしているのです。

師をめぐる、巡礼の旅‐1089‐

 今年の夏休み旅。14日(木)福岡市に入ったところまで書きました。

 ホテルにチェックインして、夜の天神エリアへ。

 名物の屋台で、焼きラーメンを汗だくで炒める店主。

 南国とは言わずとも、開放的な雰囲気があります。

 屋台がよかったのですが、子供がいるので断念。今度の楽しみにします。

 翌朝、早起きして中心部を歩きました。

 中洲エリアにある、アルド・ロッシ設計のイル・パラッツォ(1989年)。

 単純ですが、ひときわ目を惹きます。

 巨匠・吉村順三の河庄(1959年)。

 コンクリート打放しのルーバーを楽しみにしていました。

 しかし、グレーとピンクで塗装がなされており……

 これは正直かなり残念。

 ホテル近くの福岡銀行本店(1975年)。

 黒川紀章、初期の仕事です。

 屋内というにはあまりにも高い天井。

 特別な存在感を放っています。

 朝食のあと福岡を発ち、北九州市立美術館へ。車で1時間程でした。

 こちらも、磯崎新の初期の作品です。

 学生の頃、白黒写真で見て以来、ずっと訪れたいと思っていました。

 磯崎の建築は、単純な造形を用い、一度に建物を印象付ける力があります。そんなところに憧れていたのです。

 一方、より限られた素材で、対比という思想を持ち込めば、より美しい建築が出来るのではとも思っていました。私の作品「加美の家」のモチーフになっているのです。

 訪れるより先に、創ってしまったのですが。

 麗しの磯崎を訪ね、今回の建築巡礼、目的は果たしました。

 しかし、建築めぐりだけでは家族は退屈します。

 午後には日本最大級の鍾乳洞、秋芳洞に到着。

 子供達は探検気分で楽しんでいました。15日(金)は山口泊。

 最終日、16日(土)は朝から萩へ移動。

 市内では、維新の志士、高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)の生家を回りました。

 そして、最後の目的地、松下村塾に到着。

 1856年、吉田松陰は叔父からこの私塾を引き継ぎました。

 そして、多くの幕末の志士を育てるのです。

 倒幕を強く訴える松陰が、維新を見届けることはありませんでした。

 大老・井伊直弼による安政の大獄によって斬首されるのです。1859年のこと。

 日本の近代化は、薩長土肥という地方の力によって成し遂げられています。

 それを差し引いても、この本州西端の小さな私塾から、育った人物の数は目を見張ります。

 先の2人を初め、久坂玄瑞、伊藤博文も松下村塾出身。

 松陰は、相当にクレイジーな部分もあったようです。

 しかし、少々狂気のようなものが無ければ、人の心に火をつけることは出来ないのでは。8畳の小さな講堂を見ながら、そんな事を思っていました。

 当の本人はこんな言葉を残しています。

 「みだりに人の師となるべからず。みだりに人を師とすべからず」

 師を持っていない私にとって、世界に残る名建築、そして珠玉の名言が、師そのもの。勿論みだりではないつもりです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
33/47 【】は済み
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フェリーで行く福岡‐1088‐

 今年の夏休みもフェリーの旅になりました。

 13日(水)の夕方、南港を出港。

 6時ころ、明石大橋を通過しました。


 今回は個室がとれました。

 乗船時間は12時間。

 子供たちにとっても、私にとっても、この時間が一番ゆっくり出きる時間かも知れません。

 船室の窓から景色が見えるこの幸せ。


 早朝に新門司に到着。

 その足で門司に寄りました。

 レトロの町、門司にはアルド・ロッシのホテルと黒川紀章のタワーマンション。


 子供たちが勉強を好きになってくれますように。

 まずは太宰府天満宮へ。賽銭も普段よりやや多めにしておきました。

 参道にあるスターバックスものぞいてきまいした。隈研吾設計の設計です。

 杉の角材を組み合わせた装飾が圧巻でした。

 帰りがけには菊竹清訓設計の、九州国立博物館。

 以前、出雲大社横でみた菊竹の狂気とは、まったく異次元の奔放さでした。

 博多へ移動して昼食。

 博多ラーメンはるるぶ情報のみ。博多一幸舎大名本家へ。少し並びましたが、すぐに入店。

 初めて替え玉を経験しました。つけ麺も初体験でしたが、これがなかなか。

 郊外にある、アイランドシティへも足を伸ばしました。「ぐりんぐりん」は伊東豊雄の2005年の仕事。

 うねるコンクリートスラブの下にある温室。上部も緑に覆われています。

 スラブには大きな開口があります。

 外と中の区別があいまいになって行くのです。

 自由、アグレッシブ、先進的。

 隈研吾、伊東豊雄は、時代の一番前を走る建築家です。

 それに、ロッシ、黒川紀章、菊竹ともうフルコース。

 福岡は建築がいいと聞いていましたが、これほどとは。刺激的でした。

 知らない辻を曲がる時のこのときめき。今からは夜の博多を歩いてきます。

迷ったら即行動‐1087‐

 今日の大阪は、台風一過の青空。

 台風11号は、関西の西を縦断するルートをとりました。

 昨日は、京都水族館へ行っていました。

 京都は少しはましかな、と予想。

 これが、台風を甘くみたことになりましたが。

 朝一番に水族館着。通過した頃に帰ろう。

 行って閉館ならそれもやむなし、と思っていました。

 流石に人も少なめ。 のんびりしたムードで、子供達も大水槽前に座りこんで観ていました。

 2012年オープンと新しいだけあり、展示にも工夫されています。

 アザラシが休憩したくなる、円筒型水槽。

水が動かないからなのか、いつも何匹かが昼寝しています。

 昼が近づくにつれ、人出も増えてきました。

 小さな子供がいる家庭はどこも同じだと、妙な親近感が沸くのです。

 イルカショーも、工夫されています。

 ストローを加工した笛が配られ、全員で練習。

 しかし、イルカショーは、経験がものを言うと良く分かりました。

 白浜、須磨、みさき公園のレベルの高さは、トレーニングの賜物だったのです。

 頑張れ、イルカと若いトレーナーズ。

 昼過ぎに館を出てJR京都駅に到着。構内に入ると、京都―大阪も運休と知りました。

 私鉄が動いていないか調べましたが、アクセス集中で繋がらず。まず京都駅を出て、地下鉄で四条まで移動。
 
 阪急は特急のみ運休。徐行運転でしたが、大阪まで帰ってこれました。桂川をみると、遊んでる場合ではなかったかもと、思いましたが。

 JRは運休が早い。通学の7年間、阪急京都線が止まったことはない。復旧も早いだろうと判断し、移動しました。大阪に戻った時点で、JRは運休のままでした。

 迷ったら即行動と決めて10年以上。行動して結果が悪くなったケースは5%以下だと思います。

 もっとも、若い頃のイメージは、50/50のイメージ。これだと、周りは「どちらでも良かったんじゃない」という評価になります。

 ここが分岐点で、人は失敗を恐れるというより、その後の非難を恐れるのです。

 出来るだけ情報を集め、冷静に判断。ベストと思う選択をして、結果が悪くなることはありません。勿論、判断する技術も多少は上がったと思いますが。

 運休を告げるアナウンスが繰り返し流れる車内。その雰囲気は誰もが知る通り。文句を言っても、悪態をついても電車は動きません。

 よって若者が「行動」へ舵をきったときは、必ず応援する。自分も含めてですが、応援できる人って、本当に少ないと思うのです。

価格破壊‐1086‐

 月曜日に、「柏の家」のクライアントから梨が届きました。

 千葉県の白井市とあります。確かご主人の出身地。
調べると梨の名産地のようです。

 千葉県が収穫量日本一という事も初めて知りました。

 直販所などから送って貰ったのでしょうか。瑞々しく、爽やかな甘さ。
結構な値段だったのではと気になります。

 このところ、城山三郎の経済小説を3冊続けて読みました。

「粗にして野だが卑ではない」 1988年
「男子の本懐」 1980年
「価格破壊」 1969年

 時代を遡るように読んだのですが、最後の「価格破壊」が群を抜いていました。

 町の薬屋から流通業界に革命を起こした矢口。ダイエーの創業者、中内功がモデルと言われます。

 フィクションとは言え、いかにして彼が流通革命を起こしたかが、綿密に描かれています。

 1950年代、薬品、家電など、メーカーの力が圧倒的に強いものでした。卸、小売業者に販売価格を指示し、守らせていたのです。再販売価格維持、いわゆる再販維持制度です。

 また、値引き巾も上限を決めれており、これを破ると商品を卸さないなどのペナルティーが課されました。

 メーカー、問屋、小売の3者が安定した利益を得る為、足並みを揃えていたのです。

 作中、矢口率いるスーパー「アロー」は、決められた値引き巾を大きく越え、目玉商品を売り続けます。やがて、製薬会社は商品を卸さなくなります。

 それでも全国の現金問屋をめぐり、商品を仕入れ、販売を続ける矢口。消費者の支持をえ、販売力が増すと共に、業界への影響力も増して行くのです。

 ダイエーの売上げは伸び続け、1972年に三越を抜き小売業日本一になります。しかしバブル崩壊後の経営悪化は周知の通り。

「ダイエーは何でもあるけど、欲しいものは何にもない」

 晩年、中内は「消費者が見えなくなった」と言ったそうです。

 消費者には二面性があります。安いほうがいい。価値があれば、少々高くても欲しい。どちらも本心で、時代の気分、それぞれの状況によって、その間を揺れているのです。

13  コンビニまで100円とは、本当に物の安い時代になりました。
支持され続ける為に、最も必要なものは。

 真っ直ぐに現実を見れる目と、変化する勇気。この2つなのではと思っています。

 矢口の原動力は、激戦地フィリピンで生死の境をさ迷った経験から来るものでした。

 どんな運転技術があっても、車が動いていなければ、その価値はありません。

 明治、大正から昭和初期のエネルギッシュな成功者に共通しているのは、この「動く」ということに尽きると思います。

 自ず、物に恵まれた時代に生れた私達に欠けやすいものだと思います。

うどんと建築、讃岐詣で & 讃岐うどんの名店Ⅵ‐1085‐

 母方の祖母が亡くなったのが今年の1月5日。

 初盆には少し早いのですが、岡山、香川へ墓参りに。


 父母、弟家族をあわせて11人の団体旅行です。

 宿は小豆島に取っていました。

 日曜日の朝食前、皆で釣りに出ました。バタバタしているうちに、カメラがボトリと水中へ。

 情けないことに定期的に水没させています。今回は1年半でした。


 よって、写真は弟からの貰ったデータです。

 しかしこの写真だけはwebサイトから拝借しました。

 道中の高松にある、香川県立体育館です。

 1964年、国立代々木競技場と同時期に完成した丹下健三の代表作。

 耐震補強の応札がなく、この9月で使用停止が決まりました。

 この日の四国は記録的な大雨。右端に突き出た鼻のような部分から、滝のように雨水が落ちていました。

 高度成長期の日本。丹下が一番前を走っていた時代がビリビリと伝わってきます。圧巻でした。

 保存か解体か、という論議になっています。これほどの建築が簡単に出来ることはありません。天井が低いなら、保存というよりは、用途を変更しリユーズするのが良いのではと思います。


 小豆島は安価なフェリー料金を設定し、観光客を誘致しています。

 四国への橋ができ、何とか立ち寄って欲しいという事です。

 まずは壺井栄の「二十四の瞳」の舞台、岬の分教所へ。


 1日2回、干潮時に現れるエンジェルロード。


 150年は続く醤油蔵ヤマロク醤油

 醤油蔵内まで見せて貰えます。

 醤油は勿論、醤油アイスも美味しかったのです。


 小豆島を4:00pm頃でて、7:00pm神戸港に到着。

 天気はあいにくでしたが、その分スケジュールはゆっくりでした。


 今回の名店めぐりは、山越えうどん。噂に違わぬ繁盛振りでした。

 かまたま(釜揚げ卵いり)1玉250円。

 建築を学ぶ学生の間に「讃岐詣で」という表現があります。

 詣でるべき建築が沢山あるのですが、うどん名店巡りと共に、私の楽しみです。