人の世は評判の市‐1057‐

 ゴールデンウィークが始まりました。

 今日はあいにくの雨ですが、土日は天気にも恵まれました。

 1周年を迎えたグランフロントは、来場者数5300万人。スカイツリーを上回ったそうです。 

 しかし、私のセミナーは事前申し込みが各1組づつと聞いていました。昨年、広島でのセミナーは150名の参加がありました。

 しっかりとした報酬を貰い、相応の緊張感を持って臨みましたが、良い経験になっています。正直言えば、1人でも多いほうが嬉しいのですが……

 蓋をあけてみると、両日とも10名以上の参加がありました。

 今回のテーマは「建築家とつくる住まい」。

 「ゆっくり・繰り返して良い・反応を待つ・聴く人の幸せを願って」
講演の度に心掛けてきたことです。

 イメージの7割くらいは出来たかなと思います。

 2日目は、スタッフの田辺が手伝いに来てくれました。参加者、主催者も喜んでくれ、ややほっとして会場を後にしました。

 グランフロントは1周年イベントが開かれていました。

 大きな吹き抜けにキティーが無数のリボンで表現されたアートワークがあります。

 誰の作品だろうと見てみると、谷尻誠とありました。東京、広島に事務所を構える、私より若い建築家です。

 先日も書いた、文芸評論家・谷沢永一の「評判」を引用してみます。

 人間の値打を定める最終の決め手は評判である。もちろん業績なくして評価はありえない。しかし成しとげた成果は誰かの認めるところとなってようやく浮かびあがる。

 (中略)

 評判は多分に時の勢いがもたらす僥倖であって、神の悪戯とでも言いたい要素が認められる。しかし人の世は評判の市である。この世に公平無私などありえない。あらゆる時代の誰も彼もが、歴史と称されている根拠薄弱な評判の記録を信用してきた。そして今の世においてもまた評判に頼って万事を判断している。つまるところ人は評判を好むのである。

 成しとげた成果は誰かの認めるところとなってようやく浮かびあがる。

 人の世は評判の市。

 誰かに認められるには、攻めだるま以外に方法はありません。

酒の席‐1056‐

 飲み歩くのが趣味でもないので、夜、出掛ける回数は数えるほどです。

 ところが今月は良く出掛けました。

 大学時代の後輩とは、キタの居酒屋で。40分も待たされましたが怒りません。

 大人ですから。

 クライアントとは、現場近くの滋賀のお店へ。

 気さくな夫妻で、2週続けて。

 本来、酒の席は大好きなのです。

 大学時代の友人とは、お初天神のビヤホール。

 酒癖が悪いと言われたことはありません。

 しかし、アルコールが入ると、何か言いたくなるもの。

 「不言実行はかっこ良い。でも、有言実行は、誰かにプラスを与える可能性がある」と、やってしまう訳です。

 若い頃なら、後悔ばかりでした。しかし、歳とともに平気になっていきます。過去はもう変わらないから、と。

 行きつけの店も無いのですが、北新地に同級生がやっているバーがあります。

 散会したあと、久しぶりにのぞいてみました。

 マスターが「2年ぶりじゃない」と。

 しかしそこは同級生なので、2、3時間話し込んでいました。

 真理を知るには酒を飲みすぎてもいけない。飲まなくてもいけない。 -パスカル-

 多少アルコールの力を借りたとしても、夢は言葉にするほうが良いに決まっています。

 人に言った以上、実現する責任を感じ努力する上に、デメリットは一切jないからです。

 最後に。

 今週の土日、グランフロントのサンワカンパニーでセミナーが近づいてきました。

 エントランスには、当事務所の模型を展示しています。

 5月9日まで展示する予定のですので、近くに行った方はのぞいてみて下さい。

あちこち取材‐1055‐

 昨日は、住宅誌の取材でした。

 「あちこちでお茶できる家」は2012年2月の完成。

 前回伺ったのが、およそ1年前でした。変わらず元気な姉妹が、迎えに出てきてくれました。

 朝の新幹線で来阪したライターと、写真家。早速、取材はテキパキと進んでいきます。

 撮影の合間にも、色々と話を聞くのですが、このピンクの壁があるトイレ。

 当初の予定通り、普段は開け放しだそうです。ご主人が「もう、閉まっているほうが気持ち悪いんですよ」とも。いつも開いていると、においも全くないそう。

 トイレの進化もありますが、コロンブスの卵的な発想が、建築設計にはまだまだありそうです。

 広い玄関土間に面した手洗いは、鮮やかな緑にしました。

 奥さんは、当初より北欧の家のカラフルさを取り入れたいと希望していました。

 この緑なら、赤を少し含んだこげ茶のカウンターにしましょうか、というのが私からの提案です。住宅の設計とは、譜面のある独唱でなく、アドリブのみのジャムセッションなのです。

 住宅誌では、家族全員に登場して貰うことが殆どです。

 遊びたい盛りの姉妹も、賢く協力してくれました。掲載は7月末の予定。正式に決まればまた告知します。

 この写真は、2年前に撮った写真が使われています。

 今週の土曜日、日曜日、グランフロントにあるサンワカンパニーでセミナーの講師をします。セミナーは3:00pmから。夕方6:00pmまで相談員としても居ます。

 「本当に住みやすいんです」と奥さんが言ってくれたこの家。そのストーリーをあますことなくお話したいと思います。

 ビフォーアフターの話も少しするつもり。時間のある方は気軽に遊びに来て下さい。

P.S. 今までのクライアントの方々も、来場頂いても全く問題ございません。

被就職活動‐1054‐

 今日は、学校めぐりの一日。

 これまでスタッフ募集は、事務所のwebサイトにUPするだけでした。しかしここ数年、応募は減る傾向にあります。

 それならこちらから出向くまで。朝一番は、母校である近畿大学へ。

 長瀬駅を降りると、大学通りは人、人、人……

 遠くにかすむ西門まで5、600mはあるでしょうか。

 学生で埋め尽くされる景色は、壮観でさえあります。

 私が通っていた頃からある、食堂が残っていました。

 古き良き、大学風情も残ります。

 近大マグロ、全国初の完全ネット出願による出願料の割引。これらが功を奏し、受験者集日本一になったようです。

 就職担当の教授に「とにかく人手が足りないのです」と現状を伝えました。 教授は私の5つ上で、学生の考え方の変化もあるでしょう、とのこと。

 給料は安い、仕事は厳しい、だから若者が来ない。

 理に適っているのですが、それを上回る夢があるはずなのですが……

 その後、千林大宮にある大阪工業大学へ。

 淀川河川敷のすぐ南にあり、景色、環境に恵まれています。河川敷でランニングしているのは、系列高校のラグビー部か。

 全国レベルだそうです。

 こちらの校舎も新しい感じでした。

 近い将来、梅田の真ん中にキャンパスが出来るそう。

 各大学が、減少する学生を取り込む努力をしているのです。

 最後は、天満橋にある 大阪工業技術専門学校(OCT)。

 造幣局のすぐ近くにあり、通り抜けものぞいてきました。

 この3校からはスタッフを迎えたことがあります。

 IT、通信、ロボット工学などに、時代の花形を奪われた感はあります。

「建築とは、時代の音楽を凍らせたもの」

 建築は社会にとって必要なもので、時代の気分を色濃く写しこんでいます。どうせ一度しかない人生。それを捧げるに値する仕事だと思います。

 慢性的な人手不足を解消するには。

 ここで働きたいという若者が列をなすところまで、頑張るしかありません。

可愛気と律儀‐1053‐

 先週土曜日は、滋賀の現場へ。

 敷地に隣合う「矢場」の桜が見事でした。

 家の敷地にこれだけ咲けば、花見に行く必要がありません。

 土塁にはゼンマイの芽も。

 クライアントが言うに「食べ頃はもう少し前」とのこと。

 中々食べ物としては見れていないのですが……

 話は変わりますが、新聞で文芸評論家、谷沢永一の名前を見かけました。

 谷沢永一は著書「人間通」でこんなことを書いています。

 彼奴には至らんところが多いけれど、なにしろ可愛気があるから大目に見てやれよ、と寛大に許される場合が殆どである。(中略)才能も智恵も努力も業績も身持ちも忠誠も、すべてを引っくるめたところで、ただ可愛気があるというだけの奴には叶わない。人は実績に基づいてではなく性格によって評価される。

(中略)

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 秀吉も、家康も、会ったことはありませんが、肖像画を見る限りそんな気がします。

 「自分は愛される人間か、否か」と問うたことがあります。これまでの人生で、先輩に可愛がって貰ったという経験が、ほとんどないのです。

 しかし、これを読んだとき大いに納得し、律儀なら何とかなるかもと考えるようになりました。

 面白みも何もないようですが、これでしか勝負できないなら、それを磨くしかないのです。

兄と妹‐1052‐

 下の娘が、小学校に上がりました。

 昨日からが、ランドセルでの登校。

 長男が4年生なので、3年間は同じ学校です。

 お調子者の兄。同じくお調子者で、かつ甘えん坊の妹。

 入学式には、かろうじて桜が残っていました。

 桜舞い散る入学式は、日本の風情。これ以上、温暖化が進まぬよう……

 当然ですが、どこに行く時も一緒。

 トリックアートの太陽公園では、恐竜の舌を。


 ピアノを習っており、時々2人で合奏します。

 スキー、スノボも。

 仲のよい兄妹ですが、もちろん喧嘩もします。

 伴侶は自分で選べても、親、兄妹は選べません。

 互いに敬意を持ち合い、成長し合えるような家族とは。

 「お父さんは自分の人生を精一杯生きた」と言えるよう、毎日を真剣に生きるしかありません。

 互いに1人しかいない兄と妹。いつもでも仲良くあって欲しいと願いながら。

想像力‐1051‐

 土曜、日曜と、新潟のシャルマン火打スキー場へ行っていました。

 健常者と、チェアスキーの選手が、同じコースで試合をするのが「icetee cup」です。

01

 この団体は、大学時代の友人、先輩達が設立しました。

 学生時代から続けるアルペンスキーも、この試合に出るだけになりました。

 何とか、入賞するところを子供に見せたいという気持ちもあり。

 今回は0.4秒届かずの、7位がベストリザルト。

 甘くはありませんが、かなわないとも思えず……年1回ですが、来年もフルアタックでいきます。

 1日目は晴れましたが、2日目は大雪。

 チェアスキーの人達は、特に寒そうでした。

 子供にも、ちょっと厳しかったかもしれません。

 長男も、残念ながら旗門不通過。

 宿舎が一緒だったので、チェアスキーの人達に色々聞いてみました。

 「やっぱり、パラリンピックに出るというのが目標ですか」

 「この方、リルハンメルのメダリストなんですよ」

 失礼しました。

 「日本旅館だと、段差が大変ですか」

 「そうですね。でも5cmくらいなら何とでもしますよ。ただ、車椅子が通らないと一番困りますね。50cmあればいいんですが」

 私が建築設計をしている事を伝え、聞いたのですが、様々な意見を聞かせてくれました。皆さん一様に明るいのですが、はやり困難も多いのです。

 これまでも、パラリンピックの価値を、文字としては理解していました。しかし、それらを目標としている選手と一緒に食事をし、風呂に入り、人として理解できました。

 夢や目標があるから、みな頑張れるのです。

 3年前の震災直後、ビートたけしが語っています。

 常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

 じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

 人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

 一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

 そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

 「想像力」を、生死を例に語っています。

 書かれている通り、「人の気持ちになる」というのは決して容易いことではありません。しかし、どれだけ踏み込めるかが、人生の、仕事の成否を分ける気がするのです。

OSAKA‐1050‐

 JR大阪駅の発着メロディーが、「やっぱ好きやねん」になるとありました。

 今年1月に亡くなった、やしきたかじん。その代表曲が、5月から環状線で流れるそう。この曲、私も大好きです。

 彼が亡くなり「関西の視聴率男」と呼ばれていたと知りました。関東で流すなら、番組には出演しない。

 それを「気骨がある」と言って良いかは微妙ですが、信念があるのは確かです。

 たかじんをしのぶ会だったか、安藤忠雄が話す姿が新聞に載っていました。

 あなたが亡くなって、大阪は少し元気がなくなったような気がします、という挨拶でした。

 「世界の安藤」と言われるようになっても、大阪に事務所を構え続けた彼はこう言っています。

 大阪が私を育ててくれた。その大阪に恩返しがしたい。大阪からでも世界で戦えることを示したい。

 茨木にある「光の教会」を初めて訪れたのは31歳の時です。

 1年間の長期休暇を終え、私としては意を決して見に行ったのです。

 今までおよそ50人のクライアントと仕事をしてきました。9割以上が関西の方。安藤を気取るつもりはありませんが、自由を尊ぶ大阪でなければ、ここまで仕事があったとは思えません。

 江戸時代、キリスト教を禁じた幕府は、踏み絵を行います。自分の信心を曲げるなら死を選んだ人が多くいました。それほどまでに、信じる心は強いのです。

 たかじん、安藤とも、信念の人。岩おも穿つ信念があれば、多くの夢は実現すると示しています。

 大阪では、このような人達を敬意を込めて「ヘンコ」と呼びます。

 事務所の場所にこだわるのではありません。ただ、私も立派なOSAKAヘンコメンタリティを受け継げますように。