何度も言うから覚えない‐1040‐

 人の記憶は、そこから消えそうになると、脳に焼き付けられるそうです。

 先週、木曽福島へ向かう際の義妹との話しです。

 木曽福島の少し手前、中山道沿いに「寝覚めの床」という所があります。

 彼女は、小さい頃から何度も電車で、木曽の山荘へ通っています。電車がこの地に近づくと、その度に車内放送で説明が流れます。

 何十回聞いたか分からないのに、今聞かれて説明できないと、笑っていました。

 奇岩の中を木曽川が流れる景勝地。その景色に誘われ、竜宮城から帰った浦島太郎がやってきて昼寝をした。目覚めたあと、ここで玉手箱を開け、現実に戻った。夢から覚めたので「寝覚めの床」と呼ばれている。

 これがいわれです。本人の名誉のために言うと、彼女は守谷家で唯一国立大を卒業。生物の研究で、修士課程を修了しています。

 何かを記憶するには、以下のことが重要だそうです。

1. 書いたり、声に出したりして体で覚える。
2. 書く際はテキストを伏せ、思い出しながら書く。

 覚えようとして覚えるのではなく、記憶から消えようよする時、忘れたくないという脳の働きで、よる強く記憶として焼き付けられるのです。

 「学生時代に、論理的に教えて貰ったら、間違いなくやったのに」という気持ちと、「聞いたことがあるけど、やらなかったなあ」という後悔。

 いつでも言ってくれるなら、覚える必要はありません。「何度言えば分るんだ!」ではなく、何度も言うから分からないというこのパラドックス。

 人の記憶の関係は、人と人の関係そのものでした。

出来ればうれし涙、最低でも悔し涙‐1039‐

 昨日は、父、弟家族ときそふくしまスキー場へ。
 
 建国記念日に続き、快晴で低温。最高のコンディションでした。

 パトロールに聞くと、地元のジュニアチームがポールトレーニング中。ヘルメットがあれば、半日500円で参加可能とのこと。

 ぶっつけ本番で試合ばかりで、これは絶好の機会です。

 参加人数も少なく、子供を滑らせることへの気遣いも不要。オリンピックの刺激もあり、フルアタックしてきました。

 長男と甥っ子も、自分なりの限界スピードを楽しんでいました。

 とはいえ、小学3年生以下5人。

 従弟たちが集まれば、何をしても楽しいのですが。

 スキー場もサービスに知恵を絞ります。この日は、フラッグダッシュ大会がありました。

 勝ち抜き戦で、長男は残念ながら準優勝。悔し涙を流したようです。

 昨日、ソチオリンピックが閉幕しました。日本人選手の活躍も、ニュースでしか見れていません。それでも、19歳の若者が金メダルを獲ったと聞くと嬉しいものです。

 アルペン女子滑降で、100分の1秒までを競い同タイム。金メダルを分け合うというニュースがありました。小学生の記録会ならいざ知らず、世界一のレベルのでこんなことが起こります。

 その後、嬉々とした表情で連絡先を交換する、2人の姿が映っていました。

 スポーツの世界は、結果を出してこそです。しかし、そこで得た友情や、努力することの大切さに比べれば、それ以上のものではないと思います。

 スポーツが無くても、明日地球がなくなる訳ではありません。しかし、人に進歩したいという気持ちや人に対する尊敬の念が無くなれば、人類は滅びると思うからです。

  ある特定の瞬間に、トリプルアクセルの成否を分けるものが何なのか、私が知る由もありません。しかし、その結果より、その選手が織りなす人生の陰影が、人の心に残ります。

 子供達も、懸命に打ち込めるスポーツを見つけてくれればと思います。懸命に打ち込んで、出来ればうれし涙、最低でも悔し涙を流してこいよと思うのです。 

笑顔は人類共通だ‐1038‐

 国際機関の中で、カウンセリングをする日本人女性が居ました。

 言語も文化も異なる人たちへ、彼女が心掛けていたことは以下のようなことでした。

 全人種に共通すること、「人は幸せを求める」「いつか必ず死ぬ」などを見るようにしていた。

 記憶が少しあやふなのですが、こんな話を聞いたことがあります。湾岸戦争終結後、国連軍が治安維持部隊として現地に到着しました。

 つい先日までの戦争相手が「今日から平和維持のためにやって来た」といっても、現地の人は不安以外の何物でもありません。

 もし、排斥運動などがおこれば、再び死傷者が出るかもしれない。そんな時、指揮官は部下にこう指示しました。

 「笑え!笑顔は人類共通だ」

 笑顔と言えばOhana、Ohanaと言えば大爆笑です。

 昨年の11月、Ohanaの石井さんに家族写真を撮って貰いましたが、その時のメッセージ付きサービスカットがもう一枚ありました。

 2つの話は、共に当たり前のことで、誰でも知っていることです。しかし、それらを本当の意味で理解し、誰かのために活かせる人と、そうでない人が居るなら、どこに違いがあるのでしょう。

 カウンセラーの所には、本当に困った人が集まってくるはずです。戦争後の治安維持は、自分の命さえ危うい場面があるかもしれません。

 そんな真剣勝負の場に身を置き続け、現実と向かい合う覚悟があるのか。その一点に尽きるだと思います。

 「逃げるな!向き合え!」

 叱っても、怒っても、怒鳴っても仕事ができるようにはならない。分かってはいるが……

「人を残して上」とは、元東京市長、後藤新平の言葉。亡き祖母に誓った、最上級レベルの荒行に違いありません。

真実は現場にしかない‐1037‐

 大雪続きの日本列島。

 各地のクライアントから、雪景色の写真が届きました。我が家の梅も凍えそうです。

 しかし、それはそれで美しいもの。 

 晴れた日曜日は、一気に勢いが増しました。3分咲きというところでしょうか。

 話は変わりますが、昨日こんなことがありました。

 母が近所のショッピングセンターへ買い物へ行きました。ついでに、私の靴下を買ってきてくれたのです。

 あっても困らないだろうというのと、あまり時間も無だろうと思うのか、時々そんなことがあります。ところが、袋を開けると、ちょっと私の趣味と……

 そこは親子なので「これちょっともうひとつやわ」と言い、レシートを貰い店へ向かったのです。衣料品売り場へ着くと、先に同じ金額の商品を選び、レジで事情を説明しました。

 「お客様済みません、○○カードで買われた場合、ご本人に○○カードを持って来て頂き、カードへ返金してから、新たな商品を選んで頂くことになります」と。

 55歳くらいの細見の女性店員は、丁寧に対応してくれました。しかし、私としても同じ金額の商品を選んでいるし、レシートも持って来ているので、納得はいきません。

 「決まりは分からないではないけど、折角プレゼントしてくれた母親に、またここまで来てくれとは言いにくい。何かいい方法はないですか」と私。

 彼女は、隣にいた50歳くらいの小柄な女性店員に「プレゼンなんだから、お母様には来て貰えないものね。何とかならないかな。母の日のプレゼントの時は、どうやって交換したっけ」と相談してくれました。

 「多分大丈夫だと思いますが、課長に確認を取らないといけないんです」と言い、小柄な方の店員が、内線で課長と話をしています。しかし、どうも芳しくないよう。
 「お客様すみません、やはり駄目とのことなんです」と。

 聞くと課長は、すぐ近く居るそう。「課長さんに来て貰っていいですか」というと、1分程で出てきてくれました。36歳の男性で、一流企業も社員らしく、育ちの良さそうな顔立ちです。

 「話は聞きしました。2人の店員さんは、何とか交換してあげようと、色々知恵を絞ってくれたんです。こういう解釈なら、交換できるんじゃないか、と。念の為と、連絡したら駄目という。普通にあるケースだと思うんだけど」と再度事情を説明しました。

 「基本的には駄目なのですが、そう言う話なら、サイズが違っているのでサイズ交換とうことで何とか」という結論でした。聞くと2人の女性はパートさんだそうです。

 「現場で働く人達は、僕の立場で何とかしてあげようと頑張ってくれたんです。とっても有難いと感じました。どんな結論を出すにしても、もう少し現場の声を聞いてからにしたほうがいんじゃないですか」と、つい言ってしまいました。

 事件は会議室で起きてるんじゃない、というセリフがありましたが、組織が大きくなればなるほど、組織の層が厚くなればなるほど、現場の声は届かなくなって行きます。

 しかし、松下幸之助にしろ、本田宗一郎にしろ、現場にこそ真実があると知っていたはず。4人しか居ない当事務所で、私が現場から遠ざかる心配はありませんが。

 真実は現場にしかない。現場には必ず解決の鍵が転がっているはずです。

絶対王者‐1036‐

 2月11日の建国記念日は、久しぶりに家族でスキーへ行くことにしました。

 初めて東海北陸道沿いへ行こうと思い、調べてみるとその数の多さに驚きます。

 概ね大阪からのアクセスは3時間ほど。規模と景色優先で、高鷲スノーパークを選びました。

 雲一つなく、東に御嶽、乗鞍岳、槍ヶ岳を望む景色は絶景でした。

 ゴンドラがイタリア製らしく、トリコロールカラーが映えていました。

 大きなハーフパイプもあり、規模もなかなかのもの。15歳の銀メダリスト、平岡卓選手のホームゲレンデだったようです。
 

 5歳の娘も、ようやく一緒に滑れるようになりました。今度は、長男が「スノーボードもやってみたい」と。

 スキー一筋40年。競技スキー歴も20年強。しかし、スノーボードは未経験です。子供がやりたいと言うなら、やってみるまでですが。

 27歳くらいまで、本気で競技スキーをしていました。大学に入り始めたのですが、目標を大阪からの国体出場に設定しました。

 国体は、年代別にクラス分けされてします。各クラス、上位3名ほどが国体選手に選ばれるのです。雪上の真剣勝負が好きで、毎週、信州の草大会を転戦し、トレーニングを積んでいました。

 結局ベストリザルトは4位。残念ながら国体出場はかないませんでした。
 
 そんなレベルと同じにする訳は無いのですが、女子ジャンプの 高梨沙羅選手がメダルに届かず4位だったとありました。ワールドカップで13戦中10戦優勝といえば絶対王者です。

 地球は宇宙に浮かび、今日も太陽の周りを回っています。地面の下にはマントルがあり、この大地さえも移動しています。絶対などこの世にない。仕事を通して知ったことですが、時にスポーツは残酷です。

 勝者のメンタリティはどんな場面においても変わらないと思います。

 嘆かない、愚痴を言わない。そして、自分に期待し、進歩を楽しむ。

 まだ幼さの残る17歳。画像からも素直さがにじみ出ています。4年後は21歳。是非、その飛躍をみてみたいと思うのです。

背負い水‐1035‐

 週末にかけて、関東はかなりの雪が降ったようです。

 「柏の家」のクライアントから「念願の雪見風呂が満喫できました」と写真が送られてきました。

 大変なとき、それを楽しみに変えるくらいのバイタイリティを持ちたいものです。

 海老江下水処理場に隣接してあるのが「下水道科学館」

 昨日、娘を連れて行ってきました。
 
 以前から、下水のことをもう少し知りたいと思っていたのです。

 大阪市を水害から守るため、長居公園通り地下につくられた、なにわ大放水路。直径6.5m。その実物大模型がありました。

 娘には「勉強に行こう」と言ってあったので、メモを持参していました。

 何を言った訳でもないのに、覚えたてのひらがなで、下水処理の方法をメモしはじめます。いつまでも、こんな素直な子供で居てくれたら……と願わずにはおれません。 
 
 下水道には大きく分けて3つの役目があります。

 1. 家や工場からでた汚れた水を処理場まで運ぶ。
 2. 地面に染み込むことのできない雨水を排水する。
 3. 汚れた水を綺麗にし、自然へ戻す。

 大阪市では、汚水と、雨水を同じ下水道で運んでいます。これを合流方式と呼びます。

 半日ほど勉強し、分かったことがいくつかあります。

 汚れである有機物を取り除く方法は、バクテリアの分解に頼っている。

 処理には、様々な最先端の技術が使われています。しかし、最終的には微生物という自然の力を借りているという事に、ある種納得、安心しました。

 驚いたのは、大雨が降った際、いくらかの汚水は、そのまま川に放流されているという事です。

 処理場の能力を超えた場合、下水管からフローするような形で、市内のあちこちで、直接放流が行われているのです。自分が出した生活排水が、そのまま川に流されているなど、想像もしていませんでした。

 電気、水を節約する。街に落ちているゴミを出来るだけ拾うことで、多少環境に配慮していると思っていたことが、恥ずかしくなってきました。

 ドラえもんの声を担当していた声優、大山のぶ代さんがこんなことを言っていました。

 「人が一生に使える水の量は決まっている。それを使い切った時が命の終わり」

 背負い水という思想ですが、最後に行き着くところは、このような考えなのだと思います。地球が水の惑星と呼ばれる通り、水こそが生命の源なのです。

 娘に、柴島にある「水道記念館も行こうか」と相談してみました。これは「公園へいきたい」と拒否。

 上水道の勉強はまたの機会に。

お金では買えない、家‐1034‐

 先週末に引越しを終えた「遠里小野の家」

 ちらと寄ってきました。

 子供用自転車が、生活の始まりを教えてくれます。クライアントは不在でしたが、今回はご両親に会う所用がありました。

 近所にあるご自宅へ伺うと、お母様が「先に、守谷さんへ伝えておきたいことがあるの」と仰るのです。

 大阪にあったお母様の実家は、かやぶき屋根だったそうです。「新しく建ったあの家に入ると、故郷の記憶が一気に蘇って来たのよ」と。

 お祖母ちゃんも一緒に暮らしていたのだけれど、石臼で一緒に大豆を挽き、きな粉を作るの。石臼には3つの穴があり、そこに私が豆をいれて……そんな風景を思い出し、涙が出てきたのよ。

 最近建った家を何件か見たけれど、どの家も機能的なお家でした。この家も、スッキリとした現代の住宅だけど、軒の深いかやぶきの家から中庭を見ているような気持ちになるの。何故かしら、昔の日本の風景を思い出すのよ。

 子供たちは、本当にいい家を建ててもらったと思ってるの。

 喜びの声、叱咤激励と、様々な声を掛けて貰いましたが、涙を流したと言って貰ったのは初めてです。

 クライアントと一緒に考え、悩み、決断しこの家は出来上がったのですが、それ以上に、日本人が持つ感性と、建築のもつ可能性を知ることになりました。

 孫たちが遊びにきたくなる家になって、代々引き継がれて行けば、これより幸せなことは無いわ。家はお金で買えないものね。

 建築家と家を建てると聞いたとき、ご両親にも不安があったと思います。そんな中、若い夫妻と私達を、温かい目で見守ってくれたことに、心から感謝します。

 家はお金で買えない。物であり物ではないのが家なのです。

70年代‐1033‐

 昨日は宝塚まで行ってきました。

 阪急電鉄の創業者・小林一三は「電車に乗る人が居なければ、乗る理由を作ればよい」と言ったのは有名な話。

 そうしてできたのが、宝塚歌劇団です。

 今年で100周年を迎えるそうです。

 今回の目的は手塚治虫記念館。本物を見ることは、大切なことです。
 
 しかし子供達は、こういったミュージアムをあまり喜んでくれませんが。

 内部撮影は禁止が多い中、ここはほぼ撮影可。小学生の時に描いた絵もありました。

 殆どプロになってからのタッチと変わりません。
 
 仕事は才能に左右されないと思っています。しかし漫画の世界はこの限りではないかもしれません。

 1970年代の初め、手塚治虫はすでに確固たる地位を築いていました。しかし、なかなかヒット作が出ず苦しんでいたのです。

 「終わった」と言う声も聞こえる中「週刊少年チャンピオン」に連載されたのが『ブラック・ジャック』です。

 その異質とも言える暗さに惹かれ、こわごわ読んだのを覚えています。少年誌初の医療漫画はすぐに人気が高まり、5年の連載となったのです。

 「産後すぐ、病院で子供を取り違えたことが、数十年後に分かった」という事件がありました。全く同じモチーフが、水島新司の『野球狂の詩』にもあったのです。

 私は1970年生まれで、『野球狂の詩』も70年代前半の人気漫画です。

 本当に凄腕の闇医者がいたのか、また、裕福な家庭の赤ん坊が、取り上げ違いによって、任侠に育てられた野球選手が居たかは別です。

 しかし、終戦から25年。今とは全く違う空気感があり、それらが漫画に反映されていたと考えると、納得できることが多々あるのです。

 体力をもてあまし気味の子供を、最後は万博公園へ連れていきました。大阪万博は、70年代の象徴です。

 長男が、私と同い年になるのは2049年。その時に、この時代はどう映るのだろうと考えます。

 せめて、子供達が私の作品を振り返った時に、恥ずかしくない仕事をしなければと思うのです。