海賊と呼ばれた男‐1032‐

 2013年本屋大賞「海賊と呼ばれた男」。

 帯にはこうあります。

 こんなリーダーに仕えてみたい  人生を変えるかもしれない一冊

 出光興産の創業者、出光佐三の立身出世物語と言ってよいでしょう。

 作中では国岡鐵造となっています。彼が生きた明治、大正、戦前、戦中、戦後。

 通り一遍のサクセスストーリーではありませんでした。

 逆境に次ぐ逆境……

 海賊というモチーフは、物語の前半に出てきます。

 明治の終わり、これから石油の時代がくると感じた鐵造は、故郷近くの門司で独立。商売を始めます。

 消費者の為に、安価で質の良いものを届けたい。更なる販路拡大を模索していた鐵造は、対岸の下関にある大手水産会社に船の燃料を販売しようと考えます。

 しかし、国岡商店は門司での販売権をもっておらず、既得権益を持つライバル会社と戦うため、門司側の海上で売ることを考えつきます。

 朝早くから手漕ぎの船(伝馬船)で、軽油を売りまくる姿をみて、同業者は海賊と恐れたのです。

 物語のクライマックスは、日章丸事件。1953年、イラン政府は、油田の国有化を宣言します。

 油田を開発したのは、イギリス資本の大手石油会社、アングロ・イラニアン社でした。怒ったイギリス政府はイランを経済封鎖します。

 それまでの経緯を調査した国岡商店は、困窮するイラン国民を救うため、イギリスの軍事封鎖を突破し、自社のタンカー、日章丸でアマダンまで向かい、石油を積んで日本に戻ってくるのです。

 戦後、国際資本の大手石油会社(メジャー)が、利権をコントロールしようとする中、彼は日本の為に戦い続けました。

 正しいことを貫けば、真っ直ぐに、ぐんぐん成長して行ければ、これほど素晴らしいことはありません。しかし、現実はそう単純ではありません。

 蓮は泥の中にしか生きられないが、泥水に染まらない

 ある門前に掲げられていた言葉です。

 どんな困難やトラブルがあっても、また、仮に世の中が荒んだとしても、見事な成果を出す人は、必ずいるのです。

「永遠のゼロ」の項でも書きましたが、百田尚樹が描きたいのは常に人間讃歌だと思うのです。

 国岡家には、3つの柱がありました。

 「一生懸命働くこと」 「質素であること」 「人のために尽くすこと」

 帯にあったようなリーダーになる為には、辛酸をなめつくすしかないのだと思います。

 「勤勉」 「質素」 「人のために尽くす」 を、我が家の家訓に加えました。

大感謝祭‐1031‐

 昨日は、一日「遠里小野の家」に居ました。 

 オープンハウス開催の為です。

 夜間は強い雨が降っていました。しかし当日は、晴れ間ものぞくまでに回復。

 「普段の行いが良かった」とは、良くある軽口です。

 この日は、クライアントの検査もあり。当事務所の最終チェック、掃除と、最後まで皆が動き回っていました。

 始めの訪問は、現在設計を進めているご家族。

 引っ越し前で、机とイスは当事務所のものです。しかし、その笑顔が全てを物語ってくれます。  

 質問が多かったのは「外観」「光」「洗濯室」「造り付け収納」「中庭」あたりでしょうか。

 私の家族も呼んでいました。開催中、人の絶える時間は殆どなく、35名が足を運んでくれたのです。

 お昼前のことですが「Shabby House」のクライアントから電話がありました。「近くなので」と遊びに来てくれたのです。

 クライアントとクライアントが話している姿を見て、色々と思うことがありました。

 家が建った後、今度遊びに行きましょうと声を掛けて貰うことが時々あります。

 やはり進行中のプロジェクトが最優先で、歯切れの悪い答えになることがほとんどです。これは、オファーが増えれば増えるほど、顕著になって行きます。

 全てのクライアントへの感謝の気持ちをどう表現すればよいか。これは、こちらがホストなるしかない、と気づきたのです。

 今年は、大感謝祭を開催したいと思います。詳細は追ってご連絡致しますので。 

 

得意は好きの近くに‐1030‐

■■■「遠里小野の家」オープンハウス開催■■■
1月26日(日)10:00am~4:00pm

 先月のことですが、滋賀県の大津プリンスホテルへ行っていました。

 すぐ前は琵琶湖。北に望む比良山はうっすらと雪が積もっていました。

 そんな中で釣りをする若者がひとり。

 釣りが趣味でない人なら「こんな寒い中……」となりますが、惚れて通えば千里も一里。

 本人は、ワクワクしながら家を出てきたはず。(想像ですが)それを見た私も、釣りをしたいなあ、と思うのです。

 中々釣れない寒い冬。ボート派の私は、春からのハイシーズンに備え、湖底を調査していました。

 魚群探知機は、湖底の硬さに呼応し、色が変わります。その画像を見ながら「底は石だな」とか「柔らかい、複雑なもの……オダか沈潜が沈んでいるな」と想像します。

 オダとは木の枝をまとめて沈めたもの、沈潜は古い木造船を沈めたもの。共に、漁師が魚の産卵場所にと沈めたものです。ここには当然魚が集まり、コンディションの良い魚が釣れるのです。

 得意は好きの近くにある

 誰に教えて貰ったのか忘れましたが、今まで何度も口にしてきました。得意かと聞かれれば口ごもりますが、好きかは即答できます。これを子供に、スタッフに繰り返し伝えます。

 頑張れば更に結果が出て、より好きになる。成長のスパイラルに突入すれば、もう誰にも止められないのです……となれば最高なのですが、現実は少しだけ複雑です。

 その複雑さの正体とは。理論を骨格とするなら、現実は様々な事象が肉付けされています。その骨格が見れるかだと思っているのです。

男子寮潜入‐1029‐

■■■「遠里小野の家」オープンハウス開催■■■
1月26日(日)10:00am~4:00pm
日帰りの東京出張なら、新幹線は6時台。

 

 今年の冬は、特に寒さがこたえます。
それでも、夜明けの空を見ると、本当の意味で体が目覚めます。

 道中の楽しみは、やはり富士山。
雲一つない富士を見ると、今日は「いい日だ」という気持ちになります。
東京まであと1時間弱。

 年末、「銀座ギャラリー」の打合せも、日帰りの予定でした。

 しかし計画は佳境に入っており、自然と熱を帯びてきます。朝から始めた打合せも、あっと言う間に夕方6時になりました。

 クライアント企業の方が「もう泊まっていかれたらどうですか」と。
今までにもホテル泊はあったので、一応下調べはしてあります。この日から冬休みの企業が多く、ホテルは一杯でした。

 それで「今日は帰ります」とお伝えすると「なら、役員寮に泊まっていって下さいよ」とのこと。結局お世話になることに。

 担当者の方と寮に戻ったのは10時過ぎ。

 その寮には、同年代の幹部の方がもう一人。

 新入社員の方と合わせて3人が暮らしています。

 「先に風呂でもどうぞ」と言われるままに。

 出てくると、鍋が用意されていました。

 先に帰った2人の社員さんが、買い出しに行き、一緒に帰って来た担当者の方が、料理してくれたのです。

 幹部の2人は、長く単身赴任をしており、料理も手馴れたもの。4人で遅い夕食になりました。

 これが、掛け値なく美味しかったのです。お酒も入り、話も盛り上がったのですが、何よりその心遣いに感激しました。

 私は「企業」という規模の会社に勤めたことがありません。そこで感じるのは、マンパワーの凄さです。それぞれの分野に専門家が居り、あらゆるプロジェクトに数名の担当がつきます。

 皆が連携し、仕事は進んで行くのです。

 設計事務所は、仕事を覚えれば独立していく人が多数派。また、慢性的な人不足がゆえ、電話応対、模型製作、作図など、あらゆることを一人でしなければなりません。

 それぞれの長所短所はあると思いますが、最も感じる違いは、企業と社員の人生は一蓮托生だということです。

 幹部の2人は、豪快に笑い飛ばしましたが、単身赴任で寂しい部分もあるはずです。

 そんな中、自らの仕事に責任を持ち、家族のため、会社のために尽くす姿は、完全に戦士です。

 バブルの頃「24時間戦えますか?」と言うCMがありました。

 スタッフと、共に戦う腹はくくれているのか。自分に問うています。

必ず言おう‐1028‐

 昨日は「銀座ギャラリー」の打合せでした。
1日かけて芝公園、銀座とまわり、その足で丸の内へ。

 

 バカラショップが経営するバーがなかなかいいと聞いていたのです。

 流石は丸の内。洗練されたオフィス街です。

 通りのライトアップは、色が使われておらず、かえって新鮮さを感じます。

 「星の王子さま」の作者、サン・テグジュペリはこう言っています。
『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、ありのままの姿に戻ったとき、つまり、加えるべきものがなくなったときにではなく、取り去るものがなくなったときに達成されるのである。

 デザインとは飾るものではない。痛感する場面がよくあります。

 B barで軽く一杯やって、そのまま新宿へ。金額のほうもなかなかでしたが、それに値する空間ではあると思います。


 昨晩は、高校の同級生が集まっての新年会でした。

 関東での暮らしが長いという友人がほとんど。

 2件目は、初めてゴールデン街へ行きました。

 このドヤ街感がたまりません。


フラッと入ったのは、B級ホラーをテーマにしている店。

 これも同級生だからこそ。

 好きなことを言い合い、遅くまで飲んでいたのです。

 クライアントへも、出来る限り気を使わず、何でも言って欲しいと伝えています。

 今度、オープンハウスをする「遠里小野の家」のクライアントから、以下のようなメールを貰いました。

この度は御愁傷さまです。

 介護や医療で携わっている人間としての考えかもしれませんが、医学の発展により人間が楽には死ねない時代に突入している中で眠る様に息を引き取ることは凄く幸せなことだと感じています。

 守谷様の祖母が亡くなったのに幸せと表現するのは不適切かもしれませんが、大半の高齢者の方々が望んでいても眠る様に息を引き取ることができる人は一握りだと経験上そう感じています。

 人生の最後に家族の不安を募らすことなく旅立たれたのは守谷様の祖母の優しさなのかなと痛感しております。

 いつも思ったことを、率直に伝えてくれる人ですが、有難いと思うと同時に、我がことのように嬉しく思います。

 他にも、元気が出たというメッセージもいくつか貰いました。そのメッセージを見て、今度は自分が元気になります。

 折角思ったこと、感じたことは、必ず言おうと思います。それが、プラスのスパイラルを生むのだと感じるのです。

諸君!‐1027‐

 水溜りに氷が張っていると、嬉しくなるのは何故でしょう。

 寒いのが好き、という訳ではないのですが、どうせなら冬は寒いほうがシャキッとします。

 

 「遠里小野の家」へ向かう際、阿倍野で乗り換えます。
ハルカスを背に、1両のチンチン電車が颯爽と登場。ホームは60cmあるなしでしょうか。
 
 強風にあおられれば、電車に接触しないかと、不安になるほど。
下手なアトラクションより、よほど迫力があります。


 途中、住吉大社を通過。
 日本一辛いおみくじを、毎年楽しみにしていました。
 今年は祖母が亡くなったのでお預けですが。


 大学時代の先輩宅で、新年会がありました。

 お酒も入り、好きなことを言い合い、なかなかに盛り上がりました。

 さて、そんな仲間が、どれほどいるのだろうと考えます。

 今日は成人式。

 金曜日、産経新聞夕刊に、山口瞳のエッセイが紹介されていました。

 山口瞳と言えば、開高健、柳原良平と続く寿屋(現・サントリー)広告宣伝部の系譜を引き継いだ、由緒正しき作家です。エッセイの他、小説「血族」も傑作でした。

 以下が、1978年から毎年掲載された新聞『広告』と聞けば、痛快以外の言葉が見当たりません。
今日から酒が飲めるようになったと思ったら大間違いだ。諸君は、今日から酒を飲むことについて勉強する資格を得ただけなのだ。仮免許なのだ。

 本当に酒の味がわかるのは、苦しみつつ、なお働いた人たちだけなんだ。

 そして。

 諸君!この人生大変なんだ

 「諸君」は一時代前の言葉です。しかし、人事ではない愛情も感じます。また、新聞の1面にエッセイを書く記者の、見聞の広さ、引用の多様さに、只々感心するのですが。

 最後は私のセレクトです。敬愛する、の開高健の言葉から。

 ええか、男はナ、自分の財布で飲むんヤ。それでなければ身につかへんのヤ。男になりたければ、そうするんやデ。上を見て生き、下を見て暮らさないかん。そういうこっちゃ。

子を育て、孫を育て、ひ孫を育て‐1026‐

 1月5日の朝、祖母が亡くなったと母から聞きました。

 1923年、大正13年生まれ。90年の生涯でした。4人とも元気で長生きだった祖父母は、ついに居なくなりました。

 7日(火)の朝。家族で香川へ向かいました。

 晴れ渡る空に、生駒山から日が昇ろうとする瞬間。こんな時、一日一日がかけがえのないものだと、改めて認識します。

 まんのう町は香川県の南西部に位置します。

 こんぴらさんで知られる金刀比羅宮は、日本一の石段が有名です。像頭山の中腹から、船の神様が見下ろすこの地で、祖母は生まれました。

 地主の家系で、二男三女の末っ子。

 女学校を出て結婚するまで、百十四銀行に勤めていました。9歳年上の同郷の祖父と結婚。

 祖父は東京の大学を卒業し、戦後は通産省に勤めていました。

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 24歳で長女となる母を出産。3年後、叔父が生まれました。しかし祖父が肺結核を患い、昭和28年に郷里へ戻ります。

 結局祖父は肺を1つ切除することになります。

 家族4人が暮らす為、その分も祖母が働いたのです。母は寝ている姿を見たことがないと言う程、働き詰めの人生でした。

 葬儀場で「目に入れても痛くない、孫の世話をすることが、何より生きがいでした」と言うナレーションに、目頭が熱くなりました。

 初孫の私が生まれた時、祖母は47歳。本当に元気でした。子育てを終えた後は、5人の孫の世話。

 孫育てが終われば今度はひ孫。趣味などもなく、只々人の世話をするのが生きがいだったのです。

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 叔父によると、深夜2時には変わりなく、朝起こしに行くと冷たくなっていたそうです。眠るように、静かに息を引き取る。それは一つの理想です。

 誰もがそうありたいと思いますが、懸命に生きた人だけが許される最期だという気がします。

 手編みのチョッキ、卵入りの納豆、もち米から炊く赤飯。何故か、思い出すの日常の物ばかりです。大好きだったおばあちゃん、安らかに。

 「財を残して下、事業を残して中、人を残して上」とは元東京市長、後藤新平の言葉です。

  最上、と言って貰えるよう昌紀は懸命に働きます。

苦しみが十分でない‐1025‐

 今日の大阪は快晴。

 隣の工場からはサンダーで何かを削る音が響いてきます。

 こんな音の中で暮らしてきましたが、これからもずっとそうなのだろと思います。

 本日が仕事始めです。

 年始は白浜で過ごしました。

 気温的には3、4度ですが、景色も含めて南国気分ではあります。そんな中、義妹から、甥っ子が骨折したと電話がありました。

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 昨日は、弟家族と実家に集まりました。

 長男に続いてですが、骨はいずれくっつきます。可哀そうではありますが、すべては今後の糧になるはず。頑張れ甥っ子。

 年末、撮っていたイチローの番組を観ました。

 僕の数字で言えば、4000という数字ではなく、8000と向き合ってきたという事実はある

 4000本安打を達成したあとのコメントですが、「8000」とは凡打に終わった打席の数のことです。その失敗と、誰よりも向き合ってきた、と彼は言いきりました。

 「はっきりと言えるのは、打つことに最終形はないということ。ぼんやりとした理想形があるだけ」

 「いつ辞めるのかと考えると、苦しみが十分でない。まだ苦しめる」

 そう言ってイチローは笑っていました。

 言葉がまっすぐで、野球を通し、人はここまで成長できるのかと感じます。喜びは、苦しみがあってこそ。その場に立っていなければ、味わえないものです。

 昨日、母方の祖母が亡くなったと連絡がありました。これで、4人の祖父母は全員亡くなりました。

 香川へ向かい、最も世話になった祖母の人生と向き合ってきます。

キャリアハイ‐1024‐

 新年あけましておめでとうございます。

 2014年1月2日。白浜に来ています。

 風こそ強いですが、青い空に澄んだ海。

 円月島が映えています。


 風が強いぶん、凧揚げにはもってこい。しかし、何とも縁起のよい遊びです。
 
 今年の目標は、湯川秀樹博士の言葉としました。

 一日生きることは、一歩進むことでありたい

 スポーツ選手には「キャリアハイ」という言葉が良く使われます。選手時代に残した、ピークの成績を指すもの。

 40歳を過ぎ、厄年も終え、間違いなく人生の折り返し点にさしかかっています。生涯現役でいたいですが、仕事のオファーがなければ、評価をして貰うことさえ出来ません。

 先日、あるクライアントから「脂の乗り切った」という表現をしてもらいました。違う意味の脂は不要ですが、有難い言葉です。ただ、謙遜では済まされない年代に入ったのは確か。間違いなくキャリアハイを目指さなければなりません。

 そのためには、日々前進あるのみ。そして、天まで届けと行きたいものです。

 2014年も宜しくお願い致します。