昨日は現地調査へ行っていました。
リノベーションは調査がすべて。何かを提案するには、建物を把握するところから始まります。
遠くに臨むのはあべのハルカス。
都心部であっても、ドラマティックな眺望はあるものです。
ここは物干しとして使われている塔屋部。
木が上へ伸びるように、密集地では建物も上、上へと光を求めることになります。
折角手に入れた光と景色を、物干しにだけ使うのはもったいないので、何らかの仕掛けを考えたいと思っているのです。
昨日、このようなメルマガが届きました。
成長の姿に「憂鬱」があることを知ってますか?
素晴らしい話を聞いた後に「よし!やるぞ!」と勇気が湧いてくるというのでなく、どちらかと言うと、「がっくりした」「憂鬱」になったという姿です。
私は、こちらのほうが「成長する」ということにおいて本物のような気がします。
なぜ、「憂鬱」になるのか、私にもよく分かりません・・・・きっと、本気でやろうと思っている人が、本気でやるということの凄さを実感して、立ちすくむようなものではないでしょうか?
まあまあ、やってたつもりが、全然出来ていないことが話を聞いて明確になり、嫌になってしまうようなものではないでしょうか?
これから自分が進むべき道を想像し「えらいこっちゃ!」という思いが、自分でも気が付かない心の底から湧きあがってくるようなものではないでしょうか?
もし、あなたが本当に成長をすると決め、真剣に歩んでいるとするならばきっとこの「がっくり」「憂鬱」体験をしているはずです。
「がっくり」「憂鬱」体験は、悪いことではありません。
あなたが本当に成長することを裏付けてくれているのです。
この日記もそうですが、意識的にネガティブな単語は避けきました。憂や鬱はその代表格。
しかし、恩田さんの言葉は、すっと心に入ってきます。「がっくり」も「憂鬱」もまたよしです。
悪いイメージに引っ張られる事と、ウェイークポイントを認識することは全く違うもの。しかし、紙一重の存在とも言えそうです。