在庫なし、取り寄せ不可‐1014‐

 ラジオからは、そろそろクリスマスソングが流れてきます。

 家が建ってから、と言ってきたクリスマスツリーを買うことになりました。

 妻が「白もいいんじゃない」というので、子供を連れてホームセンターへ。

 売り場の人に聞くと「品切れで、いつ入ってくるかも分らないし、取り寄せも出来ないんです。済みません」と。

 子供達はすでに盛り上がっているので、簡単には帰れません。

 「いつ入るか分らず、取り寄せも出来ないなら、飾っていても仕方ないよね」ということで、現品を売ってもらいました。

 少し値引きもあり、組み立てる手間も不要。

 飾りもそこそこ付いており、ラッキーでした。

 少し飾付を追加して完成です。

 若い頃、こんな事があると、ややムッとして「何とかならないの」と言ったと思います。

 日本ほど、ごね得な国はおそらく他にないからです。

 少々無理を言っても、多くの店員は何とかしようとしてくれるのです。

 しかし、そういった行動をとると、確実に人の品格は下がって行きます。

 「ごねる」は御涅槃(ごねはん)から来たもので、本来は死ぬという意味。

 思い通りにしろと文句をつける「ごてる」と混同した誤用だそうです。

 品格が下がるどころか、死に至るとは。

 「包装はいいです」と言い、3人で意気揚々と持ち帰っていると、どうにも視線を感じます。

 考えてみれば、売り物を持ち帰っているようにしか見えません。

 全ての視線に「いや、お金は払ってるんです」とは言えないので、大きなテープだけ貼ってもらいました。

 この件、私はごねたのか、ごねていなのか。僅かですが、気にならないではありません。

日本一の田舎‐1013‐

 11月も下旬になり、紅葉もピークでしょうか。

 どこがいいかなと思案した結果、京都府美山町へ行くことにしました。

 モミジと茅葺屋根のある景色はなかなかいいだろうなと。

 美山町北村という集落は京都の北にあります。

 岐阜県の白川村荻町、福島県下郷町大内宿についで、茅葺の建築数は日本で3番目だそう。32棟が残っています。

 紅葉の盛りはややすぎていたでしょうか。それもで、日本の原風景が守られています。

 原風景と書きましたが、勿論、これらは自然に残るものではありません。

 茅葺の職人は、ここでもかなり不足していました。

 集落で「有限会社かやぶきの里」という法人をつくり、村として保存の取組みを続けています。

 その結果、ここから育った茅葺の職人が、全国で活躍するようになりました。

 休日にも関わらず職人が、茅を切りそろえていました。

 子供達も、あぜ道を歩く機会さえ、なかなかありません。

 何かが生える硬さと、何も生えない硬さは、生命感が全く違うものです。

 軒先では、お婆ちゃんが2人。

 この村でも65歳以上の占める割合が、50%を超えています。こう言った集落を「限界集落」と呼ぶそうです。

 「自分達も、どこまでこの景色を残せるか分らない。しかし、日本の原風景を残すため、軒先で物を売るのは辞めている」と地元の人が話ていました。

 こういった村を維持するには、多くの人が繰り返し来てくれるかに掛かっているとも。

 「日本一の田舎」と言うコピーには、思わず笑ってしまいました。しかしその文句に偽りなし。

 訪れたことの無い方は是非。

ビッグスター‐1012‐

 嘘は絶対駄目です。

 嘘をつくと、それを覚えておく必要があります。ある時、これはかなり面倒だと気付きました。言ってみれば、頭がドライブの重いパソコンになったようなもの。

 全てにおいてマイナスしかありません。という事は、勿論嘘をついた経験があるということですが。

 先週末、出雲ので建築家展が終わったあと。

 電車まで少し時間がありました。

 一緒にイベントに出ていた建築家と「ちょっとラーメンでも」という話になりました。

 駅前を4人で歩いていると、いい感じの屋台を発見。

 中に入ると更にいい感じ。

 ベニヤにマジックで書かれたメニューには、ラーメンが500円、おでんが100円とあります。

 おばちゃんがおしゃべりとくれば、もう完璧。

 ささやかな打ち上げになりました。

 おばちゃんもエンジンがかかり、いろいろな話しをしてくれます。

 前日、タレントの博多華丸・大吉が来ていたそうです。屋台が大好きだそうで、ベニヤにサインもありました。本当に感じが良かったそうです。

 ひとしきり盛り上がったあと「そろそろ時間なので」と立ち上がると、ひとりに向かって「あれ、あんたもタレントさん?」と言い始めました。

 その方はとてもおしゃれで、かなり恰好がいいのです。全員が、大きな荷物を持っていたこともあってか「ああ、絶対そうや」と。

 冗談で言ってる感じではなかったので、その方が「ええまあ。韓国の方ではちょこちょこと」のような事を言ったのです。

 「ああそうや、やっぱりビッグスターなんや」と言いだしたのです。店を出ると、背中にむかって「まて来てや~」と。

 覚えておかなくて良い嘘は、ジョークと言う。

 お後がよろしいようで。

菊竹の狂気‐1011‐

 週末は出雲市で、 建築家展に参加していました。

 出雲大社は60年に一度の遷宮の年にあたります。日本で唯一「神在月」を許されるこの地に、全国の神様が集まります。

 まさに「神迎祭(かみむかえさい)」の真っ最中。多くの参拝者で賑わっていました。

 国宝の本殿は、今年屋根が葺き替えられました。檜皮にも、新しさを感じます。

 門をくぐると、まわりには荒々しくゴロタ石が敷き詰められてします。

 神様と人の結界を表し、非常に歩きにくくなっています。簡単には寄りつけないようになっているのです。

 本殿の手前、拝殿のすぐ横にある「庁の舎(ちょうのや)」。設計者は菊竹清訓で、神社のオフィスといった建物です。

 菊竹は1960年に発表されたメタボリズムの体現者。

 都市、建築には「新陳代謝」が必要という考え方です。東京で仕事が始まった時、その代表作「スカイハウス」を真っ先に見に行きました。。

 庁舎(ちょうのや)は、1963年の完成。この建物を見た瞬間から、夢中でシャッターをきり続けました。

 建物のモチーフは、稲穂を天日で干すそのフォルムです。

 しかし建物全体のイメージを決定づけるのは、側面を覆うルーバーです。これが建物内へ、柔らかな光を落としています。

 この日は朝から雨が降っていました。

 このルーバー状のコンクリートには溝があり、そこにポタポタと雨水が落ちています。

 言ってみれば、これらは全て軒樋だったのです。

 また、それに覆われているのではなく、樋と樋の間にはガラスが入っています。屋根であり、外壁であり、開口部でもあったのです。

 50年が過ぎ、わずかに雨がにじんでいました。

 これらが全て分かったとき、菊竹の狂気を感じました。

 もの創りにおいて、考え方が大切です。しかし、その考え方を動かす、情熱がなければ、何も達成できません。しかも「狂」がつくくらいでなければ、人の心など動かないと感じたのです。

 今回は仕事へ行ったのですが、多くの刺激とエネルギーを貰いました。

 出雲大社はあらゆる縁を結ぶ神様として知られます。それならこれも何か縁なのか。

みかんの名産地‐1010‐

 11月9日(土)は和歌山へ打合せに。

こちらでは、お義父さんから引き継いだみかん畑を、奥さんが切り盛りしています。

 みかんは冬の食べ物。

 しかし、11月初めの早生(わせ)から、最も遅い晩生(おくて)という種まで、収穫は長く続きます。収穫の始まった、倉庫を見せて貰いました。

 1カゴが20kgで、15カゴが300kg。

 みかん畑と呼びますが、完全に山です。

 週末は、ご主人、子供さんも手伝ってくれるそうですが、これは大変な仕事です。

 専用のハサミを持ち、摘み取りと収穫を片手で行うそう。

 その朝摘みの由良早生(ゆらわせ)という種を、その場で食べさせて貰いました。

 この時期のみかんは外皮も薄く、袋の皮も薄く、一番食べやすいという事でした。

 割ってみると、確かに袋の皮が破れてしまう程。流石、名産地のものは違います。ここまでみかんが美味しいと思った事はありませんでした。

 水上勉の「土を喰らう日々」にこうありました。

「ご馳走とは、旬の素材を探し、馳せ走ってもてなすことだ」

 旬の食べ物をその場で食べた事は勿論。朝から山に登り摘み取ってくれたことも含めて、ご馳走です。

クライアントのクライアントになってみる‐1009‐

 昨日は夕方から、萱島の写真スタジオ「Ohana」へ行っていました。

 前回来たのが娘の七五三。毎年来ようと言いながら、3年が経ってしまいました。

 カメラマンの石井さんと、一緒にこの店舗を考えていたのが2008年から、2009年にかけて。

 完成してから4年が経ちました。

 2階スタジオの小窓は、子供がのぞきたくなるようデザインしたものです。

 そこからのぞいているのは、うちの子でなく石井さん。

 全く変わらず、茶目っ気たっぷりの人です。

 まずは娘の証明写真から。

 頭の上にはすでに被り物で、見ている長男も爆笑です。

 「証明写真で笑わせる必要があるの?」と奥さんから突っ込まれながら。

 午前の撮影では「ウケ」がいまいちだったそうで、「ゲラ」なうちの子供で自信回復、と言っていました。 最近は、就活写真を撮りに来るお客さんも多いそう。

 撮影代1050円で、プリント315円はかなりリーズナブルな金額だと思います。

 その後、家族写真の撮影をして貰いました。

 これも涙が出るほどの大爆笑。

 このエンターティナー振りを、いつかYou TubeにUPしたいと思っているのですが。

 撮影の後は「センスの良い知人宅のリビング」と設定した、1階で写真を選びました。

 どの計画も、思い入れとストーリーが結晶化されたもので「Ohana」もその一つです。

 仕事をする側、仕事を依頼する側。

 この両者が、真の意味でのパートナーになった時、進歩、発展が生れるのだと思います。

 この関係性がなければ、言い方は難しいのですが、単価通りの仕事にしかならないと思うのです。

 石井さんの仕事ぶりを見て、またクライアントのクライアントになってみて、そんな事を思います。

人の為とかいて‐1008‐

 先週の金曜日、滋賀の現場へ行っていました。

 既存建物の解体も終盤。間もなく工事が始まります。

 敷地は緑豊かで、環境には非常に恵まれています。

 「イノシシが出るくらいなので恵まれすぎ」とはクライアントの弁。


敷地内に、皮が剥がされた樹がありました。

 「伊勢神宮へ奉納するために、使わせて貰えないか」と相談があったそうです。

 で、伐採も含めて、OKしたという事でした。

 伊勢神宮は、20年に一度の式年遷宮。

 この春に参ってきました

 同じく出雲大社も遷宮の年にあたるそう。
 
 こちらは約60年に一度で、同じ年にというのは、相当に稀なようです。

 島根在住の経験がある人に、出雲の国だけは10月が「神在月(かみありつき)」になると教えて貰いました。

 旧暦10月。全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲の国に集まる月。他の土地では神様が留守になるので神無月といいますが、ここ出雲では神在月と呼びます。

 神々が集う出雲の各神社では「神迎祭(かみむかえさい)」に始まり、「神在祭(かみありさい)」そして、全国に神々をお見送りする「神等去出祭(からさでさい)」が行われます。

 -出雲観光協会のwebサイトより-

 出るわ出るわの偽装問題。神も仏もありゃしない、という感もあります。

 旧暦なら今が神無月。来週、出雲へ行くので、本当に神様はいるのか探してきます。

 人の為と書いて、いつわりと読むんだねえ -相田みつお-

 全ては自らのため。本当の意味で、偽りを分るのは自分だけです。

締切は創造の父‐1007‐

 振り替え休日の今日、大阪は朝方雨でした。日中は晴れそうです。

 昨日、現場近くで、干し柿を見つけました。

 亡くなった祖母が、軒先に吊るしていたのを思い出します。
 
 干し柿は保存食ですが、渋柿の渋抜きのためでもあります。

 焼酎漬けという方法もありますが、今考えると子供が食べて良かったものだったのか。

 ドラえもんの作者は藤子・F・不二雄こと、藤本弘。

 ’96年に62歳で亡くなったことを考えても、露出の機会は少なかったように思います。先日ドキュメンタリー番組で、初めて話している姿を見ました。

 ドラえもんは世界中で愛されるキャラクターです。

 1970年連載開始で、私と同い年。

 その誕生は、かなりの難産だったようです。

 安孫子素雄とのユニットで『オバケのQ太郎』を大ヒットさせた藤本は、続く人気漫画を求められます。

 なかなかヒット作が生まれず、苦しんでいました。

 思い悩んだ末、やはり自分が本当に描きたい漫画を、という考えに至ります。そして、人気少年誌の連載を断わるのです。

そして、小学生だけに向けて描き始めたのがドラえもんでした。

 これは、母が孫に作ったもの。

 多少問題もありますが、誰もが自分なりのドラえもんをもっているのです。

 身体が弱く、引っ込み思案だった藤本は、のび太そのもの。モチーフはすぐに固まりました。
 しかし、ドラえもんの方はなかなかで、締切が迫ってきます。

 いざ連載の告知という段になっても、まだ描けておらず、おおきな?でその場をしのいでいました。そんな時、娘のダルマのようなフォルムのおもちゃを見つけました。そこに普段は煩いと思う野良猫の鳴き声。

 これらが合わさり、ようやくイメージが出来あがりました。言うなれば、偶然の産物です。

 ドラえもんがそうなら、我々など当然です。

 先週も、一番若いスタッフの田坂は、締切に追われていました。
「必要は発明の母」という言葉がありますが、現実はもっと積極的です。
「締切は創造の父」くらいの感じでしょうか。

「プロとは締切がある事」と言った人もいました。時間、プレッシャーこそが、創造の源であるのは、誰にとっても変わらないようです。

 最後に、藤本弘の漫画家像を語る言葉が印象的だったので、載せておきます。人気漫画をどうやって描いたらいいか。

 そんなことを一言で言えたら苦労しないのですが、ただ1つ言えるのは「普通の人であるべきだ」という事です。

 体全体からにじみ出した結果としての作品が、読者の求めるものと合致した時に、それが人気漫画になる訳でありまして。

 つまり、大勢の人々が喜ぶと言う事は、共感を持つ部分がその漫画家と読者の間に沢山あったという事です。