Off Time 綺麗な海、美しい海

 4月の初め、女性ライターと男性のカメラマンが来所しました。

 ASJという建築家ネットワークに登録しているのですが、機関紙が発刊されています。その中の「建築家のOff Time」というコーナーの取材でした。

 Off Timeなので、仕事以外の話です。

 同年代の2人と話していると、あっと言う間に2時間が過ぎ。

 結局、海、スキー、旅などの話しになりました。

 webサイトでも見れるのでもし良ければ。

 晴れなら海へボートを持って行き、現地で取材を受ける予定でした。

 しかし残念ながら当日は雨。

 よって事務所での取材となりました。

 なかなか楽しそうなページになったのではと思っています。

 ただ、海へ行くことをOff Timeとは思っていません。

 仕事ではありませんが、バカンスとも思っていないのです。

 言ってみれば、夏の生活の一部。

 脈々と受け継がれてきた狩猟本能を満たしに行くと言えば、かっこつけ過ぎでしょうか。

 違うスイッチがOnになっています。

 自分のコメントの中に「綺麗な海」という箇所がありました。

 普段「綺麗」という言葉は、使わないようにしていますが、この日口にしたのかどうか……

 建築家・出江寛はこう言っています。

 綺麗は清潔の類。美しいものを創りなさい、と。

 来週から7月です。 Welcome big summer.

 いざ、美しき海へ。

2タコ

 富士山が世界遺産に登録されました。

 今日は滋賀へ行っていましたが、関西なら近江富士です。

 讃岐富士の飯野山、蝦夷富士の羊蹄山、そして近江富士は三上山。

 各地域に富士があるのも、自然信仰の表れか。

 安定感と秩序のあるその姿を見て、不快に思う人はいないでしょう。

 一度、山頂から朝日を拝んでみたいものです。

 今日は良い天気で、アジサイも鮮やかでした。

 反対に昨日の日曜日は、曇りのち雨。

 それでも久しぶりに、父の船で釣りに行ってきました。

 長男、甥っ子、義妹で明石へ。

 この日のターゲットはタコです。

 タコはテンヤという仕掛けに、エサのアジを括り付けて釣ります。

 何とか2匹釣れましたが、釣ったのは何れも義妹。

 長男が酷い船酔いになり、そこでアイムアップになりました。

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 子供にとっては、イケスも、水族館も全く変わらないのでしょう。

 大きなタコは、やや気持ち悪い感もあります。

 ヨーロッパで「悪魔の魚」と言われるだけはあります。

 目が不気味なのが、その要因ではないかと想像しているのですが。

 しかし、ゆでてしまえばこっちのモノ。

 何と言っても明石のタコ。味は抜群でした。

 1富士2タコ3ナスビ。

 今週は縁起のいいものを2つも見ました。

 良い週になりそうです。

 勿論本当は2タカですが。

999

 少し降ると、市街地でもかなり気温が下がります。朝方は寒い程。

 しかし、日本代表戦は残念でした。

 月曜日の新聞に、松本零士のインタビューが載っていました。

 言わずと知れた「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」の作者です。彼の父は軍人で、いつもこう言っていたそうです。

 「人は死ぬために生まれてくるのではない。生きるために生まれてくるのだ」

 先の戦争の際、陸軍士官学校の同期の中で、唯一生きて日本に戻ったそうです。

 部下の多くを失い、自決したかったのではと思う。それでも、家族の為に生きて帰ってきてくれたことに感謝する、とありました。以下、抜粋してみます。

 宇宙のあらゆる生命は生きるために生れてくるという、生命を讃える考えは、私の全作品に反映されている一大テーマです。

 「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三艦長は父がモデル。

 例えば「きょうの屈辱を耐えて、明日のために生きろ。死ぬな古代」いうセリフも、そういう意味のことをしょっちゅう聞かされていました。

 いつか殺し合いのない世界に―。父の思いを受け継いで、作品に込めています。

 「世界の様々な思想、宗教、民族感情、それらは決して傷つけてはならん」。これも厳しく言いつけられ、今でも私の仕事を律しています。

 生き死にの狭間を経験することで、人はこうまで成長できるのかと思います。

 また、こんな言葉のある家庭から、松本零士が生まれたという事実……

 もう一方の代表作は「銀河鉄道999」。大人の1000になる前で未完成の青春の終わりという意味が込められている、とウキペディアにありました。

 松本零士75歳。どこまでも続く生命賛歌です。

 苦闘で鍛え上げられて楽観主義だけが、未来を切り開く。今日も1歩前へ。

未来が見えないから未来はある

 先週土曜日、関西は久し振りにまとまった雨でした。

 この2年、ゲリラ豪雨が続いているので、まんべんなく降ってくれると有難いのですが、なかなかそうも行きません。

 我が家では長男がイモリを飼っています。

 義妹がキャンプの際に捕ってきたもの。

 天然物だからか、生きたエサしか食べないのです。

 食事時の人には申し訳ないのですが、好物はナメクジ。

 長男が、庭の石をめくり取って来ます。

 空梅雨もあり、かなり減っていたので、この雨で増えるでしょうか。

 彼は手掴みで捕ってきます。
 
 顔をしかめたくなる時もありますが、好奇心が無ければ人は生きて行けません。

 ギリシャ神話にパンドラの箱の話があります。

 ゼウスは決して開けてはならないとパンドラへ箱を与えました。

 一方、彼女へは好奇心も与えているので、結局それに負け、その命は破られる事になりました。

 ゼウスはこの箱に、災い全てを閉じ込めていたので、それらがこの世に溢れてしまう結果となります。かろうじて蓋を閉じ、唯一閉じ込める事が出来たのが「予兆」。

 古代ギリシャの人々は、未来を知る事が、最大の災いと考えていたのです。

 サッカー日本代表は、コンフェデ杯でブラジルにコテンパンでした。

 長友は「優勝なんて、腹を抱えて笑われる」と言いますが、この未来を知っていた人は、この世に誰一人居ません。良い、悪い関係なく、未来が見えないから生きていけるのです。

 オシムの考えに同調するなら、笑われたかどうかは、どうでもいい事。批判を全て受け止め、その中から真実を見出し、改善すべきことを改善するだけです。

 その夢を聞き、嫌な気分になった人も居らず、迷惑した人も居ないはずですから。

バックパックに詰めて行くもの、置いていくもの

 週始めは雨予報だったのが、全て晴れ予報に。

 江戸時代なら間違いなく飢饉になっているでしょう。これは雨乞いが必要かもしれません。日本の自然崇拝の一端を見た気がします。

 この季節、蒸し暑い中を楽しく過ごす工夫が必要です。伊勢志摩のキャンプ場へ行った際、ハンモックがありました。

 南米の原住民が使っていた寝床ですから、この時期にはうってつけです。

 ハンモックに揺られると、いつも記憶は2002年2月のベトナムへ……

 2001年の4月、30歳だった私は事務所を閉め、無期限の休暇に入りました。

 周囲には「海外を見て回りたいから」と説明していました。事務所を立ち上げて5年が過ぎ、正直に言えば心身ともボロボロでした

 しかし、バックパックだけを背負い世界を旅してみたいという夢も持っていました。

 この年は911のテロがあり、出発はやや遅れたもの、2001年の暮れ、ようやくバンコクに飛び立ったのです。

 帰りのフライトチケットを持たない、宿をもない初めての旅。

 新しい街に着けば、まずはゲストハウスと呼ばれる安宿探しです。
 
 心細かったのは数日で、値交渉も楽しみの1つになりました。

 東南アジアの街々を放浪し、2002年の2月、ベトナムに入りました。

 現在、ホーチミンは経済で注目の的ですが、十数年前も人の多い、埃っぽい、熱を帯びた街でした。

 カンボジアからは飛行機での移動。

 空港に降り立つと、まずその人の数に圧倒されます。

 何故か両替が外にあり、多くの視線の前で、ベトナムの通貨のドンに換金しなければなりません。

 タクシーを捕まえ、ゲストハウス街の住所を告げ、降ろされた時に撮ったのがこの写真。

 見渡す限り、人人人。全員が私の財布を狙っているんじゃないかと、内心気が気ではありませんでした。

 あてにしていたゲストハウスが見つかり、ほっとしたのです。

 ホーチミンはフランスに支配されていた歴史もあります。

 よって、安宿でも練乳入りのコーヒーとパンが美味しいのです。もちろん、パクチーがちりばめられたフォーは最高でした。

 バラック街の中にある、ゲストハウスには屋上がありました。

 そこにハンモックが吊られていたのです。

 ある夜、市街地の中心から花火が上がり始めました。華僑が旧正月を祝う為に上げているとのこと。

 ハンモックに揺られながらそれらを眺め、そろそろ日本に帰って仕事がしたい、と思ったのです。事務所を閉めて、10ヵ月後のことでした。

 人生には色々な事があります。もう仕事を辞めたいと思っている若者が居るとしたら。

 どんな仕事でも同じですが、簡単に辞めてはいけません。しかし、もうこれ以上は無理、なら辞めざる得ません。

 そんな時はバックパックだけの旅を勧めます。

 本当に必要なものは、その小さなバックパックに全て入っているのです。

ミカンの天敵

 先週末に続いて、和歌山へ。敷地調査をしてきました。

 こちらのお家は代々ミカン農家で、裏山に畑があります。
 
 丁度「サンボウカン」という種が成っており、その場でもいでくれました。

 和歌山のお殿様へ三宝に乗せて献上したから「サンボウカン」。

 見た目と違い、とても甘い種でした。

 残念ながら、現在は出荷していないそうです。

 和歌山県はミカンの生産高日本一。

 南面した山肌は、かなりの所まで畑になっています。

 ミカンは水はけの良い土地が向いているのです。

 開墾の際に出た石を積み、急な段々畑が作られました。

 手積みした石垣は身長程あり、近くで見ると結構な迫力です。

 その上にあるのは、マキの防風林。

 防風林は、風に吹かれ、キズがつかないようあります。

 大事に育てられたミカンは、丁度ピンポン玉くらいになっていました。

 収穫は10月から12月。

 現在は、モノラックという設備が、畑の中に張り巡らされています。

 しかし重労働には変わりません。

 手間暇かけて作ったミカンですが、売値は決して高くはないとのこと。

 和歌山のミカンと言えばブンランド力もあるなず。

 何故安いのか聞いてみました。

 「ペットボトルのジュースの影響が一番じゃないかな。

 うちの子でも、皮をむいてやれば食べるけど、あっちはひねるだけやもんね。

 最近あんまりミカン食べないでしょ」と。

 500mlのペットボトルが市場に出回るようになったのはいつ頃からか。それを機に変わったのはミカンだけではない気がします。

 以前なら、それらを人前で口飲みする時、少しの抵抗感は持っていました。しかし今は何のためらいもありません。

 ミカンとペットボトルだけの話ではないのかも……考えさせられるのです。

スターマニア

 今日は現地調査の日。

 まずは神戸に来ています。梅雨ながら天気に恵まれ有難い限り。

 麻耶山のふもとギリギリまで迫る住宅地。

 神戸がいかに住みよい、また、住みたい街であるかを物語っているようです。

 道が狭いので、パーキングに止め歩いて現地へ向かいました。

 近くに、見覚えのある煉瓦つくりの家が。

 学生時代、何度も寄せて貰った先輩の家でした。

 最後に訪れたのは20年前。夜景が素晴らしかったのを覚えています。

 今回のテーマは「屋根裏を狙え」です。

 一昨日、サッカーの日本代表が2014年ワールドカップ出場を決めてくれました。

 後半はテレビで見たのですが、流石は本田。やってくれました。

 香川、ザッケローニ監督とも「違いをつくれる選手」と、最大の賛辞を送っています。

 しかし選手は「更なるレベルUPが必要」と口を揃えました。元日本代表監督、イビチャ・オシムが少し前に、日本の課題を語っていました。

 厳しい内容ですが、まとめてみます。

 日本もスペインもバスを回すスタイルだが、スペインはチャンスと見るとゴール前までスプリントし、ゴールを狙う。遠藤、俊介、憲剛は、後ろに残ったままで、シュートへの意欲を持たなかった。

 彼らはアグレッシブさを欠いており、パスを出すのが自分たちの仕事で、シュートは他の選手がすべきことと思い込んでいるふしがあった。思うに彼らは、あまりに早く人気者になってしまったのではないか。それが彼らのキャリアに大きな影響を与えた。

 どんなに才能に恵まれていても、美辞麗句を並び立てて賞賛されたら選手は自分を見失う。真面目に練習しなくなるし、プレーにも真剣味がなくなる。遠藤のような選手が、そのために最高のキャリアを築けないとしたらとても残念なことだ。

 日本には、ある種のスターマニアの傾向がある。スターには触れることができない。彼らにもできないことがあるのは傍から見て明らかにもかかわらず、そのことに触れないし批判もしない。彼らは守られている。

 批判を受け入れることが進歩のための唯一の道だが、日本では批判することもされることも嫌う。誰も批判されることを喜ばないのはどこでも同じだ。誰もが愛されながら生きたいと願っている。だがそれでも、進歩のために批判を受け入れている。

 「スターマニア」という言葉には、はっとさせられました。正解や方法論は一つでありませんが、オシムの言葉には説得力があります。

 今回視聴率は38.6%。ワールドカップは世界で最も愛されるスポーツイベント。その舞台で、日本代表を見れることは本当に幸せです。

 本田が言うように、優勝を狙うなら……

 誰もが愛されながら生きたいと願っている。だがそれでも、進歩のために批判を受け入れる。

 頑張れ日本代表、そして自分たち。

土曜の5時

 先週土曜日、和歌山へ現場視察に行っていました。

 和歌山駅まで、天王寺から1時間強。

 紀勢本線に乗り換えさらに20分。

 和歌山市内を過ぎると、海沿いを走りはじめます。

 海が見え始めると、得をした気分になるのです。

 出来るだけ電車移動にしているのですが、最近は車移動も増えました。

 5月中旬の土曜日、スタッフと移動していました。

 時計を見ると夕方の5時。あの番組が始まるなと、FM大阪に合わせたのですが、違う番組が。

 「サントリー サタデーウェイティングバー アバンティー♪」
  
 東京、元麻布にあるレストランのウェイティングバー。常連客がおしゃべりするのを大学教授とバーテンダーが盗み聞きするという設定。そのお店は実在すると言っていますが本当かどうかは知りません。

 「東京一の日常会話」に聞き耳を立て続けて、この春で20年目。とFM東京のサイトにありますが、どうやら3月に終了したようです。

 教授、ジェイク、スタン……最近はあまり聴いていなかったのですが、最後くらいはと、悔いが残ります。

 初めて東京での仕事が始まった時、店があるとされる、元麻布の仙台坂を歩きました。真剣に店を探した訳ではありませんが、結構な時間、辺りをうろうろしていたのです。

 分らないことだらけで、かつ長い仕事時間。土曜日にこの番組を聞き、日曜日を迎えることだけを楽しみにしていました。

 番組は20年とあるので、ほぼ私のキャリアと一致します。かっこいい大人の会話に、どれだけ救われたことか。まさに仕事の恩人です。

 オープニングのグラスと氷が当たる「チリンチリーン」という音が聞こえてくると、いつも社会人1年目を思い出していたのです。