こっそり見て、さっさと忘れる

 「機動戦士ガンダム」が始まったのは私が小学3年の時。1979年のことです。夕方の放送に急ぎました。

 ♪燃え上がれ~ 燃え上がれ~ 燃え上がれガンダム~♪

 オープニングの音楽は、すぐ耳に蘇ってきます。特別のファンだった訳ではありませんが、子供達はみな敏感に反応していたと思います。

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そのメカデザインをしたのが大河原邦男。「超大河原邦男展」に行ってきました。

 1947年生れ65歳。

 東京造形大卒業後、大手アパレルメーカーを経て1972年タツノコプロ入社。

 「科学忍者隊ガッチャマン」で初めてメカのデザインを担当し、以後メカデザイン専門に。「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」(1977年)他。フリーになってからメカデザインを担当したのが「機動戦士ガンダム」です。

 会場は兵庫県立美術館。安藤忠雄の設計です。

 エントランスの打ち放しの壁に、大きく描かれたザク。この2月、新聞でのインタビューにこんな話が載っていました。

 主人公、アムロ・レイが操縦するモビルスーツが「ガンダム」です。これは模型にして発売するため、スポンサーの玩具メーカーの意向に沿ったデザインにする必要があった。

 しかし、敵メカの「ザク」はその予定がなかったので、自由にデザイン出来た。また、そのデザインは、前職のアパレルメーカーの研修中に、背広のデザインばかり描き続けていたからこそ出てきたデザインだった。

 ガンダムなど、地球連邦軍のメカは第二次世界大戦のアメリカ軍を、一方ザクなど敵役のジオン軍はドイツ軍をイメージしてデザインしており、いずれも、監督の富野由悠季の要求に応じながら描いたもの。

 更にメカデザインを追求していった結果生れたのが「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)のスコープドッグ。

 こちらは鉄鋼アーティスト・倉田光吾郎が1/1スケールの実物?を制作、展示されています。

 また映画「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」のポスター原画は、感激しました。

 何に感動したかと言うと「本当に人の手で描かれているんだ」という事なのだと思います。

 後にガンダムは伝説的アニメとなるのですが、放送する側の期待通りではなかったようです。

 視聴率の低さゆえ、放送期間は予定より短縮。このあたりの時間的誤差は興味深いものがあります。

 また、当事者(ターゲット)とも言える私達は何を思っていたのか。

 正確には覚えていませんが、それまでに観たアニメとは違うものを感じていました。 子供向けアニメには有り得なかった、狂気のようなものが描かれていたり、戦争によって生まれた孤児や、大人の恋愛感情に至るまでが正確?に描かれていました。

 良い意味でも、悪い意味でも「観る相手が子供だから」という部分は希薄でした。これはのちに、総監督の富野由悠季氏のインタビューを見て瓦解しました。

 「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人になればアニメはさっさと忘れなさい」

 私が描いていたアニメ監督とは、似ても似つかぬ人物像でした。創った本人はさっさと忘れなさいと言うが、ドム、ズゴック、グフと名前が出てくる私達はどうすれば良いのか。

 受験勉強をしているような顔し、色々な本を読みました。また、家族揃って恋愛映画を観るのはあまり健全とは言えません。

 こっそり見るものが大切なのは間違いなさそうです。