酸ヶ湯と蔦温泉

 「ひと雨ごとに」の言葉通り、昨日から急に日差が強くなってきました。

 堺にあるフェニックス通りの植込みはソテツ。

 写真だけみれば夏気分です。

 火曜日に酸ヶ湯の積雪量が5m66cmで日本記録を更新した、というニュースがありました。

 青森県酸ヶ湯。読み方は「すかゆ」です。9年前に訪れました。

 結婚が2003年の秋で、その年末年始の事。

 3泊4日で、遠野、盛岡、八戸、十和田湖、青森を回りました。

 結婚祝いを貰ったので、当時はかなり贅沢をしている気分でした。

 仕事がどうなるか分からなかったので、親に強いられなければ行かなかったかもしれません。

 記憶に残っているのが、はじめに書いた酸ヶ湯の千人風呂。

 お湯は白濁して、ヌルヌルすべすべ。松本の白骨温泉もこのタイプの湯でしょうか。

 白濁した湯は、温泉気分を盛り上げてくれます。

 共に名湯と言って良いと思いますが、混浴なのが面白いところ。

 同じく青森の蔦温泉もよく覚えています。

 こちらは宿泊も取れました。

 確か源泉が湯船の真下で、そこからブクブクと湧き出てくるのです。

 急に熱泉がでてきたらどうなるんだろう、などと考えていました。

 この日記をボツボツと書き始めたのが2004年の3月。

 この頃を境にデジカメを持ち始めたのか。

 写真が無く全て拝借してきました。

 一昨日まで、ただ温かくなることを待ち望んでいましたが、雪深い秘湯を目指すなら今年の冬もあと僅か。明日から3月です。

 時間がある時はお金がない。少し余裕ができると時間がない。年長者のアドバイスは聞いておくものです。

皆でいくスキー

 日曜日は朝4時に起きて、長野県木曽福島へ。

 全国的に雪予報で、中津川ICからの19号線もかなり降っていました。

 ノロノロ運転を横目に、特急しなのが通り過ぎて行きます。

 はやる気持ちもありますが、情緒ある景色だなとも思いながら。

 日帰りにつき、近場も考えました。

 しかし前日から弟家族が行っている事もあり、今回もきそふくしまスキー場になりました。

 弟のところは7歳、5歳、3歳の男・男・女。

 子供の年恰好も良く似ているのです。

 弟家の下2人も、リフトへ乗れるようになりました。

 7歳の小学生コンビは、リフト券を与えておけばどこでも滑ります。

 5歳コンビは、互いをライバル視。

 正月までは娘がリードしていましたが、今回で同じくらい滑るようになりました。

 男の子は、きっかけが掴めると上達が早いのです。

 スキーがいかにお金が掛かるスポーツ、遊びか。

 自分一人の時はさほど気になりませんでしたが、今は骨身にしみます。

 地元名物「すんき汁」の無料サービスにはすぐ並びました。

 このスキー場には、無料休憩所があり、お湯のサービスもあります。

 普段は与えていないカップラーメンですが、こんな時はOKします。

 長男がこれを凄く楽しみにしているのは複雑な気もしますが。

 5人の子供達が滑って行くのを見ると、感慨深いものもあります。

 小学生の頃、正月にバスを借り切って行くスキーツアーを楽しみにしていました。

 家族だけなら、ここまで記憶に残っていないかもしれません。

 競ったり、喧嘩したりしながら、揉まれ、成長して行くもの。核家族化が進む中、集団行動がより大切になってくるのかもしれません。
 

 なかなか余裕がなく、普段は付き合いの悪い私ですが、冬のスキー、夏の海は最優先します。懲りずに声を掛けて貰えれば……

必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる

 四ツ橋はその名の通り、4本の橋が架かっていたのがその由来。
アメリカ村の北、西心斎橋と言った方が分かりよいでしょうか。

blog_import_5417bfeb250b9

 リキテンシュタインの「OSAKA VICKY!」が迎えてくれます。

 その北にあるキッチンハウスで、建築家・窪田勝文氏の講演がありました。
海外でも多くの賞を受賞する建築家で、現在55歳。

 講演は建築家協会の主催で、世話役を務めるのがキッチンハウスの人だったのです。

 彼は当事務所の担当でもあり「質疑応答で、挙手が無かった場合何か質問して貰えますか」と言われていました。

 講演時間は1時間半。自身の生い立ちから、創作のストーリー、作品の変遷。また世界の名建築がなぜ名建築たり得るかなど、素晴らしい内容でした。

 人と自然の間にある、建築がその関係を邪魔してはいけない。

 ファンズワース邸を見てもよく分かる。

 そして建築は、心を動かす事ができる瞬間がある、そう信じている、と。

 講演が終わると挙手は無く、「仕込み」のあった建築家3人が質問をしました。

 そして最後に私。

 いくつか聞きたいことがあったのですが、答えは全て講演の中にありました。それでこう質問しました。

 「多くの創り手が、自身の哲学や思想をダイレクトに表現したいと思っていると思います。その中でも、窪田さんは非常に多くのことを実現していると感じるのですが、何故それが可能となったのだと思われますか」

「昔から、何故フェラーリよりクラウンのほうがかっこいいという人が居るのだろうと思ってました。ずっと世の中がそうだと言っていると、同業者の人でも自分が気づかないうちに、社会に合せてしまってているのでは、と思う事があります。僕は、そこは曲げなかった、という事ではないでしょうか」

 という答えでした。

 この世に起こることは全て必然で必要、そしてベストのタイミングで起こる。

 松下幸之助の言葉です。

 自分に足りないものは何なのだろうと、いつも考えます。能力、努力など色々あると思います。しかし、真面目で一生懸命ではあるつもりでした。

 「誰が一番真面目で、純粋なのか」というメッセージとも言えます。真面目さが足りてなかったとは……

 全ては必然で必要、ベストのタイミングで起こるのです。

サラダと漬物

 土日はASJの建築家展で高松に居ました。
 香川は母の郷里でもあります。

 少し早めに着き、車で海沿いまで。
 
 屋島は源平合戦の古戦場です。

 那須与一は強風の中、70m沖に浮かぶ船上の扇を射抜きました。

 それが現実なのかは別にして、想いをめぐらせるのが楽しいのです。

 会場までにも沢山のうどん店が。さすが「うどん県」です。

 タクシーの人に、おすすめ店を聞くと「うどんバカ一代」と。

 何とも気になる名前で、次回の楽しみにしています。

 このようなイベントに参加するのは7回目。

 その中では、最も広い会場でした。

 試行錯誤し、ひとまず自分の展示スタイルを決めました。

 1日40組の来場があり、ほぼ話しっ放し。多少のどが痛い感はありますが、話を聞きたいと言われるうちが華です。

 瀬戸大橋が出来たのは私が大学生の時で、それまでの帰省はフェリーでした。その港がここ高松です。

 盆休みを過ごし、夕方祖父の家を出ます。1時間程で高松港に着くとフェリー乗り場は、車の長い列。そしてむせかえるような排ガスの匂い。当時は休みが分散化していなかったので、まさにラッシュでした。

 何とかフェリーには乗れたものの、客室は一杯。甲板で寝たこともありました。夏は星空を見ながらと、なかなかのものですが、冬は寝られるはずもなく。今は車で2、3時間ですが、当時は半日仕事でした。

 建築家・出江寛は、文化と文明の違いをこう書いています。

  高い・速いを文明の特徴とするなら、低い・遅いが文化の特徴。サラダオイルで野菜を食べるのが文明で、漬物にして食べるの文化。文化には「かくし味」がある。

 低い・遅いが良ければ現在もフェリーは運行しています。しかし利用しているのは橋。速い事で私は何を得、何を失ったのか……

 そういえば出江寛のデビュー作は1977年の丸亀家でした。さて私はこの地で仕事が出来るのか。

お札のすすめ

 今日はバレンタインデー。

 近年妻は「チョコレートを買い忘れた」という事もあるくらいで……よってさほど気にしていません。しかし、この日は娘の誕生日でもあります。

 先週末はお遊戯会もあり、立派にセンターの役目を果たしました。随分大きくなったなと思います。

 この日、実家では誕生日会も開いて貰いました。

 私は行けなかったのですが、父母からはお小遣いもあったようです。

 帰ってから妻が「貯金しておこうね」と言うと、そそくさと自分の財布になおしたのです。

「これは100円玉が100個分のお金だから貯金しておこうね」と言っても納得しません。よって未だに彼女の財布の中なのです。

 天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず

 1万円札は日本最高額紙幣。誰もが知る福沢諭吉の言葉です。博愛主義的な響きですが、続きがありました。

 されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるものあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

 元々人に貴賤はないが、学ぶと学ばざるによって、それは生まれる、という意味です。始めのくだりとは、全く趣きが異なります。

 昭和21年発行の1円札は二宮尊徳が描かれていました。

 マキを背負った像を、最近天王寺で見かけました。

 彼も諭吉同様、江戸末期の思想家です。

 早くに親を亡くし農耕に勉学に励みました。

 その結果、藩の重職につくまでの人物になります。以下は彼の言葉です。

 道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である

 共に、耳心地よい話だけの人ではなかったようです。

 仕事、お金、愛情。全てにおいて、他力本願はなさそうです。こんな日に何ですが、お札に学ぶ話を。

 今週末は香川にいます。近くの人が居れば遊びに来て下さい。

違いがわかる男、とは

 今日は建国記念日で祝日。

 寒くはありますが、快晴でどこか遠くへ行きたくなります。

 先週、車で移動していると「北九州行き」のフェリーの案内が見えました。

 まとまった休みがあれば、今度は長崎行だな。旅の動機はいつもその程度のものです

 帰りもFMをつけていると、DREAMS COME TRUEの中村正人の声が聞こえてきました。

 「違いがわかる男」ゴールドブレンのCMに出演するそうです。もうオンエアーされているのでしょうか。「ダバダー」で知られる音楽も、DREAMS COME TRUEとのコラボレーションでリリースされると。

 「現代のR&Bサウンドを意識して作った」と言っていましたが、その出だしのかっこいいこと。作曲は吉田美和との連名になっていますが、中村正人のアイデアのようです。流石、違いのかわる男。このCMに出演する著名人こそ、大人の中の大人というイメージです。

 リアルタイムで言えば、1984年の 由良拓也(レーシングカーデザイナー)や、1991年 宮本輝(小説家)をよく覚えています。宮本輝は中学高校時代から好きだったので、なおカッコ良く見えました。

 遡ると「ドクトルまんぼう」の小説家・北杜夫が1974年。建築家・ 清家清も1976年に出演していました。北杜夫も好きでした。

 どのくらい違いがあるかは、飲んでいないので分かりませんが、彼らが言うなら違うのだろう、ぐらいの説得力はあります。

 昨日、移動の合間にとった昼食は、新梅田食堂街の立ち食いそば。マグロ丼とセットで500円。かけそばなら200円です。

 違いのわかる男に、という気持ちもありますが、随分時間が掛かるかもしれません。

 美味しいものを食べた事がなければ、味の違いは分らないかもしれません。しかし、いつもご馳走を食べる必要はないはずです。

 では「違いがわかる」とは。やはり、本質を見抜くことでしょうか。味なら、飾りでなく、素材の持つ根源的な美味しさ、とでも言えば良いのか。

 美しさ等も、同じ事が言えるかもしれません。いずれにしろ、それらの領域に到達する人に、否定的な思想を持っている人がいないことは間違いなさそうです。

 まずは受けいる。そして見抜く。それが、違いのわかる男、と定義としてみました。

 今回は男女出演だからか、CMのサイトは「違いのわかる人」になっていました。できれば男であって欲しいと思うのは、男だけでしょうか。

P.S. 本日、1:00pmから堂島のジュンク堂アバンザ店で建築相談会の相談員をします。時間のある方は遊びに来て下さい。

構想3年、住んで1年

 1月末に「あちこちでお茶できる家」へ行ってきました。

 1年点検の為でしたが、その内容はまた「現場日記」にUPしたいと思います。

 当日、webサイトにある「○○年後の感想」というページのお願いをしてきました。

 フォーマットを送らないと、と思っていると早速奥さんからメールが届きました。

 先日は、寒いなかありがとうございました。
言い忘れなんですが、

①リビングダイニングの壁の角の塗り直し、いいでしょうか?

②リビングのダウンライトが1つ切れました。買い替えますが、早いなぁと・・・

 さて、1年間、新居に住んだ感想です。

 構想3年でしたでしょうか?

 その意味は大いにあったと思います。

 お茶しに来たママ友には、「まるでカフェみたい」は毎度のことで「〇〇さん、お家で過ごす時間好きでしょ」と言われました。

 「確かに」

 とにかく気持ちがいいんです。

 そろえた椅子や時計、壁の色やキッチンの使い勝手。

 でも、それ以上に「家の角度」なんだと思います。

 ダイニングの大窓からの日差しの入り方。

 和室からの玄関までの見え方。

 キッチンからの解放感。

 ダイニングに座ると和室と玄関まで見渡すのも気持ちいいです。

まるでカフェです。

 それと、この解放感は引き戸を天井高に合わせてもらったのも功を奏していると思います。

 また、ペアガラスを多用したことなど、とにかく熱効率がいいのもうれしいです。

 朝、寝室での結露もほとんどありません。

 そうそう、オール電化の太陽光発電は言うまでもありません。

 解放感のお陰か、子供たちものびのび嬉しそうです。

 テレビに子守をさせる時間も減りました。

 キッチンでは、一緒にカレーやお菓子を作ったり、ダイニングで、簡単な縫い物にも挑戦しました。
(マンションではしなかったと思います)

縁、なんですが本当に建築家の方との良縁に恵まれたと思います。

 ラッキーですし、ありがたいことです。

 最後に、『すまい』の件、お受けしたいと思います。
日程に無理のない限りですが。

 また、どうぞ宜しくお願いいたします(#^.^#)/

 子供たちがのびのび嬉しそうで、テレビを見る時間が減った。

 一緒に料理を楽しむようになった。それらは、この家を建てたことがきっかけになった等々。

 本当に嬉しい感想です。

 この計画は転居のタイミングを入園に合わせることになり、ゆっくりと3年掛けて進めました。どうしても3年が必要だったのではありませんが、結果的にそれも良かったと感じます。

 仕事を始めた頃、自分がお金を貰って良いレベルに達しているのだろうか、とよく考えました。現在も、その問いに対する明確な答えはありません。

 しかし、プロとアマチュアの違いは、掛けられる時間の違いである事も分かって来ました。なら真剣に取り組めば、クライアントの夢の多くは、かなえれるのでは、と考えるようになりました。

 このような感想を貰った時、この仕事に心から感謝します。

 「建築家の方との良縁」とある通り、これは私ではありません。自分より大きな存在として職業があり、仕事があります。その上で、自分が存在するという事が良く分かります。

 よって、建築家 守谷昌紀のゲツモク日記なのです。

後厄おわる

 昨日は節分、今日は立春ということで、晴れて後厄が終わりました。

 後厄は数えで43歳。私は1970年(昭和45年)の7月28日生れで42歳。昨年末で終わる。節分で終わる。2つの話を聞きましたが、立春を迎えた今日、間違いない終わったと言えそうです。

 この3年間「厄年だから~」という発言はしないと決めていました。言い訳やネガティブな言動が、いい結果を生むことはありませんから。

 昨晩、近所の神社を通ると、大きな焚火があがり、祈祷する声が聞こえてきました。

 行事の内容は分かりませんが、この時期にまつわるものでしょう。
厄除けで有名な門戸厄神のwebサイトにはこのような説明があります。

 「厄」には「苦しい、災い、節」という意味があります。そもそも「厄」は「役」に通じるといって、必ずしも「災難に遭いやすい」ことばかりが強調されてきたわけではありません。長い人生には要所要所で節目があり、肉体的、社会的にも様々な変化による区切りがあります。その節目にあたり、あらかじめ心の準備をおこたらないように昔人は「厄年」という習わしを考えたのです。

 この3年間、坐骨神経痛だったり、お尻を患ったり。確かに体のケアの必要な歳になったと感じます。しかし、社会のなかでの「役」が変わったとも思います。

 例えば、自分の成長のみを見ていても、事務所の成長には直結しない、というような事を思うのです。

 土日は、岸和田の浪切ホールでの建築展に参加していました。

 11組の建築家が、ブースを与えられ、その家づくりの楽しさを伝える、というのが目的。

 今回で参加は6回目になりました。

 ようやく自分のスタイルで、訪れた人を楽しませることが出来たのでは、と思っています。
 
 例えばこのASJも、新たな役割を求めて40歳頃に登録したものです。初回の事を思い出すと、いまでも何となく嫌な汗が出てきます。

 今日は、ひとつ節目を迎えた清々しい気分です。

 気にしていないと言いながら、今日という日を楽しみにしていた裏返しでもありますが。