生き方 映画俳優の場合

 高倉健81歳。俳優業は56年目。

 これまで、その日常がさらされることはありませんでした。その番組も「初めての密着取材」というキャッチコピーが踊っていました。

 番組の冒頭で「遅すぎたのかもしれないけど、本音をそろそろ」と話している姿が、やや寂しげでもあり……

 「網走番外地」は1965年、日本映画史上最も過酷なロケと言われた「八甲田山」は1977年。その伝説的逸話は聞こえてきますが、1970年生れの私はリアルタイムでは観ていません。

 少し近いところでは「鉄道員(ぽっぽや)」1999年などもあります。しかし、実際に観たことのある映画は「南極物語」(1983年)と「夜叉」(1985年)とだけ。

 「夜叉」に至っては、当時大好きだったビートたけしが、出ていたからにほなりません。

 北九州の炭鉱の街で生まれた小田少年は、生きていく為、芸能プロダクションのマネージャーになります。

 しかし、その容姿を買われ映画俳優となるのです。その芸名が高倉健。あっと言う間に、任侠映画でスターとなり、華々しい俳優人生が始まります。

 映画については

やっと気心がしれて来た頃に終わり。映画は1回性の切ない仕事。恋愛だよね。

 と語っていました。45歳を機に独立。以来、納得できる仕事だけをするようになります。

 映画俳優っていうのは良い仕事で、こういうのはいい人間だよって、ずっと教えて貰ったのかもしれない。

 こういう人生もあって、みなさんどうですかって。こういう生き方も悪くないんじゃないですかってちょっと見せたい。

 唯一無二の映画俳優としての栄光、そしてその悲哀。「肉親の葬式だって行った事がない。自分が言えば撮影が4、5日止まる。そういった部分は捨ててるよね」という言葉に集約されています。

一番心に残ったのは以下の話です。

 俳優という仕事には、生き方がやっぱりでているよね。テクニックではないんでしょうね。

 柔軟体操なら、いいトレーナーにつけば体を壊さずに柔らかくなる。いい本を読めば知識はつく。

 しかし、最もでるのは普段の生き方。偉そうなことを言うようですけど。

 他人から学ぶ事によって人は成長できます。しかし、自分自身に最も大きな影響を与えるのは、普段の暮らし、考え方に他なりません。

 この番組を観るまで、私にとって高倉健は特別な存在ではありませんでした。

 しかし、時代の一番前を走ると言う事は、ここまで人を成長させるのか、というのが正直な感想です。偉そうなことを言うようですが。

 番組の中で、映画撮影の合間に岡村隆史とのやりとりが映っていました。

 岡村隆史と言えば、最も露出が高く、テレビの達人と言っても良い芸人です。僅かな時間でしたが、その彼をテレビカメラの前で、手の上で転がし、けむに巻き、また笑わせる、というくだりは圧巻でした。

 一切の嫌味が無く、人間として、俳優としてのスケールの大きさと、愛情を感じたと言うか。ビートたけしを始め、名だたる芸能人を、ファンにしてしまうその魅力を垣間見ました。

 映画の主人公を演じる事によって成長し続けて来たという高倉健。彼こそ、日本の良心なのかもしれません。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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人生の晩秋を向える時& 讃岐うどんの名店Ⅴ

この連休は墓参りに帰っていました。

まずは岡山県倉敷市へ。

父方の祖父母は亡くなりましたが、共に92歳まで生きました。

今は瀬戸内海を見下ろす墓で、静かに眠ります。

瀬戸大橋を渡り、今度は母方の里、香川県まんのう町へ。

祖父の入る墓は、船の神さま、金毘羅山(こんぴらさん)を望む田の中にあります。

曲がった事が大嫌いな人でした。

自分で言うのも何ですが、私が一番その気質を受け継いでいると思います。

香川に来た時、うどん店めぐりはかかせません。

今回寄った店は「純手打ちうどん よしや」。

名店も多い、飯野山(いいのやま)別名讃岐富士の麓にあります。

麺が冷たい、だしが熱い「ひやあつ」としょうゆうどん。

ゲソとレンコンの天ぷらに、おにぎりとおでんのスジ。

これで1050円程。

「純手打ちうどん」の看板通り、手打ち麺を包丁で切るこだわりの店長。

「大将」と呼ばれていましたが、まだ若い感じでした。

一時のブームは去ったとは言え、連休の昼時は店外まで列ができていました。

その表情にはやや疲労の色も。

「気長にやりなよ」と声を掛けてあげたい気持ちもありましたが……

味の方は間違いないものでした。

母方の祖母は88歳で健在です。

今は年に1回くらいですが、小学生の頃は夏休みを一緒に過ごしました。

段々と仏さんのような顔になってきました。

愛おしいと思えるのは我が祖母だからでしょうか。

子供たち、そして私もあと何回会えるのか。

人生の晩秋を迎えた時、果たして私はどんな顔をしているのか。

そんな事を考える時間が彼岸なのだと実感するのです。

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結婚のすすめ

 月曜日の京都での建築相談会。

 ある方は、大阪から京都まで会いに来てくれました。「事務所に連絡するのはちょっと敷居が高い感じで……今日の相談会を見つけたので来ました」とのことでした。

 改めて、直接連絡するのが、とても勇気がいることなのだと分かります。実際、当事務所の入口に敷居はなく、段差ゼロでとっても入り易いよう設計してありますが。

 相談会のあと、大学時代の後輩と食事に行く約束をしていました。

 聞くと「原付で来ました」と。

 いい大人が夕方からお茶というのも何なので、家に置きに帰って貰いました。

 時間が出来たので、四条通りを烏丸から東へブラブラと。

 浴衣姿で似顔絵を描いて貰っている女性が2人。描き手も女性です。

 人生で、一度も似顔絵など描いて貰ったことはありませんが、と言うか気恥ずかしくてその席に座れませんが、素晴らしい思い出になると思います。

 正確ではないかからこそ、余白があるからこそ、そこにストーリーやイメージが焼き付けられると思うのです。

 先斗町あたりも少し歩きました。

 日がかげると、随分涼しくなりました。街歩きには最も良い時期です。

 その後、後輩と待合せた西院へ。

 久し振りだったので、色々話をしていると気がつけば5時間経っていました。

 その彼が、来春ようやく結婚する事になりました。

 今度は相手を紹介して貰うことにして、その日はほぼ終電で帰ったのです。

 大学時代、2つ下の後輩というのは3回と1回の関係で、非常に可愛いものです。

 特に体育会なら実力差があるケースがほとんどで、上手く行きやすい訳です。しかし、彼は非常に上達が早く、この限りでは無かったのですが。

 スキー部の後輩ですが、働き出してからも良く湖に、海に行きました。恥ずかしげもなく言えば、自然を愛する同志のようなものです。

 スピーチがあるかもと言う事で、少し考えていました。

 私も結婚して今年で9年目。では何を学んだのか。故・松田優作は「実生活で、夫婦という役を演じるのが一番難しい」と言っていました。

 ではその難しい夫婦というものをどうすればより良いものに出来るのか。五木寛之はこう書いていました。

 夫婦だから、兄弟肉親だから助け合うのが当たり前だという前提に立つと欲がでてくる。他人だと思えばいい。他人なのに、毎日ご飯を作ってくれて、洗濯までしてくれて有難いなあと思える。

 これは至言で、痛快でもあります。本音と建前の狭間に隠れている、真理をついていると感じます。決してアイロニックなものでも、ネガティブなものでもありません。

 先輩方の言葉を聞けば、私が教えられる事などなさそうです。未だ修行の身ですから。

 しかし彼に伝えたい。僕はとっても嬉しいのだと。

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話して観て食べる広島 

 昨日は、広島でのセミナーで、8:45amの新幹線で大阪をでました。

 案内には、さくらの表示も。

 今更ですが鹿児島まで新幹線が繋がっている事を、改めて実感します。

 会場につくと、まず主催者、関係者に挨拶。その後、控室に案内してくれました。

 卓上には弁当も。

 武蔵という店の人気弁当とのことでした。味付きご飯のおにぎりが美味しかったのです。

 会場を見下ろす位置に窓があり、なかなかの盛況ぶりがうかがえます。

 セミナーは12時からと3時半からの2回。この開催期間中、多くのセミナーがあります。

 この2回はスペシャルセミナーと告知されていると聞いていました。

 また唯一事前申し込みが必要とのことで、どの位の方が来てくれるのか気にはなっていました。

 1回目は満席で、2回目は9割方という感じ。

 事前申し込みをして貰っているという事もあり、参加者の意識も非常に高かったです。

 話しに対して頷いたりしながら反応を示してくれるのです。

 聴いている時は分かりませんでしたが、その情報があるのとないのとでは、話す側は全く違います。

 先日「上手くやるのではなく全力で」という方針に変更したばかりですが、ちょっと笑い話を交えたりもしてみました。

 反応は、そこそこでしたが、そんなトライも話す楽しみです。

 リフォーム・エクステリアフェアという事だったので、実例で改修の可能性を中心に話をしてみました。少しでも、前向きな気持ちになって貰えたらと思います。

 1回目と2回目の間には、近くにある広島現代美術館へ。竣工は1988年。

 黒川紀章の設計で日本建築学会賞をとった作品なのです。

 かなり期待をして見に行ったので、正直に言えば少し物足りなさを感じました。

 2回目の講演も無事終わりタクシーで広島駅に向います。

 途中「八昌(はっしょう)」というお好み焼き屋さんに寄って貰いました。

 クライアントに非常に詳しい方がいて、かなり並んでいるので持ち帰りがいいですよ、とアドバイスを貰っていたのです。

 会場を出る前に予約し、1時間後に行ったのですが、夕方5時ですでに40人以上の行列。

 席に着くまでに3時間は掛かるかもしれません。

 出来上がったお好み焼きを受け取り、店を出ました。その時、痛いほどの視線を感じます。悪い事をしている訳ではないのですが……

 雨が降り出したこともあり、正直、後ろめたい気持ちもありました。しかし、本来はお店で食べる方が美味しいに決まっています。

 どう見ても超人気店ですが、お持ち帰りに対しての対応も非常に丁寧でした。お好み焼きは回転率が悪いというのもあるかもしれません。

 大阪で言えば豚モダンが840円だったと思います。

 新幹線の待ち時間に、食べました。

 生地は薄目、キャベツが沢山で、ややコショウが強め。

 かなり大きめですが、キャベツが多いので見た目程のボリュームは感じません。一気に食べてしまいました。

 セミナーの司会をしてくれていたタレントはとっても感じの良い方で、グルメレポーターもしていたそうです。

 「広島でも100軒は回りましたが、やっぱり八昌が一番美味しいと思います」と言っていました。勿論、期待を裏切らない味でした。

 広島駅のすぐ南東に、新しい広島球場が見えます。

 新幹線からも、球場の中まで良く見えるのです。

 こちらの設計は仙田満。2010年の日本建築家協会賞を受賞しています。

 今回は遠目からしか見れませんでしたが、非常に美しい、また視覚的に開かれた球場の見えます。

 是非中に入ってみたい球場です。

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 この日は試合があったようで、多くのカープファンが、真っ赤なユニフォームを着ていました。

 タクシーの運転手さんも、先日引退を発表した金本選手が「心残りはカープで優勝できなかったこと」の発言にグッと来たと言っていました。

 旅の思い出に大きく残るのが、地元の人とのコミュニケーション。

 そう考えると、タクシーの運転手は街の第一印象を決定づける、最も重要な職業と言えるかもしれません。

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いい日旅立ち

9月も中旬にはいり、夜は寒い日さえ。

朝起きる時刻が、ようやく日の出を追い越しました。

急速に秋が進んでいることを、実感します。

夏の庭先の主役だった朝顔。そろそろ終わりの時期が近付いてきました。

週末からの連休は、日曜日に広島でセミナー、祝日の月曜日はジュンク堂京都店で建築相談会があります。

興味のある方は、是非お越し下さい。

■9月16日(日)中国新聞リフォーム・エクステリアフェアにて
セミナーを開催①11:30②15:00広島産業会館西展示館
■9月17日(月・祝)ジュンク堂京都店 13:00~15:30
JIA×JUNKUDO 共催「住宅無料相談会」に参加

土曜日には千葉へ行く用件もあり、何となく頭の中に ♪昨日、今日、明日~♪ と「三都物語」が流れます。しかし、JRのキャンペーンソングと言えばやはり「いい日旅立ち」でしょうか。正確に言えば当時は国鉄。

稲盛和夫氏と五木寛之氏との対談、「何のために生きるのか」という本にこんな記述がありました。

山口百恵以来、皆で口ずさめる歌が日本にはない。

例えば、平安から鎌倉にかけて「万葉集」や「古今集」のように、芸術性の高い歌集があり、もう片方に「梁塵秘抄」という巷の歌集があった。

これによって日本の文化は厚みを帯びて感じられるわけです。だから流行歌をばかにしちゃいけない。

「いい日旅立ち」が流れてくると、つい口ずさんでしまいます。あのへんまでですよ。日本人の歌の中でいい歌があったのは。

子供から大人まで世代を超えて口ずさめるような日本人の歌と言える歌がどこにもない。

それが日本人のこころが乾いてしまっているひとつの原因なのではないかと思っているのです。

こう五木寛之は語っています。「シクラメンのかほり」で有名な小椋佳の曲、「泣かせて」にはこんな詞もあります。

『泣かせて』 作詞・作曲:小椋佳

 あなたの言葉より

 今は安い流行歌のほうがまし

中学年時代からサザン、ハウンド・ドッグ、米米クラブから始まり、マイケル・ジャクソン、イーグルス、ドン・ヘンリー、マービン・ゲイへ。

しかし、不意に口をついて出てくるのは、小学生時代に聞いた歌謡曲だったりします。改めて「赤いスイトピー」は歌は素晴らしい曲だったんだなと思ったりするのです。

「いい日旅立ち」をを聴きかえすと、情緒あふれる歌詞に、緩やかなメロディライン。これこそ皆が口ずさめる流行歌だと解ります。

1978年の発売で、当時私は8歳でした。山口百恵の魅力が解る歳ではありませんでしたが、これほど無色に近い、透明感のある歌い手は、なかなか居ないのだろうと感じます。

だからこそ、皆が自分自身を投影で来たのではないかと。

「三都物語」と共に、作詞・作曲は谷村新司。とても深夜ラジオ「ヤングタウン」で話していた姿からは想像できない上品さです。

決して馬鹿にしているのではないのですが、人の才能は、見た目、話し方だけでは解らないものです。

五木寛之はこの対談の中で「日本人皆が口ずさめるような曲をつくろうと、詞を書いているんです」とも語っています。この本の初版が平成17年なので、それは未だに達成出来ていないようです。

そんな歌がいつかは出来るのか。もう皆が愛する事の出来る歌など出来得ないのか。また、日本人の心は乾いているのか……氏の言葉がとても気になります。

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湖底でキュウリを刻むように

 夏休みを終えてから、何組かの方が建築相談に来所しました。

 詳細は控えますが、ある夫妻は関東から車で。片道8時間を、交代で運転しながらとの事でした。今後の事は別にしても、感動すら覚えます。

 先週の土曜日、その夫妻は3時間程の打合せの後、夕方に大阪を発ちました。見送った後、車が止まっていた下に、茶色の液体が少し落ちていました。スタッフに「流しておいて」と頼み、次の打合せの準備を始めたのです。

 全ての仕事が終わり、帰宅しようと事務所を出ると、先程流したところに、少し雨が浮いていたのです。もしかすると車のオイルかなと思ったのですが、その時は、次回会った時に伝えないと、位に思っていました。

 翌日メールがあり、あれはエンジンオイルで、ディーラーが点検の際に蓋を閉め忘れていたとの事。それで噴出していたのです。

 帰路の高速道路でエンジンから異音が聞こえだし、サービスエリアに入ってその事実が分かりました。自宅まであと100kmで、本当に事故等にならずに良かったと思います。

 自宅に戻ったのは日曜日の朝だったそうです。

 先週も事務所に見えました。今度は新幹線で来て、帰りは飛行機にしましたと笑っていました。

 気を遣って貰い、お土産を2つ頂いたのです。ひとつはハチミツ。

 加えて、原宿焼きショコラ。
 
 「こんなトラブルも、家を建て終ったあと、あんな事もあったなあ、という思い出になればいいなあ、と思っているんです」と。

 そうです、そのくらい前向きな感じで考えられると、とっても良い家になりますよ、と話していたのです。

 家に大切なのはストーリーですから。

 この出来事から思う事があったので、少し書いてみたいと思います。

 私は釣りが好きで、若い頃はかなりのめり込んでいました。今江克隆というプロアングラーが居るのですが、彼の本にこんな事が書いてあったと思います。

 重いルアー(疑似餌)で底の魚を狙う時。湖底をトントンと叩きながら、丁度キュウリを刻むようなイメージで動かしてくる。すると、僅かにフッと軽くなったり、反対に重くなったりする瞬間がある。そんな時、魚はルアーに対して何らかのリアクションを起こしている。

 大切なのは一定のリズムで。同じリズムをキープしていれば、その違和感を感じやすい。

 この記述で、釣り方が想像できる人は、かなりの釣りマニアですが、伝えたいのは釣りの話ではありません。

 いつも掃除をしているから、駐車場の床の変化に気付けたと思います。また、折角その違和感を感じていたなら、先に何らかの連絡を入れれば、もしかすると、エンジンオイルが無くなっていくという事故は防げたかもしれません。ジョブズの言う「直観を信じる勇気を持て」です。

 家を建てるという事は、非日常の行為と言えます。しかし、私達にとっては日常の積み重ね。

 毎日やるべきこと、例えば、掃除を、高い意識で、同じようにする事は、非常に重要な事だと、改めて感じたのです。出なければ、クライアントの心の機微を感じる事などできません。

 若い頃は、大きな夢を持ちます。今、それが目の前にある日常と直結している、と解ります。

 今日はカラッと気持ち良い朝。しっかりトイレ掃除します。

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中国新聞 リフォーム・エクステリアフェア

 朝夕には秋の気配も感じられ、ようやく寝苦しい夜は脱したでしょうか。

 気温が下がり始めると、あの酷暑さえ名残惜しい気になるもの。

 この夏にしておかなければならない事は、この夏のうちに……

 9月15日(土)、16日(日)に、『中国新聞リフォーム・エクステリアフェア』というイベントがあります。
 
 このイベントは2日あるのですが、セミナーの依頼があったのが8月の初め。16日(日)の11:00からと、15:00からの2回セミナーをする事になりました。

 一昨日、中国新聞にも広告がでたので、告知OKとなりました。

 色々なセミナーがある中で、スペシャルセミナーという位置づけで告知されています。

 ややプレッシャーも感じますが、中国地方の方、良ければ遊びに来て下さい。

 内容の通り、これも「ビフォーアフター」の件があったから。勘違いしないようにしなければなりませんが、有難い事だと思っています。

 事前申し込み制となっており、会場は広島産業会館西展示館で今までで一番大きな会場です。

 どんな話をするのか、まだ検討中ですが、基本的にはリフォームの可能性を伝えたいと思っています。

 前回のセミナーで、自分の中で少し方向転換しました。良い講師を目指すのではなく、伝えたいことを全力で伝えるという事。会場はどんな空気になるのか。楽しみにしています。

 現在進行中のクライアントに、広島に詳しい方が居ます。

 「どうせ食べるなら、ここですよ」と広島お好み焼きの店も教えて貰いました。
  
 さて帰りの新幹線は、心地よいものとなるか。

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身近にある未来

 日曜日は、日本海へ行っていました。

 ボートが何とかなったので、弟家族も一緒に連れて行きました。

 雨が降るとの予報もあったのですが、夕方までもってくれました。

 弟には3人の子供がおり、上から7歳の長男、5歳の次男、2歳の長女。 

 我が家は7歳、4歳の兄妹なので、上から3人が男、下2人が女の子という並びになります。

 父も行ったので、一人を除いて全員守谷。

 当たり前ですが、子供達は一緒に遊んでいるだけで十分楽しいのです。

 折角だからと言っても、なかなかボートに乗ってくれず。

 上の3人を連れ出したのはもう昼前でした。ジャンケンで順番を決め、順に竿を持たせました。

 根魚狙いとは言え、1分も経たないうちに何かの魚が食いついてきます。

 この海の豊かさを知るのは、大人になってからだろうと思いますが。

 下の女の子も連れて行きました。私も小さい頃から、この海に連れられて来たのです。

 まずは全員に澄み切った海をみて貰えました。

 父の友人、赤銅色に日焼けしたSおっちゃんは、港のすぐそばに家を借りています。

 長男もかなり日焼けしていますが、年季が違います。

 春から秋まで週末をここで過ごし、私達が訪れた時は、いつも歓迎してくれます。
 
 父は結婚前からの友人なので、私とは生まれた時からの知り合いとも言えるのです。

 「海に来てまで仕事の話をするな。ゴミは拾って帰れ。来たいヤツが来ればいい」

 大量の焼酎を飲みながら、いつも私にそんな話をしていました。実際に、潜った海の底に空き缶が落ちていたら、拾って上がってくるのです。

 けがれ無き海を見れば、そう思うのが自然です。こちらの心さえ、けがれていなければ。

 駅前の自転車のカゴに、誰かがゴミを捨てたなら、そのカゴはいずれゴミで一杯になります。ゴミを捨てないのは勿論ですが、出来ればそれを拾えるような人になって欲しいと思うのです。

 朝のミーティングで「今まで自分を応援してくれた人たちに恩返しがしたい」という意見がでました。

 「それは素晴らしい事だけど、もし何か出来るようになったなら、同じように援助が必要としている、その時の若者にしてあげたら」と伝えました。

 一番身近にある未来。それが近くにいる子供達です。仕事を通して、また仕事以外で、何が出来るのかと考えるのです。

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