イタリアとスペインの旅⑥ <ミラノ編>

 8月14日(火)の夕方、ヴェローナからミラノに移動しました。

 妻の友人は、ルカというミラネーゼと結婚し、ここで暮らしています。

 たくましいなあと思いますが、子供も3人居て本当に幸せそう。

 それに甘えて、我が家の家族は一足先にこちらで世話になっているのです。

 この日は、私も泊めて貰う事になっていました。

 駅まで、2家族全員が迎えに来てくれ、ジェラートなんかを食べながら街を散策。彼らの家に着いたのは夜の7時頃でした。

 旦那さんのルカと会うのは、これで5回目くらいでしょうか。

 ホスピタリティにあふれたナイスガイで、夕食は彼が腕を奮ってくれました。

 子羊の煮込み料理は、長女のアイリも手伝いしています。

 流石、肉を食べる歴史が違います。しっかりとした噛みごたえもあり、ワインも進みます。

 夫妻は一切飲まないにも関わらず、この料理に合うワインを4、5本用意してくれていました。

 子供達はもう慣れたもので、上の男2人はサッカーをして遊んでいました。

 彼のシュートを、いつかワールドカップで観れれば、とか思いながら……

 自宅はミラノの街中にあるアパートメントを数年前改修したもの。120㎡程あり、とても良い感じです。

 大きなジェットバスは、大きなバスタブを持たないイタリアの友人にも大人気と言っていました。

 翌15日(水)は、朝からルカと買い物へ行きました。

普通の市場を見たいとリクエストしていたので、男2人で散策に。
 
 そこで旅の不足品を2、3買っただけですが、非常に満足しました。しかしスイカもカボチャも大きい。

 朝食の後、皆で歩く先にあるのは、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィェ。

 ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を観る予約をしていました。

 15分交代で、かなり少ない人数の予約しか取らず、セキュリティーチェックもかなり厳しい。

 日本語のオーディオガイドも借り、しっかりと向きあって来ました。

 ルカが言うには、以前全く覆いの無い状態で観たのは26年前。最近見たのはとてもラッキーだと。それだけの時間を掛け、修復作業をしていたのです。

 ダ・ヴィンチの業績を振り返る事はしませんが、この絵が、それまでの平坦な絵と全く違う次元の扉を開きました。

 奥行きのある、しかもある瞬間を切り取ったドラマチック絵は、これ以前には存在しなかったのです。

 ミラノの中心にあるドゥオーモ。この街の象徴です。

 ゴシック建築の傑作と言われますが、教会建築は、高さと大空間を求めた、その葛藤の歴史だと言えます。

 組積造でこれほどの大空間を作る為、フライングバットレスと言われる外部梁で支える構造が考え出されました。

 圧倒的な高さから僅かに差し込む光と、幻想的なステンドグラスこそが、神に最も近づける場所、教会の証なのです。

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 最後に訪れたのは、ガッレリア。

 ドゥオーモのすぐそばにあります。

 アーケードの完成は1877年。そのガラスの大屋根の軽やかさは圧倒的です。

 もし、今の日本で同じものを作ったら、その鉄骨部材のサイズは少なくとも3倍にはなるのでは。

 夜の8時前、皆に別れを告げ、ひとりミラノ中央駅を発ちました。

 寝台特急で、最後の目的地バルセロナへ向かいます。

 1部屋に、2段ベッドが2組。男4人にはかなり狭い空間です。そこにブラジル人3人と日本人が1人。

 ベッドには仕切りのカーテンもなく、とっても親密なドミトリーと言う感じ。なかなかの好青年と感じたので、コミュニケーションをとってみますが、たまに使う英語では、話しのネタもすぐ尽きてしまいます。

 非常に濃密な空気のまま、電車は西へ向かいます。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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イタリアとスペインの旅⑤ <ヴェローナ編>

ヴェネティアで2泊し、8月14日(火)は朝からヴェローナへ移動です。

 ヴェネツィアから電車で1時間程。

 バラ色の屋根瓦が美しく、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台となった街なのです。

 しかも「ジュリエッタの家」という館があり、観光スポットになっています。

 行列ができ、順に女性がそこに立ち、皆がシャッターを切るという構図。

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 その前にある中庭はごった返しています。

 しかし、シェイクスピアは実際にヴェローナを訪れた事はないそうで、あくまでもイメージのようです。

 しかし映画の撮影はここであったので、全くのフェイクという訳でもなく……

 微妙な感じもします。

 この街を訪れたのも、スカルパの作品に触れる為。

 街の中心にあるブラ広場から、少し歩くと川沿いの古城が見えてきます。

 カステルヴェッキオという名の城ですが、現在は美術館になっているのです。

 その設計をしたのがカルロ・スカルパ。1956年の仕事です。

 スカルパは生涯の仕事の多くが改修です。

 この城の改修も、出来る限り既存のものを活かし、試行錯誤した後が見えます。

 鉄製の格子戸も多様され、ここには日本文化の影響がみて取れるのです。

 この城は14世紀に移築されたものなので、型枠コンクリートが見えている部分は、スカルパの設計によって、加えられたものです。

 50年以上経っているとはいえ、全く違和感なく繋がり、かつ城のもっている空間を活かした動線となっていました。

 改修こそ、最も技術と知識と感性が必要とされる仕事だと、実感するのです。

 館には、美術品の他に、中世の鎧や槍など、武器の類も多く展示されていました。

 横顔がハッとするほど美しいのです。

 日本の多くのロボット漫画は、こんなところに着想を得ているのかもしれません。

 先輩建築家が以前「ヨーロッパの街は血の歴史」と言っていました。

 陸続きなので、芳醇な土地、平坦な土地、交通の要所などは、常に戦争の脅威にさらされていたと言えます。

 それを守るため、街を守る城壁ができた訳です。

 その話は先祖代々必ず語り継がれて来たはず。

 それによって、自分たちの街という認識と、街への愛着が生まれるのでしょう。

 この旅最後のスカルパは、ヴェローナ銀行です。

 こちらは1973年の作品。

 街の中心にある広場の前に面して建っていますが、現在は入る事が出来ませんでした。

 ファサードにある、段々形状の掘り込みのある大理石。

 彼、特有のデザインです。

 固い石にあえて、細やかな加工をすることによって、石はないような規則正しい陰影が生まれます。

 その固い石を自在に加工できるという、職人技を誇っているようにも見えるのです。

 これもミラノの友人に聞いた話です。

 ミラノの中心部は、今も御影石のピンコロが敷き詰められています。

 よって、街中に車で入ってくると急にガタガタしだします。

 しかし、それをミラネーゼ(ミラノっ子)は誇りに思っていると。車道の矢印も石でした。

 日本人の街に対する愛着が、ひとえに少ないとは思いませんが、勝っているとは言えません。

 日本は島国なので、内乱こそあったものの、非常に平和に国だったと言えます。

 私が回っているのは、概ね観光都市ですが、自分の主張より、この街にすむ事の方が優先順位が高い。それが私の感じた、市民の感覚です。

 建築家、吉村順三は「向こう三軒両隣に、恥ずかしくない設計をしないといけない」と言いました。

 自分ではないところに、どれだけ価値を置けるかが、ポイントになる思います。

 夕方ヴェローナを出て、ミラノへ向かったのです。

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