42歳 夏の日の青春

 昨日は、福井県の敦賀半島へ行っていました。今年初の海です。

 車にボートを積んで、海へ行くこと20年。それが私の夏でした。

 父がそうしていたので、自然とそうなったのです。

 20代の頃は出来るだけ、多くの人を誘って良く来ていました。

 しかし今回は、知人の都合が合わずに家族だけ。それはそれで良いものです。

 兄妹とも水が大好きで、海が見えると一気にテンションが上がります。

 早速砂浜へ。子供たちは、ずっとここで泳いで居たいと言います。

 折角ボートを持って来ているんだから、はこちらの都合で、水際でバシャバシャが、一番楽しいのです。

 しかし諦めません。

 昨年、20年乗り継いで来たハイラックスサーフを乗り換えました。

 新しくやってきたのはランドローバーのディスカバリー。

もし乗り換えるならこの車と思っていました。ただボートを積めるかは、気になっていたのです。

 しかし、何とかなりました。というか何とかしました。

 子供達を説得し、ようやく出船できたのが10時頃。

 この船は4人乗りで、こんな機会でないと皆で乗れないのです。

 シュノーケルの価値がようやく分った長男を連れ、辺りで潜ってみます。

 魚を突き方などを教えながら、一緒に泳ぎます。

 ライフジャケットがあると潜れないと主張するので、取ってやりました。

 タコを見つけ、何とか目の前で仕留めてやろうとしましたが、1cmくらいの岩の割れ目に逃がしてしまい……これだけは悔いが残ります。

 この日は釣りも好調で、アコウが連れました。この魚は岩陰に潜む根魚で、突くことも出来ます。

 とても美味しい魚で、私のおすすめは絶対的にから揚げです。

 ひととき仕事を忘れたいが為、ここに来たこともありました。

 しかし結局忘れようとしている事自体が問題なのだと分かりました。いつも変わらぬ景色で、自分と向き合う時間だけを作ってくれるのです。

 ようやく片付けを終え、帰路についたのが7時前。小さな夕日をみながら海辺の道を走っていると、気分はいつだって20代のままです。

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ
 -サミュエル・ウルマン-

 28日(土)に42歳になりました。ウルマンの言葉を借りるなら、体はいつかか老い朽ちます。

 しかし心はそうではない。今はそう思えます。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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■8月4日(土)ハービスPLAZA(大阪)4階 3:00pm~6:00pm
大阪府建築士会『住まいの設計相談会』に相談員として参加
■8月1日~8月31日までハービスPLAZA(大阪)4階にて
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イチローNYへ行く

 7月24日(火)の朝、「イチロー、ヤンキースへ」というニュースが飛び込んできました。

 昨年、連続シーズン200本安打は10年で途切れましたが、ことしは4割に近いような数字を残してくれるのではないか、もしくは本当にイチローは衰えたのか。とても興味を持って見ていました。

 打順が3番になったり、1番になったりというニュースは聞こえてくれど、調子は一向に上がらない様子。ついに……という気持ちもありました。

 火曜日はイチローの会見を見ようと、急いで家に帰りました。

 移籍の理由については会見の通りですが、マリーナーズのファンに深々とお辞儀する姿が心に残りました。
 
 彼の出す結果はいつも痛快で、その言葉も刺激的でした。

 過去に全て過去に掲載したものですが、敬意を持ってイチロー語録をピックアップしてみます。

 「モチベーションが落ちたことは無い」
 「目標を設定して到達してしまうと努力しなくなる。満足は求めることのなかにある」
 「第三者の評価を意識した生き方はしたく無い。自分が納得した生き方をしたい」

 子供達に、私達にも夢を与えてくえます。
 「体がでかいことにそんなに意味はない。僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。

 『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。

 あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる」

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。
 
 彼は、ある番組でこう言っていました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。

 もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。

 しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打。一般的に内野安打とは、打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言いました。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者なのでは、と感じたのです。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋で、楽しく野球をしようと努力したのがイチローだったのでは、と思うのです。

 2009年の春にあった第2回ワールド・ベースボール・クラッシクでは、絶不調に陥ります。それでも最後にはサヨナラ安打で結果を出しました。何故これらの事が達成できたかという記者の問いに

 「重圧には弱いほうだと思います」

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。言い訳は絶対にしないという宣言です。大切なのは常に準備。彼こそ真の侍です。最後に、その環境についても再度掲載しておきます。 

 イチローを含めた一流のアスリートが育った環境、親の考え方を書いた本『天才は親が作る』吉井妙子著の内容を要約したものです。

 イチローの父は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習し、高校卒業まで欠かさず練習を見に行きっていました。

 中学生の時、イチローは監督からバッティングフォームを矯正する指導を受けます。

 二人でフォームを創り上げてきた父は「バッティングフォームだけは変えないように指導していただけませんか」と監督に願い出ます。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきますが、今度は自らそれを拒否します。その結果2軍に落とされたりもしました。聞き入れていれば現在のイチローは居なかったかもしれません。

 父からはリーダーとしての覚悟、子、イチローからは信念を貫くことの重要性を教えられます。素晴らしきかな鈴木家と一郎。

 彼はその華々しいキャリアをヤンキースで締めくくるつもりでしょうか。どうしても観に行きたくなってきました。
 

 以下はその他語録。

 僕は「寝ずに考えたんだけど」は信用しないんです。だって、そうでしょう。夜に書いたラブレターなんて翌朝見れないじゃないですか。大事な決断こそ、いつも以上に寝て、お天道様の下で!ですよ。

 彼は以前、俳優としてドラマにも出演しました。その理由はこうです。

 野球でも自分がイメージ出来れば、ほぼその通りのパフォーマンスが出来る。演技もイメージさえ出来れば、何とかなると思っていました。

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サバイバル考

 昨日は大暑。暦の上では年で最も暑い日。

 夕方から南港へ行っていたのですが、海風も熱風のようでした。

 停泊するサンフラワーを見ながら、昨年行った九州への旅を思い出したり。

 南港ATCで開かれている「モンスター研究所」というイベントに行ってきました。

 子供が割引券を貰ってき、親子2人で2000円。リアル体験アトラクションワールドとあります。
 

 映画のセットを作るプロが制作した、モンスター研究所なる施設があります。

 そこに我々ゲストが招待され、トラブルが発生するという設定。スタッフは実際の役者だそうです。

 「危険があるかもしれない」などの説明を聞く長男の顔は真剣そのもの。

 写真撮影不可なので、アトラクションの説明は控えます。お勧めできるかというと、微妙なラインですが、子供は相当に焦り、ビビっていました。

 ぎゅっと引っ付いてくるので、心臓が飛び出さんばかりにドキドキしているのが分かります。

 初めてUSJに連れて行った時、スパイダーマンのアトラクションで、子供が気絶しはしないかと心配したことを思い出しました。以前、取材で会ったコピーライターが「我が家の趣味は、お出掛け」と書いていました。私もそうなのだと思います。
 
 では、何故お出掛けしたいか。自分が何かを見たい、もう1つは、子供に何かを見せたいのだと思うのです。

 ビートたけしの弟子、浅草キッドの水道橋博士が以前こんな事を書いていました。
 
 親バカとして、子供の教育に熱心になる心積もりは当然ある。

 しかし、学歴社会の体制内の仕組みのなかで、安全で保障のある道を選択させたいわけではない。むしろ、そこから落ちこぼれてもサバイバル出来る、知恵を授けたいからこそ、教育なのではないか。

 ここにあるのは、俺が思う「教育」とは正反対ではないか。などと思う。

 これは「お受験」について書かれたコメントですが、全くもって共感できます。しかし「サバイバル出来る知恵」はどうすれば授けられるのか。

 何らかの非常事態に陥った時、過去の経験のどこかから「自分で」それらを引っ張って来れた時に、はじめて育つものではないか。もしそうだとすれば、どうやってその体験をさせられるのか。

 いつもトラブルを求めている訳ではありませんが、基本的には出掛けるしかないと思います。親の限界を超えるような体験が理想ですが、それではいくつ命があっても足りません。

 また、大人にとっては他愛もない事でも、子供にとってはそうでない事も沢山あります。
 
 「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」

 後は助けないことでしょうか。これらは、事務所のスタッフに対しても全く同じ。

 嫌われる覚悟は出来ているつもりですが、これが一番難しいのだと思います。

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木の音楽ホール

 昨日の朝、9時頃に新横浜駅に着きました。

 稲盛和夫さんが若手に経営を教える盛和塾の世界大会に参加する為です。

 会は昼からなので、早めに来て横浜の建物を見に行って来ました。今回はJRの桜木町駅へ。山手へ徒歩5分。紅葉坂を登れば、神奈川県立音楽堂が見えてきます。隣接する県立図書館と共に前川國男の設計で、完成は1954年。戦後初めての、公共音楽ホールなのです。

 内部は木でできており当時の新聞には、「東洋一の響き」という記載もありました。

 電話で見学の予約をしていたので、ホワイエ、ホール内とスタッフが案内してくれます。

 この建物は、約10年前に建て替え計画が持ち上がります。

 その計画に反対したのが、このホールを愛する音楽家や、この建築の価値を知る建築界の人達でした。客席は1,000席程で、一席がやや小さいという問題もありますが、現在の音楽ホールと比べると残響時間が短いそうです。

 それが、時間差なしに全ての観客へダイレクトに音が伝わると、一流の音楽家の間でも、非常に評価が高いそうなのです。

 館のスタッフも、是非一度聴きに来てくださいと言っていました。

 ステージの上にも、立たせて貰いました。

 結局、建て替え反対の署名が多く集まり、存続が決まりました。そして3年前に耐震工事が終わったのですが、それを機にエントランス部分を、完成当初の黄色に塗りなおしたのです。

 戦後すぐは、カラフルな色が音楽堂らしくないという意見があったのか、50年を経てオリジナルの色合いに戻った訳です。

 これら詳細は、全て案内してくれたスタッフ、また館の責任者の方が、資料を出してきて、熱心に説明してくれたものです。最後は、面白いものがあるんですと、地下倉庫まで連れていってくれました。

 「これは、前川さんオリジナルデザインのポスター立てで、これはコントラバスチェアなんです」と。座面の裏には、昭和29年10月と書かれてありました。

 地域の人に愛されて、この建物は残ったんですという言葉通り、彼らの愛情をひしひしと感じました。冷たいお茶まで入れてくれて。

 前川は戦後、復興に向かう日本を牽引した建築家です。

 戦後10年たらずに完成したこの建物は、DOCOMOMOより「日本の近代建築20選」にも選ばれています。(DOCOMOMOは、近代建築の記録、保存の為にできた国際組織)

 「前川國男 現代との対話」松隈 洋 編のあとがきに、彼の言葉が紹介されています。

 「建築家はその精神の自由を確保して、時流にも、営利にも権力にも、悪徳にもゆがめられることなく、刻々のきびしい決断を集積してその建築を築かねばならない職能人だったはずなのです。(中略)人間における不易なもの、そして建築家において不易なもの、それを守り続ける意気地がなくて、どうして人間に生まれ建築家を志した効がありますか」
 
 堅苦しくもありますが、読めばなにかソワソワしてきて、居ても立ってもいられない気持ちになります。

 戦前、東京大学を卒業するとすぐにル・コルビュジエに弟子入りします。2年の修行を終え日本に戻ると、アントニオ・レーモンドに師事します。初期の作品にはその影響が色濃く出ているのです。

 その影響に解放された傑作が1961年の東京文化会館や、1977年の熊本県立美術館なら、その影響を受けながらの傑作が、神奈川県立音楽堂と言えるかもしれません。

 その色使い等にも、コルビュジエの影響が色濃く表れています。 

 作品は前川事務所によるものですが、時代の流れ、気分のようなものが織り込まれているのが建築です。

 それが私の心を、一気に60年をさ遡らせるのです。

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ミラン

 今日は朝から、奈良県山添村へ。

 イタリアから小さな友人達がやってきました。

 妻の友人が、子供を3人連れて奈良の実家に帰省中です。

 その間に会いに行くのは、我が家の年中行事でもあります。

 車の中は定員一杯。すぐに盛り上がれるのが子供です。

 茶畑を抜け、フォレストパーク神野山へ。

 BBQサイトを取っていました。

 男の子2人は早速森の中へ。

 蝶、カナブン、カエル、ミミズといろんなものを採ってきますが、ミミズだけ持って帰ってきました。

 釣りエサ用です。

 ミラノは日本で言えば京都のような古都。

 よって庭先でBBQというのは一般的ではないそうです。目新しいこともあり、姉妹は時々手伝ってくれました。
 

 10kgの水は3人掛かりで運んでいました。

 たまには水の重さを知るのもいいでしょう。

 皆、概ね喜んで皆食べてくれました。

 ミラノだけに10歳のお兄ちゃんと、一番下の次女はサッカーをしています。

 10歳の彼はイタリア北部の大会でMVPを取ったと聞いていました。

 ミラノだけに将来は、ACミランか、なんて軽口を叩きながら今朝、迎えに行ったのです。よく聞くと、本当に優待生扱いで誘いを受けているそうなのです。ACミランから。
 これには、本当に驚きました。

 しかし、地域のチームの監督でもあるお父さんは、悩んでいるようです。もし中学校になっても誘いがあれば行ったらどうか、と。

 弱かったチームの監督を引き受け、多くの時間をかけてようやく、州の大会で好成績を残し始めました。チーム内の絆がようやく出来上がってきた今では無いと。

 まるで実写版「頑張れベアーズ」です。でもその考え方に大いに共感できます。

 帰省の度に、いつかミラノに遊びに来てよと言って貰いました。ようやく今年の夏、行ってみようと思います。

 思い切って家族全員でイタリアへの旅。ローマから順に北上していく予定です。好きな選手はときくと「イブラ」と答えました。彼がそんな選手になったなら。

 「世界」を身近に感じた一日でした。

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仕事が速い

 7月8日(日)は、朝からイタウバハウスへ行っていました。

 大阪ガスの住宅情報誌「住まう」の取材だったのです。

 子供達がルーバーを登るところを撮りたいのは大人の都合。でも協力してくれました。

 カメラマンは、前回2010年の時も撮って貰った人。

 クライアントと私が取材を受けている間、撮影はどんどん進みます。発刊は秋です。外部の説明している際の事です。

 「この樹にもこだわりがありますか?」と私に質問するライター。

 「これはジューンベリーと言う三拍子揃った樹なんです。花、実、???……もう1つ何が楽しめるんでしたっけ?」とクライアントに聞く私。

 「紅葉です」とクライアント。

 恥ずかしい限りです。

 週明けに、樹の写真を送ってくれました。以下は「実を楽しむ」写真です。

 樹の名の通り、実がなるのは6月です。

 それを煮詰めてジャムに。

929

 実は結構甘いそうです。

 今までに、何度もこの樹を植えてきましたが、実際に実をとったり、ジャムにしたことはありません。

 こちらのクライアントはいつも行動が速いのです。

 ふと思いました。

 長男が朝、算数のプリントをしています。時間も測って、書く欄があるのです。

 1問やっては、あっち向き、1問やっては足をブラブラ、みたいな感じ。本気でやれば2分も掛からないのが、5分くらいすぐ経ってしまいます。

 私も「さっさとやったら、遊べるんだから」と長男に言うのですが、柳に風。横で見ていて思いました。1問に限って言えば、そのスピードは私と何ら変わりないのです。

 もちろん、引き算のスピードが同じだから、全てが7歳と同じとは言いません。しかし、普段の仕事の中で、掛け算、割り算はしますが、それほど難しい作業が沢山あるだろうかと考えます。

 17年働いてきて思うこと。

 もし能力を伸ばしたい、仕事を速くしたいと思うなら「考えている」と思っている、立ち止まっている時間を限りなくゼロに近づけること。もう一つは、能力を伸ばしたい、仕事を速くしたいと本気で思うこと。こんな単純な事です。

 現在事務所には、研修生1人、オープンデスク生1人。頑張れ若者。

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匠という仕事

 昨日、無事「天井から雨の降る家」が放送されました。

 時間が来れば放送は終わるのですが、今はほっとしています。

 関わった人の数、エネルギーを考えると、無事放送が第一義でした。また、改めてこの番組の認知度を実感します。

 昨晩から、感想やメッセージを本当に沢山頂きました。

 まずは、チャンスを貰ったクライアント、一緒に取組んでくれた市川工務店と各工事会社、そして番組に感謝したいと思います。

 完成後、対面する場面が放送にありましたが、その数日後、クライアントから電話がありました。

 「先日は撮影中だったのでろくにお礼も言えず……ほんとに喜んでます。日に何度も庭を眺めています」と。

  光、風、そしてイロハモミジ。自然をどれだけ建築の中に取込めるかは、建築の普遍的なテーマだと考えています。それぞれの建物は、私の考える解の一つに過ぎませんが、心から喜んで貰えたら、これ程嬉しい事はありません。

  普段クライアントには必ず「守谷」と名前で呼んで貰います。役職名などではなく。

  例えば私が、あるクライアントを「社長!」と呼ぶとします。何かそれでは、何か緊密な関係が築けない気がするからです。

  しかし今回、クライアントは私を「匠さん」と呼びます。ふと考えました。

  これは番組が長年、視聴者に夢を与え続けてきた結果なのだと。喜んで、匠という仕事を引き受ける事にしたのです。

  それもようやく一区切りがつき、今はこのプロジェクトに関われ、本当に良かったと思っています。しかしこれで、事務所の能力が劇的に伸びる訳ではありません。

 一日生きることは、一歩進むことでありたい
 -湯川秀樹-

 毎日、全場面を、全力で判断する。これだけが私にできる約束です。

 最後に、知人から最も多かった質問はこの2つでした。

Q 本当に依頼者は途中を見ていないの。
Ans. 見てません。

Q キャッチフレーズは?
Ans. 自分が決める訳ではないので、分らない。

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稲盛和夫と夏の夜の夢

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 今週の土曜日は七夕。娘が笹を持って帰っていました。

 短冊には「じんくんとこうえんにいきたい」。

 じんくん、とは3歳上の兄。私が見ても、何と仲の良い兄妹なんだと思います。

 お隣の同級生が引っ越してしまった事もあり、より2人で遊ぶ機会が増えるのか……私達の頃は子供で溢れていたので、やや寂しい感もありますが。

 先週木曜日の夜。「カンブリア宮殿」に稲盛和夫さんが出演していました。

 司会は作家・村上龍。覚えているのは「限りなく透明に近いブルー」「コインロッカー・ベイビーズ」です。「69 sixty nine」はリアルタイムでした。日曜の夜に放送されていた「Ryu’s Bar」は大人の会話ってかっこいいなと、良く観ていたのです。

 彼は「私は稲盛さんのファンなので、JALの仕事は受けて欲しくなかった」と言っていました。では何故、稲盛さんは火中の栗を拾うことになったのか。

 2010年1月19日、日本航空(JAL)は2兆3億円の負債を抱えて経営破綻します。金融機関以外では戦後最大の負債。

 それを受けて、政府と企業再生機構が白羽の矢を立てたのが稲盛和夫さんでした。

 JALは1987年に完全民営化されたとは言え、親方日の丸の気質が抜けていませんでした。倒産したという意識が希薄で、傲慢なJALの幹部に、おしぼりを投げつけたこともあったと稲盛さんは笑っていました。

 稲盛さんは1959年、28人で京都セラミック(現:京セラ)を創業。町工場から、一代で1兆円企業に育てあげます。

 また、通信事業への民間参入が認められた際は、健全な競争を作るため、大手企業がしり込みする中、第二電電(現:KDDI)を創業します。1984年のことです。

 その際も、今回のJAL再建でも、持ち込んだのは、部門別独立採算性(アメーバ経営)という経営管理システムと、京セラフィロソフィだけ。システムと考え方で、企業を成長させていく。それが、稲盛さんが名経営者と言われるゆえんなのです。

 JALはこの秋、再上場といわれるまで、業績は回復しました。

 私は稲盛和夫さんが若手に経営を教える、盛和塾に入っています。年に数回、稲盛さんから講和を聞く機会があるのですが、この2年はJAL再生の話題も良くでていました。

 「私が目の前で日本航空の再建をやっているのです。そのような価値のあるものを皆さんへ開陳しているわけです。それなのに自分の企業の業績を低迷したままにしておくとはどういうことかと。キツいことを言うようですがが、帰ったら根性を入れて経営をして頂きたい」

 稲盛さんは今年で80歳。君たち若いのに何をやってるんだと、激を飛ばしたのです。

 番組内でも「人生でも、仕事でも、心のありようが一番大切」と言っていました。私が聞いた時には、この言葉には続きがありました。 

 「立派な考えの人は、立派な成果を残すし、いい加減な人は、いい加減な結果しかでていない。私が見る限り、30年という期間で見れば全てこの通りです」

 夏の夜の夢は、30年後に必ず叶う。長女の夢は、今週叶うはずです。

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清武

 6月30日(土)は清武弘嗣の壮行試合。長居スタジアムへ行ってきました。

 ドイツ1部リーグ、ニュルンベルクへセレッソ大阪から移籍するニュースは、各紙賑わせていました。

 ロンドンオリンピック代表のエースでもある清武は、今注目の選手。

 昨日の「情熱大陸」でも取り上げられていました。

 「野球じゃなく、サッカーの清武で皆さんに知って欲しい」とは、なかなか気の利いたコメントです。とても聡明な、気持ちの良い青年でした。

 長男が小学校からチケットを申し込み、当選したのが2週間前。それが、偶然この試合だったのです。

 ともてラッキーでしたが、その分観客は凄かった。来場者数は、今季ホーム最多の36,723人。

 入場ゲートから伸びる列は、1周2.8kmある外周ランニングコースの3/4くらいまでは伸びていました。歩いても歩いても、最後尾が見えずと言う感じ。

 やっとたどり着き、雨の中列に並ぶこと1時間。ようやく入った時は、試合開始から5分後でした。

 今回は長女も初めてのサッカー観戦。グズグズ言いながらも、時々お菓子を与え、何とか機嫌よく並べたのです。

 試合はのほうは、浦和レッズの鈴木啓太が先制。

 オリンピック代表の原口元気、柏木、安部、サブに元日本代表のFW田中達也とタレント揃いで、さすがに強いな、という印象。

 壮行試合のプレッシャーでガチガチだったとは、清武の弁。その言葉通り、いつもの切れはありませんでした。

 後半36分、清武はベンチに下がったのです。しかし、負けは避けたいセレッソ。ロスタイムに柿谷が何とか押し込んで同点。

 スタジアムは一気にヒートアップしたのです。

 試合後のセレモニーでは、香川真司が登場しました。

 前の背番号8だった彼も、この7月に、ドイツでの成功を引っさげ、マンチェスター・ユナイテッドに移籍です。花束を渡しエールを送っていました。

 その後、清武の挨拶があったのですが、とても晴れやかな笑顔でした

 壮行セレモニーが終わったのは10時頃。長男も見たいと言い、手を振ってスタンドを回り終えるまで、スタジアムに居たのです。

 清武弘嗣22歳。

 昨年の12月、初めて試合を観た時からファンになりました。
この試合では、密集したゴール前をトリッキーなドリブルで横に流れ、シュートを決めました。

 完全に、動きの次元が違うレベルでした。いつか海外で活躍するのだろうと思っていたのです。なので敢えて言いたいのです。

 「真司君にできるなら、僕にもできる」ではなく「僕にはできる」と言って欲しい。

 本田圭佑、長友佑都、イチローらがこのようなことを発言することは無いはずです。頑張れ清武。ホントに応援しています。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日) に「匠」として出演しました

【Events】
■7月15日(日)ジュンク堂梅田(茶屋町)店 13:00~15:30
JIA×JUNKUDO 共催「住宅無料相談会」に参加
■7月1日~7月31日までハービスPLAZA(大阪)4階にて
「白馬の山小屋」のパネル、模型を展示

【News】
■『建築相談ハンドブック』6月1日発行に「Shabby House」掲載

メディア掲載情報

一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記