和歌浦はインカとつながる

 5月12日、13日の土日。和歌山へ行っていました。

 ASJという「建築家と家をつくろう」というネットワークがあり、各地でイベントを開いているのです。

 ビッグ愛という施設での開催でした。

 泊まりだったので、朝は和歌山城までジョギング。知らない街を走るのは楽しみの一つです。

 8人の建築家がパネルや模型を展示し、チラシなどを見た来場者にその家づくりについて説明します。

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 私は今回で3回目。ようやく慣れてきました。

 今回は和歌山スタジオが主催するイベントだったのですが、面白い話を聞きました。

 一緒に参加していた建築家の1人は和歌浦近くに事務所を構えています。その地名の由来のことです。

 和歌浦は、ポリネシア語の「ワカウルワ」が語源で「小舟の多い入り江」という意味だそうです。他にも、御坊(ごぼう)、由良(ゆら)などもポリネシア語から来ているとか。

 遥か遠方の南洋から渡って来たポリネシア人が、太平洋沿岸部に住みついたからという話でした。

 その証拠に、和歌山は当て字で、江戸時代までは若山と併用されていたそうです。

 ポリネシアとはハワイ、イースター島、ニュージーランドあたを結んだ三角形内を指します。

 子供頃読んだ本に「コンチキ号漂流記」がありました。ポリネシア文明は南米のインカ文明と共通点が多いことから、同じ起源をもつのではないかという仮説を証明する話です。

 その説を唱えた考古学者は、帆をつけただけの筏で、チリからポリネシアにたどり着きます。その可能性を実証したのです。

 途中、筏をより大きなジンベイザメがゆらりと登場する場面に、ドキドキしたことを今でも覚えています。小学校3年生ころだったでしょうか。

 これらの話が全て事実なら、太平洋湾岸部に住む人々は、南米に起源をもつ人もいることになります。
 
 船で渡って来た人々は当然操船にも長けていたはずです。その子孫が、熊野水軍、九鬼水軍、村上水軍、根来衆などを形成していたとすれば……

 更にその子孫である漁師に、目鼻立ちのはっきりした人が多いところまで、全て納得できるのです。

 日本人と言っても、大陸から渡って来たモンゴロイド、ポリネシア系と様々な先祖を持っている可能性がある訳です。

 週末、こんな事を考えていたのですが、考古学や人類学等、過去をたどるのは非常にロマンを感じます。

 そう言えば、本好きの長男には「コンチキ号漂流記」を勧めなければ。