源ヶ橋温泉

 スーパーに仏花があるのを見て、彼岸なのだと気付きます。

 近いうちに墓参りに行かないと。日常を言い訳にせず……

 火曜日は祝日だったので、子供を連れて銭湯へ。遠くはなく、自転車では行けずで、先送りにしていた所があるのです。

 「源ヶ橋温泉」は大阪市生野区林寺1丁目にある銭湯。温泉ではありません。

 この建物、銭湯では珍しく国の登録文化財に指定されているのです。

13 - コピー

 その名の通り、以前は橋があったのでしょうか。

 後で調べるとこんなサイトを見つけました。

 生野本通商店街と疎開道路の交点、すぐ南西にあります。

 建物の完成は昭和12年。

 当時の富豪が建てたもので、随所に遊びがみられます。

 建築様式はいわゆる和洋折衷。

 正面の自由の女神像が掲げるのは温泉マーク。入浴とニューヨークをかけたようです。

 壁はタイルで屋根にはシャチホコと何でもありなのです。

 番台に座る経営者のおばさんに色々聞いていると「関西ウォーカーを見て来たの」と尋ねられました。阿倍野Walkerという特集号が出たようです。

 建築の仕事をしているので、前から興味があったと言うと、更に色々教えてくれました。

 先代が、昭和17年に買い取ったこと。文化財とは言え、標識を一枚置いていくだけで、何かの指導があったり、補助があったりする訳ではないこと。この時代、銭湯は大変……など。

 それはそうだと思います。

 大人、子供、幼児の3人で600円。コインパーキング代と同額でした。

 脱衣室の天井は5m程ある格天井で前庭付。最大40人くらいは入れそうです。

 浴槽こそ小さ目ですが、洗い場床は大きな石畳敷き。水栓も20はあったと思います。

 これらを維持するのは間違いなく大変です。

 子供はスーパー銭湯を喜びますが、何かと理由をつけて銭湯へ行きます。

 安いのが魅力ですが、風呂の無い家がない今、これらが永遠に残る事は考えられません。

 江戸では防火の観点から、基本的には内風呂を禁じていました。内風呂が一般化したのは高度成長期ですから、この40~50年のことです。

 銭湯時代が歴史的には圧倒的に長く、街の交流の中心だったのです。また銭湯に行かなければ、子供が本当の刺青を見る機会も無かったはずです。見た方が良いかは別にしても。

 以前、白髪のお爺さんが腕の部分だけ、刺青を消していました。皮膚移植をするのでしょうか。その人生を勝手に想像します。銭湯には人生の喜怒哀楽があるのです。

 B級グルメではありませんが、B級建築めぐりも合わせて、銭湯は楽しいのです。