びわこ北寮

昨日は、「あちこちでお茶できる家」のオープンハウスでした。

総勢30名程の方が見えました。一日中賑やかでとても楽しい空間でした。またUPしたいと思います。

先週の金曜日は、琵琶湖の北端、海津大崎まで行って来ました。

日本建築家協会(JIA)の月例勉強会だったのです。

JR大阪駅から新快速で1時間40分ほど。まずは長浜駅へ。

東にある伊吹山は冠雪しており、独特の偉容を放っていました。

琵琶湖も北端までくると、まるで海岸のような景色になります。

その海津大崎にあるのが、「びわこ北寮」です。

企業の施設につき、一般には見学できません。

設計は白井晟一(しらい せいいち)。1905年~1983年を生きた建築家です。

彼の事を知ったのは、1年目に勤めた設計事務所の所長が、代表作「親和銀行本店」の写真を飾っていたからです。

その写真はモノクロでしたがが、陰影ある外観の写真を鮮明に覚えています。

しかし実作を見た事はなく、初めて白井作品に触れました。

同時代を生きた、丹下健三や、村野藤吾に並ぶような巨匠ですが、彼らを光とするなら、どことなく影のような印象を受けるのです。実際にも「異端の人」のような存在でした。

この「びわこ北寮」の工事中に白井は倒れ、完成を見ていません。倒れる4日前、打設の終わった1階スラブに立ち、琵琶湖を眺めていたそうです。

それらの話は、孫にあたる建築家、白井原多さんが私達に話してくれました。

他の白井作品にこの色使いはありません。

生前から最も好きだった色、ペルシアンブルーが日本の風土に合うかと葛藤していたそうです。

最後にどうしてもチャレンジしたかったのでは、という話もありました。

内部は撮影禁止でしたが、湖岸に開かれた食堂からは、遮る物無く竹生島(ちくぶじま)を望みます。絶景、以外に思いつく言葉がありません。

白井晟一はエッセイに、その「青」への思いを書き綴っています。こう結ばれていました。

 それにしても青は「希望」の色とはよく言ったものだ。

青ほど自然の中に多い色はないかもしれません。

お湯

■■■オープンハウス開催■■■

2月26日(日)午前10時~午後4時 ご希望の方はこちらまで

 寒い、寒いが、挨拶代わりになっていました。今日の雨でようやく一段落でしょうか。

 一雨ごとにの言葉通り、つぼみだった梅も花が咲き始めました。

 雨のしずくも、今日ならそれほど寒くは感じません。

 我が家は、築38年の中古住宅です。

 時代的におそらく断熱材は入っておらず、夜は7度くらいまで下がります。

 それでも、エアコン、デロンギ、コタツと、暖をとる方法はいくつもあります。

 浴室はなかなかのものです。

 浴槽のサイズは90cm×60cmの超コンパクトサイズ。

 子供2人と入ると湯が溢れ、音は贅沢なのです。

 しかし難点があります。

 この時期ガス給湯器の調子が悪くなり、なかなか電源が入らないのです。

 夜中に帰り、何度かチャレンジして追い焚きします。無事お湯が温まっても、油断できません。下を向いて頭を洗っていると、知らぬ間に電源が落ちたりします。

 湯で流しているつもりが、冷水を頭から浴びせかけられる事になります。そんな時、当たり前にお湯のでる贅沢さを実感するのです。

 海外に行った時に、水圧の弱いシャワーを使うと、普段の有難さが分かるように、失って初めてその価値を知ります。「無くなったとしたら」という想像では駄目なようです。

 水、電気、ガス、をいつも安定供給できるよう、努力することは大切です。しかし、前提には感謝が無ければ、何かギスギスした社会になると思うのです。

 事務所の電気代はこの時期1万円位ですが、その額を貰っても自分で電気は作れませんから。

すべてをあなたに

■■■オープンハウス開催■■■

2月26日(日)午前10時~午後4時 ご希望の方はこちらまで

 バタバタと2月は逃げて行き、後半に入りました。

 先週のことですが、長女はバレンタイン・デー生まれなのです。実家で誕生日会を開いてくれました。

 ケーキのロウソクを、男連中は吹く気満々です。

 吹くのは構わないのですが、甥っ子は一緒にツバも飛ばします。

 それも笑って許せるのは血が繋がっている証拠でしょう。望んではいませんが。

 4歳になった娘は、先日お遊戯会を終えました。

 2歳の姪っ子に踊りを教えたらしく、一緒に踊ってくれました。

 観に行けなかった私としては嬉しい限りです。

 女性から愛を伝えるのがバレンタイン・デーなら 「Saving All My Love For You(すべてをあなたに)」より相応しい曲は無いかもしれません。

 2月11日(土)ホイットニー・ヒューストンが、ホテルの浴室で亡くなったと報道がありました。薬物などの話もあります。

 18日の葬儀は、ケビン・コスナーが弔辞を読み、ゆかりのスティービー・ワンダーが歌ったようです。

 1985年1stアルバム「Whitney Houston」が出た時、私は中学3年生。CDジャケットはトップモデルでもあった、彼女の真っ白な水着姿でした。

 ゴスベルがベースにあるその歌をきっかけに、チャカ・カーン、アレサ・フランクリンと、女性ブラックミュージックを遡っていきました。

 一流のアーティストが鎮魂の歌を歌うとき、音楽の本質を見る思いがします。心の叫びなのだと。

 小説家が鉛筆だけで人の心を動かせる職業なら、シンガーは自らの声だけで、人の心を動かせる、最も自由でプリミティブな仕事かもしれません。

 それだけに、栄光も失敗も、よりダイレクトに自身の体に響くでしょう。

 全てのミュージシャンが、健全であって欲しいとは思いませんが、刹那的、破滅的な人生の終え方は何とか避けて欲しいと思うのです。

 多くの要因は、対人ではないかと思います。誰もが羨む、賞賛と栄光に満ちた人生が、失敗と没落の人生に変わってしまった……本当はそうでないのに。

 スポーツ選手と同じく、若い時に栄光を極めた後、どんな人生を送るか、どのような枯れ方をみせるかは、大切な事です。

 枯れる時には枯れ、朽ちる時には朽ちる。

 それが生き物の礼儀である。

 人間は有限の生命体でしかも、消滅するのではなく衰弱するように出来ている。

 2005年 11月5日 産経新聞朝刊 ”阿久悠 書く言う”より
 
 おそらく彼も同じような事を感じたからこそ、この考えに至ったのだと思います。
 
 最大のヒットは「ボディーガード」の「I Will Always Love You」ですが、耳に蘇るのは、1stアルバムの「You Give Good Love(そよ風の贈りもの)」とジャーメイン・ジャクソンとのデュエット「Take Good Care Of My Heart」です。

 逝ってよい年齢などありませんが、48歳を天寿とは言い難いのです。

子供に夢を与えるプレーをしたいんです

■■■オープンハウス開催■■■
2月26日(日)午前10時~午後4時 ご希望の方はこちらまで

 朝事務所に来ると、友人からメールが届いていました。

 今年はオリンンピックイヤーなので、中学・高校の同窓会の開催年。私は事務局をしているので、そろそろ始動しようかと言う内容でした。

 それに添えられて送られて来たのが、下の写真です。

 昨年5月、友人は娘さんと一緒に事務所へ遊びに来ました。学校の課題で、将来の夢を発表する機会があり、その時の事を書いたと説明が添えられていました。

 プロスポーツ選手はよく「子供たちに夢を与えられるようなプレーをしたい」とコメントします。

 それを聞いたとき「大人も、夢と元気を貰っているよ」と思います。

 ある成功者が、インタビューに答えている時「○○○○と、うちの社員には言っているんです」というフレーズがあります。これに近い部分があるかもしれません。

 見方を変えると、「子供へ」という言葉は「未来の人類へ」という言葉と同義語とも言えます。

 近しい人が、前に来るのは当たり前ですが、親類だけが生き残れば良い訳ではありません。それでは、人類は存続しないからです。

 小学6年生の女の子に、どれだけの事を伝えられたのか分かりませんが、彼女はこう結んでありました。
 
 「人に幸せをあたえて、自分も幸せになれる仕事につきたいです」

 この順番は大切だと思います。幸せや遣り甲斐を考えたとき、自分が前に来ると、1人分が限界になります。

 しかし、自分を最後列に立たせれば、その可能性は70億倍まで膨らむまずです。

 全人類の幸せ、と言えばおこがましいのですが、結局そういう事なのだと思っているのです。

 

「あちこちでお茶できる家」オープンハウス開催

 先日お知らせした、オープンハウスの詳細が決まりました。

■■■オープンハウス開催■■■

日時: 2月26日(日)午前10時~午後4時

 ご希望の方はお名前を明記の上、E-mail:office@atelier-m.comまたはfax:050-7103-3717 までご連絡下さい。地図をお送りします。

 2月26日(日)までには、引っ越しも終っている予定です。

 空っぽの家でなく、全ての家具が入っている段階でオープンハウスは、なかなか無いと思います。興味のある方は、気軽に遊びに来て下さい。

 以下に現時点での写真をUPします。

 ダイニングから和室見る

 和室からリビング・ダイニングを見る

 寝室

 子供部屋1

 ファミリースペース

 1階WC

 手洗い

 子供部屋2

 2階WC

 洗面の収納

 和室下の引出し

 外観

 外観模型

 2009年3月に計画はスタートしました。

 お子さんの入学などを考え、竣工をこの時期に合わせたのですが、3年間で随分大きくなりました。

 下のお子さんが生まれた2ヶ月後が、第1回目の打合せだったのです。

 カフェのように家のあちこちでお茶できるような家は楽しいだろう、というのがこの家のメインコンセプト。それを最も真っ直ぐに表現しているのが、大きな玄関土間です。

 農業も営むご主人の実家、漁師の奥さんの実家の両方に、大きな土間があったことが、きっかけになりました。

 現在はまだ工事中で写真はありませんが、楽しむ、迎える、開放するなど、需要な役割を担っています。

 土曜日の打合せ時、ご主人がニコニコしながら「模型のままですね」と言っていました。それは良い意味で、と解釈しています。

仕事は好きの近くに

■■■オープンハウス開催■■■

 2月26日(日)午前10時~午後4時 「あちこちでお茶できる家」

 ※詳細は後日お知らせします

 先週金曜日、京都大学も秋入学に前向きというニュースがありました。

 世界基準は秋なので、優秀な人材を集めたいというのが主な理由。東京大学は5年後をめどに実現すると言っています。

 反対意見、理由も色々あります。高校生でも大学生でもない「中ぶらりん」の期間をどうするかというものには異論があります。

 推進派は、インターンシップにあてる、海外を見て回るなどを提案していますが、勿論賛成です。

 裕福な家庭はインターンシップもできるが、機会の少ない地方、余裕のない家庭はどうするのか、というのが反対理由。しかし、それら全て含めて、人生、仕事だったはずです。自分で切り開いていくしかありません。

 何より、仕事を始める前に一旦エスカレーターを下り、自分が何者かを見つめ直す時間は、絶対あったほうが良いと思うのです。

 秋入学を大学だけでなく、小学校から全部変える案もあるかもしれません。サクラサク、春の入学は季節感があり、良いものではありますが。

 アトリエの打合せスペースには模型を展示しています。

 これらは出来の良いもので、いわば一軍です。

 計画当初、模型は1/100くらいのものから創り始めます。

 最終形に至るまで、多く試作があります。

 模型は増える一方で、採用されなかったものは破棄せざる得ません。

 しかし、計画中のもの、手を入れている最中のものは、私の机の上に並んでいます。

 この模型に、人並みなら興味を示しているのが甥っ子です。

 長男と1つ違いで、4月から小学生。

 彼は年始に受験をしていました。両親、祖父母の心配をよそに、見事合格。

 直前にはその勉強もあり、色々と我慢していたようです。試験が終わったら、したい事に「家の模型作り」を上げていました。早速、材料の端材をあげました。

 これは長男作ですが、こんなのを作っては壊ししているのです。

 先日、オープンデスクに来ていた若者がいました。よく話を聞いてみると「本当は音楽の仕事がしたい」と。

 そんな時「そろそろ現実を見ないと」とは言いません。

 本当にやりたいのなら、どんな事情があるにしろ、何らかの行動を起こすべきです。

 一切気遣いは無用なので、オープンデスクを打ち切って、自分のやりたい事をすればいいのではと伝えました。

 打合せ中、背後から目線感じた時。甥っ子がのぞいています。クライアントは驚きますが、説明すると勿論笑って理解してしてくれます。

 長男とも、3年生になったら手伝いに来てと言ってあるのです。しっかり学べ甥っ子よ、という感じです。

 得意は好きの近くにある

 この言葉を聞いたとき、何か力がみなぎる気がします。出来るだけ多くの若者に伝えたいと思ていいます。

商店街

 日曜日は、初期相談のあった敷地の視察へ。

 大阪市内のある駅前商店街にあります。

 商店街自体は概ね公道です。

 行政が積極的に育てて行こうと考えているので、道にアーケードが掛けられるのです。

 普通なら、道路に何かを建築することは出来ません。

 あるというのは正確でなく、あることになる敷地なのです。

 駅の高架化にともない、近隣の区画整理が行われています。

 商店街は新たに生まれ変わるのですが、現在はアーケードを解体しながら、順次店舗が移転している真っ最中。

 大阪市内の駅前で、こんな光景が見れるのは、戦後すぐしかなかったのでは。

 区画整理事業の規模の大きさ、街を再構築する責任の重さについて考えていました。 

 どの店舗も、当然ながら自らの仕事の為の建てたもの。

 住居付が多く、愛着、歴史……言葉で表現しきれない程の思い出があるでしょう。

 事業対象外のエリアも含めて、辺りを歩いてきました。

 昔のショーケースには必ずあった、宙に浮いたフォーク。 

 仕事柄気になったのはガラス屋。

 どうやってこの商店街の中まで、大板ガラスを運んできたのか。

 駐輪問題はありますが、結構活気があるのです。
 
 商店街の低迷が取り上げられて久しいですが、例外はあります。
 
 当事務所のある平野区の隣は東住吉区。

 そこにある駒川商店街は、なかなか活気があります。

 私の母も結構な距離を自転車で買い物に出かけます。

 現在、JALの再生に挑む稲盛和夫さんはこう言っていました。

 よほどの事が無ければ、ぼろ儲けなどはあり得ない。

 どんな特殊な技術があっても、そこに時別な利益が出ていれば、多くの企業が参入してくる。

 少し長いスパンで考えれば当たり前の話。血のにじむような努力を繰り返し、無駄を無く、リーズナブルな利益をこつこつと積み重ねる以外、企業が永続的に反繁栄することはない。

 ニッチ産業、オンリーワン企業、他社にはない技術。これらとは反対の話です。ウチはあてはまらないという会社もあるでしょう。

 しかし、この言葉を真に受けてしまえば、結構気楽な気分で、精一杯仕事が出来るのです。何か秘訣があれば教えるが、秘訣が無いのが秘訣というメッセージにも聞こえます。

 商店街にプラスの影響を与える建物を。そう考えるとワクワクしますが、後は考える時間、手数に掛かっていると思います。

柳宗理

 今日から明日にかけて、20年に一度の寒気団が日本列島に流れ込むそうです。

 私の人生で、未だ2度目しか経験のない寒さ。解るような、解らないような……本日の最高気温も3℃の予想。スキー場並みの寒さです。

 近所の庭にあるサザンカが、花を咲かせていました。

 日本海側では記録的な大雪になっています。

 例えばそこで暮らす老夫婦は、雪下しも思うようにならず、不安な日々を送っていると思います。

 人は植物と違い、関係しあって生きるもの。

 自分も必ず歳をとります。情けは人のためならず。元気な若者はこんな時こそ、奮起して欲しいと思います。

 昨年の12月25日にプロダクトデザイナー柳宗理さんが96歳で亡くなりました。本当に長寿ですが、作品を見るとそれが納得できるから不思議です。

 ティースプーンとヒメフォークのセットは、結婚式の引き出物にしました。

 手の感覚を大切にし、ただ純粋に機能と美しさを追求していく。

 個性重視という風潮とは一線を画しています。

 父は民藝の提唱者、柳宗悦。

 無名の職人による、郷土、生活に密着した工芸品の美しさを見出しました。

 その反発もあり、まずは純粋芸術のピカソうやクレーに夢中になります。東京芸大に入ると、バウハウスで学んだ水谷武彦の講義に非常に感銘をうけました。

 1つは、これからは機会・科学の時代だという事。もう1つは、美術、デザインは社会のため、用途のためにあるべきで、社会との関係性の中で生きていくという事。

 彼は代表作、バタフライスツールから、レコードプレーヤー、橋、ゴミ箱にいたるまでをデザインしました。プロダクトデザイナー柳宗理が追求したのはアノニマス(無名性)と用即美
の精神だったのです。

 用途にあった完璧なモノというのは、非常に健全である。

 在りし日の穏やかに見えるその容姿を見れば、柳宗理自身にもあてはまると言えるのです。