フェリーで行く鹿児島

 8月12日から15日の夏休みは、鹿児島を巡ることにしていました。

【1日目】 8月12日(金)

 夕方6時に南港をでました。
 15時間の船旅は、沈む夕日を見ながら。

【2日目】 8月13日(土)

 朝デッキへでると快晴の下、南九州が見えてきました。

 9時に志布志港へ到着。そのまま西に向かい、高速道路に乗りました。

 鹿児島湾(錦江湾)を反時計まわりに走り、西側の薩摩半島を目指します。

 

 道中に見えた桜島には、残念ながら雲が。

 この時は、また帰りに見れるだろう等と思っていたのです。

 昼食は一気に薩摩半島南端まで移動して、かつおラーメン。枕崎はかつお節の産地で、量、質とも日本一。

 現地の人にも聞ましたが、あっさりして美味しいとのこと。実際は、期待を大きく上回るものでした。

 かつお出汁をたっぷり使ったスープに、かつおの刺身、てんぷらも乗っています。これが、さっぱりかつ風味があって素晴らしく美味しかったのです。

 鹿籠豚(かごぶた)のトンカツも合わせて、旅行誌にも載っていますが「だいとく」は強力にお勧めします。

 この日泊まるのは、丸木浜キャンプ場。枕崎の西にあります。妻がwebで見つけてきました。

 人も少なく緑と海が美しく、南国ムード満点の浜でした。

 枕崎で購入した、食材で料理の準備を始めます。テントを張り、食事を始めたのが6時頃。

 子供達は海で遊び、疲れ、夕食を終えるとすぐに寝てしまいました。波の音を聞きながらビールを飲み、横になったのが10時頃。

 気持ち良く寝ていると、ポタポタと水滴が……時計を見ると深夜1時。

 休みを取るのにバタバタしており、天気予報のチェックが出来ていませんでした。鹿児島地方はこの日の夜から、ずっと雨だったのです。しかも結構な。

 風も強く、テント、タープを張り直し、雨対策をし終わったのが午前3時。ようやく一段落と思っていたら、こんな時間から浜で花火を始め出す若者が。

 浜には3組しかキャンパーは居らず、子供も起きないので放っていました。小一時間程して帰って行った時、チラと見えた感じでは20歳くらいの男女4人。

 どうやら近くから、花火だけをしにやって来たようです。

 言いたい事が無いでは無いですが、自分たちの事しか考えられない若者を、悲哀の目で見てしまう自分も居ます。

 タイミング良くというか、花火が終わるとまた雨が降りだしました。夜が明け、子供たちに朝食を取らせ、カッパを着てキャンプ道具を片づける私。

 端から見ればそれこそ悲哀の目で見られそうですが、やりだしてしまえばいかに効率よく、片付けるかに燃え出すのです。

 トラブルこそ旅の本質。とても良い浜でした。

【3日目】 8月14日(日)

 全ての片づけを済ませ、丸木浜を立ったのが8時頃。そのまま内陸に入り知覧を目指します。

 朝一番で特攻平和会館へ行ったのですが、多くの人が訪れていました。

 先の戦争で、300万人の命が失われた事、多くの若者が特攻隊員として犠牲になった事、その事実の上に今があるという事。終戦記念日の前日、ただその冥福を祈るしか出来ません。

 再び海沿いに戻り、開聞岳回りを走ります。

 JR日本最南端の駅、西大山駅で記念写真です。後ろの開聞岳は別名薩摩富士。晴れていれば最高だったのですが、仕方ありません。

 この日もキャンプ場のつもりでしたが、時々降る雨あしも強く諦めました。

 指宿まで移動し、駅前の観光案内で宿を探すと、ウィークリーマンションの一室なら空いていると。何とか屋根付きの寝床を確保できたのです。

 昼からは第27代島津藩主が作ったという温泉、殿様の湯へ。

 180年前から藩主を癒して来た、二月田温泉。現在は銭湯のように使われており270円。人もおらず中も撮ってみました。

 このあたりの温泉は一様に熱いそうですが、ここもとびきりの熱さでした。

 その晩は清潔な布団にありつき、外は雷雨。当たり前の事がどれ程有難いか知ったのです。

【4日目】8月15日(月)

 翌朝、朝一番で指宿名物の砂むしへ。

 娘は嫌がりましたが、長男は喜び勇んで砂の中。彼はあまり汗をかかないのですが、ここでは大汗でした。

 その後、すぐに近くの山川港のフェリー乗り場へ向かいましたが、残念ながらいっぱい。

 それで鹿児島市のすぐ北にある鴨池港まで北上します。

 ここから対岸の垂水まで渡るフェリーは35分。

 桜島のすぐ北を通るのですが、この日も曇天で山頂は見えず。

 アキアカネにしては黄色く。何と言うトンボでしょうか。

 対岸に着くと、最終目的地、佐多岬を目指します。

 およそ80kmを1時間半で走り、ようやく到着したのが2時頃。岬までは更に徒歩20分かかるようです。

 娘を背負い、熱帯雨林の中のような景色をくぐり、ようやく着きました。

 北緯31度。本土最南端の岬です。

 「子供が地球の端を見たいと言ったから」というCMが、昔ありました。

 地球の端でもないし、子供に言われた訳でもないのですが、何故か来たかったのです。

 すごい風でしたが、スカッと晴れてくれました。ここが本土の端なら、今度は沖縄か……などと思ったり。

 再び志布志に戻り、夕方6時に九州を離れたのです。

【5日目】 8月16日(月)

 15日の朝、大阪の南港に戻ってきました。

 WTC、海の博物館が朝日を浴びて、美しいのですが空気、海は比べる由もありません。

 しかしここが私の住む街、仕事をする街です。

 旅は自分との対話、と安藤忠雄は言いました。

 家族旅行が、自分との対話かは別にしても、私にとって、家族にとって何かを考える時間にはなったと思います。

 鹿児島一周の旅。長々と書きましたがこれで終り。

 出来ればもう一度、快晴の桜島と開聞岳を見に行ってみたいものです。