理念

 来月1日、日本航空(JAL)のCEO就任を前に、世間の注目を集める稲盛和夫さん。何度も講演を聞きました。

 技術者だった稲盛さんは、27歳で京セラを創業しますが、その際には経営の「け」の字も知らなかったと言います。その中で、どうすれば企業は永続的に発展出来るのかを考え、経営理念を作り上げました。

 著書に、こんな場面があります。

 商売の神様、松下幸之助さんの講演会に行った時のこと。その日は、ダムがなければ、大雨で川は氾濫し、日照りで川は枯れる。お金を水に例えた、有名なダム式経営の話でした。

 講演終了後の質疑応答の際、ある経営者が「ダムが大切なのは私達も分かる。ただ、そんな余裕がないから、どうすればダムが出来るのかを聞きたいのです」と質問します。多くの人の気持ちを代弁したものでした。

 幸之助は苦笑し、間を置いて「そんな方法は私も知りまへんのや。知りませんけど、ダムを作ろうと思わんとあきまへんなあ」と言います。場内には失笑がもれ、失望に似た空気が支配しました。

 その時、体に電流が走ったとあります。まずは、思わないといけない。全ては一人の思いから。

 JAL再生という難事業を引き受けた稲盛さん。JALの社員にどんな言葉で語りかけるのか、とても気になります。

 自分もこの質問者になっていないか?常に問いかける必要があります。

マイケル・ジャクソン『This is it』 

 昨年の6月。に急死したマイケル・ジャクソン。ロンドンでの公演を1ヵ月後に控えていました。直前リハーサルの映像を集めたドキュメンタリー映画が『This is it』です。

 何とか劇場で観たいと思っていました。アンコール上映も終了間際。滑り込みで間に合いました。

 スリラーのミュージックビデオリリースが1983年。特別なファンという訳ではなかったのですが、中学生だった私も繰り返し見ました。時代は、海外の映像が頻繁に日本で紹介され始めた頃です。

 通学の電車の中。初めて買ったウォークマンで色々な洋楽を聴きました。その中にはマイケルの曲も。洋楽体験の入口に、彼の曲があったのです。

 『This is it』ツアーの監督が、この映画の監督も務めています。

 リハーサル中、序々に熱を帯びてきたマイケルのダンスパフォーマスに、競演者達が盛り上がる場面があります。それに応えるように、マイケルも更に熱の入ったパフォーマンス繰り広げます。舞台の下で、競演者達は更に熱狂します。

 監督は「まるでrock’n rollの教会だ!」と。皆に応えるマイケルは、ほとんど息が乱れていませんでした。観客の前に、世界の一流が集まったスタッフを、完全に魅了していたのです。

 高音、雄たけび、うなるような低音、天使のようなささやき。ありとあらゆるダンスのバリエーション。よろめいたり、バランスを崩す場面など一瞬もありません。細くしなやかな体は、毛先までがコントロールされているかのよう。惰性のないその動きは小気味よく、観ているだけで快感を覚えるのです。

 死因には、麻酔や睡眠導入剤などがあがっています。映像には亡くなる数日前のものもありますが、そんな事は微塵も感じさせません。それどころか、50歳とは思えない軽快でシャープな動きでした。

 晩年は様々なスキャンダルにまみれましたが、今あるのは、彼のステージは永遠に見れないという後悔だけです。同じ時代に生き、チャンスがあったにも係わらず。リハーサルであのステージ。やはり見るなら超一流だと思ったのです。

 映画の終盤、スタッフと団結する場面で、マイケルは皆に語りかけます。

 「観客は日常を忘れる体験を求めている。未知の領域へ連れていこう」 

  King of Pop

 その称号に、亡くなる前とは違う重みを感じるのです。

工藤公康

 現役で実働最長記録を更新中の工藤公康投手。キャリアをスタートした西武を出て、3球団を渡り歩きました。47歳になる今年は、古巣に復帰します。

 一昨日から新聞にインタビューが載っていたので、抜粋してみます。

 プライドには2つある。「捨てなきゃいけない」ものと、「持ち続ける」もの。

 捨てなきゃいけないものは「過去の栄光」。「オレは昔ね……」なんて言い出したら終わり。ボクは自分の心に問いかける。「昔の自分と、今の自分は違う。しっかり現実を見ろ。野球を続けたいなら動け、トレーニングをしろ」と。

 逆に「持ち続ける」プライドは自分がやってきたこと(トレーニングや勉強)に対して。長く現役を続けるために人一倍やってきたつもり。

 私に過去の栄光などありませんから、勉強なしでは全くプライドのない人間になってしまいます。プライドを持ちたければ、ただ勉強あるのみ。

 連載最終日の今日は、家族の話でした。工藤選手には、5人のお子さんがいます。年齢は分かりませんが、努力と節制を持ってすれば、もしかすると孫に実際の投球を、という場面があるかもしれません。

 ただ登板できれば良いとは考えていないでしょう。今シーズンも注目しています。アンチエイジングなどとは違う、人の無限の可能性を感じます。

ひらパー兄さん

 先週の後半は、寒い日が続きました。

 土曜日夜、家に帰ると、食卓の上にひらかたパークの入場券が3枚。子供がずっと行きたいと言っていたので、妻がどこかで入手したようなのです。

 日曜日は快晴でした。

 長男の保育園で「ひらかたパーク」というより、「ひらパー兄さん」がしきりに話題に出るようなのです。 

 何年振りに来たでしょうか。

 もっと小さい遊園地をイメージしていましたが、手頃な大きさでした。少し調べてみると、1910年から日本最古の歴史を持つようです。

 入園料が1300円、子供700円。フリーパスが3000円と1500円。セットで買えば、少し安くなります。

 噂のひらパー兄さん。いたるところにいらっしゃいました。

 ひらかたパークは京阪電鉄が経営しており、USJに次ぐ来場者があるようです。

 多くの遊園地が閉鎖される中、これは立派な結果です。

 しかも、片やウッドペッカー、片や小太りの中年芸人なのです。(失礼!)

 ブラックマヨネーズの小杉竜一、36歳。およそイメージキャラクターには程遠い感じですが、憎めないルックスとその体系からか、子供からは圧倒的な支持を受けています。

 誰が人選し、最終決定したのか、勿論分りませんが、なかなか出来ることではない気がします。

 もし、少しでもUSJとイメージで張り合おうとか、微塵でもある程度のルックスを求めたら、これ程の成果は出なかったと思うのです。(更に失礼!!)

 一昨年、同じくM-1の覇者NON STYLEが、他の遊園地のイメージキャラクターを務めていました。

成長

 ゲツモクではありませんが、書いてみたいことがあります。

 また連休の話しになりますが、その最終日のこと。

 長男がロープウェイに乗りたいと言うので、標高2200mの山頂まで上がりました。天気も良かったので、スキー板を履き、長男をおぶって滑り降りました。

 この日はそれで帰る予定でしたが、「今日もスキーがしたい」と言い出します。前日はスキー板をレンタルしていたのです。

 学生時代からアルペンスキーをしている事もあり、教えるのにはつい力が入ってしまいます。

 前日は、もう少し練習すれば、プルークボーゲンが出来るのに「アイスが食べたい」「雪ダンゴを作る道具を買って欲しい」とダダをこねだしました。それならもう辞めなさい、となっていたのです。

 結局スキーはレンタルしましたが、この日も同じような感じになりました。それで、最後に一般ゲレンデを滑ったら終わりにしようとなったのです。

 滑り始めると、キッズパークで練習していた時より断然上手いのです。手放しで喜んでいると、もう一回行くと言います。滑り降りると、更にもう一回と。
 
 前日の件があったので、最終日は3時間しか借りていませんでした。

 時間が来たと伝えると、どうしてもまだ滑りたいと。短いキッズパークなら1回は滑れるだろうと、納得させました。

 「緩い斜面だから、お父さんは何も言わない。好きなように滑っていいよ」と上から見ていたのです。

 すると、今まで見たことが無いくらい、上手にターンを繰り返し、最後はブレーキをかけ、ピタッと止まったのです。完璧でした。それを見て、私は不覚にも涙を流して喜んでしまったのです。

 長男はきょとんとしていましたが、喜んでいるのは分かり「僕も、そんなに喜んで貰ったの、初めてやわ」と、知ったような口をききます。

 更に、何故かレンタルしたスキー板に向かって「今日は、よう頑張ったなあ」と話し掛け始めたのです。

 何でも褒めながらが良いのは理解していますが、真剣になってくると、つい厳しくなります。厳しくなると、辛いでしょうが、それでも頑張ったから、大きな上達があったとも思うのです。その成果が感じれるまで続けられるかが、大きな分岐点なのです。

 待っていた妻のところに帰り、報告すると「凄いねえ。あのお父さんを泣かしたなんて」と言っていました。人の成長を見て涙するなど、想像したことさえありませんでした。

 人にとって、最大の喜びは成長だと確信しました。それを適えるには、怒るだけ、褒めるだけではだめなことも。

 正しい事に頼るより、自分の体験と直感を信じたいと思ったのです。

小津

 この連休に訪れた蓼科。

 八ヶ岳からの緩やかな稜線は、日本離れした景色で、ひととき日常を忘れさせてくれます。

 「信玄の隠し湯」と言われる温泉があったりと、古くからの湯治場として栄えていました。

 大正時代からは、リゾート地としての開発も盛んになります。

 八ヶ岳連峰のひとつ、横岳から西を望むと、蓼科高原を見下ろせます。諏訪盆地のむこうには御岳も。

 この地を愛した文人に、映画監督・小津安二郎がいます。
 
 「東京物語」「秋日和」など、前から気になっていましたが、まだ観れていません。

 それでも、戦前、戦後の日本映画界を支えた、巨匠であることは知っていました。晩年の名作は、全てこの地で構想を練られたものなのです。

 彼の仕事場だった茶室は残っていませんが、別荘として借り受けた「無藝荘」は当時のまま保存されています。冬季なので外からしか見れませんでした。

 茅葺屋根の建物も見てきましたが、最も人を感じ、美しい建物でした。今度は是非内部も見たいと思います。

 彼はこんな言葉を残しています。

「どうでもよいことは流行に従い、重要なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う」

 全て自分に従ったのか、道徳に従った部分もあるのか、それ以外の部分もあるのか。映画を観てみたいと思うのです。

24-TWENTY FOUR- シーズン7

 年末頃から、映画を観に行きたいと思っていますが、まだ実現していません。

 代わりと言っては何ですが、『24 シーズン7』を観終えました。

 「24-TWENTY FOUR-」は、24時間リアルタイム進行がメインコンセプト。シリーズも7作目になる、アメリカの大ヒットドラマです。

 内容には触れませんが、このドラマで初めて知ったキーファ・サザーランドはなんと言っても素晴らしい俳優です。

 彼の演じるジャック・バウワーは、アメリカ国民を救うために自らの命を顧みず働きます。コンセプトが秀逸だとは言え、観ている間は、この超人が実在している気にさせるのですから。

 「白い巨塔」以来日本のドラマを観ていないので、あまり言えませんが、比べると、やはりキャラクターが分かり易すぎる気がします。美男美女に、ベビーフェイスにヒールと、あまりデフォルメする必要は無いと思うのです。

 「24」にも美男美女、悪役と出てきますが、普通の人(に見える俳優)も多く出てきます。何より、キーファ・サザーランドも、絶世の美男子とは言えません。

 多くの登場人物の役割は、観た瞬間に分かるものではありません。しかし、後々「あ~やっぱり」となるような、絶妙な構成なのです。

 簡単に区分けするのは乱暴かもしれませんが、そこには観る側への期待と言ったらいいのか、そういうものが薄い気がします。逆から言えば、観る
側の想像力を求められていないので、感情移入し難いと思うのです。

 ここ数年、韓流ドラマもブームですが、こちらはどうなのでしょう。アメリカよりなのか、日本よりなのか、全く別物なのか。興味のあるところです。

 競馬好きで有名だった劇作家・寺山修司は、記者からその勝ち負けを聞かれて

「なぜ平均する必要があるのか。あんたの人生は平均すると笑ってますか、泣いてますか」

 と言いました。彼はこうも言っています。

「物語は半分作って、後の半分は観客が補完して一つの世界を作っていく。余白が無いといけない。それが演劇の可能性だ」

 ここに、エンターテイメント、芸術の本質があると思うのです。

正月休みは木曽福島へ

 新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 私たち家族は、大晦日から1月2日まで、長野県の木曽福島へ。

 両親、弟家族とで行きました。弟家族とは、似たような年恰好なのです。

 近くのスキー場へ行きますが、弟の末娘は半年に満たないので、母と山荘で留守番です。

 4歳の長男は、格好も一人前で、スキーに目覚めていました。

 きそふくしまスキー場には、キッズパークがあります。

 500円かかりますが、安全で小さい子供にはなかなか良いのです。2番目同士は、父と雪遊び。

 山荘を借りているので、食事は自炊。

 母が大阪からおせち料理を作って来たので、正月らしい食卓になりました。

 

 

 

 

 

 31日、元旦とスキー場に行きましたが、最終日の2日は娘と留守番をしていました。

 2人で辺りを散策すると、目につかなかった景色も見えるものです。
真っ白な道に落ちた木漏れ日も美しく。

 雪が積もり、つららができ、解けては川となり海へ。

 海から、雲になり、また雪が降り。
これからも綿々と繰る返されるのです。

 娘と2人で過ごすのも久し振り。

 あっというまの3日間がすぎました。

 子供たちは従兄弟同士で、過ごす時間が一番楽しいようです。

 長男は移動の度に弟の車に乗ると、ぐずリ出しました。何故か従兄弟が、こちらの車に来るとは言わないのですが。

 正月休みを終え、本格的に2010年がスタートしました。

 今年の目標は「なりふり構わず」です。余計な事は考えず、目的に向かって純粋に行動したいと思います。

 この2010年がみなさんにとって、素晴らしい一年となりますよう。