昨年の9月に、光の話しを書きました。

 その時の話しをまとめると。

 光は波の要素があり、波長の長さによって色が違う。人に見える領域が虹で、波長の長い順に。赤より長い赤外線や紫より短い紫外線は、見えない。

 波長の短い青は、空気の粒子によって拡散するので空は青。夕方の太陽光線は大気圏を長く横切るため、波長が長く拡散しにくい赤系統の光だけが届くので、夕焼けは赤。

 色と言うのは、直接光源を見るか、反射しているものが目に映ったものです。植物の葉はなぜ緑色なのか。植物も、元々は海の中から生まれてきたことに理由があるそうです。

 海は赤系統の光を吸収するので、青や緑に見えます。それで、海の中で効率よくエネルギーを取り込もうとすると、赤系の光から取り込むことになります。もっとも効率の悪い、緑は優先順位が低くなり、取り込まなくなりました。それが反射して緑に見えるのです。

 吸収光の色→観察される色(補色・余色)

紫→緑黄
青→黄
緑青→橙
青緑→赤
緑 赤→紫
黄緑→紫
黄→青
橙→緑青
赤→青緑
紫赤→緑

 この地球にある酸素の2/3は海中の微生物が生成し、1/3は木々によって作られます。海と森は特別なものだったのです。

学園前

 今日は朝から久し振りの雨。

 ハナミズキが実を付けていました。

 土曜日は、写真スタジオのクライアントが、知人との食事会に誘ってくれました。

 ホストの夫妻は、最高の手料理でもてなしてくれました。いつかこんな事がしたいという夢もあります。

 場所は、近鉄の学園前。生駒市と奈良市の中間に位置します。気になる街だったのですが、初めて降りました。 

 駅周辺は再開発があったようで、かなり整理されています。

 駅から少し歩くと、大きな区画の住宅街が続きます。

 もう少し離れると、ところどころに畑や田圃が残り、良い感じで高低差もあります。とても住みやすそうでした。

 田圃からは藁を焼くにおいが。30年前は、私の地元でも多くの田圃がありました。鼻の記憶は、一瞬にその頃を蘇らせます。

 ウキペディアによると、大阪にある帝塚山学院が、1941年に近鉄に誘致され、学園前という名がついたようです。現在は、近鉄奈良駅と同じ位の利用客があります。

 長谷工アーベストが調査した、「住んでみたい街(駅)ランキング2007関西編」では20位。奈良県内では1位でした。

 数年前、パイロットの方から聞いた話があります。その人は大阪府出身。職場である空港も大阪ですが、学園前に住んでいました。ちょっと気になり聞いてみたのです。

 家を買った1970年代、日本は高度成長期の真っ只中でした。フライトで生駒山を越え、伊丹空港への進入ルートに入ると、空気の色はどす黒く、こんな所には住めないと思ったそうです。

 歩いてみても、街に愛着があるのはよく分ります。家に愛情が掛けられているのです。綺麗にしているとか、豪華とかだけではなく。

 この調査、関東編と違って、大方の人が自分の住むエリアをあげたそうです。ここ2年、関西では調査されていないのは、代わり映えしないからでしょうか。

 最後に、そのランキングを載せておきます。あなたの街は。私の街は。

1位 阪急 「夙川」 80
2位 阪急 「西宮北口」 71
3位 阪急 「岡本」 68
4位 阪急・JR 「宝塚」 67
5位 阪急 「芦屋川」 51
6位 阪急 「茨木市」 47
7位 JR 「高槻」 46
8位 北大阪急行・大阪モノレール 「千里中央」 45
9位 阪急 「御影」 44
9位 各線 「三宮」 44
11位 JR・大阪市営地下鉄 「天王寺」 42
12位 各線 「梅田(大阪)」 41
13位 阪急 「高槻市」 35
13位 JR 「芦屋」 35
15位 阪急 「豊中」 34
16位 阪急 「六甲」 32
16位 各線 「難波(なんば)」 32
18位 阪急 「桂」 31
19位 JR 「茨木」 29
20位 阪急 「池田」 27
20位 京阪 「樟葉」 27
20位 京阪 「枚方市」 27
20位 近鉄 「学園前」 27

管理建築士講習

 今日も晴れ。昨日も一日気持ち良い天気でした。

 朝からバタバタしていると思ったら、長男の遠足でした。

 長女の遠足は終わったのですが、2人で走り回っていました。どちらもリュックは貰い物です。

 ほとんどに近いくらい、子供に何か買った記憶が無いのです。本当に有難いことです。

 私は朝から、上本町にある大阪国際交流会館に行っていました。

 建築士法の改正で始まった、「管理建築士講習」があったのです。

 今年の8月には「建築士定期講習」というのも受講しました。
 

 ともに3年に1回の受講と、試験が義務付けられています。

 構造偽装問題に端を発した、信頼の失墜を食い止める為に始まったものです。

 全ての建築士が受講する「建築士定期講習」と違い、「管理建築士講習」は設計事務所における責任者の講習ですから、自然と年齢層も高くなります。

 私が学生の頃、試験は概ねマークシートでした。しかし20歳上の人となると……

 これは8月の建築士講習の時ですが、隣が60歳くらいの男性でした。

 試験では明らかにマークシートに戸惑っています。更に試験中、挙手してトイレへ。

 狭い席ですから、進み具合は見えています。トイレから戻ると、明らかに時間が厳しく、焦っているのが分かります。

 何とか全てマークはしていましたが、線が大きくはみ出したりしているのです。

 合否の発表は、webサイトでもなされてます。先月の発表時、私の前後の番号を確認すると……2人とも合格していました。

 いらぬ心配だったようです。しかしこうなると、誰でも通る訳ではないのでしょうが、ホッとしたというか、それでいいのかとも。複雑な気持ちなのです。

ブロック

 今日は気持ちの良い秋晴れでした。

 一日、竣工したばかりの写真スタジオへ、撮影に行っていました。ここのところ天気が良かったので、正直に言うと、今日にとっておきたい気分でした。

 撮影の日ほど、天気に気をもむことはありません。

 営業しながらの撮影だったのですが、お店の協力を得て、何とか無事終えることが出来ました。

 今はひとまずホッとしています。

 昨日は、東条湖にある、おもちゃ王国に行って来ました。

 折角だったのですが、子供たちは、ほとんどブロックのコーナーにいたのです。

 と言うことで、頑張って作ってみました。

 帰りは妻に運転して貰い、ほとんど寝ていました。

 街路樹のカエデが色づいていました。さて、実りの秋となるかどうか。

ぼやき

 アメリカのメジャーリーグ、日本プロ野球ともレギュラーシーズンを終え、ポストシーズンに入りました。

 何れも、世界一(アメリカ一?)、日本一を決めるものですが、日本では楽天ゴールデンイーグルスがこのステージに進んでいます。

 「楽天ゴールデンイーグルスというチームは大好きだけど、楽天球団は大嫌い」

 最終決戦を控えるこの時期に、来期の監督を探す球団に対しての発言です。決して褒められたものではありませんが、何となく野村監督を応援したくなるから不思議です

 野村克也74歳。現役時代には「長嶋、王が太陽に向かって咲くひまわりなら、俺はひっそり野に咲く月見草」と言いました。現在はぼやきで、世間の注目を集めます。

 好き、嫌いは別にして、創立以来、4年連続Bクラスだったチームを、ここまで導いた手腕はさすがです。こんな言葉も残しています。

 「負けに不思議な負けなし」 野村克也

 不思議な勝ちはあったとしても、です。他にも、今年聞いた言葉を書いてみます。

 「才能が無いと分かる事が才能」 ビートたけし

 「矢沢はマジメ」 矢沢永吉

 どの言葉をとっても、謙虚な姿勢が伝わってきます。ある人から、失敗を成功に導く方法があると聞きました。喜び勇んで聞くと「反省する事」と。

 更に「出来れば、どこの分岐点から、失敗に向かっていったかまでを反省し悔やむ事」と言われました。「仕方なかった」でなく「どうすれば良かったか」

 謙虚な姿勢以外に、成長はないということです。

秋、オオクワガタ

 今日は体育の日。昨日は保育園の運動会でした。

 長女は初めての参加。長男は過去3回のかけっこで、勝利なし。今年こそはと楽しみにしていました。

 結果は6人中5位。

 親としてはなんとも残念です。来年は年長組で最後の年。出来れば一度くらいは勝ってほしいと思ってしまいます。

 話は変わって、我が家の玄関先には、金魚とオオクワガタがいます。

 オオクワガタのほうは、2つ虫かごが有り、1匹は義妹に貰ったもの、もう1匹は白浜で捕ったものです。

 白浜のほうが後からやって来たのですが、虫かごのフタが甘く、すでに2回脱走しているのです。

 

 朝の忙しい時、子供が「逃げた」と騒ぐのですが、結局玄関周りにいて、すぐ捕獲されます。

 夜遅くに晩御飯を食べていると、玄関先から時々、バチン、バチンという音が聞こえてきます。クワガタが、必死にフタを挟み切ろうとしているのです。

 結果、上に3つも重石を載せているにも係わらず、フタを押しのけ、逃げ出したのです。

 先週の10/6(火)に3度目の脱走をしました。玄関先にエサのゼリーを置いたりして、おびき出しましたが、出て来ません。

 ところが10/10(土)に、玄関のサッシの中に居るところを妻が発見しました。古いサッシで、隙間があったのです。うまく隠れていたのですが、この日は暑くなり、もがいている音が聞こえたそうです。

 今度山に行った時にでも、逃がしてやろうと思います。そこまで逃げたいのに、一緒に暮らす理由が無いからです。

 生き物は、自分の力で生きるのが、自然の道理です。どんな説明がついたとしても、生物の命を預かるのは、恐れ多い気がします。

 これをどうやって子供に説明するのか。納得させられるのか。

告別式

 今週の月曜日、妻の祖母が亡くなりました。

 1920年(大正9年)生まれで、およそ89年の生涯を終えました。27年先に亡くなった妻の祖父は、戦後間もない1947年(昭和22年)、北摂で電気機器関係の会社を興します。

 創業当時は物不足の時代で、釘を拾って歩いたこともあったそうです。祖母も油まみれになって働き、ひたむきに夫を支えて来たのです。

 女学校時代は、平野区にある教育大に通っていました。3年前に会った時、今は廃線となったチンチン電車のこと、近所の商店街にあった甘味屋さんのことを、懐かしそうに話していました。

 私が結婚したのは6年前で、会ったのは10回足らずですが、何とも親しみを覚えていました。何と言うか、本当に苦労して来た人の、優しさのようなものを感じたのです。
 
 現在、妻の叔父が継いだこの会社は、電磁式ポンプの業界をリードする会社になっています。今日の告別式では、仕事人としての敬意を込めて、親族としての感謝を込めて、送ってきました。

 人の死は必須です。その死は、それに係わる全ての人に、生とは何かを問います。そんな時、生は鮮やかに、そしてくっきりと浮かび上がってくると思うのです。

やっぱりアスレチック

 日曜日は暑いくらいの日差しでした。朝一番から、生駒山頂にあるフィールドアスレチックへ。

 駐車料金500円、大人500円、子供300円。生駒市民なら割引があります。

 流石に、無料の施設とは大きな差がありました。

 全部で30アトラクション。

 生駒市の運営ですが、ただ走破するだけでも険しい山道なのです。何ならちょっと身の危険を感じるくらい。
 
 下の娘を抱きながら歩くだけで一苦労。足に身が入りました。

 我が子ながら、力を振り絞って綱にぶら下がり、丸太にしがみつく姿は、逞しくなったなと感じました。

 もし落ちたら……というくらい、歯ごたえのあるものが結構あるのです。彼にとっては、多分冒険。

 自分もアスレチックが好きだと言うことが良く分かりました。

 体を動かし、子供と遊び、夕食も美味しく言うこと無しです。何より現地に向かう時、ちょっとワクワクするのです。

 大阪府下なら、能勢、奥水間、兵庫なら六甲山、宝塚、篠山……次はどこへ。

 一昨日は中秋の名月でした。大阪はあいにくの曇り空。

 一日遅れで、昨晩は見事な名月でした。こんな時、夜空さえ見上げていない事に気付きます。

 そんな日常が幸せとも言えるのですが。

ことばの力-みなぎる編2-

 この秋に、司馬遼太郎の「坂の上の雲」がドラマ化されます。

 日露戦争を描いた壮大な歴史小説ですが、激動期を支えた多くの人物が登場します。彼らの言葉も、多く残されているのです。

 大臣だった児玉源太郎はその職を去って、実質的には格下である参謀本部次長に志願します。その職務は、ロシアに対しての作戦を練るもので、日本の将来を左右する仕事です。激戦となった203高地の戦いも、彼の手腕によって何とか結末を迎えられたのです。 

 日露戦争当時、最新の知識の持ち主が軍司令部に揃っていました。彼らはいわゆるエリートで、鎖国で軍事的に遅れをとた日本は、留学生を軍事先進国へ送り、最新の知識を学んでいたのです。

 よって知識は持っているが、成熟している訳ではなく、あくまで翻訳者の域を出ていませんでした。児玉が参謀本部で、彼らのような専門家に意見を聞くと、十中八、九、「それはできません」という答えを受けるのです。いつもその繰り返し。

 そこで彼は言い放ちます。

 「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」

 チャレンジしなければマイナスポイントは生まれません。しかし、それでは過去をなどるだけです。小さな失敗を恐れるより、成長や未来を求めるほうが、絶対に素晴らしいと思うのです。

 社会に出るまで繰り返される試験は、間違いを無くすことが、良い結果を生みます。しかし生きる事において、平均点が高い事に意味は無いと思います。喜びと苦労の平均値をとっても無意味だからです。

 その呪縛から解き放つことで、活き活きとした人生を送れるのだと思っています。その考えを、仕事を通して少しでも世に問うてみたいのです。